以前計算したことがあるが、イギリスでは、小選挙区とは、1議席あたりの有権者数が7万程度で、市会議員ほどにも議員がいることを前提として成立している制度である。それでも膨大な死票が出て、イギリスは議会制に父ではあっても、議会制の民主主義の父ではないといわれるほどだ。
イギリスの学者に1議席あたりの有権者数が40万という日本の小選挙区制度における議席あたりの有権者数を話すと、驚いた顔をして、それは小選挙区制ではないと即座に応じていた。
こう書くと、それは比例に議席を配分しているからだ、だから比例を削減せよというこれまた一知半解な議論をする輩が出てきそうだ。
とんでもない議論である。そうではなく比例こそが有権者の声を政治に確実に、そして正確に表現できる唯一の方法である。それゆえ、むしろ、総定員を増やし、比例の枠を拡大せよというのが私の意見だ。
日本の議員数は、欧州からみて、むしろ圧倒的に少ない。米国の上下院だけを見ている学者だけが、日本は多いという。無知蒙昧とはこのことである。
話を衆院と参院の機能の相違に戻そう。
衆院における政治の暴走を抑制するのが、まさに現代の日本の統治機構にあっては、参院である。いや、参院しかないというべきであろう。
しかも衆院選とは違い、3年越しに総理の意思に関わらず、その意思とは無関係に必ずやって来る。衆院とはちがい、誰が総理であっても、どの党が政権与党であっても、解散権限も行使できず、タイミングも選べない。しかも半数を改選するという、ショックを和らげる絶妙な方法で。なんと素晴らしい制度を、考え出したことか。天才的だといえるだろう。
院の意思が分かれることが、民主主義の停滞みたいにいう皮相な連中がいる。だが、両院の意思が分かれることは十分ありうると、憲法を立案したものたちは、理解し、想定していた。両院協議会はその制度的証拠である。これが、2院制をつなぐ柱であり、参院の機能でもある。
参院無用論、参院廃止論や、これを唱える政治家は、衆院に力点を異常に置くものであり、自己に都合がいいように、数の横暴で、恒久的な衆院支配を密かに意図しているのではないかという疑念さえ私には抱かせる。
ともあれ、国民の意思が直接政治家に突きつけられるという意味では、参院選挙も衆院選挙も差はない。 かくして、参院の、そして参院選の意義はきわめて大きいものがあるといえる。
結論を言えば、参院選であれ、衆院選であれ、選挙で示される有権者の民意よりも上位に立つ価値など、代表民主政治下では存在しない。
代議制下の政治のこの素朴な原則と民主主義の定理を、与野党全ての政治家と立候補者は、肝に銘じるべきときである。