ローマ条約50周年記念でベルリン宣言が出された。EUの前身である欧州経済共同体(EEC)の設立を決めたローマ条約調印(1957年3月25日)から50年が経ったことを祝したものだ。
ベルリン宣言は、現在半年後との輪番制になっている理事会議長国がドイツの番に当たっている。このためにベルリンとなったわけだ。もとよりEUを背負っているというドイツの自負もある。
1933年のヒトラーの第3帝国の成立以降、人種優越主義のナチズムが跋扈跳梁し、欧州を未曾有の戦禍のなかにおいたが、戦後60年を経て、かつての第3帝国の首都ベルリンが、欧州統合と欧州の平和の象徴となり、その地で、ドイツのメルケル首相が欧州統合の偉業を高らかに宣言することは、まさに歴史の皮肉で、面白さでもある。
実際、このメルケル女史、1954年生まれでドイツでは初の女性首相、しかも東西冷戦消滅後初の東独出身の政治家である。
ローマ条約50周年の記念宣言で興味深いことは、なにより欧州憲法条約の批准が滞っているという中で行われたことだ。これも皮肉なことだ。
現在EUでは、欧州憲法条約の批准促進が最も重要な懸案となっているのだが、同条約の批准促進については、ベルリン宣言では、国民投票でこの条約の承認を拒否した仏蘭が抵抗して、欧州憲法条約への言及が見送られた。そして、わずかに欧州憲法条約については、「EUに新たな共通の基盤を付与する」とだけうたっている。
しかも、全加盟国の首脳が会したのだが、ベルリン宣言に署名したのは27カ国の首脳ではなく、EUの機関である欧州議会、欧州委員会、閣僚理事会の2議長、1委員長であった。
このベルリン宣言は、それだけをみていると、EUがおかれている状況の厳しさを如実に示している。欧州統合が果たしてきた空前の成果もかき消されがちだ。人間とは薄情なもので、平和も民主主義も豊かさもいったん、達成されてしまえば、ありがたみも感じなくなり、振り向きもしない。
この宣言で、欧州憲法条約に直接言及できなかったことは、EUが置かれている政治環境の厳しさを物語っている。もっとも、逆に言えば、加盟国が簡単に譲れないほどまでに欧州統合のレベルが上がったということでもある。
ただ、私にとって慰めであったのは、2009年に行われる第7回の欧州議会直接選挙時までには、「共通の基盤」と宣言で婉曲的に表現した欧州憲法条約にけりをつけたいと、欧州議会選挙を欧州統合の成果と連動させていることである。
欧州議会などは、長く「欧州政界の墓場」とか、「欧州のおしゃべりの場」と揶揄されてきた。だが1979年の第1回直接選挙より、30年のときを経て、欧州統合の進展を計測する基軸として、このベルリン宣言で言及されていることが、欧州議会研究者としては、わずかにうれしいことである。
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