児玉昌己研究室

内外の政治と日常について想うことのあれこれを綴ります。
雨の東京でー四川救援の空自機派遣中止
 
 昨日から上京している。 
 所属学会の理事会だが、あいにくの雨。福岡から半そで羽田入りしたが、京急のなかでは女性がコートを着ている。不思議に思っていたが、地上の停車場から外気が入り込んで、東京の肌寒さを知った。
 気温は16度で4月の気温という。一挙に10度ほどは下がっているのだ。今日は会議後は、夜9時過ぎに福岡に帰着することになる。ホテルでネットが使えるのが、なによりのことだ。
 行きの飛行機の中では、四川救援のテント輸送のために当初予定されていた自衛隊機派遣が、中国側の都合でキャンセルされたことが、各紙で大きな見出しで出ていた。
 確かに自衛隊機がもし乗り入れることになれば、戦後初のことであり、日中友好の新段階として、画期的なこととなったことだろう。だが、まだかの国の国民間では、援助でも日本以外の国家からの受け入れとは異なる性格と受け取る人がいる。それは中国という国家のなり地に関わる問題でもある。
 この中華人民共和国という国家の成り立ちは、まず反帝国主義、反日を国是としてスタートしていることを、われわれは知っておく必要がある。後で触れるが、この国家の国歌の歌詞にそれが明瞭に残されている。国旗と国歌は国のシンボルであるのだから。
 相手が不快だと感じることをあえて強いる必要はないが、この機を政治的に利用しようという者たちがいるようだ。
命を奪われずに済んだものの、家を失い野ざらしで不便を強いられている現地の人からすれば、地震の被災などまったく遠いところの住人の感情など、本来迷惑千万だ。
 ネット環境を利用でき、暖かい布団で寝ることが出来る、無傷の中国市民の感情、つまり他人事の市民のこの時期の反日意識など、数百万の被災市民からみれば、死傷者を二度傷つける反同胞的行為であるといえるが。
 なお、義勇軍行進曲として知られる中国国歌だが、抗日戦争時の1935年に、それを扱った抗日映画の主題歌から採用されている。
 以下にいう「敵」とは、何よりまず日本軍国主義と、次に蒋介石の国民党をさすなのだから。反日意識が完全に過去のものになるには、フランス国歌などとともに、過激な歌詞を持つこの国歌の意味が相対化するさらに百年の時を必要とするのかもしれない。
 
起来! 不願做奴隸的人們!
把我們的血肉,築成我們新的長城!
中華民族到了最危険的時候,
毎個人被迫着発出最後的吼声。
起来! 起来! 起来!
我們万衆一心、
冒着敵人的炮火,前進!
冒着敵人的炮火,前進!
前進! 前進! 進!

日本語訳
起ちあがれ! 奴隷となることを望まぬ人びとよ!
我らの血肉を以って新たな長城を築こう!
中華民族に最大の危機がせまり
一人ひとりが最後の咆哮をあげる時だ。
起て! 起て! 起ちあがれ!
我々すべてが心を一つにして、
敵の砲火をついて進め!
敵の砲火をついて進め!
進め! 進め! 進め!
ウイぺディアhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E5%8B%87%E8%BB%8D%E9%80%B2%E8%A1%8C%E6%9B%B2より
| 児玉昌己 | - | 09:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
空港のことなど
 昼前にフライトするために、あわただしくしている。福岡空港は、コンパクトでいいのだが、それでも隣に住んでいるわけではない。やはり余裕を持って出かけたいが、待ち時間もなるべく少なくしたい。手荷物検査の時間も考えておく必要がある。その兼ね合いが難しい。
 幸い雨もないので、それが救いだ。
 それにしても成田。あれほど騒動し、住民に迷惑をかけ、不便で、およそ隣接するアジア各国の空港から利便性で取り残されている空港もない。今も沈下が止まらない関空もそうだ。
 大学の専門研究者が試算した沈下のデータは厳しいものもあったが、採用されたのは、沈下の見込みを最小限のものとする、つまり空港建設費用を不当に低く試算するデータだった。その結果、沈下防止という全く空港機能とは無関係な費用が今も、そしてこれからもかかり続け、空港使用料金は軽減されることがなく、他国の航空会社の乗り入れの魅力は激減する。
 加えて、他国のサービスだ。24時間活用されているドバイ空港を見ると、日本の空港は世界のハブどころか、アジアのハブにもおよそ遠い。 
 官僚主導、政治主導の大型土木公共工事の計画が、環境アセスを含め、いかにずさんで、30年のタイムスパンでみると、失敗というべきものであったか、その実際の解答が、各所で出されつつある。
 
 
 
| 児玉昌己 | - | 08:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
 坂井泉水さんの1周忌に

 大雨の久留米。猛暑日に近い真夏日だったことは書いたが、翌日は一転、豪雨。警報が出るほどであった。 
 今日は天気も午後から回復して、また暑い日ざしが戻ってきた。
 6月を前に、淡々と講義をこなしているところだ。明日からは上京して、資料収集をし、EU
学会の理事会に出ることにしている。国際政治学会の企画委員会は東大駒場だが、EU学会の理事会は慶応大学(三田)だ。
 そういえば、ザードの坂井泉水さんの衝撃的な死去のニュースに接したのは、昨年のこの5月の理事会に出た夜のことだった。1年は実に早いものである。あらためて合掌。
 昨年のこの日書いたブログを以下、掲げておこう。

2007.05.29 Tuesday
 「追悼坂井泉水」
 坂井泉水さんが闘病中の慶応病院で、転倒して亡くなったとのニュースに接して驚いている。
 もともと本人が繊細でシャイだったため、テレビなどでその姿を見ることは全くといってなかったから、肺にまで転移するがんで闘病中ということさえ知らなかった。
 運命は時に過酷だ。天は彼女の美貌と才能を妬んだのだろうか。そうとしかいえないような突然の訃報だ。
 坂井泉水といえば、彼女の存在を知ったときに、いずみをどう書くのか、息子から聞いて確認したことがある。 
 Zardの女性ボーカルとして、透明度の高い歌唱力で、たくさんの人から愛されてきた。
 アニメ、スラムダンクのエンディング・テーマ曲、「マイ・フレンド」(1996年)を耳にしたときのあの爽快な衝撃を鮮明に記憶している。カーステレオで、数ヶ月間聴いていたこともある。
 スラムダンクは海外を含めて大ヒットしたアニメで、この歌を覚えている人も多いことだろう。韓国でも知られていて、彼女の死は、朝鮮日報でも文化面で報じられていた。
 「あなたを想うだけで心は強くなれる、ずっと見つめているから走り続けて」
 そうパワフルに歌いだすその歌唱力は抜群だった。そのように想ってくれる人がいると、本当に生きていけると想わせるそんな曲だった。
 今、そのメロディが鮮かによみがえり、身体全体に流れている。溢れるほどに優しいその感性を表現する彼女の詩才と相合わさって、実に素晴らしい歌だった。
 織田哲郎というこれまた第一級の作曲家をえて、「もう探さない」(1991)「眠れない夜を抱いて」(1992)、「揺れる想い」(1993)など心を打つたくさんの歌を残して、風のように去った。まだこれからの将来だのに。
 人生まさに、死生(しせい)定かならず。



 

| 児玉昌己 | - | 21:51 | comments(0) | - |
日本の視座を欠いたテレビ政治評論の軽さ(下)ー米民主党大統領候補者選定報道に関連して
 これは、どの局にも大なり小なり共通する印象なのだが、政治をバラエティ・レベルでとらえ、しかもそれを何かしら重々しく、したり顔でテレビで語るその姿勢には、全くがっかりさせられ、うんざりしてしまう。
 日本の利害と視座を欠如させた質問やコメントなど、屁程のものでしかないと知るべきである。いやしくも、局を代表する知識人であろうから、そのことに気づいてもらいたいものだ。
 そのことさえ、報道部は理解できていないとすれば、電波という特別の公器に携わる者としては、救いがたいことだと言わざるを得ない。
 遺憾ながら、まだ地球市民などという概念は、希望の概念ではあっても、実体概念ではない。日本人はアメリカ人ではない。それはちょうどアメリカ人が日本人とは違うというように。同盟国といっても、拉致被害者の心情とはお構いなしに、北朝鮮のテロ支援国家の解除という大問題が、わずかな北の譲歩を得るためだけに、米国政府によってなされようとしている。だが、この政策変更は、まさにこの日米の利害の相違を如実に示すものである。
 アメリカ人にとっての大統領候補者選定の意味は、我々にとってのそれとは必ずしも一致しない、というよりほとんど意味も利害も違う。そのことこそが、なにより、理解されるべきである。そして米の大統領候補者選出の意味は我々にとって何かを問う質問こそがつねに意識され、米国の側に発せられるべきものである。それはドリームチケット云々というような、どうでもよい質問ではおよそないはずである。 
 
 
| 児玉昌己 | - | 11:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
日本の視座を欠いたテレビ政治評論の軽さ(上)ー米民主党大統領候補者選定報道に関連して
 ニュースジャパンは、滝川クリステルで有名だが、今夜のinside americaは実に面白くないものだった。
 コメンテイターが英語でABCの政治部長と話すが、オバマとヒラリーが正副大統領候補者となるドリームチケット云々など、全く意味のない質問に終始していた。
 質問自体が、全く浮薄で、質問者は、いったい何人なのであろうかと疑わせるものである。オバマとヒラリーが、日本にとってどういう政治をするのか、ということこそが問われるべきである。
 特派員も務めだろう局出身のコメンテイターは、日本というスタンスをまるで欠落させている。日本にとっての民主党候補者の確定の意味の分析こそが、最も求められるものである。にもかかわらず、決定的に重要なこの部分が、問題意識としてももたれていないことをまさに示す質問とコメントであった。実に、無残なほどにも意味のない内容に終始していた。
 今の民放各局は、米民主党大統領候補選定過程については、力を入れて報道しているが、常に気になるのが、選出されるものがいかなる対日政策をとるのかということについて、問題意識さえ欠如しているのではないかと疑わしめることである。そうした場面に多く遭遇する。
 我々日本の政治にとって、選出される候補がいかなる政策をとるのか、たとえば、地球温暖化、狂牛病対策、北朝鮮の拉致問題、あるいは米軍基地の配置問題に対する対応など、米国の大統領候補者の選出の意味こそが問われるべきものである。
 オバマとヒラリーが正副大統領候補として組んだ場合の、いわゆるドリームチケットなど、日本にとっては、バライエティ・レベルでの質問で、全く無意味千万な問いである。 実際、ABCの政治部長から、このプランは、変革を主張するオバマの政治姿勢とは相いれないものだ、ありえないと軽く一蹴されていた。
  
| 児玉昌己 | - | 00:05 | comments(0) | trackbacks(1) |
今年初めての扇風機
 今年初めての扇風機。いやはや暑い。久留米は30度を越えたようだ。6月下旬から7月上旬頃の陽気。まだ梅雨も来ていないというのにである。 研究室は大きなビルの中で、しかも北向きにあるため、どちらかといえば、ひんやりしているのだが、それでも今日は、長袖では暑い。
 テレビでは、気候変動がインド洋のサイクロンを巨大化させているといっていた。そういえば、昨夜、子供の教材の英文を見ていたが、地球温暖化の文章があった。
 今年も、暑くなるのかと思うと、うんざりする。せいぜい、気分くらいさわやかにしたいものだ。
追記
 夜のニュースでは久留米は33.5度と猛暑日に近い真夏日とのことだった。暑いはずだ。明日は雨で、気温も下がるという。やれやれである。

| 児玉昌己 | - | 14:32 | comments(0) | trackbacks(1) |
長崎市長銃撃犯に死刑判決下る 長崎地裁 下
 今朝、長崎にいて、テレビをつけっぱなしにしていた。民放の地元各社は中継車を出して、判決公判をオンスポットで報じていた。そして、あわただしく廷内から飛び出してきた記者が、「主文、後回し」と報じた。それは判決文での極刑を瞬間的に示唆することでもあった。ちょうど光市での母子殺人事件の広島高裁で起きたことと同様の形で。
 裁判所が、1名のみの殺人という状況を勘案しても、敢えて死刑判決を求刑通り出したということは、この事件が、それほどの社会的、政治的な衝撃を与えた凶悪事件であると長崎地裁の裁判官が認識し、認定したことを意味している。
 社会の正義という観点に立った凶悪犯罪に対する厳罰化の方向は、まさに国民の大半が納得するものであり、それを背景にした裁判所の判断といってもよい。司法も社会的存在であり、社会の意思と無関係には存在しないことを明らかにした判決だといえる。
 3審制がゆえにまだ控訴審、場合によれば、上告審も十分考えられる。
 遺憾ながらすでに見えざる形で、銃社会となっているわが国にあって、長崎の行政のトップである市長候補を標的とした凶悪な政治テロは、民主主義社会への挑戦であり、決してこれを許さないとする長崎地裁の裁判官によるこの判決、私は了としたい。

 
| 児玉昌己 | - | 17:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
長崎市長銃撃犯に死刑判決下る 長崎地裁 上
 昨年4月のことだった。市長選で熱気溢れる市街の中心部で4戦を目指す伊藤一長候補が地元の暴力団幹部により、射殺される事件が起きた。市行政に集(たか)り、受け入れられない不満を公選された市長候補の射殺という選挙テロに変える前代未聞の凶悪犯行だった。
 この事件は韓国籍の米留学生によるバージニア工科大学での30数名者無差別銃殺事件に続いて起き、社会を震撼させた。それゆえ、記憶されている方も多いだろう。
 この事件、選挙期間中の事件で、公職選挙法にも影響を及ぼした。そのことについては、以下で長崎新聞社の求めに応じて、コメントしている。
 http://www1.cncm.ne.jp/~kodama/frame.html
 直接的にはこのコメントは、選挙期間中の候補者の死亡と、立候補者の新たな受付および選挙活動に関する公選法の改正問題についてのものであった。だが、行政対象暴力について、その問題の重要性を最後に触れておいた。
 それはなにより、この事件がもつ異常な性格、つまり個人的利得のために、暴力で民主主義に挑戦する悪辣な行為であるという認識に立った怒りと、こうした行政対象暴力を未然に防止する必要性を喚起するものでもあった。
 実際、この問題は、故郷でもある佐世保での銃乱射事件にみられるような、急速に広がりつつある銃所持と銃規制の問題とも連動している。
 そして今日、この凶悪な政治家にたいする公然たる銃によるテロについて長崎地裁が、検察求刑通り、死刑判決を出した。

 
| 児玉昌己 | - | 15:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
四川鎮魂歌―かの子らは 瓦礫に埋もれ 声もなし 四川の学び舎 黙して無惨

 四川は重苦しい沈黙が広がっている。
 中国政府によれば、24日正午までに死者が60560人、行方不明者が26221人、負傷者が352290人、被災者が4550万人余りとのことだ。AFP通信によると、温首相は死者が8万人を超える可能性もあるという。
 「中国首相、日本医療隊を激励=国連総長、支援継続約束−死者8万人超も・四川地震」時事通信 524210分配信

 学校関係者としては、校舎崩落でなすすべもなく命を絶たれた子供たちと、わが子を失った方たちに胸が痛みます。特に救出を打ち切られ、遺体収容も先送りされ、それでも瓦礫の中から素手でわが子を捜す親たちの映像は衝撃的で、痛恨極まりないことでした。

 未曾有の大自然災害の被災者と命を絶たれた方たちにたいして、お悔やみとお見舞いを改めて申し述べたいと思います。
 以下、同じ、地球という共通の大地に住むものとして、この大惨事の痛みを共有し、鎮魂の歌にして残したいと思います。

子を呼べど  帰りこぬ声 哀しや四川

かの子らは 瓦礫に埋もれ 声もなし 四川の学び舎 黙して無惨

いとし子を 捜す父母らの 声哀し ありてばかりは 四川裂断
                   海鳴庵・児玉

| 児玉昌己 | - | 09:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
週末 米映画「最高の人生の見つけ方」を観る
 3時過ぎから、大雨を突いて、ユナイテッドシネマに出かけ、上映中のジャックニコルソン、ロジャー・モーガン主演の米映画「最高の人生の見つけ方」(2008/アメリカ/監督ロブ・ライナー)を観る。
 同じ病室に偶然隣り合わせた富豪の病院オーナーと、実直な自動車修理工というがんで余命6ヶ月と診断、告知された2人。
 人生も終わりが近い、全くの赤の他人の2人の患者が残された時間を病院を飛び出して、友情を深めながら、自分の遣り残した、リストに記したアレコレ、つまり「棺おけリスト」を実行するために生きるという物語。
 この間、前者の富豪は、失った娘との信頼関係を取り戻し、後者は冷めていた妻への愛情を再確認するという、おかしくも悲しい物語である。ニコルソン演じる富豪が相方であるがゆえに、アメリカ人が喜びそうな私用ジェットを使った豪勢な旅となるのが、面白さでもあり、庶民から観れば、アメリカンドリーム、つまり荒唐無稽でもある。
 それにしてもこの作品、黒澤明の「生きる」(1952年)を意識した作品に思える。おそらくこの監督は、どこかで黒澤を意識していたのだろと、推測している。
 そういえば、ロジャー・モーガン、この映画では、それを私が意識したせいか、特に志村喬に似ている。
 映画では原タイトルはずばり『棺おけリスト』(The Bucket list)。アメリカらしいタイトルだが、さすがにそれは日本はそぐわない。興行元は邦語タイトルのネイミングに頭を痛めたことだろう。そしてインパクトに欠ける上記のタイトルに収まった。もっとも、もし興行主からもっと良い邦題があるかと問われても、なかなか浮かばない。それゆえ、よしとしよう。
 人はこの世に生を受ければ、その瞬間から死に向かって動き出す。生まれてよかったと思える、悔いのない人生こそが、この世に生を与えてくれた父母に対しての謝意であり、そして今現在生きているものとしての望みである。
 ハリウッドの殺人に満ち満ちた映画にはうんざりだが、これは違う。死を扱いながらむしろ生ることとはなにか、を考えさせる作品で、それゆえ最後は、泣ける作品である。
| 児玉昌己 | - | 00:37 | comments(0) | trackbacks(0) |

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