児玉昌己研究室

内外の政治と日常について想うことのあれこれを綴ります。
8月の終わり
 大雨の中、8月も終わろうとしている。長与から久留米に戻り、アレコレ仕事をしている。
 豪雨とも言うべき大雨のため、乾燥しきった大地に潤いが戻り、気温も5度ほど下がっている。研究室のエアコンもオフにした。
 母校の後輩でこの地で税理士をしているT君が、改装仮移転中の料亭「たはら」に誘ってくれ、待ち合わせの7時半まで、届いたEUの北朝鮮政策の論文の3校ゲラをみているところだ。
 夏の課題だった北朝鮮関係論文もぎりぎり仕上がり、うれしい限りだ。週が明けると熊本大学に集中講義に出かけることになる。私学とは違い受講者も少ないようで、しっかり欧州統合とEUの機関、欧州政治の面白さを話してこようと思っている。


 
| 児玉昌己 | - | 17:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
心情的テロ擁護の危険とそれを生み出す選挙制度 下

 こうした緊張感に欠く政治指導者はどうしてうまれたのか。冷静に考えてみる必要がある。すくなくとも、彼はもとより、日朝首脳会議という荒業を使い、総選挙で勝って、総裁の地位を確固たるものにした。だが、表面的な「圧勝」といわれるような支持を得て、この首相が登場したわけではない。むしろ有権者の半数は小泉政治に反対票を投じていた。
 こうした政治や政治家を生む背景には、なによりも選挙制度の改正がある。いや改悪というべきだろう。前々回前の選挙では、国民の政党支持を直接反映する比例では、小泉自民は、民主党に負けていた。事実、3537.4%で民主が勝利していた。
 国民の支持は何より選挙では比例での得票で示される。2005年の総選挙でも、得票率で見れば自公両党は合わせて小選挙区で全体の49%、比例区で全体の51%を抑えるに止まっている。 自民は小選挙区で、民主にせり勝っているに過ぎない。
 小選挙区に力点がある現行の並立制の下での選挙での「圧勝」後、小泉は格差拡大の政治、靖国に見られるように、民意に耳を貸さず、徐々に独裁者と化した。選挙で作られた「圧勝」を背景にである。実際、小泉の登場は、膨大な死票が出る小選挙区のために、演出し、作り出されたのであった。
 90年代の選挙制度改正では、同業者である一部政治学者の責任が大きい。東京の、審議会好きの、権力べったりの政治学者の責任がある。それは無視できないほど大きい。彼らは、「政治語りの政治音痴」そのものであった。「一度やらせて問題があれば、改正すればいいと」といっていた。無様極まりない政治認識だ。
 激しい選挙戦の後、いったん勝利したその選挙制度を、自己を不利にする形で変える政治家などいるものか。そうした子供にもわかる法則さえ、この選挙制度調査会のメンバーに名を連ねる「高名な」学者連中は理解できていなかった。実際、問題が露見しても、小選挙区制を推奨し、実践した学者連は、何一つ積極的改善策を提示しない。そして、改悪された選挙制度で小泉の独裁的政治が始まった。
 中選挙区では、公明も、社民も、共産もみな最低限議席を維持した。少なくとも、国民の支持は議席に反映されていた。いまはどうであろう。小選挙区では、1議席しかないので、自民か民主かで、選択の余地がない。小政党はわずかに、比例で議席を確保する程度に過ぎない。
 少数意見の保護は民主主義国家にあっては重要な課題である。選挙制度の改正に当たって、少数意見を封じる作用があることがわかっていて、その制度の導入に力を貸したとすれば、そうした学者は犯罪的であり、反民主主義者である。
 しかもそうした学者やマスコミは、小選挙区では選挙費用が軽減されるといっていた。結果は、どうだろう。そう感じている候補者は一人もいない。長崎1区も、福岡1区も、有権者は40万をこえ、選挙活動すべき対象地域は拡大した。がゆえに、選挙費用は、中選挙区制時とは比較にならないほど膨らんでいる、と知り合いの政治家が語っていた。これも初めからわかっていたことだ。
 これらの学者の無様さはこれで終わらない。彼らは、衆院議員の定数は多いので、削減すべきといっていた。これも一知半解の無様さだ。先進的諸国で、定数が日本より少ないのは、政治家が貴族化している米国だけのことである。
 特に欧州ではそうである。人口がわが国の半分以下でしかないイギリスでは、下院議員は659いる。日本風に言えば、議員が1500人近くいる勘定になる。フランスでも555議席ほどで、同様に1200名いる勘定だ。イタリアも630でイギリスと同じ程度である。日本の常識と違い、衆院議員の定数はむしろきわめて少ないほどである。
 政治を語りながら、無様なほどにも欧州の知識に欠く学者たちである。まして日本の政治の様態は、米国より欧州に近い。しかも選挙のたびに完全小選挙区制で膨大な死票が出て、そのつど改革が叫ばれるイギリスでは、EUの議会である欧州議会選挙において、ついに比例制度を導入した。だが、国内選挙制度では、民族問題を抱える北アイルランド選挙区を除き、いまだに小選挙区制である。だが、欧州各国は比例が原則である。
 定数削減は、政治的意思の代表を狭めるもので、確実に政治家の貴族化を生む。ただでさえ世襲化されているのが、日本の政治家である。政治家は国民の代弁者であり、官僚の定数削減とはわけが違う。しかし、以前にも書いたことがあるが、欧州を知らない無知な学者が、行財政改革の延長で、削減対象として官僚と政治家を同列に扱い、メディアもそれに無批判に従う失態を演じた。
 政治の要諦はバランスである。実際、国民は選挙ではバランス感覚で投じているのである。一党に支持が圧倒的に向かうような状況ではない。
 政治の実態を民意に近づけたいと思うものは、そして民意に背を向ける独裁者を排除するには、何より選挙制度に目を向けるべきである。
 民意が反映する選挙制度は、完全比例制である。これがベストである。少数乱立を案じるなら、ドイツのように敷居を設定する、たとえば5%条項を導入すればいい。
 比例こそが、投じた票という形の民意がそのまま政党の議席に反映されるというきわめて民主的な制度であるからである。
 もし、それが無理なら、中選挙区制度の復活がいい。現行並立制よりも、死票が圧倒的に少ない。もしそれも無理で、現行制度を基礎に改正するなら、世にいわれ、実践されてきた方向とはまったく逆に、小選挙区議席の削減と、比例議席の拡充こそが図られねばならない。
 政治意思と国民の意思は常に接近していなければならない。政治制度はそうした状況を常に確保するよう保障されねばならない。総選挙での結果は政治家にとって、常に最大の懸案である。
 政治家は選挙で監視されている、そうした認識が政治に緊張感を生む。だが、総選挙での作られた圧勝が、国民に対して監視されているという政治指導者の緊張感を奪う場合、テロさえ間接的ながら、容認しかねない緩慢な対応を生む。
 最近の政治指導者の暴走や、必要なことを行わない緊張感を失った政治を眼にするとき、無様な政治「学者」が導入を援護した選挙制度改正という根底にある問題を実感するこのごろである。
 学者を含め、世界から見れば取るに足らない日本だけの著名な大学の「権威」などすべて疑ってかかっていいのである。 往々にして、子供以下の偽の権威がゴロゴロいる。
 いやかれらを子供と比較するのは子供に失礼だ。子供たちは「王様は裸だ」といえる直感という感性に富む存在であるのだから。


| 児玉昌己 | - | 14:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
心情的テロ擁護の危険とそれを生み出す選挙制度 上
 小泉純一郎首相は28日朝、山形県鶴岡市の加藤紘一元自民党幹事長の自宅兼事務所が右翼団体構成員の男による放火と見られる火災で全焼した事件について「暴力で言論を封じるということは決して許せることではない」と述べた。15日の発生以降、首相は事件について一切沈黙していたが、2週間目に初めてコメントした。(毎日新聞) 06- 828日の記事である。
 驚くほどの緩慢な対応だ。テロを間接的に容認しているといわれても仕方がない。
 テロといえば、北朝鮮外交でもおこった。北朝鮮外交については、重村氏の外交敗北の書評を書いたが、北朝鮮に利用され、拉致被害者を切り捨て、外交を誤り、国益を損なったその中心に田中均外務審議官がいた。
 彼は「北朝鮮に融和的すぎる」との批判も招き、右翼により、自宅ガレージに時限式発火物とみられる不審物 が仕掛けられた事件を誘発した。問題は、これについて、石原東京都知事が20039月に自民党総裁選挙応援街頭演説の中で「田中均というやつ、今度爆弾仕掛けられて、あったり前の話だ」と発言したことである。
 彼は、その後、国民の激しい非難を浴びて、言葉足らずといったが、発言を撤回はしなかった。テロを心情的に容認する姿勢に終始した。
 加藤邸放火という悪質なテロ事件について、首相は、どうしてすぐに反応しなかったかである。 小泉も、程度の軽重はあれ、石原、同様の心情的なテロ容認の思想を持っているといわれても仕方がない。即日、即刻、テロは国家をつぶす、徹底捜査と再発防止の指示をだすとなぜ言わなかったかである。それほどの重要事である。
 民主主義の国家では、主義主張は言論で行われるべきであり、テロは断固排除されねばならない。だが、トップがこの体だ。

| 児玉昌己 | - | 11:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
書斎の窓拭き
 家を建てて17年ほどになる。2階の東向きに書斎を作って、私の作業場としている。 寝室を通らないとは入れない奥まった部屋で、フローリングにしている7畳ほどの長方形のスペースである。
 学生時代から使っているスチールの本棚だけで、8本。2方面の窓とドアのスペースを除いて、ぐるりと取り囲んでいる。それにパソコンのテーブルと並んで、高槻で所帯を構えたときに買った小ぶりの食卓があり、南側には、大学時代から愛用している木製の机もある。これはおよそ高価なものではないが、我が家ではビンテイジである。京都で学生生活を送る兄のために、父が現地の中古屋で見つけたもので、私がお下がりで貰い受けて使っている40年ものだ。さらには、以前はファックスを載せていた、3段のパソコンラックまである。
 つまり足の踏み場もない海底調査船シンカイ6500の操縦席みたいところが、私の書斎だ。実際、家人もネットをするとき以外は入らない。
 不精な私だから、東向きの窓はパソコン画面に太陽光が入ることもあり、雨戸を閉めカーテンをしている。先日パソコンを買い替え接続したが、そのときカーテンと窓の汚れが気になっていた。だが、誰もこの部屋には関心がない。それに、机の上は娘がときに掃除をしてくれるが、カーテンや窓まではやってくれない。
 「新しいワインには新しい酒壺」で、という言葉がある。パソコンも新しくなったし、いい機会だと意を決し、大汗をかいて、作業した。
 もともとが扇風機あり、電気温風器あり、遠赤外線の健康器具あり、さらには多数の資料といまだに所定の場所がない大振りの額入りの学位記ありと、この書斎、荷物置き場でもある。そんな代わり映えがしない空間だが、レースも入れて4枚のカーテンの洗濯と付け替え、それに窓拭きとで汗をかいた分、少しはこぎれいになったかと一人満足している。
 
| 児玉昌己 | - | 11:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
北朝鮮外交の失敗を分析した名著、重村智計「外交敗北」
 重村智計(ともみつ)「外交敗北 日朝首脳会談と日米同盟の真実」 講談社2006年6月

 この書は、きわめて幸いも頓挫した小泉の日朝国交正常化交渉を事例研究にした日本外交に関する近年にない名著である。
 「外交敗北」という表現で、日本の北朝鮮外交がいかにでたらめであったかを赤裸々に書いている。
 自民党のみならず社会党の政治家たち、そして彼らに毒された外交官が展開した国対政治の延長としての、偽の外交のでたらめさが実名で、余すところなく描かれ、これを指弾している。 
 拉致被害者救済には尻を向け、対北朝鮮外交を私的に利用し、私利私欲と自己の売名のために活用したかを。そして、彼らの偽りの外交が、外交本来の相手を間違え、北朝鮮の嘘で固められた工作員らに逆に利用され、国民の血税である大量の物資が何の見返りもなく、北朝鮮に垂れ流され、あるいは騙し取られてきたかを。それらが容赦なく書かれている。
 政治家の事例としては、古くは、金日成にうまく乗せられ、土下座外交を展開し、膨大な食糧支援を提供した自民元幹事長の故金丸信や、拉致を長く認めず、北朝鮮の代弁人として機能した村山や土井らの社会党幹部、近年では、正規外交のルートからはずれ、個人プレイに終始し、拉致被害者団体からも強い反発を招いた警察官僚出身の平沢勝栄や、驚くほどの奇妙さで登場し、山崎拓などの事例が語られる。
 それに外交官としては、「わずか10名の拉致被害者ために日朝国交正常化をだめにするのか」といいはなった槙田邦彦アジア局長、Mr.Xという秘密警察幹部との私的ルートに依存し、正規外交を逸脱し、拉致被害者救済に背を向け平気で彼らを切り捨てた田中均アジア局長などが厳しく非難されている。さらには、その指弾の矛先はアカデミズムにも向けられている。
 朝鮮半島問題専門家としてメディアでもてはやされならが、まともな判断ができず、拉致被害者の救済には機能せず、結果として北朝鮮擁護に堕している某教授についても、厳しい批判が浴びせられている。
 重村は、自己が長く所属したメディアにも同様、厳しい目を向けている。
 的確な判断もできない大学の朝鮮半島の「専門家」を馬鹿の一つ覚えに登用し、不明確な情報を現在でも垂れ流し続けている報道関係者の無能さをも彼は問う。北朝鮮外交の報道に当たって、メディアは明確な視点を果たして持っていたのかと。 
 特にメディアの中でも、政治部の記者に対しては舌鋒鋭い。彼らは、外交取材の経験がなく、国際政治に疎く、政治家との時に癒着ともいうべき特別な関係をもち、その中で、記事を書く傾向が強い。それが生む北朝鮮報道の問題が鋭く指摘される。
 著者、重村は言う。「国民の生命財産を守らずに何の国益か、国益とは国民の利益であり、国民の利益を忘れた国家の利益は、全体主義国家の思想である」と。
 長くワシントンとソウル支局で北朝鮮問題に取り組んできた重村の愛国心と憂国の情、無様な政治家や官僚への腹の底から湧き起こる怒りと憤懣、そして拉致被害者への深い同情と愛情が、一気に書き上げさせた。それがこの書である。
 推薦する理由は以下にある。
 重村がその北朝鮮への姿勢と思想において、終始一貫しており、ブレていないからである。あれこれ言説を常に変える自称専門家、つまり偽者が多数いる。知った風な口をききながら、堅固な思想がないから、中身が状況によって、常に変わる。そんな偽りの「知識人」や「専門家」、「情報通」が多いなかで、彼は北朝鮮外交にかかわる際の価値基準を明瞭に、以下5点に示している。
 1.白昼公然と、ならず者国家により主権を侵害されたという認識があるのか、2.拉致被害者の救済に真に努めたのか否か、3.北朝鮮の核開発は日本の平和と安全を直撃する最大級の問題である認識があるのか、4.そして国交正常化交渉では、日米同盟への配慮はあったのか。5.関係者はこれを私利私欲のため利用したのか、否か。この観点から、一貫して関係者を評している。 
 実際、外交のありかたについて、重村には堅固な見識がある。とくに北朝鮮みたいな、ならず者国家は、通常の国家とは異なり、秘密警察が強固に存在し、その頂点に独裁者がいる全体主義国家である。そんな国家の政治において、合理的判断などありえない。すべてが独裁者の意のままで、官僚は秘密警察を含めて、この独裁者の意向の下で右顧左眄する。つまり、金品をばら撒き歓心を買い、保身のために平気でうそをつく。信頼を築くすべがないのがこの国家であるという、この当たり前だが、十分理解されていなかった北朝鮮の政治の様態についての卓見からである。
 さらに通常は、一般に核兵器開発阻止は、米国の問題だという認識があるが、そうではなく、被爆国の日本こそが、核不拡散、つまり核開発の阻止こそが、わが国自身のあるべき外交理念であり、実践としての対象でなければならないという視点を一貫して持っているところにある。また対米関係、日米同盟は配慮されていたのかも、重要な要素としてあげている。
 外交の敗北により、取り返せない失態を犯し、しかも、彼が生存と断言している横田さんを始めとして、依然として北朝鮮に拉致監禁されている被害者の救済も放置され、解放はまだ一部に限定され、関係者の苦しみは継続したままである。 
 ここ15年の、そして、とりわけ国交正常化交渉過程では、あろうことか、拉致被害者の存在には目を瞑(つむ)り、これを切り捨て、一部政治家と外交官の功名とりに終始した。この目も覆うばかりの、無様かつ愚劣な北朝鮮外交があった。
 この敗北を直視し、そこから学ぶことだけが、再度の失敗を防ぐための手立てとなる。
  北朝鮮の核ミサイル開発は、日本の平和と安保を揺るがし、平和憲法を痛撃した。そして国家主権が侵され、現在も多数の日本人が拘束され、隷属下におかれ、そして独裁者に利用されたままである。かくして、北朝鮮外交は、現下の日本外交の最大の課題である。 
 国家とは何かを考える人、そして朝鮮半島問題へのかかわりと日本の外交に関心あるすべての人に一読を強く勧めるものだ。
| 児玉昌己 | - | 17:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
専門洋書店ナウカの閉鎖
 ナウカ書店閉鎖と在庫処分の記事が出ていた。ナウカとはロシア語で「科学」を意味し、社会主義建設を紹介する本などを出版し、治安維持法違反で閉鎖されたこともあるというロシア語専門書店で、1931年に創立された老舗。
 同僚でウクライナ政治を専攻されている阿部三樹夫先生にこの記事を送ると、若いころ、食費を削って、京都の支店で書籍を購入したこともあり、さびしい限りですとのことでした。
ロシア語は、キリル文字を読めればと希望し、ソ連社会主義史の権威EHカーや、対ソ封じ込め戦略を立案した米国の外交官ジョージ・ケナンにあやかりたいと、商学部のロシア語の授業にいれてもらい、1年だけ取り組んだ思い出があります。その後、ロシア語もきれいさっぱり消えてしまい、ロシア政治とは疎遠になってしまいました。もとよりナウカとの付き合いもありませんでした。
しかし、外国を専門とし、外国語に取り組んだ院生にとって、専門洋書店には、若いハングリー時代の、ほの悲しい思い出が、大なり小なりあるものです。私も思想史に強い京都の至誠堂や、国際政治に強い極東書店にずいぶんお世話になりました。なけなしの金で買った洋書を大事に持ち帰り、しかも未消化に終わり、あるいは単に本棚に飾るだけに終わったという苦い思いでもあります。
 今は、インターネット時代でその情報にずいぶん依拠しています。膨大な情報が流され、そうしたなかで、本をとりまく環境もずいぶん変わりました。しかし、名著は時代を超えて、生き延びます。まして、ロシアは、腐っても鯛。ソ連は消滅したものの、再生ロシアは、マフィア経済をたたかれながらも、エネルギー大国として新たな相貌を持ちつつあります。領土問題も抱えるわれわれ日本人にとって、避けては通れない国家です。
専門書店の閉鎖は、当該語学の研究者の減少や、その国の文化研究の萎縮にもつながります。経営と文化の共存は困難ですが、官僚の天下りのためだけにあるような団体に多額の補助金が下り、他方で、多様な文化を摂取しながら豊かになったわが国の文化を間接的に担い、また潜在的に対ロ戦略を担う人材の養成にも貢献しているこれらの書店は、厳しいビジネス環境の中にあります。何らかの支援があってもよいのではと思う次第です。
| 児玉昌己 | - | 19:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
北朝鮮の「代理人」として行動する盧武鉉
  韓国国防科学研究所は22日、大手通信会社、KTとの共同で、軍民共用の通信衛星「ムグンファ5号」の打ち上げに成功した。この情報について、前回のアリアン2号では、「地域情勢を刺激する重大な挑発だ」と非難しており、今回も反発は必至だと読売はいう。
 北朝鮮は、自国の核ミサイル開発が韓国を守ってやるから歓迎されるべきものであるといい、他方、韓国の軍事衛星の成功については、これを自国への挑発行為だという。北朝鮮が韓国をまるで信用していないということの証である。
 これにたいして、盧武鉉の哀れさは、北朝鮮が韓国を信用していないという一点をまるで理解できていないということにある。そして北朝鮮支援に狂奔している。
北朝鮮の代弁人(金泳三元大統領)どころか、北朝鮮の人間そのものではないかと思わせる行動である。
 最近、朝鮮日報が社説「私が犯した間違いがあるなら指摘してみてほしい」(2006/08/19)で、新聞社の論説委員らに対して語ったと報じている。
この大統領の居直りと、彼が置かれている状況と国民の彼に対する絶望感にたいする認識のなさを非難し、哀れんでいる。
実際、この大統領の対外認識は、自国史についての認識同様、お粗末極まりない。同じく朝鮮日報は、盧大統領が北朝鮮のミサイル発射に関連して「日本はありもしない脅威をでっち上げている」とも語ったと報じている。2006/08/20 
北朝鮮と盧武鉉の思考回路で共通するのは、状況を常に自己を正当化するものか、そうでないかの観点でのみ評価するという自己中心主義だ。自省や反省の言葉などあったためしがない。
 この盧武鉉の韓国は、283億円相当の水害復旧支援という名での大規模支援の再開に乗り出した。国連による北朝鮮制裁決議が出ている最中においてである。 
 政府の支援する物資は、国産のコメ10万トン(1,950億ウォン/239億円)、セメント10万トン(1トンあたり9万ウォンで90億ウォン/11億円)、鉄筋5,000トン、8トントラック100台、ショベルカー50台、ブルドーザー60台、資材装備、毛布8万枚、救急箱1万個、医薬品という。 
水害での死者・不明者さえ、政治的に使い分ける北朝鮮で、被害の実態は十分明らかにされていない。しかし、支援に関して、北朝鮮自身が韓国に対して死者は約150人と説明している。
 彼らは、常に夜郎自大的で、被害を過少申告し、灌漑施設など洪水対策のインフラの驚くべき未整備さを隠蔽したいためにその数字を出しているのかもしれない。だが、韓国政府は、被害状況を的確に把握しているのであろうか。もしその程度の被害の水害支援として、セメント、鉄鋼、工作機械など、これだけ大規模な支援物資を送るのは、国連での制裁決議に反して、核実験施設を作ることを全面支援しているとしか考えられないことである。
 盧武鉉政権の任期は、後1年半でしかない。この間、最大限の支援を継続し核開発を全面支援し、北朝鮮が喉から欲していた戦時指揮統制権を収還させ、在韓米軍の行動を阻害し、米韓同盟を破壊し、全体主義国家、北朝鮮に対抗するという韓国の国家基盤にかかわる思想を全国レベルで武装解除し、北朝鮮の独裁政権の補強に全力をつくすのだろう。
 盧武鉉の政治的立場は、左翼民族主義とわれれているが、彼は、左翼でもなんでもない。彼は、北朝鮮で金王朝に収奪される労働者を放置し、まさに「収容所半島」というべきこの全体主義の国家において、行われている大規模人権侵害の共犯者であり、核拡散防止という国際的責務に逆らう、「ならず者国家」支援の実践者である。韓国民の血税が、ならず者国家の存続を維持し、それにより韓国自身の国際的評価を低めている。
 驚くべきは、わずか支持率が18%しかない国家の最高指導者と統一相ら一部の取り巻きがそれを実践していることだ。開いた口が塞がらないとは、このことである。
 いずれこの指導者は国家を売った人間として歴史に名を残すことになるだろう。

| 児玉昌己 | - | 21:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
コメント「観劇の夕べ(甘棠館かんとうかん)」への礼状

Showman Ship掲示板に、6月12日付で、「筑前亀門烈伝〜最終章〜金印怪異伝」の講演の観劇印象記、「観劇の夕べ(甘棠館かんとうかん)」を書きましたが、最近、以下返事がと届いていることを知りました。
 いい劇団です。応援してあげてください。
コメントは、ブログの6月のarchivesに収録してあります。



>児玉様
ブログ拝見させていただきました。
劇団員一同も、とても喜んでおります。
これだけ、たくさんの感想をいただけるのはとても嬉しい事ですし
今後の公演活動の参考にさせていただきたいと思っております。
また、ぜひ足をお運び下さい。
本当にありがとうございました。
http://6207.teacup.com/showman/bbs?OF=20&BD=10&CH=5
| 児玉昌己 | - | 14:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
往く夏と秋の気配
 昨日は台風の強風雨で、目覚めたほどだ。幸いにして、長崎は雨だけで済んだ。この時間ようやく台風は去っていくようだ。
 季節は確実に夏から秋へと移っていく。日本には季節の移ろいを感じさせるものが周囲に多数ある。外国生活が人以上に長かっただけに、それを余計に感じる。
 夏は風鈴、線香花火、浴衣、甲子園、そして原爆祈念日。お盆に、帰省に、台風。
 食べ物はそうめん、西瓜、ところてん。
 そういえば、幾分日暮れも早くなってきた。それに、精一杯鳴き、そして生命の重さを失くし、仰向けに晒したセミもあちこちで多数みる。梨に桃に栗、そして葡萄の季節ももうすぐだ。
 憲法感覚に欠如し、対アジア外交をがたがたにした首相への怒りは当分収まりそうにない。カリカリしている。
 せいぜい、去りゆく今年の夏を惜しみ、近づく秋の気配の中で、季節を食し、精神のバランスをとりたいものだ。
| 児玉昌己 | - | 00:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
庶民感覚の欠如した政治家と消費税論議
 週末に大学に戻ることになるが、ガソリンは上がるし、中東情勢もあり、今後下がる気配もない。それで、高速ではETCカードを2枚使って、生活防衛。車も燃費のいいのに買い換えたい。
 庶民の感覚はそうしたものだが、消費税10%とか言う言葉がさも当たり前に語りはじめられている。冗談ではない。増税しか頭にない政治家が多すぎる。
 生まれつきの政治家一家で、若いころより、周りから教師でもないのに、先生、先生と呼ばれ、庶民の金銭感覚を失ってしまっている政治家が多い。自分が築いた地位によってではなく、親に対して向けられた敬意を勘違いし、何か自分がスペシャルだと思う世襲議員が多い。政治家は、まずは普通の人間として、社会生活をおくり、庶民の暮らしを知り、そして政治の世界に入るべきだ。でないと、庶民との接触をうしない、庶民の感覚を失い、貴族化する。
 増税では、ただでさえも苦しい庶民の生活は、さらに苦しくなる。世襲議員は庶民感覚を忘れてはならない。「経世済民」という政治家の基本を忘れている候補者は、選挙で落とし、民意の怒りを伝えるしかない。
 庶民は、プレスリーのメンフィスで浮かれはしゃぐような、どこぞの政治家みたいな余裕はないのである。
| 児玉昌己 | - | 12:49 | comments(0) | trackbacks(0) |

このページの先頭へ