児玉昌己研究室

内外の政治と日常について想うことのあれこれを綴ります。
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金融、財政面から確実に進むEUの統合深化とEU統合の2スピード化の加速 中

 遠藤乾が終わったとする「大文字の統合」は、私に言わせれば、マーストリヒト条約で規定された経済通貨同盟に発し、その完成に向かって、ドイツとフランスの財政移転同盟に関する意見の対立を先鋭化しつつ、今まさに始まりつつあるということができる。

 ましてイギリスがEUを進んで去り、EUの連邦的統合推進を阻む最大の阻害要因が除去されることでは、なおさらだ。

 その中では、当然、すでにあるようなEU内の多段階統合は必然となる。

 すでに1993年にマーストリヒト条約で経済通貨同盟を構築し、ユーロ圏を構築した段階で、EUの二分化は顕在化したのである。

 国家主権の維持にこだわるイギリスは「不幸なる結婚」(児玉昌己/毎日)に終止符を打ったが、EUを離脱し、単一市場の外、すなわちEU域外に出るといかなる結果を生むか、惨憺たるイギリスの将来が見える。

 もとより、いかなる組織も崩壊消滅の可能性はある。それを否定するつもりはない。

 万に1つEUが崩壊する状況を想定できる条件があるとすれば、その条件はフランスかドイツのその時の政府が互いに決定的に利害を異にし、EUを離脱するときであろう。

 独仏は統合からの離脱EUからの離脱など考えていない。むしろ統合は確実に進んでいる。

 欧州議会ではリスボン条約を受けて、spitzenkandidatenという欧州議会が欧州委員会の長を選出する議院内閣制へと制度を整えつつある。まさに大文字の統合は終焉するどころか、それが実践されている。それがイギリスの反発を生んでいるのである。

 ユーロ分析では定評のある経済学者の一人に竹森俊平がいる。

 竹森は、自著例えば『ユーロ破綻−そしてドイツだけが残った』(日経2015年)で、「欧州同盟」を使用し、欧州連合の使用を退けている。だが日経に記事を掲載されるときには「欧州連合」の使用という、いわば「言葉狩り」にあっている。EU代表部が採用しているその理由でである。

 余談だが、竹森は、欧州統合を是とし善としているものがいることについて、「欧州統合教信者」という言葉を使っている。

 だが、私を含め、欧州統合については、あくまでも非戦共同体と単一市場形成に果たしてきたEUの巨大な実績と理念を評価するが故である。別に宗教的な情熱で、EU支持者ではない。

  一国ナショナリズムを地で行く排外主義的な政治家トランプが登場すると、EUが掲げる理念と価値がいかに尊いものか理解できる。

 それに「ユーロ破綻」というタイトルも言い過ぎだ。現在も、どっこい生き残っている。

 経済通貨のみならず、政治部門でも欧州統合は進んでいる。

 EUの制度形成の重大な突破口、すなわち大文字のEU統合となる行政府の欧州委員会の長を欧州議会が選出するというのは、遠藤がこの書をまとめている2012年当時にはすでに制度化されていた。

 すなわち、2009年に発効したリスボン条約において規定されていたものであった。その実践こそ、統合深化をさらに進めた現行EU条約のなせる業である。それによって、キャメロンは決定的に反EUに転じた。

 そのイギリスでは、そうしたEU統合の連邦的性格から、国家主権の擁護が、そしてEUへの警戒と不信がEU加盟の当初からあった。

 1973年にイギリスがテッドヒース政権によりEU加盟を果たしたが、そのわずか2年後に、労働党のハロルド・ウイルソン政権がEU離脱の、今となっては第1次となる国民投票を実施さえしている。

 ウイルソンが労働党内の指導性を失い、有権者に丸投げし、議会主権を放棄したとたたかれもしたのが、それだ。もっとも、その時は67%のEU残留となり、2016年のBrexitまでそれが継続したのである。

 イギリスについていえば、このように、1952年の欧州石炭鉄鋼共同体創設時から、イギリスでは国家主権の譲渡への強い抵抗が一貫してあった。そしてEUの統合深化が市場統合を超え、国家主権の核心部分である通貨同盟という形で深まるにつれ、サッチャー英首相に代表されるように、反EUの言語空間が強く広がっていた。

 それらは、総じて「EU懐疑派」と訳されるが、その本質は反EUといえる。

 EUでは、リスボン条約という大文字の統合の構想が打ち出され、それを実践する小文字の統合が大規模に進みつつある。イギリスでは、反EU的対応はそれに応じて厳しくなり、キャメロンが総選挙に勝利し、親EU派の英自民との連立を解消し、2期目に至って完全に反EUそのものに転じたといえる。

 実際、キャメロンのイギリス保守党やファラージュ独立党とそれを支持する勢力はもとより、テレグラフは言うに及ばず、BBCやフィナンシャル・タイムズでさえそうであった(下記のブログ参照)。

 このEU懐疑主義、あるいは反EU的なイギリスの言語空間にどっぷりと浸かってきたと思えるのが、遠藤乾のEU統合の終焉の議論である。

 実際、遠藤乾は、わざわざここ25年、ずっと、「メルトダウン」の表現に代表されるEU解体論を唱えて、最近では安倍の掲載政策に関して「アホノミックス」などというただならぬ言葉を使っている浜矩子のEU認識を無批判に紹介し、肯定的に評価している。

 ちなみに、数年前と違い近頃、テレビ露出度が急速に減っていると思えるこの評論家については、EU経済、金融研究において、権威的というべき田中素香や尾上修悟の業績では、全くレファレンスを見ない。

 実際、浜は「崩壊する」ユーロに代わるものとして、EU関係者がだれも口にしない「地域通貨」とか、全く論外のことを言っている。しかもEU統合の核心部分である独、仏の文献についてはまるで言及がない。

 EUの前身欧州石炭鉄鋼共同体創設から60有余年。

 この間、EUが解体どころか、どれほど発展、成功してきたか。加盟国の数を見るだけでいい。

 当時6、現在28である。この20年でも15から28である。どこがEUの崩壊や解体かである。

 遠藤が評価し、統合終焉論の基礎としていると思える浜の議論については、解体する組織にどうしてかくも加盟国が増えていくのかである。しかるに25年近く解体だと言い続けていることでいえば、これこそ「宗教的」というべきで、まったくその見通しを誤っていたということだ。

 加盟国が増えれば、相似性も低下し、域内格差も広がるのは当然ではないか。

 にもかかわらず、EUが非戦共同体として、経済共同体として存在し、発展しつづけているその冷厳なる事実を、まったく失念したのかである。

 ちなみに私は2011年1月から3月、あの東日本大震災の渦中でヨーロッパ統合の政治史をNHKラジオ第2歴史再発見シリーズで12回にわたり講じたが、そのテキストのサブタイトルは「その成功と苦悩」とした。現在芦書房から、『欧州統合の政治史』として、新たな章を書き足し刊行されている。

 2度の世界大戦の後に始まるEUを通した欧州統合は、国家主権の大規模なEUへの移譲を伴う、1648年のウエストファリア条約で構築された国民国家からなる国家間関係のパラダイムを変える潜在性を持っている。

 いわば、世界史的実験というべき政治的営為が欧州統合である。

 EUは、加盟国が国家主権をEUに譲渡していく受け皿になるということで、その本質において、制度形成の過渡期段階とはいえ、類型化すると、構成国を律するEU法があり、それを理事会とともに出す議会があるということにおいて、まごうかたなく連邦機関である。

 そのEUに国家主権を「譲渡/移転」していく、すなわち欧州司法裁判所の判例ではtransferしていくという、国家主義者が腰を抜かすその空前絶後の政治的営為を国家の為政者によって合意して進められてきたのが、EUである。

 国家主権を大規模に国家の合意によって移譲していくというその空前絶後の営為の前にしてみると、EUの危機、国家主義者の顕在化する不満の亢進はまったく驚くに足りず、日常的なものでしかない。

 しかも遠藤は、大量の移民・難民の流入やソブリンローン危機に端を発するユーロ危機の状況を、短期的スパンでみることで、EUが抱える現下の危機の事象に多大に影響されている。

 だが、すでに述べたようにEUでは危機は日常のものである。

 実際、EUでは1960年代に今以上に激しい対立と、厳しい危機を経験している。 すなわち、1965年の「ルクセンブルグの危機」がその嚆矢であった。

 この事件は、欧州議会がEU予算を監督していくという財政連邦主義の構築に傾斜するEUの政治過程で発生し、フランス対ドイツを含む5つの加盟国との対立を生み、国家主義者シャルル・ドゴールによる理事会での空席戦術、すなわちフランス代表の総引き揚げという抵抗を見た、草創期におけるまさにEUの分裂消滅をはらんだ深刻な内部対立であった。

 ユーロ危機の対処法での独仏の対立は、第一次大戦後のドイツのあのレテレン・マルクの導入と危機の解消にみる如く、ハイパー・インフレに苦しめられた過去の恐怖症を背負うという歴史的な背景を持っている。

 そして、田中素香や、竹森俊平が指摘するように、ドイツマルクの番人であったドイツ連邦銀行の行動様式を受け継き、欧州中央銀行にドイツが通貨主権を譲渡した後の現在も、インフレ恐怖症と積極財政への警戒は、ドイツのDNAとして残っている。

 それがゆえに、積極財政を主張するフランスとの意見の相違が激しく衝突しているのである。

 しかしドイツとフランスの歴史性を背景にした経済政策の相違にもかかわらず、それを承知の上で、両国は、より高い利害の一致をEUと欧州統合の中に見出しているのである。

 遠藤のこの欧州統合終焉論については、その議論と認識が正しいものか、その当否が実証されるには、それほど時間はかからないとみている。

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