児玉昌己研究室

内外の政治と日常について想うことのあれこれを綴ります。
黄金週間の休み入り
祝日だが、朝から通常授業。30日からの黄金週間をスムーズにするためだ。大学が平常だとすると、周囲まで平常だと錯覚する。近くの歯医者に出かけようと思ったが、はたと、今日は祝日で休診日だということに気づく有様だった。
 長崎に夕刻戻り、しばしの休日。欧州にはイースターがあるが、あの欧州人を浮き浮きさせる復活祭の宗教的な感覚はなくとも、しばし業務から解放されて、家族と過ごせる時間を日本人は黄金週間としてもっている。
 次男が東京からしばし戻る。それで自宅でガーデニングという名の草取りでもして、過ごすことになるだけの黄金週間となりそうだが、それでも家族との会話を楽しみたいものだ。
 

 
| 児玉昌己 | - | 23:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
もうすぐ黄金週間
ここ2日早春に戻ったかのような、寒の戻り。北向きの研究室では足元に暖房がいるほど。 一挙に7度も気温が下がると、身体がびっくり。風邪をひかれた方もいることだろう。冬ものを洗濯屋に出して、あわててセーターを探し出す始末だ。それも今日にはゆるんでくるとのこと。
 勤務校は29日の祝日に平日出勤扱いで、通常授業。30日から連休入りすることになっている。新年度のあわただしさが漸くひと段落する。千円のETC割引もある。さてどこに行こうかなど、考えている。
 そういえば、ミネルバから今夏出版予定のリスボン条約とその解説ゲラが連休までにと、いっていきた。6月の5年ぶりの第7次欧州議会直接選挙に合わせて、アクロス福岡での、公開講座「欧州議会−過去・現在・未来」を組んでいるが、その講演も近づている。
 早々、浮かれてばかりもおれない。
 
| 児玉昌己 | - | 08:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
名古屋市長選の勝利は河村の知名度であって小沢の故ではない
 32年ぶりに国政の与野党が激突した名古屋市長選は26日、投開票され、無所属で新人の前衆院議員・河村たかし(60)(民主推薦)の初当選が確実になった。
 名古屋市長選は小沢を抱える民主において断崖絶壁、絶体絶命の選挙であった。
 この勝利で民主党は小沢体制を継続できると思うと、有権者の声を見誤ると断言してよい。たまたま河村の知名度が自民党愛知県連、公明党県本部が支持した元中部経済産業局長・細川昌彦(54)の知名度を凌駕していたということにすぎない。
 党首がまともに選挙戦で市民の前に立てないほどの状況で、どうして苛烈な総選挙が戦えるというのだろう。
 「小沢私党」という状況を払拭し、真に政権を担える政党としての体制を構築しない限り、選挙巧者の自民を相手に総選挙ではリードできない。
 民主についていえば、今は、自浄能力の欠如について、それほど国民が冷ややかな目を向けていること、そして自民党との支持率の相違はさほどのものでしかないことを、肝に銘じるべきである。(敬称略)

  
| 児玉昌己 | - | 21:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
生命の息吹はストレスを解消させる
蝋梅について以前書いた。津和野で見た蝋梅の美しさ。
 縁あって、我が家にも苗木が届き、1ヶ月ほど前に大きめの鉢に植え替えたら、葉を落とし始めた。時期を間違えたのか、土が良くなかったのかなど、心配しているというものだった。
 1ヶ月がたち、部屋の中で、観葉植物みたいに育てているが、枯れていく葉と並行して、最近新たな葉を出し始めて、ほっとしている。
 人間を含め全ての生命には生と死がある。生命の息吹を感じるのは、いつも嬉しい。通常の感性からすれば、沈むお葬式よりも、晴れがましい結婚式がいいように。
 この時期、才能溢れ、天がその才を嫉妬したかというがごとく世を去った女性ボーカリスト、ザードの坂井泉水のことを想う。
彼女にOh my love というシングルがある。異性を思う心をストレートに歌ったものだが、そうした感性もいい。ガーデニングでもいい。
 春爛漫のこの時期。躍動する生命の息吹を感じて、ストレスから少しでも解放されたいものである。
 厳しい経済環境が依然として続くが、それぞれにストレスを軽減する方法で、いい週末を送りましょう。
| 児玉昌己 | - | 09:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
窒息する政治とそれを生む小選挙区選挙制度 5
大統領選などに注目し、延々と続くプライマリー(予備選)を持って民主主義だというものがいるが、表層的理解である。資金力のある候補が圧倒的な優位性を持つ制度でしかない。オバマでさえ予備選で、なんと600億円を消費したというほどで、およそ草の根民主主義の勝利という状況ではない。
 そしてなにより、この国の政治と選挙制度は、外にあっては、グローバリズムという名のアメリカニズムと、ユニラテラリズムという名の国際的非協調の排外主義的外交を生み、内にあっては、金融工学というような一見無害な言葉を使いつつ、資本主義の大暴走と異常な投機をうみ、現行の世界的な経済の世紀的危機の発生を防止できなかった。
 現行の日本での政治の閉塞感をみるにつけ、米国型の猿真似ともいうべき2大政党制を追う、極端に米国の知見に傾斜し、欧州の政治の実態に無様なほどにも無知な政治家の認識と行動が、その逼塞感を生んでいると強く感じられる。
  わが国の小選挙区制度に傾斜した選挙制度の廃止と、比例代表制をベースとする欧州型の選挙制度の導入と、それで出現する複数の有力な政党の連立政治による説得と合意の政治への回帰が今強く求められる。
 欧州型は非効率と批判するものがいるかもしれない。
 だが、政治においては、「効率のいい政治」が民主主義的政治を保証するものでは、およそない。民主主義にはエネルギーも時間も、そしてカネもかかるのである。
そして、それは、西欧と日本の感覚からすれば、民意を得ず、存在さえしなかったはずのブッシュ政治の8年をみた、あの政治よりもましである。
| 児玉昌己 | - | 20:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
SMAP草薙の逮捕に驚く
 世の中では、予想も出来ないことが起きる。
 小泉内閣で竹中平蔵大臣の補佐官として辣腕を振るった高橋洋一元内閣参事官が、なんと窃盗容疑で逮捕されたこともだが、これもただただ驚きである。これが報道に接した最初の感想だ。
 韓国語を実にまじめに勉強してマスターし、韓国音表記で、チョナン・カンとして韓国でもファンの多い草薙剛が逮捕された。まさかという思いはみな同じだろう。
 報道によると、泥酔し、深夜、全裸で公園で騒いだという。直接の容疑は公然わいせつ罪(indecent exposure/野卑な露出)。
 あまりの異様さに薬物使用を疑われて、家宅捜索まで受けている。こちらは幸い無実。
 SMAPのなかでは、というより芸能人として、最もそうした事件から遠いマジメ人間だと思われていたので、なおさらだ。
 そういえば、彼は1997年(平成9年)のテレビドラマ「いいひと」で好青年を演じて、その存在感を知らしめた。今でも靴のシーンは鮮明に思い出される。
 時として常軌を逸脱することもある芸能界にいて、彼もストレスの塊だったのだろうか。地デジの政府広報に起用されていただけに、総務大臣も激怒しているということだ。
 酒で訳が分からなくなる性格だったとも報道されている。 酒で狂うとすれば、酒を断つしかない。
 窃盗犯などとは一緒にすべきでない事件ではあれ、公人としてあってはならない失態で、彼自身が、存在意義というべき公演活動をほぼすべてキャンセルされる過酷なペナルティを払わされることになる。実に、残念なことである。
  参考ブログ
2006.07.16 Sunday 映画、日本沈没
| 児玉昌己 | - | 21:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
窒息する政治とそれを生む小選挙区選挙制度 4
 小選挙制度に戻っていえば、イギリスは実のところ、この非民主主義的制度で苦しんでいる。米国はその悪しき問題を十分認識できていない。
米国は、政治的に見て、植民地そのものというべき遅れた政治制度を維持している。その典型は、間接選挙の大統領選出制度である。
 一般投票では負けていたブッシュが当選し、欧州や日本の選挙制度ならば、勝利していたはずのゴアが敗北した歴史がある。
 世界のリーダーであるはずの国家の最高指導者の選出がかくの如き無様な体である。
 一般有権者が見たことも会ったこともない選挙人に投じられ、そこで相対的に多くの票を獲得した政党候補者がその地域に与えられた代議員(選挙人)をall or nothingで獲得していく。ゼロか100かという具合にである。それゆえ一般投票総数と選挙人の数で多かった候補者の間にミスマッチが生じる。その結果が上述したあの最悪ともいうべきブッシュの出現だ。
 近代民主主義の選挙制度の観点から言えば、実にばかげて非常識なこの制度を延々200年やっている。
 下院議会にいたっては、人口3億というのに、わずか定数435と国民の代表の数が異様に少なく、しかも任期は2年と異常に短く、あえて言えば、行政府の下僕というべき状態である。
 他方、上院はわずかに定数100できわめて貴族化した議員の集団というごとくである。しかも権限を見れば、大統領府、つまり行政府に圧倒的な重みがあり、政治が国民から遠ざけられた権威主義的国家であるといえる。
 
| 児玉昌己 | - | 13:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
窒息する政治とそれを生む小選挙区選挙制度 3
 しかるに、民主主義の促進強化とは直接的には無関係の事柄である2大政党政治が、民主主義を促進するかのように錯誤させられ、1994年の現行選挙制度が導入された。この導入に手を貸した高坂京大教授など政治学者がいたことを改めて指摘しておきたい。
 2大政党制でも腐敗はなくなるわけではないのは、今の政治が示すところである。
 日本では、寄らば大樹の陰という行動規範の言葉が示すように、とりわけ、2大政党制は機能しないといえる。実際、現行選挙制度の導入で、すでに立候補者数の激減で政治の選択の幅は著しく狭められ、かつ世襲政治候補者の相対的拡大という悪しき傾向が顕著になっている。
 イギリスでもいったん与党になれば、15年から20年以上も継続し、決定的に飽きられて今度は政権与党のドラマテックというべき大敗北による政権の変動が起こるパターンを示している。
 とりわけ、日本の一部の政治勢力が目指している2大政党政治は、政治が極めて権威主義的で、民主主義の成熟度合いから見ればきわめて遅れていると断言できるアメリカ政治システムを模倣するものであり、これをベストとする米国しか知らない政治家によるモノ真似であるといえる。
 米国は、政治イデオロギーをみると、社民主義という表現がほとんどない。ソーシャルという言葉は、サービスとかケアという語でよく語られることはあっても、social democracyという語はsocialismという語に通じるものがあり、ネガティブなイメージを持つ。
 そして欧州的意味での政治的な社民主義は、米国では「リベラル」という言葉で解消させられている。 もとよりリベラルと社民主義とは別個のものであるにもかかわらずである。
 すなわち、労働者の権利を掲げ、制御される経済を掲げる社民のイデオロギーは、米国政治思潮の中では、時に異端として、あるいは反米として排除されてきた歴史がある。

  
| 児玉昌己 | - | 08:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
窒息する政治とそれを生む小選挙区選挙制度 2
しかも、政治資金規正法という金権政治を対象とした容疑で側近中の側近が逮捕されたことに代表されるように、トップの政治指導のスタイルにおいては、公共工事との関係が深く、民主は、自民とほとんど変わりがない。しかも民主の場合、旧社会党を取り込んでいるため、外交問題でも意思統一が完全というわけではない。
 もとより、麻生の内政外交については、対ロ外交のお粗末ともいうべき失態が露呈し、政治による司法への容喙の問題に関して、あるいは対ロ外交に関して、高級官僚による意思不統一とも言うべき失言にたいして、その責任さえまるで問うこともなく、放置するなど、無責任な政治指導が続いている。
麻生内閣でいえば、9%というべき最悪の漫画的数字は脱したものの、内閣支持率は相変わらず25%台と低迷し、この政権への不満が解消されたわけではない。
 国民の信任も受けることなく、異常というべき超大型補正予算を組み、財政赤字を更に悪化させつつ、ばら撒き政治を実践して憚らない。後の政権による大増税を確実にするものである。
 それにしても、有権者には、自民と民主というこの大差ない両党の選択しかないというのが、政治に閉塞状況をもたらす原因である。
 現行の著しく小選挙に傾斜した小選挙区比例代表並立制こそが、この遠因となっていると明言できる。
 政治は究極において数である。しかして、あれかこれかを選ぶだけの小選挙区の現在の選挙制度が続く限り、民主と自民の両党とも支持しない有権者が3割もいるにもかかわらず、それを政治にほとんど反映できない政治が続くことになる。
 現行の選挙制度では、少数政党は蚊帳の外にあり、有権者の選択の幅がこれしかないということが、実に不快極まりない。
 政治学者としては、この政治の閉塞感は、有権者の政治の選択の幅が著しく制限されていることに起因しているといえる。付け足しというべき比例議席しかない、その本質において小選挙区制度という現行の比例代表併用制の選挙制度がもたらすものであることを指摘したい。

| 児玉昌己 | - | 07:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
窒息する政治とそれを生む小選挙区選挙制度 1
公明党の都議選キャンペーンとの関連で、総選挙の時期が再び取り上げられている。政治の窒息状況はいかんともしがたいが、政権の奇妙な形での安定が続いている。
 日本での総選挙は以前から早期の解散が求められ、私もそうあるべきだと主張して来た。
 テレビなどでは5月説もうわさされているが、私は、そうは見ていない。特段の政治状況の変化がない限り、麻生現首相の行動様式を考えると、結局、この首相、任期満了まで引っ張っていくのだろうと思っている。
 実際、衆院議員については任期満了が9月と迫っている。衆院議員の任期満了が迫っていることを考えると、6月以降の解散は、実質的には、任期満了での総選挙となんら変わるところがないからである。
 民主の小沢代表が企業献金で側近が逮捕されるという大失態を犯し、しかも十分な説明もなく、代表を務め続けるている。政権を目指す政党の党首は何よりも、攻撃する側としての身奇麗さが求められるのだ。
 実際、事件について、地方の選挙演説に出向いても、国民に直接説明する場は一切設けて、逃げている印象を受ける。
 そして、このクリーンとはいいがたいトップを抱えて、このところ民主党は、急速に支持率を落としている。それも麻生総理が解散に踏み切らないとみる理由である。
 民主についていえば、直近の首長選挙では、すでに2連敗で、名古屋市長選で負ければ、小沢代表を抱えては、この党は総選挙などとても戦えないだろう。数ヶ月前にあった上げ潮の雰囲気はすっかり消えてしまっている。
 そんな十分に事前に予測される事態を放置してきた党幹部は、名古屋での市長選で敗戦ということになれば、総辞職モノである。
 有権者の意思をまるで理解できていないし、政権を目指す政党としてのクリーンさに対する自覚もなければ、資質もまるでないということである。
 党内政治の自浄能力がなく、有権者を失望させ、なにより、この党の政治指導の能力にたいして深い疑念を与え続けている。実に民主は、小沢私党ではないのかと。
 政権を担うべきこの2つの政党について、今いえることは、自民と民主の両党の相違は、ほとんどないということである。民主は、まさに第2自民党といわれてきたごとく、最高幹部は旧自民党員で構成されている。
 
  
| 児玉昌己 | - | 07:47 | comments(0) | trackbacks(0) |

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