児玉昌己研究室

内外の政治と日常について想うことのあれこれを綴ります。
欧州政治における右シフト現象 メルケルのwillkommen politik「歓迎政策」のツケ

 わが国では総選挙の真っ最中である。 他方、欧州でも、2017年は、オランダ、フランス、ドイツに次ぐスーパー選挙年である。

 個人的なことを語れば、5月のフランスの大統領選の決選投票と9月のドイツ総選挙を現地に出向き、現地の友人の協力を得て、投票所に出向き、実見してきた。

 欧州での選挙年についていえば、オランダ、フランスでは極右勢力は振るわなかった。だが、9月のドイツに続き、10月15日にオーストリアで総選挙。ドイツではAfDが84議席と史上初の極右政党の大量議会進出となった。

 オーストリアでは、31歳のセバスチャン・クルツ率いる国民党が15年ぶりに政権に復帰。世界最年少の首相が誕生することになる。

 極右自由党は、難民制限について我々の政策を盗んだと非難している。実際、自由党が主張してきた難民入国の厳格化が国民党の選挙宣伝でもあった。

 まさに、欧州政治の右シフトの典型である。

 日本の政治もナショナリズムの高揚という右シフトの顕在化という意味では、欧州諸国と全く同様なのだが、EUと日本では、背景は大きく異なる。

 欧州における右シフトの理由はいくつか理由があるが、その重要な要素は、ドイツのメルケルに負う。

  欧州の右シフトの原因の最大のものは、ドイツのメルケルのwillkommen politik「歓迎政策」にある。

 ただでさえ、2000年代に入り、移民難民の流入は続いていて、国内政治を緊張させていた。

 その最初の危機はハイダー率いるオーストリアでの自由党の2000年に起きた入閣だった。

 当時EU諸国はこれに激しく反発して、欧州理事会では首脳は記念写真を一緒にとることさえ忌避した。ベルギーではスキー観光ボイコットを呼びかけるポスターが作られた。

 それはナチス親衛隊のSSのマークのシュプールを描くものだった。

 あれから17年だ。欧州における右シフトは顕著な傾向となっている。

 それ以降、難民移民の流入は加盟国の国内対立を深刻化させた。そしてその最大の緊張を引き起こしたのが、上記のメルケルの難民歓迎政策だった。

 それは出国をためらっていたシリアをはじめ中東の紛争地域の住民、大量の出国とEUへの流入を促すものとなった。結果、爆発的な現象となって、2016年までにEU諸国には100万を超えるの難民が流入した。

 まさにドイツメルケルの、感動的ではあるが、理性的とはいえない政策がもたらした影響は甚大だった。

 実際、EU研究者の側から見ていると、そのツケを払わされているのが、統合組織EUである。

 加盟国の政治家はなにかといえば、いけにえの羊のごとく、自国政府が理事会で統合推進をもたらす各種政策に理事会において賛成していながら、EUが悪かったという。今も、昔もそのパターンに変わりはない。

 かくして、2015年9月には、EUでは欧州委員会がイタリアやギリシャを経由して入ってくる難民のEU諸国(英アイルランド、デンマークは除外/英はEU枠外で別途2万人程度を自国で検討)の割り当てを提案し、理事会を通して、EU内部の対立をもたらした。

 すなわちチェコ、スロヴァキア、ハンガリー、ポーランドのヴィシェグラード諸国がそれに強く抵抗し、フィンランドも司法内務理事会では棄権にまわった。それは現在欧州司法裁判所での訴訟となっている。

 欧州の2017年の政治に話を戻すと、フランス大統領にはEU統合推進派のマクロンが議会での圧倒的多数をもって、登場した。彼はドイツの総選挙の2日後、ソルボンヌ大学で、瞠目すべき対EU政策を具体的に語った。

 それは、7月からマルタに替わった議長国のエストニアのタリンでの初開催となった欧州理事会で、EU加盟国に検討課題として、提示されている。

 極右国民戦線については、それでも党勢は依然として衰えていない。むしろ拡大気味だ。

 各国の状況とEUへの影響は、これから分析されるべき課題である。

 だが、EU統合の独仏ベネルクスなどEUを形成した中核諸国よる推進(EU統合に反対の中欧諸国などを分離する形での多段階統合)以外にEUとユーロを救う手立てはないとするフランスと、右シフトするEU加盟国の厳しい対立が予想される。実際、ユーロを含めたEUの改革の面では、機動的に失業対策などにも対応できるような、EU28か国でなく、19の「ユーロ圏19にかかわる独自予算とそれを監督するユーロ圏議会議会、ユーロ圏財務大臣新設、そして欧州議会選挙の751年のイギリスり議員団73名の離脱分を充てる単一欧州選挙区の導入、など包括的で、さらなる連邦主義的な進化を求めるものである。

 ちなみにイギリスが分離を問うた国民投票の時点では当時のキャメロン首相は改革を言っていたが、全くEUの「改革」とは程遠いもので、EUの意思決定からイギリスを除外するだけの、いわば改革阻止の提案でしかなかった。

 メディアはこのキャメロンの「改革」の意味を分析することなく、無批判にこれを垂れ流し、改革と報じていた。そして主張していたキャメロンは国民投票での離脱決定とともに無責任にも後任に丸投げし、辞任して政界さえ去り、まさに遁走してしまった。

 マクロンのがまさにEUとユーロの抜本的改革というべきである。それは必然的にEUの連邦化を進めるものとなる。実際、各国財務相の上にEU財務相ができるそのことを考えるだけでいい。今でも欧州司法裁判所は、加盟国法への上位規範性をもつEU法を合目的に審査、判示してきたことを思い出すべきである。

 ともあれ、EU政治の研究者にとっては、この分析は実に大変な作業となる。

 ただドイツでのAfDの党勢拡大にみられるように欧州各国での右シフトの大きな原因が難民問題への批判票であったことを考慮すれば、ドイツを含めた難民認定の厳格化が進めば、この状況も変わることも十分考えらえる。

 またEU改革にネガティブに対処してきたイギリスがEUから離脱が決定し、独仏の影響が格段に大きくなってきた。その影響も考慮する必要もある。

 それらが今後のEUの将来を見定めるポイントになる。

 

 

 

 

| 児玉昌己 | - | 01:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
筑紫21世紀研究会で、宮原信孝前久留米大学教授(外務省元中東2課長)と佐藤優先生(元外務省首席分析官)を招く勉強会

 昨夜は筑紫21世紀研究会で、久留米市長選に立候補予定の宮原信孝前久留米大学教授(外務省元中東2課長)と佐藤優先生(元外務省首席分析官)を招き、300名余の勉強会があり、懇親会での挨拶では、マツコ・デラックスならぬゴージャス両先生と紹介したとこでした。
同志社人であり、インテリジェンスを語らせれば、当代きっての佐藤優先生とも、久しぶり会食のテーブル席で隣となり、身近なことを含め、会話したことでした。

 佐藤優さんは同志社OBであり、久留米同志社交友会にも講演でお招きしたことがある。宮原さんによって、貴重な知遇を得ている。感謝である。

2014.08.03 Sunday 佐藤優先生久留米講演終わる 

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3715

| 児玉昌己 | - | 16:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
リベラルとは何か 続 ニューヨークタイムズとジャパンタイムズ紙に見る用例

 このブログでは「リベラル」ということについて、数回書いている。

今日は 大手紙の旧知の記者さんとEメイルでやりとりしていた。やはり彼も考えることがあって、それについて以下貴重な情報を知らせてもらった。

 英語メディアはどう報じているかで、ニューヨーク・タイムズとジャパン・タイムズの使い方の違いについてである

 立憲民主について、ニューヨーク ・タイムズはちゃんと a left-wing branch of  the Democratsと表記しているのにたいし、ジャパンタイムズは a new liberal party と書いている、とのことだ。

 ちなみに民進は党名を民主から変えた後も、英文では Democratsとしていたのであり、正確な表記である。

 見事な両者の認識の相違についての、用例である。

 いかにも後者は、日本だけにしか通じない、「内の」論理だけでものを考えて書いているのかがわかるし、前者のNYT紙は、普遍的かつ常識的理解でものを書いている。

 その違いが、はしなくもこの2つの英字紙に出ている。

 なお調べると、NYTのその個所は以下の記事である。

In Trailblazing Tokyo Governor, Japan Meets Its Great Disrupter. NYTIMES. Oct. 8, 2017. 

 それにしても、「政治家が使うから、我々も」という記者諸君に対しては、貴兄は鸚鵡(おうむ)か、リベラルの意味も分かっていない政治家の言語使用法と、基本的認識を問えといいたくなる。

 なぜリベラルという表現を問題にするのか、ということについて、私のブログを一部紹介しよう。

 「リベラルとは、政府の統制管理を少なくし、個人の自由意思をより貴び、小さな政府を基本とする。国家からの労働者や弱者への大規模な失業対策や救済、所得の再配分、支援を前提とする中道左派や共産党の思想とは似ても似つかない思想である。」

「誤った表現や表記は、政治家や政党の立ち位置を不明確にし、日本人の政治認識を過ち、世界性、国際的共通認識を失う。政治とは、究極においては、数百万人単位で血と死を国民に求める政治権力を扱う。それゆえ政治においては、特に言葉には厳密かつ正確、そして慎重であるべきだ。」

 

 2017.10.07 Saturday「リベラル3党」? 「左派3党」だろう、テレビ政治記者の驚くべき政治的無知 立憲、社民は中道左派、共産は左翼だよ

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=4308 

  3党については、「護憲左派3党」が正確であり、リベラルなど、全く欧州的感覚(それは普遍的ともいえるのであるが)からすると、論外なのである。

 2011年のあの大震災でおきた東電福島のメルトダウンという最悪の原子炉大爆発事件を思い出す。

 あの大規模原発禍に際しても、メディアは当時の民主の政府と官房長官にただただ追随し、誤った情報を世界に垂れ流し、わが国のクレディビリティを著しく失墜させた。

 その際に見せたメディアの対応を思い出すだけで、もうどうにもならないというほどにも劣化してしまったわが国のメディアだ。

あらためて愛想をつかすのは私だけではないだろう。

 参考ブログ

2017.09.30 Saturday リベラルとは何か 連合会長による民進の丸ごと「希望」への受け入れ要請を嗤う

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=4304

2017.10.03 Tuesday 枝野の立憲民主党設立が意味するもの 「政治は究極には友か敵しかいない」(カール・シュミット)を想起

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=4305

 

 

 

 

| 児玉昌己 | - | 23:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
「リベラル3党」? 「左派3党」だろう、テレビ政治記者の驚くべき政治的無知 立憲、社民は中道左派、共産は左翼だよ

  連合会長の発言に関連して「リベラルとは何か」を書いて、多くのシェアを得た。

 今日昼前のニュースを見ていて、テレビメディアで立憲、社民、共産をリベラル3党という局があった。無様極まりない。

 実に政治(学)のイロハもわかっていないテレビの「政治」部記者たちだ。

 伝統的に共産党は左翼だし、それを誇りにしてきた(はずだ)。

 共産党をリベラルなどとはいわない。欧州ではいえば、頭がおかしいのかということになる。日本共産党関係者も、あきれるか、苦笑いしていることだろう。

 立憲も社民は中道左派だ。自らの発する言葉の意味を少しは考えたらどうかね。

 欧州政治についての知識もなければ、政治理論についての知識もない。知識があれば、こうした無様な表記を使用しないよ。カッコ書きすればいい、ということにもならないよ。

 彼らの政治的な基本的知識の欠如か、考えてみる意思、意欲の欠如の現れだ。

 政治をバラエティに扱ってきたのと同じ論理の延長だろう。言葉を実に軽々に扱う。政治はファッションではない。

 リベラルなどという言葉は、これまでもほとんど誤りというべくも、「進歩的」と「革新的」という意味で、わが国では一部に使われてきた。

 多分にその理由は、実質的に、米国の歴史性を背景に共和党、民主党の2党が圧倒的な力を持ち、労働者を代表する社民政党が育たなかった政治的後進国アメリカにおける一部の使用法の影響を受けたものだ。

 米国では、共和、民主の両党を超えた進歩的価値については、リベラルという以外に言葉がなかったことからくるのだろう。

 もとよりそれでさえ、リベラルという語には、元来政府の統治、管理を徹底して嫌うという政治的意味も付与されているからさらに要注意なのだが。

  実際、米国といえば、アメリカンデモクラシーの幻想を振りまき、その実、99%運動に見るように、富をごく少数者が独占的に所有するという格差全開の社会だ。さらには銃は野放し、日欧で当然の公的医療保険さえ部分的にしか整備されていない、まさに後進国家だ。

 知的財産権で発見と発明がカネと直結する理工や医薬系の世界だけが先進国で、その例外だが。国力の低下とトランプ登場でこの国の実態とレベルがより鮮明に見え始めた。

 もっとも、北朝鮮の脅威や中国を前にわが国の外交における対米関係の重要性は十分に評価しているのだが。

 話をわが国に戻そう。

 リベラルとは、政府の統制管理を少なくし、個人の自由意思をより貴び、小さな政府を基本とする。

 国家からの労働者や弱者への大規模な失業対策や救済、所得の再配分、支援を前提とする中道左派や共産党の思想とは似ても似つかない思想である。

 リベラルの正確な意味を失念、忘却した政党への使用法については、いい加減終わりにすべきだ。

 保守の小池の希望の党が出て来て、ちょうどいい機会だ。

 民主や名を改めた民進みたいな、得体のしれないグロテスクというべき、まともな政党綱領さえなかった野合政党はもういらない。

 なにより、欧州でいえば、イギリス労働党もフランス社会党もドイツ社民も、彼らは中道左派であっても、リベラルではおよそない。

 リベラルは、イギリス自民(Liberal Democrats)やドイツ自民(Freie Demokratische Partei;FDP)だ。党名表記にリベラルや自由の文字があるだろう。しっかり見てごらん。

 共産党は、国際的に、普遍的に左翼だ。

 しかるにわが国のテレビメディア記者らの無様極まりない使用法だ。

 テレビメディアの記者の政治のイロハも知らない不勉強ぶりは実に、噴飯モノというべきだ。

 誤った表現や表記は、政治家や政党の立ち位置を不明確にし、日本人の政治認識を過ち、世界性、国際的共通認識を失う。

 政治とは、究極においては、数百万人単位で血と死を国民に求める政治権力を扱う。それゆえ政治においては、特に言葉には厳密かつ正確、そして慎重であるべきだ。

 なおあえて局の名は出さずにおこう。武士の情けだ。ま、ネット社会だから見ればどこかすぐわかるけどね。

 参考ブログ

2017.09.30 Saturday リベラルとは何か 連合会長による民進の丸ごと「希望」への受け入れ要請を嗤う

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=4304

2017.10.03 Tuesday 枝野の立憲民主党設立が意味するもの 「政治は究極には友か敵しかいない」(カール・シュミット)を想起

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=4305

| 児玉昌己 | - | 12:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
過日、総選挙視察で出向いたベルリンを想い詠む 海鳴庵児玉

 総選挙では極右躍進に心も晴れず。またチェックポイント・チャーリーは観光化し往時の雰囲気の片りんもない。そして黄昏のこの街にて鴎外を想う

 

  涼秋の ベルリン来たるは 総選挙 極右躍進 心は晴れず

 

  ベルリンの 往時なかりし 検問所 冷戦終わりて 三十年也

 

  涼秋の 街燈淡き ベルリンに 想い出しおり 鴎外のこと

                   海鳴庵児玉

 

2017.08.30 Wednesday 2017年後半海鳴庵児玉昌己句歌集

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=4294

海鳴庵(かいめいあん)とは、歌を詠むときの号。海に近いところで生まれたこともあり、海が好きで、世界に広がる海です。その潮騒響く岬に突き出た庵(いおり)の住人を私としてはイメージしています。海の街佐世保で育ちました。

| 児玉昌己 | - | 03:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
安倍の強権の灰色政治から小池新党の登場で俄然政治が面白くなってきた 

 俄然、政治が面白くなってきた。

 なぜか。これもいつも指摘するように、選挙制度と関連する。

 国政が俄然面白くなってきたのは、小池を登場させ、確固たる存在にした都議選に発するといってよい。

 周知のとおり、都議選では小池の都民ファーストは圧勝した。

 都議会は議員定数1287選挙区で定数一の小選挙区であるが、後は定数8-2の大選挙区制度をとっている。ちなみに定数1が小選挙区、それ以上は大選挙区であり、中という方はわが国独自のもので、基本は、大選挙区という。

 有権者の支持に応じて、自民から共産までまんべんなく各政党が議席を得る。これが比例や大選挙区だ。

 もし都議選で、完全小選挙区なら、都議会自民は消滅していたことだろう。死票を軽減し、合法的に虐殺された民意を救済する大選挙区制度だったがゆえに、自民はかろうじて生き残れたのである。

 そして今回登場したのが、都民ファーストの国政版、希望の党である。

 しかも希望は原発を最終的にゼロとした。過渡期として現行の原発については規制委員会がゴーサインを出せば、稼働をみとめるというものだ。つまり新規原発は認めず、段階的に廃止していくということになる。

 これにたいし、自民は、原発を「重要なベースロード電源(季節や時間帯に関わらず安定的に発電する電源)」と位置づけている。

 毎日紙によると、30年度の電力供給のうち原子力発電の比率を20〜22%とする方針である。

 テレビではこれを希望と大差ないという言い方をしていた局があったが、冗談ではない。

 段階的にゼロにするか、残すか、決定的にスタンスは違う。

 安倍はひそかにしかし強く意識しているであろう核武装との関係で、原発の専門的知識を失うことへの恐怖があり、口が裂けても原発ゼロは言えないし、言わない。

 ドイツでの9月24日に実施された総選挙視察でベルリンに出張し戻ったが、原発についていえば、中道右派で保守主義のCDU党首メルケル女史は日本の大震災の経験から、あの日本人でも制御できなかったとして、原発廃止の方針を決断した。

 その瞬間にドイツの反原発政党である緑の党は、最大の売り物を失くしたのである。

 ついでに言えば、CDU・CSUと大連立を組んでいたドイツ社民SPDも、社会政策で売り物の政策をメルケルのCDUに売りをとられて、その存在理由を落とした。このことも今回の総選挙での敗因となっている。

 わが国に戻れば、強烈な個性を持つ女性政治家小池の登場により、そして原発の段階的廃止を掲げることで、俄然政治が面白くなってきた。保守の中での相違が歴然としてきたからである。

 選挙制度の比例への転換を行えば、もっと政治が面白くなる。

 あれかこれかと、小選挙区が政治をいびつな野合政党の形成に誘導しているからである。

 実際、支持もしていない政党が勝っても負けても、有権者にはあまり意味がない。

 有権者には、自分の支持政党がその支持において正当な議席を得ることで、選挙の、そして民主主義的政治にコミットしているという、主権者としての満足を得るのである。

 小池新党の番頭というべき若狭が口にしていた一院制などつまらないことを言う前に、比例への転換に言及してする方がよほど歴史に名を残せるといいうるのである。

 さすれば、政治と選挙はもっと面白くなり、有権者が、政治に満足するのは確実である。

 これは突飛な意見でも何でもない。グロテスクに有権者の票が捻じ曲げられる小選挙区制の英、仏(仏は2回投票制でまだ民意の救済の余地はあるが)を除けば、ドイツをはじめ欧州各国では、比例代表制がEUの欧州議会もふくめて、選挙の準則である。

 敬称略

参考記事

自民・再稼働vs希望・ゼロ 原発対立軸鮮明に毎日新聞2017928

| 児玉昌己 | - | 01:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
枝野の立憲民主党設立が意味するもの 「政治は究極には友か敵しかいない」(カール・シュミット)を想起

  9月30日に連合会長による希望への民進の全員の合流について希望の小池が一部を拒絶するとしたことをおかしいと反応したことについて、書いた。

 ブログの中身といえば、この連合会長、政治はお友達クラブであるとでも理解し、政治が、そしてなにより連合会長として労働者の権利擁護の組織の長としての立ち位置が、全くわかっていないと批判するものであった。

 もとより政治は議会での数であり、数なしには政策も進められない。

 だが、もとにある政策の基本が不明で、ころころ変えられると有権者は何を信じていいのか不明となる。それぞれの確固とした政策があっての提携であり、政策協定である。無原則にそれをやられてはかなわない。

 下記ブログ参考

2017.09.30 Saturday リベラルとは何か 連合会長による民進の丸ごと「希望」への受け入れ要請を嗤う

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=4304

 

 そして10月2日、枝野が立憲民主党を立ち上げた.。

 この名称については、民主立ち上げの時にも検討されたことがある。ともあれ、小池による菅直人や枝野の入党拒絶があって、初めて新党立ち上げに動いた。

「政治とは究極においては友か敵しかない」というドイツのデモーニッシュとさえいいうる切れ味の、政治学者カール・シュミットの政治的至言が実に試された瞬間だった。

 この新党立ち上げについては、メディアはリベラルを使っている。赤松など旧総評系日本社会党系の議員が今度は試される。

 小池の新党結成でメリットがあったとすれば、自民との強力な対抗軸ができたということと、民進という野合政党の野合性が明らかになったということだ。

 今回の、本来保守そのものであった前原の小池新党への党を捨てての無責任な「逃亡」、枝野の立憲民主党の設立で、野合していた保守、リベラル、社民がきれいに分かれ始めたということだ。

 それぞれの旗幟(きし/のぼりの意)を鮮明にして有権者に問えということであり、この動きは政党本来の姿として、極めて好ましい。

 傲慢で権力を私物化する安倍自民にたいして、心底、脅威となるような国民的支持を有権者から得る勢力だけが今後の政治を担えるということだ。

 現行の小選挙区制度が導入されたのは1994年であった。

 その後23年何が起きたのか。 

 言われていたのとは全く異なり、政治の安定を全く不可能とし、選挙のたびに、膨大な死票による鬱積した有権者の怨念が次の選挙に放出され(これを政治用語で「敵対の政治」という)、それで極端に議席が左右に、上下に振れる選挙制度となっている。

 これからの政治家は、欧州の政治先進国や、EUの議会たる欧州議会に倣い、現行の小選挙区比例並立制度を否定し、安定した政治を確立するために、選挙制度の完全な比例(ドイツ型の小選挙区併用制も可)への全面転換を掲げて、選挙を戦えということである。

 なお安倍は目先の当選ばかりに左右されるという言い方で新党形成を批判しているが、無様極まりない。

 その種を、よりによって、この時期に不必要にまき散らしたのはだれか、貴兄ではないかといいたい。

 「仕事し内閣」はどうなったのかね。まだ口にして1か月にしかならない。

 これが貴兄のいう、「仕事し内閣」かね。

 アレコレの不適なかつ不遜の一連の閣僚の任命責任、そして自らの私的利益誘導しかり。自らの責任に全く触れず、目先の政権維持だけに公権力を発動し、挙句、他党を批判する、全く無責任極まりない。笑止千万とはこれを言う。

敬称略

9月の当ブログアクセス総数は以下。

 2017年 09

合計:7650

 

 

 

| 児玉昌己 | - | 00:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
リベラルとは何か 連合会長による民進の丸ごと「希望」への受け入れ要請を嗤う

  土曜日だが、業務があり、これを終えて帰宅の途中、連合の会長が希望の党への民進の全員一致の受け入れがないないことについて、これはおかしいといった、とNHKラジオが報じていた。 

これを聴いていて、この連合会長全く政治がわかっていないと、暗澹たる思いだ。

 神津さんよ、政党は、そして政治もお友達のクラブではないんだよ。

 労働組合主義は社民に属するイデオロギーであり、保守本流とさほどの相違のない小池の政治思想とは同じではないのだよ。

 イデオロギーを背景とする政治思想と政治の政策を意識していない労働組合組織の幹部など、欧州では考えられないことだ。

それほどまでに労働者の権利擁護と利益推進の意識からこの最高幹部、遠いところにいるとしか言いようがない。

 連合といえば、今から28年前の1989年のことだが、労働4団体が統一され、日本労働組合総連合会として、組合員約800万人を擁し、結成大会を開いた。それは社会党、民社党を政治的友党として連携したものだった。

 しかし、連合が形成され、7年目の1996年には日本社会党が保守に押され解党し、社民党に衣替えした。社民勢力を失ったわが国は一挙に保守のパイが拡大した。

 わずかな数の社民と、主流的多数派に分解した社会党は旧保守と野合的政党である民主党を形成した。

 社民勢力は、第2自民に呑み込まれたといってよい。社民を名乗った非主流派政党は、ほとんど意味をなさないほどだ。

ちなみに2009年、民主が圧勝した年、フランスのヌーベル誌に取材を受け、カステロン記者が研究室を訪問した。

 のっけから、「中道左派の誕生で」と民主党圧勝について切り出した。

 それで、私はだれがそういったのかね、この民主党は、中道左派ではない、と応じた。 民主は、小沢や鳩山らの出自に明らかであるように、第2自民党というべき自民党脱党組で幹部が占められている事実を指摘した。

 それはまさに同誌が正しく記事に書き残してくれたように、「イデオロギ―上の一体性を欠いたモザイク」 une mosaïque sans unité idéologiqueでしかなかった。その野合性が民主と、それを受け継いだ民進をつねに不安定にしてきた。

 実際、小沢、鳩山など自民党の脱党組が旧社会党を取り込んだ形で民主党ができ、社民勢力は極小化して、社民や労働者階層を代表し、そのイデオロギーを擁護してくれる保証もない政党に身を置いていた。

  連合もそれをむしろ黙認したといってよい。

 そして民主は、2009年の空前の自民の敵失による棚ぼたで、政権を得たものの、その後、でたらめな政治指導で、国民に怒りを買い、懲罰を受け、2度の選挙で100議席も取れない堕落ぶりだ。

 実際、驚くべきことに、かつての社会党は、自民に押されて、比例を尾ヒレみたい付加した本質的には小選挙区制度を導入した。

 得票と獲得議席に巨大な乖離をもたらす前近代的な現行の選挙制度である。そして案の定、危惧されていたように、自ら首を絞める愚行さえ犯した。

 細川、河野、そして官邸秘書官をして後に政治学者となる成田など、当時の関係者は失敗したと口をそろえて言うが、後の祭りだ。

 失敗したというなら、直ちにそれを正す努力をすべきだろう。

 実際、我々が周知のごとく、この選挙制度は、政治の安定をもたらすどころか、政治を極度に左右に上下に揺らすということで、失敗しているのだが、比例を主軸とした選挙制度に変えるよう、まともになるよう最大限努力すべきだろう。

  連合もその責任の一端がないとは言えない。

 実際労働者の権利擁護の直系というべき政党がみるみる萎んでいったのだから。

 死票の防止という点では、はるかにましだった中選挙区を捨てる選挙法改正をやったのは、まさに日本新党の細川や最終的には、自民に押し切られ比例代表並立に押し切られた社会党であった。

 そしてこの党は、離合集散の中で、解党し、主流派は民主に合流、反主流派はほとんど勢力を失った現在の社民を形成。

 自民の脱党組を主軸として、細々とした旧社会党を取り込んだ民主党は、昨年2016年民進と改め、そして今、解党消滅の瀬戸際にある。

 冒頭に書いた連合の会長に戻れば、安保政策でも憲法改正でも労働法制でもまさに保守の分派というべき小池新党にそのまますべてを受け入れてほしいなどということこそ、自らの立ち位置がまるで分っていないというべきだろう。

 小池がすべて受け入れれば、まさに民主・民進の二の舞で、野合そのものの政党形成になる。

 冗談ではない。国民もそんなもの許さないし、自民も当然その野合性を攻撃することだろう。小池の判断は彼女の立場から当然至極のことなのだ。

 根っからの保守である小池は自ら保守だということを意識して、社民の反安保法制、憲法改正反対論者をリベラルと呼び、これを排除する方針だ。本来は左派、もしくは社民系というべきだったと思っているが。

 ここにきて、いよいよわずかに生き残っている旧社会党の体質を持つ議員はその息の根を止められようとしている。

 しかも、本来、左翼というべき辻本も、自らをリベラルという。政治家自身が、言葉の正確な意味さえ理解できていない。左派という言葉がいかにわが国では信頼を落としたかということだ。

 労働者の側に立ち、反安保法制、憲法改正反対論者は本来左翼もしくは左派であり、リベラルとは言わない。

 進歩派は、わが国では、朝日をはじめ、メディアに広く、意識無意識にリベラルと簡単に表記されてきたが、個人の自由や小さな政府を支持するのが、一般的な意味でのリベラルであり、労働法制を得意とし、大規模公共福祉を支持する勢力を指し示すには全く不適切な表現ある。

 むしろwise spedingという言葉を使う小池が部分的にはリベラルの思考を持つといえる。

 革新、進歩派をリベラルと表記することは、米国では使われうるとしても、欧州の政治用語の観点からすると、極めて問題である。

 この瞬間もう一度その立場を鮮明にすべきであろう。

  しかして、連合の会長は自らの政治の立ち位置が理解できていないということで、巨大労働組合の組織の長としては失格だということになる。

 私は政治はバランスだという確信的考えがある。

 そしてそれゆえ、そのためには選挙制度は欧州の政治先進国や欧州議会のごとく、民意を議席に正確に反映させる比例代表制度を中心にすべきであると考えている。

 実際、悪しき現行選挙制度で、4割で7割の議席を採るというように、グロテスクな過剰代表となった巨大政党がたち、この長が権力の恣意的乱用を行えば、まさに現下の政治的な混乱を引き起こす。

 その観点からすると、完全な比例制度の導入に向けた選挙制度の改正にまい進すべき状況があるが、これにどの党もは全く及び腰である。

 さすがにデマゴギーというべき議員定数過大論は私が欧米の人口比で見た議員定数表を掲示して下火になった。

 とはいえ、いまだ小選挙区制度では、政治学者の元東大総長の佐々木を含め、アダムズ方式などという19世紀の古色蒼然たる小選挙区制度の強化というべき手法にしがみつくような状況である。

 右に対しても、左に対しても、現状を暗澹たる思いで見ている。ようやく議員定数過剰論というナンセンスは欧州の主要国の議員定数が知られることで、政治家も口にしなくなってきた。

 今度は選挙制度の比例への抜本改革が急務だ。若狭などは一院制などというバカげたことをいっていたが、選挙制度の比例転換した後の議論だ。

 小池は、防衛大臣も務めた保守本流だが、離党し、自党を一から立ち上げたことで、そして安倍自民の政治指導にたいし、国民がもつ危惧をだれよりも体感しているということで、評価しているのである。

 その評価に共通の有権者の認識があったればこそ、都知事になり、都議選でのあの圧勝が実現したのである。

 それにしても、ため息が出るわが国における社会民主主義の退潮ではないか。そして目を覆うばかりの安倍の恣意的権力の乱用ではないか。

 都民ファーストの、国政政党化と大量の議員の国政進出の可能性(安倍自民にしたら危険性)に驚愕して、大義名分さえない個人スキャンダル隠しの解散総選挙を断行したのは、一体だれかである。

 1994年の公選法改正時に、ドイツ式の小選挙区比例代表併用制にしていたら、現下の大混乱は起こりえなかった。

 票が有権者の意向である票が数学的正確さを持て、議席に反映される。第一党はドイツのCDU・CSUのごとく35%程度しか取れないで、連立を前提とするものなのだから。

 現行の反民主主義的というべき選挙制度を積極的に導入し、保守のパイを極大化した旧日本社会党やその跡を継いだ民主・民進という政党の日本政治における罪状は、自民以上に、計り知れないほど大きい。

 なおリベラルとはなにか、それを考える際に、下記のサイトは参考になる。 

https://matome.naver.jp/odai/2147004718763427701?page=2

(敬称略)

参考ブログ

2017.09.28 Thursday  政治私物化の安倍首相、ピエロの前原代表、そして注目の小池新党

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=4303

2010.07.02 Friday 議員歳費と議席の削減論について 4 先進11カ国の人口比別国会議員定数

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2420

2012.12.18 Tuesdayこれが小選挙区選挙の実態だ 上下 死票は半数以上、3730万票、死票率は実に56.0

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3355

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3356

2010.02.24 Wednesday 「仏誌ヌーベル・オプセルバトゥール誌に日本政治に関する私のコメント掲載さる」 
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2220
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2221

 追記

このブログ書いてフェイスブックを通した友で同志社大学の同期のOさんから、「リベラル」という言葉について、以下、内藤同大教授の言葉を添えて、書き込みいただいた。 実に的確な表現です。

  「社民党の吉田党首でさえリベラル派と言っている。

 母校の内藤正典教授曰く「ヨーロッパのリベラルって、左派の意味じゃなくて、ナショナリズムもコミュニズムも押し付けがましいイデオロギーが嫌いで、ああせいこうさいとうるさい宗教も嫌いな小金持ちのこと(極端に言えば)

 実に巧みな表現です。

 先ごろドイツの総選挙をベルリンに視察したことは触れたが、キリスト教民主同盟(CDU)が日本でいえば、保守の自民。ドイツ自民党(FDP)が、まさにリベラルの政党です。

 

追記2(10.3.)

 朝日の元論説委員で現在阪大の特任教授をしている旧知の脇坂紀行さん(ブリュッセル支局長経験)がご自身のブログでこのブログ記事をとりあげてくれました。

 そして、曰く、社会民主主義(social)ーリベラルー保守という三つの理念の軸があるように思います。イギリスの労働党やドイツの社会民主党が自らをリベラルとは呼ばないでしょう、と。 

 全く当を得た指摘です。

 余り皆さん意識していませんが、欧州政治に触れたものからすると、全くその通り、同感です。

 プレスメディアの諸君は、軽々にリベラルなど使わないことです。

 政治における政党と議員の立ち位置を意味不明にし、日本における政党政治の理解を混乱させる危険を持つものです。

 ドイツでもイギリスでも、極右、中道右派(保守)、中道左派(社民)、共産党という分け方が政党政治の区分の基本でしょう。その真ん中あたりに自民というリベラルがいるということです。

 リベラルを左翼や進歩派という語感で使うのは、政治の理解の困難にし、混乱させる危険があるのです。

 日本は明治以降、欧州から政党政治を学んでおり、社民主義の歴史の薄い政治後進国の米国とは異なり、米で使用されている進歩派という意味でのリベラルという仕様法は、欧州にはなく、日本の政党政治にもそぐわないのです。

 なお多くの方にシェアしていただき感謝です。

| 児玉昌己 | - | 23:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
 政治私物化の安倍首相、「ピエロ」の前原代表、そして注目の小池新党

 ドイツの総選挙視察のための出張先のベルリンから戻った翌日、衆院が解散された。

 全く大義名分もなく、安倍個人のスキャンダル隠し、どさくさにまぎれた解散権限の7条の恣意的活用。これが私の最初の印象だ。

 国会での審議もない解散を聞かれて、官房長官は単に憲法上の規定にあるとのみ応えたのが印象的だった。それ以上言えば、国会軽視と、なぜ今なのかの説明を求められるからだ。逆にそれがこの政権によるこの解散の苦しさを証明するものだった。

 前原は小池新党への合流をいう。全く何のための政党かということで、 政治家失格だろう。党の再生を口にし、代表になったのはわずか1か月前だ。

 もともとこの党、自民党のでたらめな政治に飽き飽きした国民の期待を背に、2009年の380(定数480)という歴史的圧勝をなした。すなわち、国民の圧倒的な支持を得て、政権転換を果たし、権力を獲得した。

 しかし正確に言えば、自己の勝利というより、転がり込んだ牡丹餅、というべき敵失の勝利であった。これについてはフランスの有力メディア、ヌーベルオプセルバトゥールの取材を受けコメントした。それは以下に掲示したデジタル版にほぼ正確に仏語だが、掲載していただいた。

 この民主、その後大震災による福島の原発大爆発とその後の危機管理に、そしてまた尖閣隠しにと、愚昧極まりない政治指導をやり、2012年の第46回の総選挙までの足掛け3年で食いつぶし、大惨敗。57にまでへこんだ。野に下っていた自民は2009年119議席と激減していたが、この年、291で圧勝。

 民主については、第47回の2014年の総選挙でも国民の怒りは収まらず、73議席と再度民主に懲罰を与え、惨敗。

 2016年には小党を合わせて党名を、台湾の政党かというべくも「民進」に変更した。

 1か月前、代表選に出たのは、2012年の大敗北の当事者で、いわば「戦犯と」いうべきものばかり。 国民に全く完全にあきれられていたのがこの政党であった。

 沈む泥船からネズミが大量に逃げ出すように、細野らの離党の後、ついに、「いうだけ番長」との異名を持つ前原が解党を前提とした小池新党への合流に理解をとのべ、名を捨て実をとる合流を口にした。

 本来、自民にたいする最大野党として、戦うべきというその党の代表が、なんと解散、総選挙のその日に解党を言い放つ体堕落だ。

 今日の表題のピエロというのはほかでもない、この前原の政治における立場と言葉である。

 しかも、前原にとって悲惨なのは、秋波を送った都民ファースト小池の、当然といえるつれない返答だ。

 前原の希望という小池新党の「合流」発言については、小池はこれを完全に拒否し、別途の自党への入党申請と審査という形で、遮断。

 当然だろう。そんなことをやれば、国民に嫌われる。自民にも攻撃される。

 小池は政治のイロハがわかっている。今度の選挙に勝つためには、徹底的に民進と距離を置くことが、小池の党には求められる。

 前原の合流を前提に語った「選挙目当ての合流など希望もない」と、安倍は合流批判をした。だが、これも肩透かし。

 もっとも、選挙目当ては、まさに安倍自身に当てはまるものだ。彼こそ、その表現が最もふさわしい政治の当事者だ。

 それゆえ、あきれるばかりなのだが。

  完全に党としての機能を放棄し、喪失したこの民進のことは今となってはどうでもいい。

 ただし、安倍の独裁的な7条に基づく解散権の行使とその予測される結果については、党内でも不安が広がっている。

 実際、今回の解散が、北朝鮮の脅威を最大限活用した大義名分なしの、「森友、加計隠し」の安倍の大博打と誰もが知っているからだ。

 テレビのインタビューでも市民は多く大義名分なし、選挙などやっているときかと言い放っていた。

 かくして、平成最後となる総選挙は、幕が開けた。

  都知事選、都議選で見せたように、小池とその新党に圧倒的に利がある選挙となる。

 実際安倍政治といえば、神道をもって教育に当たるなどとし、あげくは詐欺で司直に逮捕された「教育者」に「名誉校長」職を受け入れていた妻女を含め、加計学園の獣医学部新設でみせた権力の私物化疑惑に対する政治責任には国会の場で、まったく一個の説明もなく終わった。

 そして、そんな彼が、憲法改正を語り、挙句、解散・総選挙を断行する。全く論外なことである。

 政治はバランスだという観点からすると、民意を無視し、増長、傲慢となった自民にたいしてペナルティを与える意味で、小池には奮闘してもらいたい。

 なお小池新党の番頭というべき若狭は、「一院制」などとバカげたことを言っていた。

 だが、そんな暇があれば、小選挙区制度の度合いがさらに濃くなる今の無様で前近代的な制度を改め、ドイツ型の比例代表制か、欧州議会のような比例完全ドント制に改め、膨大な死票をなくし、得票と獲得議席を正確に反映できる民主的制度に改めることを掲げよということだ。

 政治のバランスを著しく損ない、かくも不安定にしているのはまさに1994年の公選法改正による現行の、小選挙区比例代表並立制にある。2大政党制にも失敗、政治の安定にも失敗したのはこの制度による。

 4割の支持で7割を得るという、得票と獲得議席の異様、異常な乖離を引き起こし、合法的に虐殺された死票の鬱屈した蓄積とその新たなはけ口を「敵対の政治」としてもたらしているのは、まさにこの制度にある。 

(敬称略)

参考ブログ

2013.03.26 Tuesday 小選挙区制度は19世紀の遺物 下 朝日のへタレ社説 オピニオンリーダーの役割を果たせ

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3429

2010.02.24 Wednesday 仏誌ヌーベル・オプセルバトゥール誌に日本政治に関する私のコメント掲載さる 上中下

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2220

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2221

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2223

2017.09.02 Saturday 興覚めの2017年民進党代表選挙

http://masami-kodama.jugem.jp/?day=20170902

 

 

| 児玉昌己 | - | 21:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
AfD躍進の独総選挙のベルリン出張から戻る

 ベルリン出張から無事国しました。3泊4日の弾丸取材の旅でした。投票所の視察のほか、現地の研究者とのワーキングディナを含めて、あわただしい日程を終えて、戻ったところです。

 ようやくここに書く時間ができました。

 ベルリンの投票所では、内部の写真は不可ということでしたが、投票所tなっている小学校を訪れ、投票用紙の実物も参考として現場で見せていただきました。

 私にとっては、はじめてのベルリン、ドイツ語の堪能な東原正明福大准教授が同行してくれ、心強いことでした。

 また最後は名古屋大学の中村登志哉教授(元共同ウィーン支局長)が入れ替わりで、ヘルプに入ってくれました。

 ドイツの選挙で言えば、教科書には小選挙区と比例の2票を持つと書かれている。その通りなのだが、より正確にいえば、実はこれは1枚の投票用紙にまとめてあり、日本とは違い2票が別々に渡されるわけではないのである。そこまで記載のある解説はわが国ではまず見ない。

 現地に足を運んでみないとそれは確認できないことだ。

ベルギーの欧州大学院大学時代のドイツ人の友人で研究者のカップルとのワ−キング・ディナに出てくれて、大いに盛り上がったことでした。

 ドイツの総選挙結果はどれほど日本で取り上げられたのでしょうか。

  いわゆる極右といわれている「ドイツのための選択肢」AfDがなんと2.5倍強支持率を伸ばしました。前回は4.7%で、ドイツ選挙制度でのあの有名な5%条項に引っ掛かり、議席獲得はゼロでした。今回、13%前後で、90議席となりそうだということです。

 政治の変動ということでは、イデオロギーでは全く異なるものの、あの劇的なマクロン新党の「共和国行進」(REM)の躍進の再来を見る思いでした。もっとも幻滅してということでしたが。

 フランスで最大政党となったフランスのマクロン新党と比較して、AfDにたいしては、ドイツの2大政党であるCDUやSPDなど、どの政党も連立しないと言っているのが、決定的相違点です。内部分裂の可能性も始まっており、また今回の票が極右支持ということよりメルケル批判の様相も呈しておりました。

 超強行な短期の出張で、さすがに疲労しています。

 なお、出張先のWi-Fiではキャパ不足なのか、このブログを発信できなかったことはつらいことでした。

 

 

| 児玉昌己 | - | 22:47 | comments(0) | trackbacks(0) |

このページの先頭へ