研究はその成果としての論文や著作の出版ということになる。
アメリカのアカデミアには格言がある。「出版せよ、そうでなければ消えてしまいなさい」(Publish or Perish)というものだ。音韻にあわせた表現だ。
そうである。大学人は研究の成果を象牙の塔だけにしておくことは許されない。
出版することで、社会にそれを還元する義務を負っているのである。従って5年も論文を出版しない、つまり書かない教員は極めて問題だし、10年も1本も書かいていないというのは、大学人としての義務の放棄であり、研究をしていないことを示すことで、実に現場からの「消滅・退場」Perishに値する。
実際、そうした非生産的教員は、学生とその公か私かに関わらず、財政上のスポンサーの期待を裏切り、彼らが支弁する給料のただ取りに相当し、指弾されるにふさわしい。
だが、それを承知した上で、この米国の有名なアカデミックスの義務について触れた格言には問題があることも指摘しておこう。
文系の研究は3ヶ月に1度出せるような性格ではないのである。そして、もしそれを強要すれば、生産性だけが優先され、研究と論文の質の低下を確実に招く。その結果、「屑」が支配的となる。
それゆえ、この米国の有名な格言にあえて日本の文系教員が異を唱えるとすれば、publish or perish のフレーズの後にその韻を踏んでand then all rubbish prevailと続けたい。
外部圧力で、しかもせかされた状態で、むりにした量産では、いい物ができることは、あまりないのである。日本語では、それを粗製濫造というのである。経済学的には「悪貨は良貨を駆逐する」との表現もある。
「古伊万里の値は彼が決める」といわれる中島誠之助先生ではないが、「いい仕事していますねー」といわれるには、手間も暇もかかるのである。
追記(2018.4.14.)
論文を書くことの意味について、12年前に書いた私の上記のブログがその6年後歯科医科学会で「学術論文作成の基本」(エルセヴィア)として活用され、現在でも以下、アップされています。有難いことです。
https://www.elsevier.com/__data/promis_misc/job-author
-workshop.pdf#search=%27%E5%85
%90%E7%8E%89%E6%98%8C%E5%B7%B1%27