ロシア語は、大学院のとき、キリル文字くらいはと考えて、商学部におられた東京外語大学出身のロシア語に先生の授業に許可を得て、1年間もぐりこんだことがある。だが、今は昔で、さっぱり。私の学生の頃は、ロシアはソ連といっていた。そしてソ連がその後崩壊するなど夢にも思わなかった。それほどの超大国であった。
その頃は、冷戦を反映し、左右の政治の座標軸があり、政治状況を反映していて、大学にあっては、左翼にあらずんば知識人に非ずという、今となってはなんとも軽薄な状況が支配的であった。
反ソ学者は右翼とののしられ、軽蔑された。昭和が生んだ尊敬する国際政治学者で、独ソ連の独裁に関する優れた研究書を著した猪木正道京大教授は、邪道と非難された。
親ソ、親米の教員らは、それぞれ大学の廊下で挨拶もしなかった。ソビエト抑留の経験を持つ帰還兵からすれば、耐え難い状況であり、わが国における知的な亀裂がいかに大きかったかを物語る。
いずれにせよ、教壇に立つ親ソ学者が、声高に支持するソ連という状況では、若者の中に、ロシア語に惹かれるものも、そこそこいた。私もその末席にいたということだろう。
結局、50年代、スプートニクで米国をリードしていたソ連は、官僚主義的計画経済が機能せず、崩壊し、91年には、人間の生命の長さほども続かず、70年余りで消滅した。
ソ連については、50−60年代のハンガリーやチェコでの民主化運動弾圧で、ソ連の抑圧的政治体制の実相は、徐々に明らかになりつつあった。だが、ベトナム戦争でのアメリカへの非難もあって、相対的にソ連の罪悪は見逃されていた。社会主義国際関係論など平然とソ連への主権集中を正当化し、社会主義国際関係をばら色に描いた学者もさえいた。
北朝鮮についての認識も、ほぼ同じことが言えるだろう。朴正熙の軍事独裁を非難し、なんとなく金日正の北朝鮮の体制がまだましだというように。日本人の知識人の北朝鮮認識については、関川夏央「退屈な迷宮」という名著がある。関心がある方には一読をお勧めする。
そして、ソ連が崩壊してみれば、結局のところ、ソ連は、日本のインテリが、自己の願望を投影させ、勝手に希望的に描いていただけの全体主義国家であったことが明らかになっただけであった。つまり、ソ連に傾倒し、これを信望したインテリ学者たちの対ソ認識の軽薄さだけが、天下に曝されるだけに終わった。
「ヤブ医者は1人を殺し、悪しき教師は100人を殺す」といわれるゆえんだ。私も殺されかけた若者の一人だったとも言えるかもしれない。