児玉昌己研究室

内外の政治と日常について想うことのあれこれを綴ります。
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丼池(どぶいけ)の診療所の名医土田康先生の訃報に接する

 また大切な人を失った。大阪は堺筋、丼池(どぶいけ)の診療所で長く耳鼻科を開業されていた土田康先生である。
 先生は大阪市立大学医学部で学ばれ、大学病院におられた後、同地に開業されたと聞いたことがある。
 電話で、8月末に他界されていた事を記した年賀欠礼の葉書が届いたと、家人が半泣きで伝えてきた。84年の医師としての生涯であられた。
 私は、イギリス留学から戻り、大阪と京都の間をとって高槻に所帯を構えたが、貧乏院生で、学問への志はあったが、経済的には苦しい時期だった。
 妻の会社の近くに診療所があり、偶然受診に出向いて、山口県出身の先生が、妻との会話で「あんた山口かね」と問われ、それで面識を得て、かわいがってもらい、私も子供も、家族あげて先生のお世話になった。
 今は30を過ぎた長男の扁桃腺炎では、住之江だったか子供病院での入院と執刀医まで心配して頂いた。
 時は過ぎて、大学の教員になって、学会で大阪に寄り、挨拶に出向いたら、あのころ、貧乏していたね、と笑いながら、言われた。
 先生は75ほどになって、人生の重要な時期を過ごされたその診療所を畳まれた。早くたたみすぎたかと、こぼされていたことも聞いていた。
 70を超えて、チベットなど、地上の煩雑な世事とはかけ離れた場所に好んで旅され、それが賀状の写真を飾り、毎年送られてきた。
 長年、診療所の助手を務めたT女史によると、入院されることもなく、自宅でしばらく横になると言って、そのまま逝ってしまわれたとのことだ。なんと安らかな最期だろう。
 電話口でそう聴いて、先生は生前、診療活動を通して、功徳を世人にたくさん施されていたので、仏様がそれを観ておられたのだろう、と応えた。
 家族葬では、先生が好まれたシューベルトの「冬の旅」が流されたということである。
 せめて先生の写真なり飾って、先生を偲び、ご恩に改めて感謝しようと思っている。



 

| 児玉昌己 | - | 07:39 | comments(2) | trackbacks(0) |
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偶然ブログを拝見して土田先生の訃報を知りました。もう、6年も前に亡くなっていたのですね。1980年から20年以上堺筋本町の職場から通わせて頂いてたいへんお世話になりました。16年前に1歳の娘を、連れて挨拶がてら治療して頂いたのが最後に、なりました。大変悲しいですが、今更ながら先生の御冥福を心よりお祈り申し上げます。あなたブログにおかげです。ありがとうごさいました。
| inoue | 2017/12/08 10:57 AM |
10年程前に本町の会社に勤めていた時に風邪をひいて吸入器やら注射やらで何度かお世話になった者です。あなたのブログで先生の訃報を知りとても悲しい気持ちです。非常にユニークで愛嬌のある先生でしたね。特に注射の技術が素晴らしく全くチクリとも痛みがなかったのを覚えています。私はあの方以外であれ程注射の上手い先生は知りません。最高の耳鼻科医でした。ご冥福をお祈り致します。
| はちみつボーイ | 2012/02/13 9:30 PM |









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