児玉昌己研究室

内外の政治と日常について想うことのあれこれを綴ります。
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奇妙なる仏のナショナリスト、E・トッドEmmanuel Toddの書、『ドイツ帝国が世界を破滅させる』 文春新書2015年 上

 

  この書は日本の読者への前書きで書かれているように、すべて最近の彼が成したいくつかのインタビュー記事を翻訳したものである。

 そしてタイトル自体にこの書の、学術に身を置く私にすれば、評価にするにかなわない、一種いかがわしさが表れている。

 原書名は以下で、「ドイツがヨーロッパ大陸を保有する」である。

L’ALLEMAGNE TIENT LE CONTINENT EUROPÉEN Une interview d’Olivier Berruyer

 これがどうして「ドイツ帝国が世界を破滅させる 」となるのか、まさにいかがわしいとするのは、出版社の姿勢である。

 大家重夫名誉教授(著作権法)から聴き、インターネットで取り寄せて読んでいる。 

 これは奇妙な本だ。もっと言えば、奇妙にとどまらず、人によれば、奇天烈(きてれつ)とも表現するものがいると思える書だ。

 しかも、重要な点で実に事実誤認を含む雑駁な事実認識をもとにしている。奇妙奇天烈ならそれだけのことだが、これが日本で大いに読まれているというから、EU研究者としては、その異様なEU論について、放っておけない。

 ブログという紙幅の関係で多くを書けないが、一読した感想だけを言えば、「ドイツ憎し」に凝り固まったフランスのナショナリストといえ、その観点からEUを軽蔑的に非難し、プーチンのロシアを評価している。しかも本人自身は左翼というが、その思想性においてマリーヌ・ルペンか、それより過激な父ルペンに近い、反EU主義者というべき人物である。

 実際、パリ政治学院教授で、欧州大学院大学同期の友人も「彼はプーチン支持者で、EUを敵だと思っているよ」とフェイスブックFBで知らせてきた。

 彼の論は、対ドイツ論、対EU論、民主主義論、対ソ連ロシア論など多様に、関連しつつ展開されているが、ここでは、その異様な民主主義論、ドイツ認識、EU論について、その一部を取り上げておこう。

 彼はエスニック・デモクラシー、すなわち支配者のデモクラシーと呼ばれる政治的概念があると考えそれを、支持する。支配と被支配が人種差別的であれば、それは我々が知る西洋のデモクラシーの概念ではない。それはおよそ民主主義の概念の枠を超えた、専制政治というべきである。

 彼はアパルトヘイトの南ア、人種差別主義のアメリカにあったとする「支配者たちのデモクラシー」という表現をドイツに援用する。そしていう。

 ヨーロッパ、あるいはドイツ帝国が「支配者たちのデモクラシー」の一般的な形を取り始めていて、その中心には、支配者たちの専用のドイツ・デモクラシーがあり、そのまわりには、多かれ少なかれ支配されていて、その投票行動にはなんらの重要性もないような、諸国民のヒエラルキーが形成されている。」 66頁。

 「支配者専用のデモクラシー」も意味不明であるし、全体としていえば、この文章、何かナチス時代、ヒトラーらが唱えた支配と被支配の地政学的イデオロギーである「レーベンス・ラウム」(生存圏Lebensraum)の思想を思わせると思うのは私だけだろうか。67頁 

 人種差別主義者の支配層の自己認識が何であろうとも、それは単にレイシズム人種差別主義である。

 人間、暇になれば、なんとでもいいだす。

 南アフリカについていえば、アパルトヘイトではあの驚くべき隔離という強制的手段で、人種差別を日常化した事実が大事であれ、支配者の意思はこの点で、2義的なことだ。ethnic democracyではなく、単に、racismですむことだ。

 彼は、読みようによれば、意図して、ドイツに対してそのイメージを読み手に与えようとしているとも邪推さえできる。

 そしてフランスの大統領選挙が無意味になっているとみる。彼は自国大統領のオランドを「ドイツの副首相」とも表現し、その地位をドイツに対する隷属的とみて憤る。

 そしてその矛先はヨーロッパ議会にも向けられ、それは「見せかけ」だともいう。

 彼が援用するベルギーの学者のいう「支配者たちのデモクラシー」とは、政治学の王道の理解に沿って正確に言えば、およそ民主主義とは無縁のものである。

  アパルトヘイトを行う指導層の中での政治的イデオロギーを、民主主義とは言わない。人種差別主義者のなかでの、主観的意図など問題ではない。それはすべからく民主主義とは無縁のもので、形容矛盾である。

 ましてトッドが「見せかけ」だというヨーロッパ議会は、民主主義とはの対極にある人種差別的のパルトヘイト的政治体制に対しては、世界のどこよりも最も厳しい目を向けている。それにもかかわらずでみせかけと断定する。

 彼のドイツ憎しの形而上学的思惟は、「力を持つと非合理的に行動するドイツ」というように終わりを知らない身勝手な推論へと進展していく。

 彼はいう。「ドイツの権威主義的文化はドイツの指導者たちが支配的立場に立つとき、彼らに固有の精神的不安定を生み出す。」 

 ドイツの権威主義的文化とは何かまるで触れることなく。彼は言葉をたくさん使うが社会科学者としての厳密さからおよそ遠い。「帝国」という表現がその典型である。

 帝国とは世襲の皇帝を頂く一元的な力による専制的政治体制をいうが、ドイツは民主主義国家であり、「ドイツのヨーロッパ」を払拭し、EUの中で「ヨーロッパのドイツ」を意図して70年の戦後を生きてきた国家である。

 たしかに「ドイツのヨーロッパ」の復活が部分的に見えることも否定はしない。

 リスク論で国際情勢を分析し、先頃逝った社会学者ウルリッヒ・ベックUlrich Beckは、 (2013) German Europe. Cambridge: Polity Pressで、その危険を憂い、そうあってはならないと、まさに問題にしていたのでる。

 ちなみに邦訳があるが、全く不適切にも表題が『ユーロ消滅?――ドイツ化するヨーロッパへの警告』岩波書店2013年と改変されている。

 ちなみに英語版では上記のごとくドイツ語原書の表題のままとなっている。「ユーロ消滅」など、タイトルで原著者が使っていないものが、販売促進の要請のためか、付加されて、彼の核心的議論の意味が希薄化されてしまった。岩波よ、貴兄もか、ということである。

 トッドに戻そう。

 彼は、ドイツとアメリカは価値を共有していないとも言う。

 その事例として、問うているのが21世紀の現代であるにもかかわらず、前世紀の30年代のルーズベルトと、ヒトラーの登場の事例を挙げる。テーマとしているのが、現在であるにもかかわらず、80年前の事例をである。ドイツ第3帝国の延長、継続としてドイツを見ているように。

 

 彼の論は、論理連関性をまるで欠く勢力図や、ヨーロッパにおけるGDPの推移や比較図で粉飾した、根拠なき推論であると結論できる。

 

 その恣意的配置は75頁の図表13に典型的に表れている。

 これは1人当たり購買力平価実質GDPで1988年から8年間の推移を表した図だが、ドイツとウクライナとだけが提示されて、4万ドルを超えるドイツと1万ドルに至らずにいる傾向が見て取れる図である。

 このグラフは一体何を意味するのか。

 単に1988年以降の単なる2国の推移を示すだけで、停滞するウクライナをみるだけのことでしかない。それを含めた11枚の付表も、それ自身ドイツが「帝国」としてヨーロッパ諸国を支配しているということを立証するものではおよそない。

 73−78頁で付された図表はすべてそうである。単に欧州諸国の経済的発展の推移を見る以上のことを何も言っていない。

 データはトッド自身の奇天烈なイデオロギーとは別に作られれているからである。

 

 



 

 

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