児玉昌己研究室

内外の政治と日常について想うことのあれこれを綴ります。
食べ物の危険−国辱的中国産餃子事件
 まさに中国にとっては、国辱的事件である。JTが輸入した中国産冷凍食品で、児童の重体など重大被害が報道され、全国で動揺が広がっている。
 自主回収となった食品についても、報道された。もしかしてと、我が家の冷蔵庫を見ると、なんとそのうちの1つがあった。いつも行くスーパーで購入し、弁当によく活用する食材なのだ。私の家にあるということは、周りにもごく普通に存在する、つまり万単位で販売されている商品である。
 ミートホ−プ、白い恋人、赤福、船場吉兆と連続して起こった我が国での食の偽造事件。それゆえ、単に中国のことではない。とはいえ、中国の深刻さは、日本の比ではないといえる。中国でも児童が毒饅頭で多数死亡した事件も報じられていた。ダンボール肉まん事件も記憶に新しい。あれはやらせといわれたが、実態は、むしろ再現ビデオと見たほうがいい。
 パナマでの中国産原料のせき止め薬で死者387人をだした事件も起きている。輸出おもちゃで高濃度の鉛が検出された事件もある。
 拝金主義の風潮がこれら殺人食品や製品を製造し、販売させる背景にあるのではないか。
 中国では日本の高価な輸入米が富裕層に歓迎されているという。もとより安全性に信頼が高いということが理由だ。だがそのこと自体が、異常なことであり、自国の産品の安全性に、まったく富裕層が信頼せず、疑惑の目を向けている証拠である。
 世界が最大限の注目をはらう北京オリンピックも目前だ。この事件を教訓にし、徹底した食品安全管理を当局は進めるべきだ。中国共産党は、自国の食品管理さえできない状態では、なんのための政治支配であろうか。 内外から、信を失うことは明らかだ。政権交代でようやく進み始めた日中友好をも大きく損なうものである。
 「中国GDP7年は11.4%成長…5年連続2ケタ伸び」と、毎日紙は1月24日付けで報じているが、その中身といえば、汚染と不良製品の全世界に向けた輸出の結果に過ぎないと海外から批判されるだけではないのか。
 これは「日帝の陰謀」でもなんでもない。それは、実に、自国の食品産業の無責任な経営と食品管理と、効果的な指導管理ができない中国の国家行政の貧弱さのなせる業である。



 



 
  
| 児玉昌己 | - | 12:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
佐藤優の「私のマルクス」と同志社 下

 皮肉にも、対ロ外交を発端とし、外務省と小泉官邸を巻き込んだ壮絶な宗男真紀子バトルに意味があるとすれば、ネガティブな形ではあれ、佐藤優を世に送り出したことだろう。もっとも、政府、外務省と国家は、優秀すぎる外交分析官を失うという代償を払ってのことではあったのだが。
 勤務校でも、先輩教授に、佐藤優の大ファンがおられ、上記タイトルの本を薦められた。同志社のこと、京大出身の僕が読むより君が読むべき本だと。
 中身についてはソ連東欧におけるキリスト教神学やマルクス主義など、私が論評するにはあまりに未知の部分が多い。
コメントするとすれば、わずかに、彼がクリスチャンであり、かつマルクスボーイでもあるという、一般には相反すると思われる興味深い取り合わせを、彼は自身の中で、異論なく共存させている事実であろう。あるいは、異様に長期にわたる未決勾留中も、検察に屈せず、キリスト者として自分の意志を通した、信仰を持つものの強靭さであろう。
また、注目すべきは、彼の学問的方法は、自己の研究対象を定めて取り組む場合、必ずオリジナルに拠るまさに原典主義で、エピゴーネンは相手にせずということである。私はこれを高く評価したい。
 さらにもう一点だけ、大学の側にいるものとして、指摘できるとすれば、彼が同志社という学校で、優れた教師や信頼できる仲間を得て、政治とかかわりを持ちながら、いかに濃厚に青春を生きたかということにある。 
 4年制大学が725校ほども存在するという今の日本。大学が大衆化し、均質化した中で、振り返ってみて、大学にただ籍を置いたということ以上に、サークルなどをぞき、学問的に何かを得たと感じる学生は少数派で、その少数派は、むしろ幸運な部類に入ることだろう。
 いや大学で、教壇に立つ大学教師の自身が、そう感じているのではないだろうか。佐藤優は、驚くべきというほどにも、その幸運な例外に属する。
 同志社での学生生活といえば、まさしく私もその体験者の1人である。学部、修士、博士、それに留学による休学と、通常の期間以上に長く在籍した。それがゆえに、その最後の数年は彼とダブッている。だが直接的には、彼が神学部の大学院に関を置いていたことで、個人的に全く接点はない。
 登場する神学部の心大らかで、優秀な教授陣については、誰一人知ることはない。私自身が、誰も将来を保障してはくれない大学院生として、生きることに必死だった。まして、ロンドン留学から戻り、高槻で所帯をかまえ、学生気分と決別して、その後のベルギーの欧州大学院大学留学をはさみ、わき目もふらずに、欧州政治の研究に入っていく時期で、同志社に属しながらも、精神的には、別の世界を構築し始めていた。
 本書を読みつつ、私より後に入ってきた1学生が、まさに学ぶべきふさわしい場と誠に尊敬に値する教師を得て、濃厚に生きたことを知ったことが、幸いであった。
実際、摩訶不思議というべくも、懐が広い同志社という、この「特別の」大学の有り難みを、改めて、我がこととして感じながら読んだ。そんな読書だった。

佐藤優の「私のマルクス」と同志社 上 は以下

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=1047

 追記(2018.9.26.)

 このブログを書いて数年後、佐藤優氏とは、同じ外務省OB(中東2課長)で本学教授をした同氏の先輩になる宮原信孝教授を介して面識を得て、勤務校において、そして久留米同志社クラブにおいても講演いただいた。拙著『欧州統合の政治史』(芦書房2015年)についても、佐藤優さんが執筆している「週間ダイヤモンド」2015.11.7.号)で好意的な書評をいただいたりしているhttp://dw.diamond.ne.jp/articles/-/15262

 佐藤優さんに書評頂いた書は、東日本大震災を挟んで2011年初頭から3か月にわたて担当したNHKラジオ講座「カルチャ―ラジオ歴史再発見−EU・ヨーロッパ統合の政治史」のテキストとして書き下ろし出版し、その後1章を加え芦書房から新たに出していただいたものである。

 

 

 

 

| 児玉昌己 | - | 10:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
佐藤優の「私のマルクス」と同志社 上

 宗男と真紀子の壮絶な外務省をめぐる政治バトルに巻き込まれた結果というべきか、被告人として上告中というのが、誰もが知る今の佐藤優である。
 500日を超える長期の勾留中、膨大な内外の書を読破し、現在外務省休職中とみずから書く佐藤優は、今、旬の人物である。実際、インテリジェンス(諜報)に関して、爆発的というべくも、多数の著書を刊行し、多数の賞も得て、注目を浴びている。
 彼の特異さはそのキャリアにある。神学部の博士生という経歴を背景にし、ソ連、東欧、中東をむすぶキリスト教神学に抜群の見識をもつ外交分析官である(あったとかくべきだろうが)のだから。
 戦前にあっては、諜報活動は、日露戦争時の明石大佐の活躍にみられる対ロシア諜報など、日常のことであった。優れた諜報活動家は10個師団に匹敵するとまで言われていた。
 だが、「大東亜戦争」と無残な敗北と膨大な物理的犠牲を生み、その反動として、戦後、無防備を是とし、善とする世界史にも稀な徹底した理想主義に立つ平和主義を採った。
 軍にかかわる事は、すべて悪と見なされ、最もおろそかにされていた。現在にあってさえ、陸自や海自の装備などを記憶し、そらんじることは、それこそ変わり者、あるいは軍事オタクとして見られるのが通常だろう。これは他国の常識ではない。
 たとえば、隣国の韓国では徴兵制があり、成人男性はすべからく銃の操作や軍の装備の型式の理解を常識としている。
 まして諜報である。そして、我が国では、記憶に新しいのが、イージス艦の機密情報漏洩事件や防衛庁最高幹部の驚くべくも低レベルのスキャンダルである。
 いやしむべきとして長く遠ざけられたこの外交諜報の分野に、彼が果敢に、外交分析担当官として自分の経験をもとに切り込んで、読者にその重要性を提供したのである。
 彼の書が注目されるのは、戦後60年を経て、苛烈な国際政治と、そのなかで、対北朝鮮認識や諜報活動について無知蒙昧ともいうべき一部の政治家と学者の実相が体感されてきたこの時期と軌を一にする。まさに、時代が彼を押し上げたというべきであろう。 
 理想主義的平和主義の副作用として、わが国の物理的、精神的な無防備さが痛感され、その想いが彼の書で痛撃され、多くの読者が目が覚める想いをされたからであろう。

 

佐藤優の「私のマルクス」と同志社 下は以下

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=1048


  
 

| 児玉昌己 | - | 09:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
角を矯めて牛を殺す福田首相と自民
 福田首相の昨今の演説を聴いていると、まったく現実感覚を失った官僚答弁に終始している。原油暴騰、小麦の30%値上げなどの報を受けて、あらゆるものがいっせいに値上げされてくる。自民党は道路財源に入れあげて、景気対策はゼロに等しい。
 この状況で西日本新聞には福岡トラック協会の1頁を全部使ったガソリン減税断固要求の大意見広告が目立った。そうだ、打撃を受ける業界は、黙っているべきでない。道路族と土木関係業界だけの国家予算ではない。我々の税金である。
 かくして、現状の無策が続けば、3ヵ月後は、この政権に対して、国民は怨嗟の声をあげていくだろう。軽薄な自由主義を掲げたポピュリスト政治家の後を襲い、美を掲げ、醜悪に去った世襲貴族的議員による政治指導に大いに失望し、経験ある老人政治家の登場に若干期待したが、やはりだめか。そんな想いを強くする老人政治指導者の鈍感ぶりだ。
 角を矯めて牛を殺すとはまさにこのことである。
| 児玉昌己 | - | 21:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
中東研修旅行と湾岸戦争のことなど
 文学部の宮原教授のことはすでにブログでも紹介しているが、外務省中東2課長を経験された生粋のアラビストである。今は、久留米大学文学部国際文化学科に所属されている。つまり他学部ながら、同僚ということである。 
 先生は、今度中東研修視察を企画されていて、これに同行させてもらおうと、考えている。これについては、具体化すれば、本ブログでも触れることができるだろう。
 中東といえば、個人的に思い出されるのは、湾岸戦争である。この戦争は、「1990年8月2日にイラクがクウェートに侵攻したのを機に、国際連合が多国籍軍(連合軍)の派遣を決定し、1991年1月17日にイラクを空爆した事にはじまる戦争」(ウイキペディア)である。この戦争については、若い時代に共著で、「湾岸戦争は訴える」という本を総合法令から出版しているからである。当時としては記録的に速い出版であった。
 この書は、いわゆる「際物」(きわもの)ともいうべきで、戦争のその真っ最中に執筆して発刊した書である。私も40頁ほどもらって、EUがどうこの戦争に関与したのか、しなかったのか、「ヨーロッパからみた湾岸戦争」として1章を担当した。
 出版社の担当者が印刷所で待機し、当時ようやく家庭にも入り始めたファックスで執筆原稿を送信し、ゲラもそれで受けて、校正するという離れ業をして、わずか1ヵ月半で書店に並べたものだ。ただし届いた本をみて、少しがっかりした。表紙は毒々しく、なんだかノストラダムスの大予言みたいで、安げな印象を受けたからだ。執筆者は通常は本の装丁(カバーデザイン)には容喙せず、出版社の裁量が不文律の様でもあった。
 ともあれ、初版5千部はおかげで完売。ただし再販はなかった。我が家で受けたファックスは印税を当てにして、購入したものだった。今はあらゆる情報がインターネットとEメイルに置き換わり、初代のファックスは古くなり、既に代替わりしたが、それもほとんど使うこともない。
 あれから17年。時代は政治指導者も代えてしまった。フセインはすでにこの地上には存在せず、ブッシュ・シニアではなく、ジュニアになり、彼も2任期8年を担当する最後の年になっている。
 現地をみることもなく、実に勉強した知識だけで、あの書を書いた。17年があれから過ぎた。今回、もし実現し、パレスチナの一部、そしてイスラエル、ヨルダンなどにある、3大宗教の聖地など、視察できれば、感慨も深いことだろう。

| 児玉昌己 | - | 21:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
寒い1月と亡き母のこと
 寒い一月もいつの間にか数日を残すのみで、終わろうとしている。
 雪の1月は、8年前に亡くなった母のことを思い出す。父が早いうちに病没したがゆえ、44で寡婦となり、爾来、小さな家を作って晩年の数年過ごすまでの30年余、旅籠の女将として、気丈夫を通し、子供達を育ててくれた。
 なくなる前年の夏、血尿が出るというので、近くの病院の診察に付き合うが、原因が分からない。佐世保共済会病院の血液学の専門医のK先生がすい臓のガンと特定、しかも末期だということだった。相談して、母には伝えなかった。
 だが、意識したのか、おしめをしてまでは生きたくないと、周囲にいっていた。宣言ともいうべき強い口調だった。そして、年が改まり、まだしばらくは大丈夫かと油断して、家族と北海道に出た。家を離れていたときに、病状が急に悪化し、そして翌日には、宣言どおりに、他界した。
 病気の親を持てば、大方が経験する介護という厳しい状況を一切、体験することはなかった。人は、死に方は通常は選べない。宣言をパーフェクトに実行して旅立ったそんな母だった。寒い雪の1月は、そんなことを想いおこし、寒さがいっそう身を刺す。
 以下。その母を想い、歌を詠んだ。

 たらちねの 母なりし君 今知らん 君がいてこそ 今日(きょう)我あるを
| 児玉昌己 | - | 12:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
研究者であることの喜び 下
 
 もっとも、私は欧州議会が議会たる地位を完全にするその発展過程においては、立法発議請求権は、欧州統合の民主主義的進展のなかで、いずれ消滅し、不要のものとあっていくものと理解している。つまり欧州議会が、直接の発議権を行使するようになるとみている。
 なぜなら、欧州委員会は誰からも選出されていず、唯一直接欧州市民から選出された代表を構成しているのは欧州議会なのであるからだ。
  EU立法が、加盟国の国内法に優越し、それがゆえに、国家主権を痛撃するに及んで、欧州委員会がなにゆえに立法権を行使できるのかという欧州委員会の正当性が問われているのである。
 現在のところ律法発議請求の権限が欧州議会にあるかないかは、EUの議会制民主主義の成熟度との関係と、EUの統治構造の骨格に関わる問題である。私はEUは近代国家を、学びつつそれを超えた新しい形の連邦的政治組織を形成する過程にあると見ているが、その中での代表民主主義のあり様に極めて大きな学問的関心を持っている。
 私はそれがゆえに、これを重要と見て、そこに注目したのであるが、私の問題意識の根幹部分にかかわるこの問題に挙手をし、質問してくれた学生が大阪にいたのである。
 この話を辰巳先生から聞いたときには、その学生に心から感謝するとともに、学者であることの喜びを感じたものである。
 村上龍原作、妻夫木聡主演の邦画「69sixtynine」の舞台ともなり、卒業式本番、機動隊が突入したその年に佐世保北高を卒業した。機動隊突入は全国のTVで報道され、卒業式当日のその模様は、受験上京中の食堂で、その瞬間を見ていた。
 18歳で同志社での学生生活をはじめて、爾来、イギリスやベルギーでの留学や在外研究で日本を離れていた数年を含めて、38年が経つ。 EU研究を志して30年。関西を離れて、20年ほど。
 そのころに生まれた、その一面識もない関大の学生さんが、私が面白いと思い、学術的に関心を持ち続けてきたその事項について、質問を向けてきた。そのことを辰巳先生から聞いたときは、実に、研究者であってよかったと思った瞬間だった。
| 児玉昌己 | - | 12:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
研究者であることの喜び 上
  長くEU研究チームで指導いただいている辰巳浅嗣先生(阪南大学副学長)が、先生の母校の関西大学での昨夏行われたEU政治の集中講義の時の話である。
 講義では、長く一緒にチームで執筆している「EU−欧州統合の現在」(創元社)を教科書として使われているが、事前に案じていた騒々しさとは相違して、200名をこえる受講者ながら、粛然とした教室で、挙手するものがいるという。それで指名すると、私(児玉)が書いた欧州議会の箇所についての質問だったということだ。
 それは欧州議会が1993年に発効したEU条約(マーストリヒト条約)で初めて獲得した「立法発議請求権」の現状についてであったという。
 おそらく日本人として、この件で初めてルクセンブルグの欧州議会事務局に出向き、その実態を調査し、実物を拝見、確認させてもらったのは、ずいぶん前のことである。
 その立法発議請求権に関する質問だったという。一種、プロ向きの質問である。
それで熟知していないから、書いた本人、つまり私に聞いて、回答しますと返答されたという。
 立法発議請求権については、拙著「欧州議会と欧州統合」(成文堂2004)でも書いて、中心テーマの1つとして論文で取り組んだものである。
 立法発議権とは、広義には、立法権の一部を構成し、議会が議会である所以というべき議会固有の権限である。だが、国家までには至っていないEUでは、それは欧州委員会に独占されている。 
欧州議会が国家の議会にさらに一歩近づくのが、この立法発議請求権で、欧州委員会がその任務を果たしていないと欧州議会が判断するときには、「立法発議権を行使せよと、欧州委員会に要求する権限」である。多用すれば、欧州委員会が独占的に持つEU立法提案権と抵触し、政治学的にはこれを「簒奪」しかねない一面ももつ。それゆえ、まだ13件あまりと、回数は多くない。欧州議会が自主規制しているためである。
 
| 児玉昌己 | - | 08:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
ブログを1日休んだことで
 昨日はブログをお休みした。特段のことはない。文章を書くことは苦ではないし、むしろ楽しいのだが、さすがに政府与党の庶民感覚の乏しさに、幻滅し、少し疲れたからである。
 ありがたいことに、休んでも389とアクセスがあった。2006年3月にはじめた本ブログだがこの数は、その1か月分ほどである。今は日間最高で950(今年1月8日に記録)のヒットを得ているが、実にありがたいことである。
 昨日の分をヒット解析でみすると、面白いのが、昨夜の深夜11時半から12時の間にかけて、100件ほどヒットがあることである。毎日書いていたので、逆に書かなかったことを気にされたのかもしれない。
 このブログ、過去3ヶ月にわたって、以下の項目で、あれこれ、解析ができる。日付別、時間帯別、リンク元、検索文字列。
 時間帯はブログ愛好者の生活もわかる。上記のごとく、深夜遅くも結構ヒットがある。比較的時間に余裕のある自由業者や学生さんが多いのかもしれない。時差がある外国からも多くはないがある。
 ちなみに、文字列は、なにを検索されてこのブログにたどり着いているかを示すものであるが、多い順に一部紹介すると、以下である。

児玉昌己 Google Yahoo!JAPAN infoseek 未来検索ライブドア 192
サブプライムレート Yahoo!JAPAN Google excite goo 95
品質標語 Yahoo!JAPAN Google MSN goo excite 67
韓国 地域主義 Yahoo!JAPAN Google goo 56
省略言葉 Google goo infoseek Yahoo!JAPAN 53
リスボン条約 Yahoo!JAPAN Google MSN 47

 品質標語とは、直接の心当たりはないのだが、企業関係者だろう。私と比較的に歳が近い企業戦士の皆さんではないかと思っている。
 もとより、これは毎日緩やかに変化していく。いずれにせよ、感謝である。

| 児玉昌己 | - | 10:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
期末試験など
 多くの私学ではこの時期、期末試験だろう。公立など遅いところは2月だが、勤務校は期末試験の真最中。試験をすれば採点だが、受講者がどれだけ理解できたか、それを問うものだから、でき不出来には、当然、関心がある。
 例年より出来が悪いと思えば、教え方が悪かったかとすこし落胆したり、あるいはこちらが重要だと感じていることをしっかり書いてくれていると、うれしくなったりである。
  試験期間中は、学生さんが主体だから、我々教員は少し気分が楽だ。とはいえ、2月の入試も迫ってきた。3月に少し暇ができれば、中東視察に出かけようかと思案している。これについては計画が決まれば、書けるだろう。



 
| 児玉昌己 | - | 10:08 | comments(0) | trackbacks(0) |

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