児玉昌己研究室

内外の政治と日常について想うことのあれこれを綴ります。
年度の最終日
 3月も今日で終わる。昨日は、本が増えて、狭くなった研究室で、新たに天井まである大型の業務用の本棚を2連導入するという大がかりな部屋の模様替えをしてヘトヘト。それでも法科大学院のN君が手助けしてくれて何より。
 パソコンも入れ替える。IPアドレスなど必要となり、情報処理関係の部署に顔を出すと、事務方のスタッフの人事異動で、課内での簡単な挨拶式があっていた。くる人あり去る人あり。まさに年度末の風景だ。
 私についていえば、昨夜までかかって、部屋の大幅な模様替えを済ませて、新年度を迎える準備ができた。
 とはいえ、この新しいワードの使い辛さは一体なんだろう。初心者に戻ったような気分で、イライラしている。操作の互換性を大切にしてほしいものだ。しばらくなれるまであれこれ大変だ。ただ単語登録や、お気に入りなどはセットしてもらい、最低限仕事はできるようにはなった。
 ともあれ、今日で2006年度(平成18年度)が終わる。感慨に浸る暇もなく。


 
| 児玉昌己 | - | 08:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
浮遊する韓国の国防 4 韓国はいかなる21世紀の構想で国家経営をなすのか
 現在の韓国は、経済成長は頭打ちの状況である。北朝鮮と統合しても、グローバル化した通商基準は厳格に遵守を求められるだろう。これに加えて、国防問題である。
13億の中国が北朝鮮と国境を接して存在し、同じくロシアも存在する。両国は好調な経済成長で、軍事力も強化している。海の向こうには世界第2位の経済力と、優れたハイテクで装備された海軍力を持つ日本もいる。
 韓国にとっての国際政治上での選択肢は、それほど存在しない。唯一の方策は、冷静に考えれば、経済体制を同じくする日本と米国との関係強化である。これこそが、中国やロシアにたいする国防力の強化に繋がることになる。
 北朝鮮は包容政策という北朝鮮支援がなければ、現在の国際的制裁という包囲網のなかで、数年で消滅する。他方、韓国が北朝鮮を支援し、これを延命させれば、させるほど、南北統一は遥か先になり、韓国のイメージは傷つき、孤立は続き、統一コストはかさむ。 
 その間、北朝鮮の核ミサイル開発と犯罪性にうんざりしている日本は、日米同盟を強化するだけでなく、自前の国防を強化させていくのは必至だ。米国も中国の台頭と脅威という観点から、日米同盟を強化する十分の理由を持っている。何より、日本の国防力の強化は韓国が支援し延命させている北朝鮮の核開発と連動したものであることを再度指摘しておく必要がある。
 盧武鉉政権は1960年代の日本の学生運動や労働運動を思い出させる。リアリズムを欠いた、理想主義的で、盲目的な反米ナショナリズムという点では両者は極めて似ている。しかし両者には大きな相違がある。すなわち、片方が終始在野勢力であったということであり、他方、韓国では、北朝鮮がしぶとく存在する中で、日本とは40年の時差をもって、この在野の勢力が政権政党となったということである。この相違は、天と地ほどにも大きい。
 韓国のこの遅れてやってきた、リアリズムを欠く反米ナショナリズムの跋扈とその悪影響が、現実の国際政治のなかで、まともな方向に修正されるのか。反日スローガンを唱えて済む時代はとうの昔に終わっている。
 経済体制にそくした陣営として自己を規定するするのか、あるいは北朝鮮と運命共同体として心中する道を選び、国家を傾かせるのか否か。そして朝鮮半島の歴史が長くそうであったように中国の脅威におびえ、中国に朝貢し右顧左眄する、いわば属国としての自己保身の道をたどるのか。
 盧武鉉後の韓国の政治家は厳しく問われることになる。
| 児玉昌己 | - | 08:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
浮遊する韓国の国防 3 北朝鮮との統合構想はいかなる意味を持つのか

 ここで、仮定の話をしよう。盧武鉉の意見を入れて、北朝鮮との統合が可能になったと、仮定しよう。それで韓国は浮揚するのか。北朝鮮の経済力を考えると、ありえない。それどころか、物乞いに慣れている北朝鮮は、韓国経済の足を引っ張るだけだろう。
 南北統一による7千万国家が成立しても、北朝鮮の現存する勢力を残したままの統合であれば、経済力の回復など夢物語である。疲弊した不安定な国家があるだけで、経済危機は深刻という表現を越えた状況となるだろう。統一しても、北朝鮮のインフラが60年前のままであり、水道、道路、送電など一からやり直さねばならない。 
恫喝で他所の国家から物乞いすることしか能がなく60
年を過ごした北朝鮮なのだから。
 実際、この北朝鮮の国家経営の異常さを示す例には事欠かない。核開発に膨大の金をつかった資金は膨大で、06年10月5日に北朝鮮が発射した「テポドン2」を含むミサイル7発の製造と発射費用は約600億ウォンといわれている。実勢レートで北朝鮮の国家予算を計算すれば、1億2950万ドル程度で、ミサイル発射関連の費用は、北朝鮮の年間の国家予算の半分に迫るものである。(JULY 11, 2006東亜日報)  
かくのごとき分不相応な浪費をする一方で、訪問したWFP関係者にたいして北朝鮮農業省次官が、「現在100万トン程度の食糧が不足している」と述べ、支援を仰いでいる。この不足分の100万トンは、北朝鮮で今年必要な食料の2割に相当する量である。(ソウル07年3月28日聯合)
 盧武鉉が、そして金大中が愛してやまない北朝鮮という国家とその指導者は、まさに気が狂っているとしか言いようがない。 こうした北朝鮮との経済・政治統合の意味するものが何かは容易に理解されるだろう。
ちなみに、統一コストについては、ドイツと比較をしたランド研究所の試算がある。それによると、ドイツの場合、1990年の統一以降14年間にわたって1兆8000億マルク(約1260兆ウォン)の統一費用が費やされた。これに比して、韓半島の統一費用は、最大6700億ドル(670兆ウオン)になるという。そして場合によれば、ドイツより高くなるだろうと分析しているほどである。東亜日報JUNE 07, 2005。
国家の統一は、欧州きっての経済大国ドイツでさえも、一時期マルクが50円まで下落するほどに苦境に陥った。韓国ではどうなるか、想像を絶する困難を伴う。
 韓国が北朝鮮の残存の支配体制を完全に解体でき、100%吸収する形をとれば、状況はすこし違ってくるが。ただし韓国人と指導者の一部には信じがたいことだが、北朝鮮の独裁者へのコンプレックスを持つものもいて、北朝鮮の韓国による完全吸収、ドイツ式の西独編入など想定するのが困難である。

 

 

| 児玉昌己 | - | 07:44 | comments(0) | - |
浮遊する韓国の国防 2 北朝鮮支援だけの視座 

浮遊する韓国の国防 2 北朝鮮支援だけの視座 

日本が憎くて仕方がないと韓国が思っているその日本はどうだろう。
 日本は、日米同盟に加え、豪州との関係も強化している。大陸では、米国のアジア戦略に乗る形で、中国牽制のためのインドとの関係を強化している。他方中国はロシアとの関係を強化している。
 この情勢の中で、唯一韓国だけが、浮き上がっている。盧武鉉は、「北朝鮮と仲良くやらねば。」「親北朝鮮何が悪い」と居直っている。そして単に北朝鮮だけを意識した国防力の削減をやり、米軍のコミットメントの縮減にまい進してきた。
 これにたいして、政治とは別に国家の生存という最も重要な国防を預かる軍部の不満と不安は大きい。金章洙(キム・ジャンス)国防部長官が3月27日午後に国防部を訪問したマイケル・ヘイデン米中央情報局(CIA)局長に中国と日本の間でサンドイッチになっている韓国国防の深刻さを訴えている。「日中、ますます軍事力増強…韓国は安保サンドイッチ2007.03.29 10:37:11
 中央日報
 自国の国防のあり方について、米国の高官に話しても仕方がないのだが、政治のトップにある盧武鉉があのようでは、米国の政権指導者にでも言わないとどうにもならないと思っているところに、この問題の深刻さがある。
 韓国の盧武鉉に代表されるナショナリストらは、たぶんに日本帝国主義により国家を簒奪されたという歴史的屈辱のなかで、日本を意識した中で国際政治観が構築されている。すべてがこの視座の上で構築されており、バランスの取れた国防観などないに等しい。ハンナラの時代には、北朝鮮との戦争を想定した韓米同盟が機軸として厳存していた。
 これにたいして、盧武鉉といえば、「北朝鮮の核は我々を狙っていない」、そんなことを思うのは精神病者だ」と公言するほどの親北朝鮮であるのだから。かくして北朝鮮支援総額は、金大中以降8年間で、実質レートでは、北朝鮮の国家予算の実に20年分(公定レートは1ドル150ウオン、実質は3000ウオン)と増大し、国防費は削減され、しかも米韓同盟の絆は廃るだけである。
 それまでは、長期政権の親米勢力である軍事政権であったハンナラの政権による米国との関係強化の中で、自己を律してきた。これを崩壊させたのが、まさに盧武鉉の反日ナショナリズムとそれに立った国防観だ。盧武鉉の視野は、米国もなく、中国も、ロシアもない。ただあるのは、日本憎しに立った北朝鮮との宥和、そしてひそかに望む北朝鮮との連邦国家、高麗連邦の形成だけである。

 

| 児玉昌己 | - | 14:37 | comments(0) | - |
浮遊する韓国の国防 1 軍事も経済もサンドイッチ 
 ここで、仮定の話をしよう。盧武鉉の意見を入れて、北朝鮮との統合が可能になったと、仮定しよう。それで韓国は浮揚するのか。北朝鮮の経済力を考えると、ありえない。それどころか、物乞いに慣れている北朝鮮は、韓国経済の足を引っ張るだけだろう。  南北統一による7千万国家が成立しても、北朝鮮の現存する勢力を残したままの統合であれば、経済力の回復など夢物語である。疲弊した不安定な国家があるだけで、経済危機は深刻という表現を越えた状況となるだろう。統一しても、北朝鮮のインフラが60年前のままであり、水道、道路、送電など一からやり直さねばならない。  恫喝で他所の国家から物乞いすることしか能がなく60年を過ごした北朝鮮なのだから。  実際、この北朝鮮の国家経営の異常さを示す例には事欠かない。核開発に膨大の金をつかった資金は膨大で、06年10月5日に北朝鮮が発射した「テポドン2」を含むミサイル7発の製造と発射費用は約600億ウォンといわれている。実勢レートで北朝鮮の国家予算を計算すれば、1億2950万ドル程度で、ミサイル発射関連の費用は、北朝鮮の年間の国家予算の半分に迫るものである。(JULY 11, 2006東亜日報)   かくのごとき分不相応な浪費をする一方で、訪問したWFP関係者にたいして北朝鮮農業省次官が、「現在100万トン程度の食糧が不足している」と述べ、支援を仰いでいる。この不足分の100万トンは、北朝鮮で今年必要な食料の2割に相当する量である。(ソウル07年3月28日聯合)  盧武鉉が、そして金大中が愛してやまない北朝鮮という国家とその指導者は、まさに気が狂っているとしか言いようがない。 こうした北朝鮮との経済・政治統合の意味するものが何かは容易に理解されるだろう。 ちなみに、統一コストについては、ドイツと比較をしたランド研究所の試算がある。それによると、ドイツの場合、1990年の統一以降14年間にわたって1兆8000億マルク(約1260兆ウォン)の統一費用が費やされた。これに比して、韓半島の統一費用は、最大6700億ドル(670兆ウオン)になるという。そして場合によれば、ドイツより高くなるだろうと分析しているほどである。東亜日報JUNE 07, 2005。 国家の統一は、欧州きっての経済大国ドイツでさえも、一時期マルクが50円まで下落するほどに苦境に陥った。韓国ではどうなるか、想像を絶する困難を伴う。  韓国が北朝鮮の残存の支配体制を完全に解体でき、100%吸収する形をとれば、状況はすこし違ってくるが。ただし韓国人と指導者の一部には信じがたいことだが、北朝鮮の独裁者へのコンプレックスを持つものもいて、北朝鮮の韓国による完全吸収、ドイツ式の西独編入など想定するのが困難である。
| 児玉昌己 | - | 14:26 | comments(0) | - |
ネットショッピングの効用−名著の購入
 皆さんはネットショッピングされていますか。
 私の初体験はアマゾンでの洋書購入でした。アデナウアーとジャンモネは欧州の政治家で、それぞれ母国語の独語と仏語でメモワールを書いていますが、この書の購入が最初でした。
 アデナウアーKonrad Adenauer (1876-1967)はドイツの首相です。ファシズム時代には逮捕投獄されるキャリアを持ち、戦後の国家の再生に尽力した政治家で、吉田茂(1878-1967)と同世代の人で、よく比較されます。彼の回顧録は佐瀬昌盛先生が若干30代で訳されています。このメモワール、当然、第1級のドイツ現代史ということであり、アデナウアー本人が高齢のため、果たして完結できるのか、ドイツ人同様にハラハラしながら待った、その思い出を後書で書かれています。
 他方、モネといえば、日本では画家のクロード・モネが有名ですが、もとより別人です。ジャンモネ(1888-1979)は、この画家に劣らず欧州統合の父として欧州では有名な人です。日本では、ジャン・モネの知名度は限られていて、そこに彼我のEU認識の差があります。つまり、我々の常識は、時として欧州の常識ではないということの典型的な事例です。
 ともに英語版が瞬間的に出て、原書と同じくほしいもので、長く探していましたが、アマゾンで見つけ、注文して、アメリカからわずか2週間に届いたときには感激したものです。
 今、手にしているのは、「世界の名著」(中央公論)の第33巻、「フランクリン、ジェファーソン、アディソン、トクビル」です。
 家では既に書いたように司馬先生の「花神」を読んでいます。これも司馬遼太郎全集のもの。ともに久留米大学に移籍するころ、インターネットで求めたものです。それぞれ、発刊当時は高価なものでした。
 「世界の名著」はまさに世界の名著を中央公論が設立何十周年かを記念して、当代一流の学者先生に依頼して、翻訳し、長文の解説(これが魅力なのですが)をつけて刊行したもので、全60巻を超えるものです。ちょうど大学に入った頃に出版が始まり、はこれがほしくて、なけなしの金をはたいて、欲しい巻を集めたものでした。将来が見えない、若い時代のほろ苦いさを思い出します。
 10年ほど前に、インターネット時代が到来し、古書店で検索すると、全集で買うと、バナナの叩き売りみたいな値段で買えることを知り、すぐに注文した次第でした。司馬全集も同様に。こちらは初版本でした。
 名著に囲まれるということは、ありがたいことで、彼らから日々新たなことを学び、一日のエネルギーの源でもあります。
 かくして、インターネットショッピングは私にとってはなくてはならないものになったわけです。

 
 
 
| 児玉昌己 | - | 11:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
ほのかにうら悲しいこの時期
 3月下旬のこの時期は軽い喪失感を味わい、そしてほの悲しさで、少し落ち込む。1年間のアレコレの業務からしばし解放され、緊張がほぐれること、そして周囲の人々が去っていくからだろうか。昨夜はそうしたお世話になった人々の送別会であった。
 勤務校ではお世話になった先生や事務方のみなさんが定年や移動で去っていく。娘も他県への進学で家を出る。
 4月に入り、新年度を迎えると、新たな一年が始まる。大学では桜も咲き、新入生を迎えて、ゼミも始まり、各種の書類が一度にデスクに送られ、講義のために少し緊張する。
 かくして3月のうら悲しさは吹き飛び、周囲はまたにぎやかになり、様々な行事で一度にあわただしくなる。それまでの2週間ほどは、メランコリックな気分に陥る。
 そんなときは司馬遼太郎先生の小説に限る。歴史の偉人たちに遭い、そしてエネルギーをもらう。そうでないとやっていけない。今は、「花神」の村田蔵六先生と会話している。幕末きっての洋学派の先達だ。
 日本ではやはり1年の始まりは1月ではなく4月だ。桜もぼちぼち花をつけてきた。4月も近い。この落ち込みも季節の移ろいの中で、緩やかに解消していくのだろうと思っている。


 
| 児玉昌己 | - | 11:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
ローマ条約50周年のベルリン宣言で想うこと
 ローマ条約50周年記念でベルリン宣言が出された。EUの前身である欧州経済共同体(EEC)の設立を決めたローマ条約調印(1957年3月25日)から50年が経ったことを祝したものだ。
 ベルリン宣言は、現在半年後との輪番制になっている理事会議長国がドイツの番に当たっている。このためにベルリンとなったわけだ。もとよりEUを背負っているというドイツの自負もある。
 1933年のヒトラーの第3帝国の成立以降、人種優越主義のナチズムが跋扈跳梁し、欧州を未曾有の戦禍のなかにおいたが、戦後60年を経て、かつての第3帝国の首都ベルリンが、欧州統合と欧州の平和の象徴となり、その地で、ドイツのメルケル首相が欧州統合の偉業を高らかに宣言することは、まさに歴史の皮肉で、面白さでもある。
 実際、このメルケル女史、1954年生まれでドイツでは初の女性首相、しかも東西冷戦消滅後初の東独出身の政治家である。
 ローマ条約50周年の記念宣言で興味深いことは、なにより欧州憲法条約の批准が滞っているという中で行われたことだ。これも皮肉なことだ。
 現在EUでは、欧州憲法条約の批准促進が最も重要な懸案となっているのだが、同条約の批准促進については、ベルリン宣言では、国民投票でこの条約の承認を拒否した仏蘭が抵抗して、欧州憲法条約への言及が見送られた。そして、わずかに欧州憲法条約については、「EUに新たな共通の基盤を付与する」とだけうたっている。
 しかも、全加盟国の首脳が会したのだが、ベルリン宣言に署名したのは27カ国の首脳ではなく、EUの機関である欧州議会、欧州委員会、閣僚理事会の2議長、1委員長であった。
 このベルリン宣言は、それだけをみていると、EUがおかれている状況の厳しさを如実に示している。欧州統合が果たしてきた空前の成果もかき消されがちだ。人間とは薄情なもので、平和も民主主義も豊かさもいったん、達成されてしまえば、ありがたみも感じなくなり、振り向きもしない。
 この宣言で、欧州憲法条約に直接言及できなかったことは、EUが置かれている政治環境の厳しさを物語っている。もっとも、逆に言えば、加盟国が簡単に譲れないほどまでに欧州統合のレベルが上がったということでもある。
 ただ、私にとって慰めであったのは、2009年に行われる第7回の欧州議会直接選挙時までには、「共通の基盤」と宣言で婉曲的に表現した欧州憲法条約にけりをつけたいと、欧州議会選挙を欧州統合の成果と連動させていることである。
 欧州議会などは、長く「欧州政界の墓場」とか、「欧州のおしゃべりの場」と揶揄されてきた。だが1979年の第1回直接選挙より、30年のときを経て、欧州統合の進展を計測する基軸として、このベルリン宣言で言及されていることが、欧州議会研究者としては、わずかにうれしいことである。

 なお本ブログアクセスは6日を残して月間最高記録の8008を達成しました.
| 児玉昌己 | - | 13:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
パリオペラ座での歌舞伎公演
 パリのオペラで市川団十郎の歌舞伎が演じられ、パリ市民の喝采を浴びたという。
 オペラ座(オペラ・ガルニエ、なおオペラ・バスティーユ(Opéra Bastille)が1989年に完成し、区別するため旧オペラともいう)での公演は、同館130余年の歴史のなかでも初めてのことという。
 テレビで、「大見得」を利かした粋な11代目をみて、嬉しくなった。
 海外での歌舞伎の公演といえば、30年ほども前だが、初めてのロンドン留学に出たとき、当時仲良くしていたメアリー嬢を誘って、サドラーズウエルズsadler's wells theatre 劇場で猿之助の公演を観に出かけたことがある。
 帰国後、数年して、今は別学校に改組転換され消滅した京都国際文化専門学校(KAIC/校長は国際法の権威で故田畑茂二郎京大名誉教授)の日本に3つもなかった航空貨物学科で非常勤で貿易英語を教えていたときに、実務経験者として同じく教鞭をとられていた進蔵先生(芙蓉航空サービス常務)とロンドン時代の話になったことがある。
 「あれは私どもが企画したのですよ」といわれたことで、親しみをいっそう感じたものだ。
 文化交流が進み、海外の伝統ある文化施設で日本の歌舞伎が高く評価されることほど、戦後日本の行き(生き)方に確信をもつ。そんなパリでのオペラ公演のニュースであった。

| 児玉昌己 | - | 12:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
京都の鰊(にしん)蕎麦の思い出

  随分昔のことだが、京都に大黒屋という蕎麦屋があった。いまもあるようだが、同じ経営者かは、定かでない。 蕎麦といっても、麺も十割りとかつなぎの用い方は、その土地土地で違うし、また鴨南蛮、天ぷらそば、月見など、様々なのせ物で、バリエーション豊かで、奥が深い。私は母がうどん派だったこともあり、子供時代に母の好物に付き合わされて、長じては、むしろ蕎麦好きになった。だが本来、蕎麦は寒冷地にはぐくまれた食べ物で、気候が暖かな西日本では、なかなかコレというそばにあったことがない。
 そして、京都では、蕎麦といえば、鰊(にしん)蕎麦。
 鯖街道に鯖江とあるように、京都は日本海から取れる産物をしょうゆと砂糖で甘辛く加工して保存して持ち込んで、鯖同様に、鰊をつかった蕎麦が発達したと聞いたことがある。
 大黒屋の鰊蕎麦は、旨いだけではない。その盛り付けが芸術的だった。京の食文化の奥ゆかしさを肌で感じた瞬間だった。
 そばを波にみたてて、波立たせ、その上にニシンを乗せ、あたかも波に踊るような形状で提供してくれて感激したものだった。だが、あるとき出向いたら、その職人さんが亡くなったのか、引退したのか、その奥ゆかしい盛り付けは姿を消し、がっかりした思い出がある。
 随分ご無沙汰しているが、あの盛り付けが復活していることを望むばかりだ。


| 児玉昌己 | - | 20:20 | comments(0) | trackbacks(0) |

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