児玉昌己研究室

内外の政治と日常について想うことのあれこれを綴ります。
信長の野望

 世には無数のパソコンソフトが溢れている。思い出のソフトといえば、 過日書いた信長に関するものだ。
 光栄の「信長の野望」、このソフトをを語らずにはおれない。多数あるシリーズの中でも、特に武将風雲録を上げたい。このソフトご存知の人も多いだろう。これはもう25年ほどにもなるか、初めて手にしたとき、喝采した。
 忍者が登場し、暗殺も企てることができた。堅牢で難攻不落の小田原城攻防では丸一日を費やしたこともある。 米の収穫した米を売買できる藩に持ち込んで、大量に売買を繰り返して、鉄砲を購入し、武装化して、他国を占領していくそんな風にして遊んだゲームだった。
 時代考証もよくされていて、各地の戦国武将には茶器まで用意されていて、心憎いソフトだった。そういえば、「功名が辻」でも松永久秀が平蜘蛛の茶釜の所持者として登場していた。戦国武将と茶器の関係を教えてくれたのはこのソフトだった。
また、蠣崎などそれまで知らない藩のこともこのソフトで勉強したのだ。数日かけて全国制覇に至り、単純にも、到達したそのエンディグの場面に感動していた。
 今では、繰り返し命令を要する煩瑣なマニュアルの部分がたくさんあって、目も傷めるし、もう開くことはない。
 が、研究に行き詰まり、あるいは倦み疲れて、あのソフトに向かっていたあの頃こそ、まさに大学教員の道をめざしたハングリーな学徒としての、悲しくもほろ苦い日々であった。そして、このソフトこそ、苦痛を忘れさせるつかの間の時間を与えてくれた懐かしい思い出のソフトである。

| 児玉昌己 | - | 20:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
EU教育学研究会のこと
 土曜日EUとヨーロッパを専攻されている教育学研究者の研究会に招かれて、福大人文学部で「EUの現況-欧州憲法条約の行方」と題して、講演してきました。
 教育学会は以前日仏教育学会が福岡教育大学で行われたとき報告して以来です。謹厳実直がイメージとして浮かぶ教育者を目指す学生を教育する先生方のイメージが勝手に私にあり、案じていたのですが、私にとっては楽しい会になりありがたいことでした。
 特に仏蘭が1年前のちょうどこの時期、欧州憲法条約を国民投票で否決して、欧州統合の進みをあまり捕捉していなかったため、私自身がいい勉強をさせてもらいました。
 頓挫しているものとばかり思っていたこの1年、なんと8カ国が仏蘭とは無関係に、あたかも仏蘭を包囲するかのように批准し、承認国は、15カ国にもなっていたのには、驚きでした。どのように欧州憲法条約をソフトランディングさせるのか、ここ2年、欧州政治の見所です。
 
| 児玉昌己 | - | 11:33 | comments(0) | trackbacks(1) |
大学教員への道 完

 給料は、50代の教授クラスでも、トヨタや三井物産、東京海上など、わが国が誇る一流企業の部長クラスとは比較にならない。このクラスの企業の理事職にある私の友人の1人は1700万ほどといっていた。我々はというと、これとは及びもつかない。大都会で官舎も社宅もなく、50歳で、大学生と高校生の3人を抱える5人家族だと仮定し、年収が1000万だとすれば、生活困難ということはなくとも、必ずしも豊かとはいえないだろう。 
 しかも、大学教員の家庭では、親が元来、高学歴者であるから、子供も大学から大学院への進学を希望し、実践することもあるかもしれない。教育費支援は一般の家庭より長い場合もある。
 そうであれば、「糟糠の妻」(今は糠みそをつける女性も少ないが)の誕生日にも、とても高価なバッグは買ってやれない。自前で調達する研究用の洋書(これが結構高価)もギリギリで選別し、満足する必要に迫られる。
 第一、22歳で社会人となる学卒者とはちがい、彼らが給料とボーナスをもらっているとき、いつ決まるとも知らない就職の不安の中で、延々と大学院の授業料を払ってきたのだ。専攻によれば、留学にだってせねばならず、多額の費用の工面を強いられる人もいるだろう。生涯賃金だけでみると、大学教員は割に合わない。
 しかも、就職しても、国公立では、独立行政法人となり、給与は頭打ちか、下降傾向にあり、さらに研究費も同様だと聞く。事実、大学の経費を学生の受講料と国家の補助金で賄っている大学は、少子化を背景とした長期的な志願者減に直面し、経済苦境を乗り越えつつある企業とは違い、一種、構造不況業種となっているのである。

 以上、大学教員について思うことを書いてきた。この稿は数回で終わるつもりであったが、あれこれ書いているうちに予想外に長くなってしまった。いよいよ、完結としたい。
 大学教員になるために払ってきた犠牲の割には、採用後、給料はかならずしも高くない。ただ、人生はおカネだけではない。そうした研究環境の厳しさのなかでも、なによりも、将来ある若者と常時かかわりをもち、しかも自分のやりたい研究で自分の人生を送れる。それがこの職業の最大の魅力であり、特権であるといえる。

 大学は、明治以降、その功罪はありながらも、国家と社会の発展に最大限に貢献してきた。とりわけ、昭和期の無能な戦争指導者がもたらした大惨禍を乗り越え、不備はありながらも、欧州や米国と比してもさほど遜色のない堂々とした国家と社会を作ってきた。そしてその基礎は、やはり大学を語らずしてはありえない。

 なにより大学は、知の膨大な集積地なのである。これまでも、そして将来も資源のない国家日本は、知で勝負するしかないのである。
 かくして、結論的なことを述べれば、大学教員(2006年現在4年制大学は726校、短期大学488校)への道は、誰にでも安易に薦めることができない茨の道である。
 だが、それでも、あえてそれにチャレンジする意欲ある知的な若者が確かにいる。
 そして大学は、将来の知的な世界を担う強固な意志と意欲を持ち、あえて茨の道を進んでいるそうした若人を、待ち、そして望んでいるのである。

 

| 児玉昌己 | - | 10:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
大学教員への道11 不利に働く下積み時代?

 厳しい採用過程を経て、おそらく30歳を超えてスタートするのが、こう した大学教員の生活である。定年も65歳、恵まれたケースで70だ。以前は75などというものあったが、今は問題外である。
 定年で言えば、数年前まで東大は60歳であった。定年間際に、移籍先で引く手あまただった東大教員も、いまではかつての「植民地」(業界用語)を失い、行き先を失う教員がではじめ、みずからプライドを捨て65歳まで引き上げた。東大がこの面で、普通の大学並み、つまりone of them になった瞬間だった。
 余談だが、個人的には、明治以降130年で東大と京大が、大学の地方への拡散と大衆化の影響を受け、最も地盤沈下したと思っている。関係大学には由々しきことだろうが、見方を変えれば、日本社会にとっては、これは悪いことではないのである。
 各地に大学院が設置され、多くの大学で、自前の教員養成を行えるようになった結果であるのだから。そして各地の大学院で自前の研究者の養成が進むに連れ、それまで独占的な大学教員の供出元であった東大、京大など旧帝国大学の「植民地」(特定の大学による出身研究者の有力就職先)の喪失が始まった。それが東大教員の定年延長と関わっているのである。
 さて、若手の就職の話に戻ろう。採用に当っては、任期制の導入もすでに実施されている所もでてきた。4年で、更新3回、とか6年で2回までとかもあると聞く。この間、助教授、もしくは教授職にならねば、契約終了という。これなどまさに私からすると、「想定外」の出来事である。 
 ただし、地方の大学では、これをやれば、確実に、若手は組織への帰属意識を失くし、常に好条件の大学への移籍を考えることだろう。
 ともあれ、こうした厳しい環境で、やっとつかんだポストではあるが、給料は、決して高くはない。一般が学卒者は、はやければ22歳で社会人としてスタートするが、オバードクターで数年すれば、30を超えることになる。
 専任での採用となれば、給料はどうなるのであろうか。採用する側では、給料をどのレベルにおくか、採用される側では、どれだけもらえるかが問題になる。非常勤講師を務めている知人から、そのことを聞かれたことがある。仮に採用されれば、どのように俸給表上でランクけされ、どれほどもらえるのかということである。
 大学のみならず、まともであれば、企業は給与を級と号であらわす俸給表をもっている。つまり、何級何号俸という具合に。それに当てはめて給料が設定される。一度設定されれば、原則としてそれで賞与等、全てが換算され、退職までそれに則って進んでいく。
 従って、給与の設定に当っては、30歳の新人では、大学院や留学中の経験をカウントしてもらわねば、極めて低くなり、不利益をうける。ちなみに、OD(オバードクター)生による所属もしくは他大学での非常勤講師の経験は、通常、教歴として、給与決定上カウントされる。


 
| 児玉昌己 | - | 08:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
大学教員への道10 Publish or Perish

 研究はその成果としての論文や著作の出版ということになる。
 アメリカのアカデミアには格言がある。「出版せよ、そうでなければ消えてしまいなさい」(Publish or Perish)というものだ。音韻にあわせた表現だ。
 そうである。大学人は研究の成果を象牙の塔だけにしておくことは許されない。

 出版することで、社会にそれを還元する義務を負っているのである。従って5年も論文を出版しない、つまり書かない教員は極めて問題だし、10年も1本も書かいていないというのは、大学人としての義務の放棄であり、研究をしていないことを示すことで、実に現場からの「消滅・退場」Perishに値する。
実際、そうした非生産的教員は、学生とその公か私かに関わらず、財政上のスポンサーの期待を裏切り、彼らが支弁する給料のただ取りに相当し、指弾されるにふさわしい。
だが、それを承知した上で、この米国の有名なアカデミックスの義務について触れた格言には問題があることも指摘しておこう。
文系の研究は3ヶ月に1度出せるような性格ではないのである。そして、もしそれを強要すれば、生産性だけが優先され、研究と論文の質の低下を確実に招く。その結果、「屑」が支配的となる。
 それゆえ、この米国の有名な格言にあえて日本の文系教員が異を唱えるとすれば、publish or perish のフレーズの後にその韻を踏んでand then all rubbish prevailと続けたい。
 外部圧力で、しかもせかされた状態で、むりにした量産では、いい物ができることは、あまりないのである。日本語では、それを粗製濫造というのである。経済学的には「悪貨は良貨を駆逐する」との表現もある。
 「古伊万里の値は彼が決める」といわれる中島誠之助先生ではないが、「いい仕事していますねー」といわれるには、手間も暇もかかるのである。

 

追記(2018.4.14.)

論文を書くことの意味について、12年前に書いた私の上記のブログがその6年後歯科医科学会で「学術論文作成の基本」(エルセヴィア)として活用され、現在でも以下、アップされています。有難いことです。

https://www.elsevier.com/__data/promis_misc/job-author

-workshop.pdf#search=%27%E5%85

%90%E7%8E%89%E6%98%8C%E5%B7%B1%27

| 児玉昌己 | - | 18:05 | comments(0) | - |
大学教員への道9 研究と評価

  最近はこの研究に対して、学内評価、第3者評価を導入すべしという声が支配的になってきた。総論は賛成だが、各論となると、と浮かぬ顔をする関係者も多い。
 実際、研究といっても、理工学系と文系では、そのスタイルも方法もちがうし、文系でも経済と文学ではまた異なる。たとえば論文数。
 医学教員がもつ論文数が数百本単位ということをある教員審査の過程で聞いた時、同じ大学人というだけで、彼らは、別世界に住む人種だと思ったことがある。関係者に聞くと、医学部は単独の論文というより、多く共同論文という形で、時に10名を超える共同執筆者がズラリと名を連ねていくというものだ。それもれっきとした医学界での論文だ。
 これにたいして、文系は、もとよりチームで共同する場合もあるが、単独執筆が主で、11本か2本かければ上出来という場合も多い。まさに呻吟して練り上げていくという如くに。逆に医学部では、文系教員のこの論文数の少なさ、信じられない数と思われるだろう。
 この他、一般的に学内評価では、国際的学会での報告があるのか、欧文での論文があるのか、授業のもちコマは、学生の評価はと、まあ、あきれるほどにアレコレ細かく言ってくる。国際学会での報告は、国際化の中、やらないよりやったほうがいいが、国際関係系は別としても、文系教員で特に国文学や、国史畑は、必ずしも、外国での報告を意識した語学屋として育っているわけではない。
 担当教員のもちコマ数(教える時間)などは、研究の実を挙げるためには少ないほうがむしろいいが、貢献度としては逆の考えで、多いほうを評価するという。首を傾げたくなるものもある。教育もやれ、研究も、国際レベルで忘れずにとは、まあ教員も忙しいことだ。
 第3者評価の意味や役割を否定するわけではないが、こうした学問領域における教育、研究のあり方の相違を客観的にどう評価する制度を形成していくのか、それは重要な課題である。第3者評価の制度を提起する教員が医学、理工系などを出身とする場合、そしてもし自己のディシプリン(学問的背景)だけをベースとした感覚が強く反映されているとすれば、文系教員としては、提示される具体的な第3者評価のその計画において、違和感を抱かずにはおれない。そして、それが昇進、昇給という形で反映されるとすれば、討議すべき課題は多いと思われる。

| 児玉昌己 | - | 18:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
閑話休題 健康器具

 連日堅い話ばかり書いているが、ここで気分転換。
 みなさん、通信販売やテレビショッピングはみておられることだろう。楽しいし、ものによっては、簡便で、安価であることが売り物だ。それを参考に、量販店で、最近2つの健康器具を買った。
 理由は、ベルギーでの1年の在外研究から戻ると、ご飯がおいしく、見る見るうちに5キロほど太ってしまったからだ。太ったのは、単に日本のご飯だけではない。ベルギーでは、日ごろ下駄代わりにしている車に乗らなかったのだ。
 車に乗らなかった理由は、簡単。トラブルの未然防止のため。
 大学人は一般の会社とちがい、在外研究に出る場合、教員各自の関心によって、赴任する地域はアジア、欧州、中東と千差万別。たとえば、在外研究が同じドイツだとしても、大学が違い、したがって地域も違う場合がほとんど。これにたいして、会社は、海外支店に歴史があり、積み重なれた経験があり、さまざまなトラブルにも対処できるシステムが構築されている。在外研究では、そういう支援体制は期待できない。
 たとえば交通事故のトラブルには、だれも直接には支援してくれない。それで何かあれば、一人で奔走せねばならない。せっかくもらった在外研究も、それどころではなくなる。それで、車に乗らなかった。スリムになれたのは、歩いていたからでもある。
 購入した1つは、電動自転車。電動自転車は確かに、軽い。急勾配で有名な長崎の坂で挑戦したのだが、実に軽かった。優れものだ。値段も手ごろになってきて、カードでの割引もあり、6万ほどで購入できた。
 もう1つは、乗馬、あるいは、ロデオとかいう商品名で市販されている、乗るだけのフィットネス・マシン。この健康器具、乗るだけ、というのがいい。 スイッチ・オンすれば、左右上下に動きそれが、お腹をスリムにしてくれる。究極の手抜きマシンだ。
 この手のマシンをいろいろ実践して、たどり着いた結論がある。自分が主体的に働きかけねばならないのは駄目で、機械が動いてくれるのが、長続きでき、最高のマシンだということである。
 すぐに飽きるという意味で、最悪なのは、ペダルふみ。よほどの意志がない限り、3週間で埃を被ることだろう。遊びに来た客だけが、面白がって踏んでいるというのが、一般的。
 健康器具といえば、以前、新聞のサトウサンペイの4コマ漫画で、面白い場面があった。相手が買った健康器具を、夫婦がそれぞれ指差している。夫は、押入れに押し込まれた電波で微細にあわ立てる洗顔器を。他方、妻は、ぶら下がり健康機を。いずれも、使われずに粗大ごみとなったものだ。大笑いした。心当たりのある方も多いことだろう。
 ストレスの多い世の中だ。せいぜい便利な器具を使い、健康管理をしよう。手が抜けるマシンこそが最良のマシンです。

 

 

| 児玉昌己 | - | 20:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
大学教員への道8 メディア露出度で測れない研究

  メディアの影響は巨大で、テレビに出る人が優れた人という思い込みを視聴者に与えかねないし、実際、与えている。「人は見た目が9割」と題した新書も書店で見かけたが、一般には否定できない現象であろうが、こと研究となれば、話は別であろう。
 研究は、およそ見た目、つまり「外見」では、推し量れないし、研究者の実力も測れもしない。
漢字学の世界では知らぬ人がない世界的権威、白川静(しずか)立命館大学名誉教授のことを書こう。現地の中国での評価が高いといわれ、現在90を超えておられるはずだ。70歳を過ぎて、多数の賞を受賞されたのであるが、60年代後半の学生運動の中、研究室にはエアコンなど入っていない時代、暑い京都の研究室でのことだ。
 先生を訪ねてきた人が、用務員さんかと間違ったのだろう。ステテコ姿で仕事をしているご本人を前に、「白川先生は何処に」と尋ねられたという。日経の「私の履歴書」で書かれているエピソードた。
 テレビに出演されていれば、こうしたことも起きなかったのだが、遅咲きといわれる先生の研究途上での出来ごと、それにテレビでの人選というものの質を知らせる出来事でもある。
 テレビやメディアに出ていようがいまいが、政府の審議会の委員になろうがなるまいが、そして、それにより外部の覚えが良かろうが悪かろうが、それとは無関係に研究は、日々の読書と思考、資料収集の積み上げによって進む地味な作業である。
 もとより専攻分野によっては、外国語、古代語を使った自分との、或いは数百年の時をこえた先学者との格闘という場合もある。そういえば、白川先生も、多数の「権威」が集まる国語審議会の漢字認識と漢字政策には極めて批判的である。
 研究については、定型業務ではないと書いたが、様々に思い起こすことがある。「大学」とか「研究」という言葉が大好きな日本人が、安易に学習と研究を混同していること触れて、「学習」と「研究」は相違することを、桑原武夫が非常に明瞭に書いている。桑原は、学習はあくまで学習で、法則など既定のことを学ぶなどのことであるが、研究は学習を超え、理論的に従来の学説に対し批判的にこれを乗り越えるものである旨、書いている。
 研究とは、という定義から離れて、亡くなったわが師は、大学人の生活の有り様について、面白いことを言われていた。
 大学から自宅にかかってきた電話で、事務方が「お休みのところ」と切り出してきたことに対して、受話器を置いた後、「あの表現は不快だ、休んではおらんのに」と。たまたま横にいたが、そのまじめな立腹がおかしくて、「事務方として、あれは決まり文句で、他意はないですよ」と茶々を入れたことがある。
 確かに、研究者は帰宅しても、必ずしも研究という仕事から解放されているわけではない。むしろ「5時から男()」かもしれない。
 モーツアルトは就寝中に閃き始めたメロディをベッドのシーツに残したと伝えられている。なんとロマンッティックで、劇的なことだろう。しかしモーツアルトほどのことはなくとも、論文や思考の構想やアイデアを、研究を深めている大学人であれば、常に考えている。
実際、深夜、風呂に入っても、寝床にいても、論文の構想や表現やデータの探索に、まさに呻吟、苦吟していることも多い。いい着想や表現ができれば、浴槽で喜びを大声で発し、家人になにごとですかと、叱られる。
 大学教員は、一種モノ書きであり、知の芸術家でもある(と私は思っている)。教壇では、学生諸君を90分間飽きさせない、時に吉本張りの芸人である必要もある。そして、日々研鑚を積む研究者でもある。
 一昔流行ったキャッチコピー「24時間、働けますか」を実践している人もいるのである。

| 児玉昌己 | - | 08:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
大学教員への道7 大学人の対外的役割

 大学教員の仕事といえば、そして上述の組織人としての校務を離れれば、なにより研究である。大学での研究といえば、どの研究でも同じだろうが、業務終了時間がくれば終わりと言う定時の、そして定型の業務ではない。
 「研究」ということについては、後から述べることにして、大学人の対外的役割について書こう。大学人の対外的役割といえば、まず思い浮かべるのが、テレビ出演である。
 最近では、テレビに出る大学教員も珍しくなくなった。私も選挙などでは、経験させてもらった。研究成果を報告するということでは、研究者の社会的還元という義務の遂行といえる.しかし、ほとんど連日登場し、これほどのテレビ出演では、研究ができるのだろうかと思われる人もいる。
 テレビは、まさに、外見、つまりテレビ映りという側面や、数十秒の枠での凝縮した分析、さらには巧みな話術というように、学問や研究とは全く別個の要請があり、要素も入ってくる。
 さらに、テレビに出ている人は、それなりに登用した局側の評価がある人だろうが、その人選には必ずしも納得できないようなケースもある。テレビ界が適切な専門家を把握しているなら、結構だが、そうでない場合もあると思われる。
 実際、テレビ・メディアでいえば、東京もしくはその近郊にその人材を見出しているが、地方都市にもその分野の優れた専門家は様々な分野で多数存在する。
 更に重要なのは、メディアが要請される「公平中立性」という問題である。これは政府系の各種の諮問委員会への登用の場合も同じである。政府の意見を支持しなくとも、反対意見は積極的の述べない人を登用する場合もあると思われる。
 実際、大学人の「公正中立」ということでは、政府の審議会などへの参加で起きる問題がある。 
 先ごろ、米国産牛肉の輸入問題について、関連するプリオン委員会で、その役割が、政府の早期輸入政策の追認でしかなかったとして、多数の委員が辞任したということが報じられていた。
 初めに結論があれば、それは、大学という権威を利用した、単なる権威付けのセレモニーに過ぎない。それが政府が求める審議会や諮問委員会の一面かもしれない。だが、上述の委員の大量辞任は、大学人は権力の下僕ではないということを示したのである。
 背骨付き肉の混入は、政府間取り決めと食肉加工に関する米国の対応の杜撰さを知らしめたが、この事件は、同時に小泉総理がこよなく愛するアメリカの、消費者保護、環境規制に対する驚くほどの後進性を見せつける出来事であった。
 しかしもう1つの重要な問題、つまり、大学人による「研究の活かし方」という問題を提起していたのである。
 大学人の対外的役割を考えさせるケースは、上述の狂牛病関係のプリオン委員会のみならず、多方面でみられる。環境アセスメント等の委員会もその事例である。
 各地で環境破壊を生んでいる政府主導の大型開発は、形としては、第3者アセス(評価)を経ており、その開発のゴーサインには、多数の大学人も関与してきたのである。
 「あの先生は、政府の委員をしているから」というような意味での外部の評価が高いというのは、彼らが果たした役割やその内容を吟味してみてからでという、必要がある。

| 児玉昌己 | - | 00:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
大学教員への道6 大学人の1年 下

  学生部や学生委員会が対処するのは、被害者対策ばかりではない。大学は小規模の社会そのものといってよい。それゆえ、あらゆる組織と同様に、教職員、学生も含めて、遺憾ながら、その構成員が加害者になる場合もある。教員の犯罪も報道されているし、学生でも大都会の大学ではとりわけ誘惑も多い。現役の工学部の学生がホスト業で恐喝事件を起こしたことが報じられた。   
 暴行事件もドラッグ関連も、あちこちで報道されている。

 他方、嬉しいこともある。または、学生が、災害救助、人命救助、各種ボランティア、スポーツなどで活躍し、社会的に評価され、顕彰される場合もある。また教員の研究が高く評価され、国内で、あるいは世界的に評価されたとか、法学や政治学の分野で被害者救済につながる重要な政策提言がなされ、あるいは医学、工学の分野で学際的研究が実を結び、高齢者支援や乳幼児や患者全般に恩恵を与え、顕彰される場合などもある。
ノーベル賞など世界的な賞の受賞者を出した大学は社会全体の誇りであり、教職員、そして学生すべての大学関係者の意気は当然上がることだろう。
 かくして、学生数、数万人を抱える大規模大学の学生委員長は、研究室に、慶弔に備えて白、黒のネクタイを常備する必要があるという。
 卒業が近まる4年次には、就職の世話。これも重要な業務だ。3年からすでに事務方は始めている。学生諸君の就職を担当するのが就職委員会と就職課。大学では教職員が両輪、一体となって業務に当たる。就職先訪問もその仕事の一環だ。事務方は、たとえば就職では、就職「部」もしくは「課」という名称を持ち、教員は通常は委員会の委員という名で担当している。
 学んだ学生を無事社会に出すのは、大学の役割である。
 ここ1年、勤務校でも、ようやくバブルの後遺症から抜け出し、大学生の就職状況は改善しつつある。大学にとって、学生の就職支援は重要な使命である。就職決定を報告に来る学生の笑顔は当然、嬉しい。だが、就職は決まったが単位がまだで、卒業が危ういというのもあり、これはいただけない。

 就職についての大学の役割については、以前に同業者の友人から聞いた話だが、有力な国立大学出身の老教授が「大学は就職斡旋所ではない」と会議で語られたことがあったという。古きよき時代の特権的有名国立大学出身者ならではのことであっただろうが、就職委員や課長が同席していたとすれば落胆の表情をみせたことだろう。
 今は時代も変わって、そうした認識はもはや少数派だろう。全学を上げて、就職と取組んでいる。 

 大学教員は、こうして春夏秋冬の1年を大学という組織の業務の全般或いは一部に携わり、過ごすのである。そして、この間に、所属する学会の活動を含めて、自己の専門とする分野の研究をそれぞれに深めていくのである。

| 児玉昌己 | - | 00:08 | comments(0) | trackbacks(0) |

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