児玉昌己研究室

内外の政治と日常について想うことのあれこれを綴ります。
 黄金週間2日目
 連休の2日目、皆さんはどうお過ごしでしょうか。
 家人は友人が来るというので、大掃除。 家も片付き、福の神だ。私は、晴天に恵まれ、昨日は終日ガーデニング。自慢の芝生は消滅してしまったが、雑草とり、庭の柊(ひいらぎ)の剪定をしていた。
 九州北部は亜熱帯地方になったようで、雑草の成長も著しい。わずか1月も置くと、大変。柊は、承知のごとく、攻撃的な葉をしていて、剪定をするのはいいとしても、その葉の処理が大変。4袋では収まらず、枯れるのを待って、焼却しようかと思っているところ。
 いずれにせよ、お金もかからず、気分転換が出来、日ごろ疎遠な運動にもなり、マンションでは味わえない時間を楽しいでいる。
 東京にいる次男がこちらは台風並みの荒れた天気で、外出の気も起きず、暇にしていると、電話してきた。何はともあれ、平凡で静やかな時間が流れる我が家の黄金週間ではある。
 
| 児玉昌己 | - | 17:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
黄金週間と苦い思い出
 すばらしく晴れ上がった長崎だ。黄金週間に入り、自宅書斎でしばし解放された時間を味わっている。
 黄金週間といえば、大学院生のときはただ単に周囲がざわめいて楽しむ時間というものだった。実に余裕が無かった。73年度の吉野作造賞受賞者で、ドイツ現代政治思想を語らせれば、その学識においてかなう人も少なかった脇圭平先生が、大学院のゼミで、「諸君はどうするのかね、この黄金週間は」と問われたことを鮮明に苦い思い出として覚えている。
 華やかな世とは隔絶した禁欲的で、貧乏にまみれていた研究生としての生活。
 考えたくもないし、考えようともしなかったことをズバリと聞かれたのだ。今になって思えば、そうした院生の気持ちを察しておられて、あえて言われたのかもしれない。 長く続く研究生活だし、黄金週間くらいは楽しむ余裕を持ちなさいと。 
 いな、それは考えすぎで、そうでなくたんなる季節の挨拶という中で、軽く問われただけなのかもしれない。だが、その問いが苦く私の心に留まったのだけは確かだった。
 あれから数十年が過ぎ、研究者として職を得て、熟年の世代となり、この日を迎えている。黄金週間といっても、イギリスに出ることも当面、断念したし、特段のことをすることもないが、茫漠たる不安の中で、重ねていく年齢とともに、研究者の道を捜し求めた、過ぎ行きし日々のことなど思い返している。



| 児玉昌己 | - | 12:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
無責任なブレア英首相 欧州憲法条約批准に関連して
 欧州憲法条約の批准は、すでに2006年12月5日までに、リトアニア、ハンガリー、スロベニア、イタリア、ギリシャ、スロバキア、スペイン、オーストリア、ドイツ、ラトビア、キプロス、マルタ、ルクセンブルク、ベルギー、エストニア、フィンランド の16ヶ国が批准を決定 している.
 にもかかわらず、ブレアやポーランドの大統領は人事のごとく、3年をかけて準備したこの条約の組み換えをいう。驚くべき無責任さだ。
 組み換えは具体的にEUの国家的存在を意味する「憲法」という文字を下ろし、旧来どおりの条約を別に準備し、しかも代替条約の中身は、欧州委員会のメンバー、加重特定多数決の表決方法、EU外相などは残すとしながらも、問題となってきたEU諸条約の簡素化については、全く触れないままだ。
 なによりブレアの政権で、そして残りの8カ国においても、政府は欧州憲法条約に調印している事実を忘れるべきではない。欧州憲法条約に調印している国家の人口は、これを拒否した2カ国、および態度を留保している諸国のそれを上回っている。
 仏蘭の国民投票の否決から、欧州憲法条約の批准義務が迫っており、いつまでも欧州憲法条約をたなざらしにできない。現状のままでは国民投票で否決されるという危機感がこの背景にあるのだが、国内政治に迎合し、EUでの自らの政権が合意し、しかも本人と外相名を持って署名した欧州憲法条約を換骨奪胎するなど、許しがたい背信行為である。
 イギリス欧州憲法条約についていえば、3年前国民投票にこの条約をかけるといったのはブレア首相本人であり、インディペンデントの社説氏も言うように、これが誤りで自らの手足を縛るものだった。マーストリヒト条約のときもイギリスでは国民投票はなされなかった。
  英有力紙インディペンデントは27日付でブリュッセル支局長カースル記者S. Castle が「代替条約が欧州憲法条約を救う可能性を開く」Alternative treaty gives hope to a European constitution By in Brussels の記事で、27のうちのキーとなる国家のすべてで、国民投票で勝利を収める可能性がほとんど皆無であると書いている。
 素直に解釈すると、独、伊、西はキーとなる諸国ではないというのだろうか。EUではネガティブな貢献が目立つイギリスが、EUを動かしているというような鼻につくブレアであり、それと同一路線に立つイギリス有力紙の記事ではある。EUはイギリスだけのためにあるのではない。
| 児玉昌己 | - | 12:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
欧州でとりわけ注目される仏大統領選挙
フランスの大統領選挙の第1回投票が終わった。現地でも久しぶりの新人候補の激突で、大いに盛り上がった、「選挙への仏国民の関心は高く、好天も手伝って投票率は83.77%で、58年発足の第5共和制下での過去最高に迫った。」と毎日の福井特派員が書き送ってきている。 結果は予想通りといえるだろう。
 仏内務省が23日明らかにした最終開票結果では以下だ。
 右派与党・国民運動連合のサルコジ前内相(52)が31.18%で首位、次いで左派野党・社会党のロワイヤル元家庭担当相(53)25.87%、中道・フランス民主連合のバイル議長(55)18.57%、極右・国民戦線のルペン党首(78)10.44%の順。
 ルペンの得票が大幅に下がったことが注目される。2002年の前回は、ルペンの集票率は17%で、社会党候補者のジョスパンの16%を凌ぐ支持を得た。1969年以来33年ぶりに大統領選の決選投票に社会党候補者が進出するを、極右候補の彼が阻むという出来事は、フランス民主主義の危機として捉えられた。
 今回は移民問題や治安問題に強硬な姿勢をとるサルコジが極右のルペンの票を取り込んだからであると分析できよう。
 決選投票では、サルコジがルペンの票の受け皿となることは間違いなく、女性候補のロワイヤルが18.5%を集めた中道のバイルの票をどれほど集めうるか、それが勝敗を分けることになるだろう。
 私見では、サルコジの優位は動かないが、選挙はやってみないとわからない。女性候補のロワイヤルが初の女性フランス大統領に就任するか、その点も見ものである。
 だが、EU研究者としては、もう1つの視点を持ってみている。この選挙は、混沌として先が読めない欧州憲法条約の行方とも直結するのである。
 実際、ルモンド4月21日付記事「欧州でとりわけ注目される選挙」(Une élection particulièrement suivie en Europe)が、この選挙結果については「ドイツの関心もかつてないほどに強い」と書いているのは、まさにそのためである。

 
| 児玉昌己 | - | 09:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
ソ連消滅の立役者エリツィン逝く

  学生時代ソビエト・ロシアは、まさに2大超大国の一方として、聳え立つように存在していた。学者にもファンが多かった。大歴史家、EH・カーもそうだった。イギリスの政治学者ハロルド・ラスキも一時大いに傾斜した。
 日本のインテリは、ましていわんやであった。戦前、戦中の社会主義弾圧の反動もあって、若い世代の人々には、夢物語に思われるかもしれないが、50年代のハンガリー動乱などがあるまでは、インテリと親ソビエトは、ほぼ代名詞であるといってもよいそんな時代だった。
 宇宙飛行士ガガーリンは、宇宙開発競争で今も、世界初の宇宙飛行士としての栄誉を背負っている。スプートニクショックがのちに、ケネディの手になるアポロ計画の契機ともなったことは有名な話だ。
 抑圧的ソ連は、事実を直視しない学者には反ソ陣営の宣伝としてとらえられ、ソ連を中心とする社会主義国際関係こそが、国際関係の理想と学生に熱心に語る教授もいた。
 その後、70年代に入り、アフガン侵略で決定的に国力を失っていくのだが、それでもソ連は、腐っても鯛という表現が当てはまる状態が続いていた。
 実際、ソ連が崩壊するなど、だれも予測できなかった。期待を込めてそれを語る人はいたにしても。
 そのソ連において、エリツィンといえば、思い出すシーンがいくつかある。その1つは、ソ連解体に直結していく91年8月のクーデター時、ヤナーエフらによる反革命クーデターの阻止を戦車の上で断固叫び、ソ連解体の阻止をめざす反革命の動きに対抗して、就任したばかりの初代ロシア大統領として民主化を鼓舞したあの姿だ。あの彼の姿が忘れられない。
 彼の人生は、あの一点において、世界史にソ連の墓掘り人として、その名を残したということができるだろう。
 20世紀も確実に遠ざかる。それを強く印象付ける彼の死である。

| 児玉昌己 | - | 22:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
長崎市長の女婿候補者敗れる
 新しい週が始まった。EU研究会での研究報告などして、しかも雨に打たれてすっかり体調を崩してしまった。ゴールデンウィークが待ち遠しい。ただ今年は日が、最悪と言ってよいほど悪く、中日にしっかり平日が入っている。それでも4月の新年度のあわただしさから少し解放されることだろう。
 長崎市長選では、市長の女婿候補者が僅差で、同じく急きょ立候補した実務家に敗れ去った。死去した市長に投じられていたはずの不在者投票や期日前投票が無効票となったことが響いたようだ。こうしたケースでは、死亡者のあとを継ぐ候補者が弔い選挙となり、同情票を集めて、圧倒的に有利である場合が多い。今回も女婿候補が、同情票を集めて、大いに有利かと思いきや、さに非ず。選挙はやってみないとわからない。
 それにしても、長与でも久留米でも福岡でも選挙カーの連呼の騒音から解放され、静けさが街に戻ったのは幸いだ。 
 立候補と選挙活動は、まさに候補者にとっては就職活動だ。 だが、当選して職を得た人、失った人、当落が判明して、候補者とその家族を巻き込んで、彼らの人生の明暗がまさにちりばめられた一夜だったのだ。関係者の皆様お疲れ様でした。
| 児玉昌己 | - | 12:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
共和国とは全く無縁の北朝鮮の世襲支配
 北朝鮮の独裁者が大好きな言葉がある。「共和国」というのがそれだ。しかし、どこがこの国が共和国なのだろう。この国ほど、政治学の常識を非常識に実践している国もない。
 政治学的にいえば、共和国とは、君主国家の反意語である。およそ世襲制とは無縁のものだ。金日成以降3代続けて世襲独裁者とはお笑いである。フランス革命で斃れたブルボン王朝みたいなもので、18世紀以前の専制国家と何ら変わりない。フランスであれ、米国であれ、歴史はこうした専制国家を革命でつぶして、市民の国家を打つ建ててきた。それが共和制国家である。
 嘘で固められたならず者国家に終始、たかられている韓国も、いい加減、支援疲れを感じないものかと思ったりする。
 親北の容独裁政権をあきらめているのかと、あるいは不満が革命のエネルギーに転嫁することはないのか、386の反米、親北世代は、世界の常識に反して二千万の同胞を専制の隷属下に置く北朝鮮の独裁者にたいして、依然として幻想を抱いたままなののか。
 先ごろ韓国社会の現状を見て語った北朝鮮の例の美女応援団の団員が数十人単位で収容所に送られたことも報じられている。よくこんな国家に支援できるものである。
 この国の国民の不幸をただ嘆息するだけである。
 以下関連記事
 
北朝鮮3代世襲の可能性が濃厚、情報当局者
2007/04/20 20:30
【ソウル20日聯合】情報当局は北朝鮮体制に関し、金正日(キム・ジョンイル)総書記の後継者には息子の正男(ジョンナム)、正哲(ジョンチョル)、正雲(ジョンウン)氏の中から1人が指名され、3代世襲を維持する可能性が高いと判断したもようだ。情報当局者が20日、現在のところ後継者内定の兆候はみられないと前置きした上でこのように明らかにした。ただ、突発的な事態が発生すれば集団指導体制が取られる可能性もあるという。
 金総書記は父親の故金日成(キム・イルソン)主席が62歳だった1972年に後継者に指名された。当局者は、金総書記が今年65歳であることを考えると、後継者指名はやや遅れていると述べた。  北朝鮮内部の世代交代の動きについては、朝鮮労働党秘書や国防委員など北朝鮮最高位人事の世代交代は起きていないが、党副部長や閣僚級などは40代や50代で交代していると述べた。工場や企業の支配人には30代が抜てきされる傾向もみられるという。  北朝鮮の世代交代が韓国に与える影響としては、大枠での変化はないものの、後継者世代は海外や南北行事に参加した経験から改革意欲が高いとみられ、南北間の交流・協力が活発化するとの見通しを示した。
| 児玉昌己 | - | 22:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
九州EU研究会とEUの北朝鮮政策の研究報告
 西南学院でのEU研究会20周年記念大会に出てきた。駐日欧州委員会代表部からの外交官の記念講演が行われた。これに先立つ定例研究会で、EUの北朝鮮政策の報告をするのが私の当日の仕事で、昨日は、終日バタバタしていた。
 EUの北朝鮮政策は、EUが外交部門に乗り出す法的根拠を得たのが1992年のEU条約(通称マーストリヒト条約)であり、第1次北朝鮮核危機の勃発とほぼ軌をいつにしており、その収拾のために合意されたKEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)に遅れて加わるのがやっとだったというのが、私の意見である。
 加えて、EUの外交の守備範囲はイランまでで、北朝鮮関係は米国に任せるというような暗黙の前提があるようにも感じられる。
 しかも韓国の金大中の南北和平会議と太陽政策に幻惑されて、EU加盟国およびEU自身が2000年を契機にそれまでの25年間の沈黙を破り、雪崩を切って外交関係を樹立するのだが、いまだに、ピョンヤンにもブリュッセルにもEUと北朝鮮のそれぞれの大使館に相当する代表が部設置されるにはまだ至っていないこと、あるいはKEDOが6者協議によってつぶされ、EUの朝鮮半島での重要な橋頭保を失ってしまっていることを指摘した。このことに示されるよう、EUの対北朝鮮外交は中途半端なものであることを指摘した。
 また韓国の金大中、盧武鉉政権はEUを上手に活用しているが、日本はこのEUカードの重要性の認識に乏しく、民主主義勢力であるEUを外交戦略として十分に位置づけ、活用できていない旨話す。

 九州EU研究会は会員数100名余で、西南学院大学の肝いりで形成され、年間2回の研究会を実施している。EUに関心を持つ大学の研究者が主の会員であるが、関心のお持ちの方は連絡のほどを。
 

 
| 児玉昌己 | - | 10:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
西南学院でのEU北朝鮮関係報告
 今日は西南学院でのEU研究会20周年記念で、EU北朝鮮関係を報告します。
いま、バタバタしています。明日詳細を報告できると思います。
いい週末を皆さんもお送りください。
| 児玉昌己 | - | 09:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
まっぴら御免の銃社会2
 まっぴら御免の銃社会をブログに書いたら、TBもあり、また民間のテレビ局からは電話をいただいた。助言の必要もあって、米国の銃関係をインターネットで改めていろいろ関連サイトを見ていた。
 ざっと見て、思ったことは、なにより日本の常識とはまるで違うということだ。第一、ガン・カルチャ-(gun culture銃文化)、ガン・ポリテッックス(gun politics銃政治)などという表現が驚きだ。建国の理念とも関係するものだということもわが国や欧州の歴史のある国家との相似性の低さ、言い換えれば、米国社会の特異性をむしろ際立たせるものだ。
 それに米国の銃関係のウインキペディアなどサイトをざっと目を通していて気になったのが、統計データについては、規制反対と規制推進派のせめぎあいが厳しいのか、取扱注意ということで、その背後に、銃器製造業者からの圧力が強いことをうかがわせる。
98年という若干古いデータだが、銃器の見本市ガンフェアーが、テキサス州では年間472回も開催されているというのも、日本では信じがたい。
http://www.vpc.org/studies/gunone.htm
 平日でいえば、毎日にこの州のどこかの2箇所で、フェアーが開かれているということだ。テキサスはブッシュのお膝元でもある。 おそらく家族で行き、気に入ったものがあれば購入するということになるのだろう。
 最後に今回の犯行に使用されたSW製は現地の銃砲店では8万円ほどで購入できるということで、プレステ3を購入する感覚だと話しておいた。とんでもないことである。

 なお、バージニアの使用された銃をSWと書いたが、続報では、 Glock Model 19 and Walther P22のようだ。依然として情報は錯そうとしている。それほどの重大事件である。
| 児玉昌己 | - | 18:48 | comments(0) | trackbacks(0) |

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