児玉昌己研究室

内外の政治と日常について想うことのあれこれを綴ります。
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大学の授業、昨今
 日経のサイトに、金で学位を出す団体と、それを買って教壇に立っていると思われる偽資格者の教員を文科省が調査する旨、記事が掲載されていた。
 学歴を金で買って教壇に立つ輩がもし大学にいるとすれば、それは真理を求める大学としての自殺行為であり、学生諸君への背信行為だ。大いに調査して、そうしたものを一掃して欲しい。
 学歴は買うものではなく、努力していただくものだ。特に博士号などの学位は長年の独創的研究とその成果と評価を前提にしているものだ。
 とくに社会が国際化し、他者に分からない世界が広がりつつある。実際、学位を金で売るいかがわしい団体も過日テレビで報道されていた。安直に得た学位で学生に教育する人間の授業のレベルなど、中身は知れているだろう。
 中身といえば、以前ブログで書いたが、私が大学生だった頃からすると一変しているのが、授業内容だろう。
 以前はシラバスもほとんど整備されなかった。何をどう教えるのかほとんど記載はなかった。今から考えると実に教員優位で、学生と保護者を馬鹿にしていたともいえる。しかし、それを誰もあえて問わなかった。
 まだ大学の数も急速に増えつつあったが、相対的には少なく(1970年当時で4年制大学は約560、現在725余)、大学が一定の権威を持っていたからだろう。大学は教員の個性を重んじ、米国的なマニアル主義的教育(それは教育の平準化を保証するものでもあったが、)を排除するという意識もあったように思える。
 今は米国型にシフトしつつある。前期15回(実際は13回しか取れないが)分、シラバスの整備については、教員は要請されているし、ほとんど義務ともなっている。教員の授業評価も導入されている。
 法学部で言えば、これに加えて法科大学院も出来て、環境はいっそう整備されている。
 法科大学院は、目的が最終的には司法試験合格と連動する予備校的性格も持ち合わせている。それがゆえに、教員個人の個性を反映した授業よりも、より標準化した教育が求められてもいる。しかも平均年齢は30歳前後で、人生をかけて学ぶ大人に授業する場であり、ベテランも緊張する時間だろう。
 以前は大学の教員は、自己を研究者として位置づけ、自己の研究を主と考え、学生に教えることをあまり意識してこなかった。こうした教員は今や「古い」マインドをもつ教員と規定されつつあり、彼らにとっては、授業は辛い時間となりつつある。
 だが、大学が大衆化し、高等教育機関としての大学への変化を考えると、教えるものとしての意識が問われることは、この時代の当然の要請ともいえる。
 最初は学生、大学院、助手として、そして後には教員として長年大学に身を置いているが、そうした人間として、大学で変ったと感じることはたくさんある。だが、現場に立つものとして、特に変ったことといえば、なにより、教えることの重視への転換ということだろう。

海外の博士号売る「学位商法」、文科省が実態調査へ
 教育活動の実態がほとんどない海外の大学から、お金と引き換えに博士号などを受ける「学位商法」について、文部科学省は初めての実態調査に近く乗り出す。国内の国公私立大・短大約1200校が対象で、講義をほとんど受けることなく授与された学位に基づき採用された教員がいないかどうかなどを調べる。大学教育への信頼低下を防ぐのが狙いだ。
 外国の大学を舞台に行われている学位商法は「大学にお金を払い、履歴書を送るだけで学位証明を入手できる」「わずかの授業に出席するだけで卒業資格が得られる」などの方法で知られる。日経2007年5月13日付
| 児玉昌己 | - | 10:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
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