実に充実した8日間の台湾の旅でした。後半はインターネットへのアクセスの問題と、タイトなスケジュールのために、数日間ブログが書けずに申し訳ありませんでした。
ともあれ、日本を離れた8日の間、勉強して回りましたが、日本でもこの間、星野ジャパンのふがいない結果や、400メートルの銅メダルなどで大いに沸いた五輪の後半も終わり、政局も自民代議士の事務所経費問題や、民主の議員の離党など、いろいろ起こったようですね。
こちらは、教員もさることながら、学生さんが研修の実を挙げたことが何よりでした。また、個人的には大矢野先生のお骨折りで、首都台北郊外にある淡水の高層ビルにある広めのレクチャールームで、参加者と一緒に、台湾の最高政治指導者の総統の地位にあった李登輝先生との会見が実現したことが何よりでした。
「顧問」の肩書をお持ちの小栗山雪枝先生と挨拶を交わした後、御歳85で矍鑠(かくしゃく)とされている李前総統が入室された。たっぷりと時間をとって、質疑に答えられる形で進められた。あたかも大学での講義というごとく。私も、学生時代に戻ったようにして受講し、質疑に参加させて頂いた。
実際、興が乗られたのか、実に2時間以上も現代の国際社会が抱える問題を多方面、かつ多角的に話していただき、かつまた大学に貴重なご著書を10冊ほど献呈いただき、恐縮の限りで、実に有り難いことでした。
政治指導者との会見は、時にセレモニーで終わるのが多いのですが、始めから終わりまで、実質的な時間でした。内容については、台湾の政治の将来、愛してやまない日本への現状認識、中国との関係など、実に多岐にわたりましたが、いずれ書けるでしょう。
ここで一点だけ書き遺しておくとすれば、私はクリスチャン(プロテスタント長老派)で、その信仰により最高権力者を腐敗の暗黒にいざなう誘惑から自己を守ることができたという、氏の言葉である。
最終日は台湾総督府、つまり台湾の現在も使われているホワイトハウスを見学させていただきました。
ガイドは、日本統治時代に17で看護助手として久留米の部隊と行動をともにされ、最後は広東で終戦を迎えたという経験をお持ちの昭和元年生まれの女性でした。久留米から来たというと、大いに喜ばれ、上記のような、若き日の経験を語られました。
まさに、植民地統治時代だけでなく、1949年の国共内戦での蒋介石の敗北と、本格的な国民党による台湾統治や、あの悪名高い2.28も経験し、日本風に言うと、まさに昭和と平成の激動の時代の証人ということです。
台湾は周知のごとく、日清戦争の勝利の結果、講和を結んだ下関条約で清帝国から割譲し、爾来50年余にわたり、この地の言葉を借りれば、「日治時代」を経験したわけです。
ただし、台湾については、戦後生まれの私としては、数回訪問したことのある韓国と比較しても、十分な知識がなく、現在に至っていたわけです。
その意味で、いわゆる日本帝国主義時代の過去の現実と、敗戦による解放という「その後」の現実を、朝鮮半島と比較しながら確認することが出来て、実に有意義でした。
いずれ、ボチボチ考えをまとめて行きたいと思っています。今は、無事に帰国し、久留米に帰着して、安堵しているところです。