児玉昌己研究室

内外の政治と日常について想うことのあれこれを綴ります。
<< 他者を評価することのルール | main | 田勢康弘のコラム「総理の器」と人材飢饉の問題 2 >>
田勢康弘のコラム「総理の器」と人材飢饉の問題 1

 日経の客員コラムニストとなっている田勢康弘が今日17日付日経の「総理の器を考える」と題してエッセイを寄せている。
 田勢は日ごろ鋭い論調で、我が意を得たりすることがおおい、練達かつ秀才ジャーナリストだ。そしてこの日の記事で自民党内での指導者の「人材難」を通り越した「人材飢饉」という問題認識を提起した。この味方については、私も全く同感だ。だが、麻生氏について、書いていることについては、見逃せない。
「洋館に住み、スーツは常に英国のもので、紺かグレー。・・・青年商工会議所の後輩らの面倒見のよさ云々」という麻生氏についての説明。
 私ならば、麻生氏自体が、自民における人材飢饉の見本のようなものだ。およそ庶民の生活とは、まるでかけ離れた貴族的政治家のファミリー出身が、トップをわずかに常に争う。だから問題ではないのか。しかも、麻生は、福田を自分のキャリアとの比較で、軽蔑的に「彼(福田)は政治に向かないとして、外から遅く政治の世界に来た。私との違いはそこだ」と言い放った。
 事実関係では全くその通りである。 福田は50を超えて政治家になり、50を超えて政治家になった議員の集まりのクロ(苦労)ー人会のメンバーである。それゆえ、この発言自体は、その通りである。しかし、それがゆえにこそ、福田がまだましだと私が思う所以なのである。 
 外部の職業をまるで知らない自分のキャリアを、むしろ誇ること自体が不見識きわまりない。20代、30代で、社会で積み上げてきた職業や技能や専門的知識がなくて、いわゆる「虚業」である政治の世界に入ったものたちに、会社員の日々の苦労や、10円単位の物価の上げ下げに一喜一憂し、つましくいきる庶民の暮らしなど分かるはずもない。それを誇示していることの意味さえ、認識できないでいる。
 「政治は虚業である」という政治の一面の真理についての認識がない。洋館に住み、英国の背広を着て、20―30代で社会的経験のない若者が国会に入り、「先生、先生」とまわりにいわれて、幹部に出世していく。そんな特権身分のものに、庶民の生活感覚などを理解せよといっても、経験したことのないことを理解すること自体が、土台無理だろう。
せいぜい、想像力を働かせることがそれに近づくことだが、麻生の場合、「アルツハイマー」放言にみられるように、そうした感覚もない。
 全てを放り出して病院に遁走した安倍総理のことで言えば、一般に、普通の会社員が腹痛で社命に抗して、全て放り出し、病院に入れば、確実に免職だろう。会社の社長ならば、株主総会で損害賠償さえ出されかねない。みな、痛みに耐えて出勤し仕事をこなしているのである。

| 児玉昌己 | - | 12:17 | comments(2) | trackbacks(0) |
スポンサーサイト
| スポンサードリンク | - | 12:17 | - | - |
管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2009/06/16 12:44 AM |
自薦ブログ
| 児玉昌己 | 2008/12/08 8:07 PM |









http://masami-kodama.jugem.jp/trackback/847

このページの先頭へ