児玉昌己研究室

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長崎北陽台高校の卒業式(27回)に寄せて―山本健吉と同高校歌のこと

 当ブログで、親として出席した北陽台高校の卒業式について、「子供の卒業式は親の卒業式でもある」と書いた。
 1つ書きたいことが残っている。NHKの「みんなのうた」での「野に咲く花のように」の縁を通したGackt(ガクト)のサプライズ出演で沸いた昨年の同校の卒業式のことではない。それは書かれるに足るひとつのイベントではあったが、そのことではない。
 この高校の式典で30年余りにわたって演奏され、歌われてきた校歌のことだ。これは、子供がお世話になったということを別にしても、とりわけ気に入っている。
 歌詞が、長崎出身の国文学者、山本 健吉(やまもとけんきち、1907-1988年)、そして作曲が、團伊玖磨(だんいくま, 1924- 2001年)と豪華な組合せで生み出されていることにあるが、軽やかな曲にマッチした詩が、実にいい。
 山本健吉によるこの校歌の1番目の詩は、「五月待つ花橘に昔の香今もただよふ」とある。
 和歌に親しんだことのある人ならすぐ想い出せるであろう。
 そう、五月待つ 花橘(はなたちばな)の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする(古今集夏-139 読人しらず)である。
 日本文学、とりわけ古典に精通していた彼は、作詞を依頼されたときに、明らかその和歌を意識していたことであろう。実にエレガントではないか。古今(ここん)の数ある校歌に古今(こきん)和歌から詩が使われている例も、これを除いてはないのではなかろうか。健吉ならではのことである。
 作曲は、これまた日本を代表するクラシック音楽の作曲家で、文筆家でもあった團伊玖磨。歌詞と曲の受け渡しの時には、両者の間で、「これで、お、古今ですな」などと、会話が交わされたのではないかと、そんな情景さえ浮かぶ。
 そんなことを想いつつ、吹奏楽部の演奏にあわせて歌われるこの詩を聴いていた。その残照が脳裏にあり、それをまだ書いていないという中途半端な気持ちが残っていた。
 山本健吉は、生前、作詞をした北陽台のこの校歌を甲子園の空の下で聴きたいと、その想い入れも込めて語っていた。それについては、平成6年(1994)の夏、同校はベスト8まで進出し、また同じ年ラグビーは全国大会で準優勝を果たし、没後6年目にして、それも花園も含め、2つの「甲子園」で叶えられた。
 北陽台は長崎市にあっては、いわゆる「5校」の中では最も新しいとはいえ、来年30年を迎える歴史を重ねている、県下有数の有力進学高である。インターネット事典のウィキペディアの記載は、残念ながら、まだ十分でない。ぜひとも充実させて欲しいものである。
 校歌については歌詞は以下 メロディは以下で聴ける。

琴緒(ことのお)の峯の松風
堂崎の鼻に通ひて
五月待つ花橘に
昔の香今もただよふ
風薫る若き望みは
陽の丘の男(おのこ)が額(ぬか)にかがやくよ
強く、きびしく、たくましく

http://www.nicovideo.jp/watch/sm24998308

 






  

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