児玉昌己研究室

内外の政治と日常について想うことのあれこれを綴ります。
梅雨の中のある1日
 梅雨空の毎日。今日も天気を気にしながら出勤。
 学生諸君もそうだが、この時期は、講義する側も受講する側も、踏ん張りどころ。朝1限には、1年の基礎演習。レポート指導。 午後は、法科大学院の期末のレポートの相談の面談予約も、はいっている。

 明日は、イギリスでの在外研究にはいる同僚から依頼されて彼の代わりに近隣の市の政治倫理審査委員会の初会合。月が明ければ、アクロスでの勤務校の公開講座での講演。内外に忙しい。
 夏休みが恋しいが、7月下旬からは期末試験。もう1がんばりというところだ。へばっているので、仕事を終えたら、黄昏る街で、疲れた心身を「アルコール消毒」でもして、リフレッシュしたいところだ。

| 児玉昌己 | - | 08:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
映画 Limit of Love 海猿
 「省略言葉」では、Kunikoさんから「下関水産大学校」のことを素敵なエピソードとともに、コメントいただいきました。
 いくらなんでも「下水」はヒドいですね。でも送っていただいた同校学生による人命救助の話、よかったですね。何だか、「海猿」Part1を思い出しました。あの映画、海保の特殊救難隊の訓練学校が舞台でしたね。
実は、体調不良の中、家人と、この映画Part 2 Limit of Loveを見てきました。涙ウルウルで、ハンカチを出して泣いていました。
 今年の春に大口市での講演で鹿児島にも車を進め、まさにあの櫻島を見てきたばかりでしたから。それに、大型客船の転覆というテーマで現地ロケと特撮の部分、ほとんど違和感がないほどでした。
撤収命令の中で、潜水士、仙崎大輔が被救助者の手を離した最後の救助シーンは、状況的に見れば、最悪の状況を予感させました。でも、あれで4人無傷でも帰還できて、ハピーエンド。 家人は、あの場面のリアリティの欠如を指摘していましたが、まあまあと収めた次第です。
 伊藤英明と加藤愛のカップルをまた見たいですからね。海保本部から派遣された現場総指揮者を演じた時任三郎も存在感を見せています。
 この映画で、昨年比21%と、海保学校志願者が急増したとのこと。何よりです。海保といえば、海の守り。2001年12月の麻薬密売の北朝鮮工作船との凄まじい銃撃戦は記憶に新しいですね。警察や自衛隊については、いろいろ映画がありますが、海保については、これがおそらく初めてのものでしょう。大いに士気も上がっていることと思います。
 テレビでもやっていたようですから、若い人はご存知の方も多いでしょうが、お奨めの1品です。
| 児玉昌己 | - | 01:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
「宴の後」 Wカップ緒戦敗退
 Wカップ、グループ最下位での緒戦敗退となった。 
 勝利への執念を欠く選手団、幻想だけを振りまいたメディアというのが総括だろう。メディアのはしゃぎ振りリは、異常だった。そして、外国チームとの客観的な彼我の実力の相違を見ず、情緒に流され、選手を甘やかした。
 極めて遺憾だが、3戦見ていて、勝てると思わせる試合がなかった。走らない選手、バテバテの選手、繋がらないパス。運動量、身体能力、そして判断力と得点への貪欲さ、すべてにおいて劣っていた。そんな中、ヨシカツだけは、特別だった。彼を称えたい。
 それにしても、外国選手のあの首周り、胴回り、足の太さ、判断力のよさ、速度はどうだろう。野生の本能でぶつかるに外国選手相手に日本選手は、菊人形のようだった。綺麗ではあるが、これでは勝てない。
 ジーコは敗戦後の会見で、「自分はこれでメシを食っているんだという意識。常に上をねらいながら、代表に来たときだけがんばるのではなく、クラブでそういうことをやっていかなければならない」と語っている。
 豊な社会に育った選手のガッツのなさを指摘したのだ。
 残念だが、サッカーはまだ世界を制覇した野球のレベルではないというのが、未明の試合でまだ眠い現在の感想だ。野球には80年の歴史があるのだ。
 サッカー界が世界で戦えるハングリー精神とパワーある若手の育成に努めるか、それが今後の課題だ。
 メディアは敗戦の「戦犯」探しをするのではなく、自己のはしゃぎすぎを猛省すべきだ。 この結果を分析し、彼我の差がどこにあるのか、そこに学ぶべきだ。
 ふと、黎明期を脱した時期に闘った、吠えるあのゴンを想い出した。今は、勝利への執念こそが欲しい。 
| 児玉昌己 | - | 12:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
「誰も相手にしないオオカミ少年」 北朝鮮の瀬戸際ミサイル外交2

 それにしても、あきれるのは、盧武鉉政権の韓国。この全体主義国家と心中してしまうのかと思わせるほどの無様さだ。
 一方で北朝鮮自身が核兵器を持っているといい、ミサイルの試射と認めているのに、他方で、韓国政府は19日、北朝鮮が発射の準備を進めているのはミサイルでなく「衛星発射体」という主張をしている。まったく、どちらの陣営だとあきれるほどの無様さだ。
 ま、今に始まったことではなく、ファーイスタン・エコノミック・レビュに、北朝鮮の「最大の応援団」(チアリーダー)だと揶揄(やゆ)されて久しい。
 朝鮮日報(英文版)は、その記事「僕が衛星といい、君がミサイルという」(I Say Satellite, You Say Missile Jun.20,2006 )で、「韓国政府の北朝鮮軍事情報は、アメリカの情報に90%以上頼っているのに、しかも、日米もミサイルだといっているのに、いつから、政府は自前の情報能力を発展させたのか、もしそうだとすれば、なんとすばらしい」と最高の皮肉を送っている。
 実際、同紙が書くように、「北朝鮮は、数百万の同胞市民を飢餓で死亡させ、あるいは中国での隷属と売春に追いやっている」(The North Korean regime has starved millions of citizens to death or driven them into modern-day slavery and prostitution in China)にもかかわらずである。
 そして、以下同紙は書く。
 「ナイーブなのか、馬鹿なのか。韓国国民はこんな政府以外に頼るべき政府がないというのは、実に恥かしい」と。(Naive or stupid, who knows? But its a shame the people have no government but this one to rely on.) 
 世界がWカップで盛り上がっている中、視聴料もはらえずに、番組視聴についてまたしても韓国に物乞いする金正日の北朝鮮。
 他方、この政治体制を直視せず、その延命に腐心し、同胞を見殺しにする盧武鉉政権。
 隣国の市民として「朝鮮日報」のエディタ氏に、深い悲しみで、同情するしかない。

| 児玉昌己 | - | 19:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
「誰も相手にしないオオカミ少年」 北朝鮮の瀬戸際ミサイル外交

「北朝鮮の国連次席大使が、発射憂慮なら米朝交渉を」(共同通信)06 621日)といっている。北朝鮮のテポドン試射の意図がまさに見えみえだ。結局、誰も相手にしなくなって、いつもの手を使ったが、今度は完全に相手にされなくなった。
 挙句の果ては、北朝鮮外務省は「平壌宣言拘束されない」 といっている。労をとった小泉首相には悪いが、この国とのいかなる協定もこの程度の軽さだ。
 この金正日の全体主義国家を見ていると、「誰も相手にしないオオカミ少年」の寓話を思い出す。
 羊番という自分の仕事のサボりを正当化するために、「狼が来ると」叫んで回り、何度も同じ手で村人を欺き、その後は、うそだと分かり、誰からも信用されなくなり、実際の狼に食べられてしまうというあの寓話だ。
 この寓話は、少年と狼が存在するが、実際の北朝鮮のテポドン試射の話で相違する点は、北朝鮮自身が狼で、狼が自分自身で墓穴を掘ってしまうということだ。滑稽(こっけい)極まりない。
 

| 児玉昌己 | - | 12:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
美しさを欠く省略言葉

 いつの間にか、周囲には省略された言葉の海が広がり、その波に飲み込まれそうだ。
 ファミレス、ファミコン、コンビニ、ファミマ、ロイホ、ケンタ、キムタクという如く。最近はあまり使わないが、アサシャン(朝にシャンプーすること)などもあった。
 人、物、場所、あらゆる分野に広がっている。自分が知らない省略言葉を使われて、皆さんは、「それなに」と聞き返されたことはないだろうか。あるいは分かったフリをしてその場を濁したことないだろうか。
 ベルギーの母校欧州大学院大学での在外研究中に、朝日新聞ブリュッセル支局長脇阪さん(現論説委員)が同校の取材にみえ、協力したことをきっかけに懇意にさせてもらっている。
 あるとき同氏と北朝鮮関係のニュースについて話しているときに、彼がその記事「ヘラトリ」にあったよという。業界用語では自然なものだったのだろうが、不明にも、なんだか分からなかった。「ヘラ」という音感から、新聞の周辺部分かと勝手に思い込んだほどだ。
このヘラトリ、皆さんお分かりだろうか。正解は後述。
 この省略言葉、なんだかきれいな日本語が汚されるようでどうにも不快感いや、それを超えて、時に醜悪とさえ感じられる。古い世代だからだろうか。
 もっとも、一部には、たとえば、私の業界でも、古くから存在している。チョウダイ(長崎大学)、キュウダイ(九州大学)、ジンダイは、神奈川大学と、神戸大学というごとく場所によって同じ表記が。
省略言葉が多用されるのは、簡便さにその理由がある。そのなかでも、日本文化の真髄をしめすものとして、カラオケなど、世界的な言葉になったものもある。最も厳密には、カラオケは省略言葉とはいえないかもしれないが、亜種には違いない。ちなみにこの英文訳、Empty orchestrationをみたことがある。これも苦しい英訳だ。
 大学の業界にもどって話を続けると、ソウカ大は、一般的には創価大学だし、長崎では総合科学大を指し、紛らわしい。それに岩手大学をガンダイ大、群馬大学はグンダイ、埼玉大学はサイダイと聞いたときには、その響きにゲンナリした。およそ綺麗なものではない。
 できるなら、使いたくないと思っているが、あまりに周囲にたくさんあり、そうも、いっておれないほどだ。コンビニは、すでに私が降参し、受け入れてしまっている。
 なお上記のヘラトリ。 正解はインターナショナル・ヘラルド・トリビューンのことだった。

 

| 児玉昌己 | - | 09:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
「奇跡を呼ぶ実力」、ブラジル戦、能活の奮闘に報いよ
 WBC世界野球選手権では、失点を少なくしていたのが、決勝進出への道となり、キューバを下し優勝へと結びついた。この優勝について「奇跡を呼ぶのも実力」と3月22日付の本欄でコメントした。
 他方、このWカップ。不甲斐ない2戦でまさに土壇場。ブラジルに2点差をつけての勝利が決勝Tへの唯一の進出の条件。先の2試合で、わずか1得点という決定力の限界を見ると、世界の王者ブラジル相手に、限りなく奇跡に近い。
 果たして22日のブラジル戦、ジーコ・ジャパンに、奇跡を呼ぶ実力がどこまであるか、それが見たい。
 外国でも絶賛されているヨシカツ(川口能活)。
 選ばれしものよ、ヨシカツを見殺しにするなかれ。ヨシカツの奮闘に応えよ。
| 児玉昌己 | - | 09:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
終始、劣勢の対クロアチア戦
 終始、主導権を奪われ、劣勢の対クロアチア戦だった。おそらく多くが、数点 入れられても不思議でない試合であったと、感じたことだろう。正直、後味の悪い引き分けだった。ヨシカツのあのスーパー・ファイン・セーブに救われただけだ。
 実際、ゴール前で何回ひやひやしたことか。相手の粗雑な攻めで救われただけに過ぎない。実際、クロアチアの稚拙さは、クロアチアサポーターの表情からも如実に窺(うかが)われた。
 もとより、4バックが最低限機能していたから、その猛攻をわずかに、食い止めたともいえるが。
 前回のジャパンの井原正巳は、尊敬する元選手だが、この試合を「評価できる1点」と書いている。だが、身びいきの評価だ。得失点差でもグループ最下位を脱出できなかったのだから。
 勝負は、「教訓の引き出し方」という事後的な要素を別にすれば、それ自身、その場では勝か負けるか、実に、それがすべてなのだから。
 パスの繋がりも、サイド攻撃も見せ場はわずか。ちぐはぐさだけが印象に残った。それにしても、オーストラリア戦もそうだったが、日本人選手が高校生に見えるほどだ。 マラドーナも、ジーコもともに小身といえるが、それはそれをカバーする10名がいたからだとも言える。 
 今後は、平山相太などの長身の大型FWの起用を願いたいところだ。
| 児玉昌己 | - | 17:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
張子の虎への断固たる対応を 北朝鮮のテポドン試射
 北朝鮮が長距離弾道ミサイル「テポドン2号」の発射準備を進めているが米政府関係者は、17日、CIAの情報として、「発射に必要なミサイルへの液体燃料注入が始まったようだ」と日本政府に伝えたことが明らかになった。(読売新聞) - 6月18日
 液体燃料の注入自体、小泉首相があの独裁者と結んだ国交正常化と北朝鮮経済支援も盛り込んだ2002年9月17日の日朝平壌宣言への明白な違反である。
「発射すれば制裁も」と麻生外相は述べているが、「発射即、日朝宣言の即時破棄と制裁実施」と明瞭に発言すべきだ。
 北朝鮮は、内部で「猫になるか、虎になるか」をめぐる討議が行われ、強硬路線を5月に再確認したとされる。
 この「虎」、国内では麻薬常習者を蔓延させ,電力も確保できず、国民を疲弊させ、国外では、人攫(さら)い、紙幣偽造、麻薬の密売、そして挙句は威嚇と、物乞い外交だけしか能がない、張子の虎だ。
 なにより隣国にあって、核ミサイルの開発を進め、かつその試射を行うことは、平和国家日本への最大の脅威である。
 日本政府は国民の強い意思を示すべきだ。対話する段階はすでに超えてしまっている。
| 児玉昌己 | - | 17:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
講演するということ
 土曜日でオフだが、研究室に早朝から出てきて、講演の準備資料を作っている。
 同志社大学の久留米柳川校友会に依頼されて、「欧州の最新情勢」と題して市内のホテルで、話すことになっているからだ。欧州統合とEUを専門にする私としては、やはり欧州憲法条約のことが中心になる。
 受験前のできの悪い生徒だった頃のあの複雑な感情を思い出す。精神的なバランスをとるために、多数の参考書を持って受験地に臨み、読めもせずに、そのままの重さを持ち帰るあの無残な心境。
 もとより、年も重ね、職業として人前で話すのは、日常のこととなった。それゆえ準備不足で不安な受験生は遠い過去となったが、やはりそれなりに緊張はする。
 実際、欧州の動きを話すのは容易ではない。一般市民に、しかも1時間という制限つきで。 専門家ならば、背景の知識に時間をかける必要はないが、大卒者集団とはいえ、容易ではない。
これが米国ならまだ楽かもしれない。何より、マック、コーク、ケンタッキーやブッシュやラムズフェルド、イラク戦争というように、具体的に手に触れ、あるいは映像を捉えることができる。しかし、米国とは違って、ヨーロッパは、手につかめ、直接触れることができるイメージに乏しい。
 実際、欧州とはいえば、W杯のドイツあり、イギリスあり、フランスあり、イタリアあり。トルコさえEU加盟が論議されている。「ヨーロッパとは何か」が、現地の欧州市民や指導者にさえも明確でない。
 こうした多様なヨーロッパの政治情勢を参加者にいかに理解していただくか、それが演者の腕の見せ所だが、話の流れを頭の中でイメージするだけで、疲労してしまった。
 そろそろ出かけることになるが、受講者に問いを発し、相互交流をしたい。参加者の胸を借りるのも、大事なことだ。
 ともあれ、珈琲でも飲んで、力を抜くとするか。 
| 児玉昌己 | - | 14:46 | comments(0) | trackbacks(0) |

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