児玉昌己研究室

内外の政治と日常について想うことのあれこれを綴ります。
単純小選挙区制に進む議員削減論の鳩山民主はウルトラ保守である 3

 イギリスではたとえば、1987年の総選挙で、労働党と保守党を除く、LiberalSDP Allianceが22.6%も獲得したにもかかわらず、議席は、驚くべきもわずかに22でしかなく、全体(650)のわずか3.4%でしかなかった。
2005年の直近の総選挙でも、英労働党は35.2%で、全体の55.1%で356議席を得ている。ちなみに保守党は労働党とわずか2.8%の差で、198議席と、実に148議席も差をつけられた。まさに悲惨ともいうべき、得票率と、獲得議席の空前の乖離現象である。
 この状況を積極的にわが国に導入しようとしているのが、鳩山民主である。しかも民主の名を冠して。まさにブラックユーモアを超えている。
わずか20%台の得票でも、たとえば、投票所に足を運ばなかった有権者を入れれば、80%の(消極的な)反対票をいわば焼殺して、政権を構築できる。
 現代日本でも、4年前の小泉圧勝がわずか40%台で、議席の7割以上を得て、あの格差拡大全開の政治を展開できた。あれはまだ現行制度が持つ比例のために、それでも若干死票が緩和救助されたが、それでもあの状況である。
 完全小選挙区になれば、何が起きるか、ブログの読者諸賢にも想像できるというものである。社民や国民新党はもとより、公明も共産もほぼ消滅する。保守系無所属も例外ではない。さらには、自民にも民主にも、候補者には同様な累々たる死票の矢が突き刺さる。
 他方、比例についていえば、民意を正確に反映できるという意味で、わが国の民主主義の宝石というべき存在が比例である。
 この比例定数を削減廃止しようすることを選挙公約に掲げているのであるから、これほどのウルトラ保守は、今まで存在しなかった。それほどに反動的保守である。
 すでに 比例定数は2000年に20議席が削減されており、さらに小沢民主党の時代において、2007年参院選のマニフェストで、衆院比例定数の80削減を明記している。
 しかも今回はいよいよ本丸の衆院選挙のマニフェストにおいてである。
 選挙制度は、それによって、政治と政策を実践するすべてを決定する前提であり、根幹となる。それが選挙制度である。
 かくも国民の、正当に投じられた民意の政治的意思を殺し、その上に政権を構築する危険が濃厚にある選挙制度を公然と打ち上げ、それを促進する鳩山民主党は、この部分については、まごうかたなき、ウルトラ保守政党であるといえる。
 最後にもう一度言っておきたい。
 選挙制度は、外交、安保、国防、年金、教育、福祉等々、すべての政治と政策の基礎をなす民意を確保する数少ない国政とつなぐ場である。
 膨大な死票ををもって、勝者と敗者を意図して強引に生むことが確実な選挙制度を積極的に導入しようとする政党は、保守でさえないと断言しておこう。
英米の政治のデータは以下による。
参考文献・サイト
 Duncan Watts, British Government and Politics 2006.
Kevin Harrison and Tony Boyd, The Changing Constitution.200
.
Will Storey,
 US Government and Politics.200.
http://en.wikipedia.org/wiki/Scottish_Parliament

 

| 児玉昌己 | - | 23:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
単純小選挙区制に進む議員削減論の鳩山民主はウルトラ保守である 2

 イギリスの選挙制度改革は国内選挙に及んでいるだけではない。
 いよいよ6月4日から5年ぶりとなる投票をする欧州議会だが、1999年には欧州議会のイギリス選挙区でも、それまでの小選挙区制をやめ、欧州の他のEU諸国に倣って、比例代表制を導入した。つまり完全小選挙区制度が、実に遅れた制度として認識されていたからである。
 もう1つの遅れた選挙制度をとるのが、米国の下院議会である。
 進んだ制度か、遅れた制度かという基準は、民意が、選挙を通して、政治に正確に反映されるかというその一点に尽きる。
 この米国の下院議会は1929年以来80年間も人口が3億の3倍になったにもかかわらず、435議席であり、延々とこれを維持している。国民との距離は3倍ではなく、私に言わせれば、その二乗倍で、遠くなったということができよう。
 200年前の制度設計を維持し、わずか100名しかいない上院と、間接選挙をとる大統領選挙制度合わせて、この結果、先進国で最悪というべくも、政治が国民から遠い、寡頭制の政治を展開している。
 その結果はブッシュのあの8年を生んだことを皆が見てきた。対立候補のアル・ゴアは2000年に大統領選挙での全国一斉投票では共和党候補ジョージ・W・ブッシュより得票数で上回ったにもかかわらずである。
  翻って、この民主党がいう衆院の比例定数80の削減論は、、比例代表制度への転換、強化という世界的比例制に向かう選挙制度改革の傾向に背を向け、しかも、選挙制度全般の改革という意味では、何の身を削ることも実質的にせずに、鳩山代表や代表代行の小沢といった政治家、自身の選挙区の改廃には全く手をつけずに、比例だけを削減するというように、言葉だけの身を削るという、実に無責任な反民主主義的道に乗り出しつつある。
 小選挙区選挙制度は選挙での勝者がすべてを得る、all or nothing制度である。
 わずかでも得票が上の者が他の票をすべて死票にして、つまり正当に投票であらわされた他者の意思をゼロにまで排除し、当選するという実に反民主主義的制度である。


 

| 児玉昌己 | - | 23:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
単純小選挙区制に進む議員削減論の鳩山民主はウルトラ保守である 1

 ブログでは「鳩山民主は保守か?」というものがあった。
 選挙制度の改革と称して、わが国の民主主義の宝石というべき、比例代表の定数を80も大胆に削減し、完全小選挙区制度の導入をもくろむ鳩山民主は、極めて遺憾なのことながら間違いなく保守、しかも歴史的存在としては、反動というべき、ウルトラ保守というべきである。
 第1、身を削るというが、何のために、誰の身を削るかである。身を削るというなら、小選挙区制度の全面的廃止と、比例を基礎とする選挙制度への全面改革があってのことである。欧州では国会議員数は人口比では日本の3倍もあるが、定数削減論など存在もしない。
 国会議員は国民の代表であり、85兆円をはるかに超える国家予算に責任を負い、租税、年金、国防などすべてに責任をもつ存在である。
 これを削減する国会リストラ論など笑止千万で、それ自体が反民主主義的な議論である。行財政改革の対象の官僚の削減とは意味が異なる。 
 しかも欧州の常識からすれば、圧倒的に少ないわが国の国会議員の定数である。
 むしろ、比例制を導入し、衆院は480から278ほど増員して、衆参1000名にしてもよい。経費は、最低でも2200万はある議員歳費と政党助成金の半額でまかなえば、おつりがくるだろう。議員は市議ほどに身近な存在となり、活性化するこというまでもない。
 話をもどそう。欧州では削減論など存在しないにもかかわらず、世襲無能議員論から議員削減論という飛躍した方法を安直に引き出し、鳩山民主はいう。身を削る削減をと。
 冗談ではない。自身の選挙区を含めた選挙制度の全面的改革もなく、何が身を削るかである。国家の、そして宝石というべき国民の財産を簒奪し、溝に捨てるようなものである。
 しかも、鳩山民主が望む、単純小選挙区をとるイギリスは、その制度が持つ反民主主義的性格のために、この半世紀苦しんできた。
 イギリス議会、ウエストミンスターで導入されたジェンキンス委員会の選挙制度改革の柱は、いまだ成就されていないが、小選挙区制度からの脱却がその中心議論であった。
 イギリスでは地方分権(デボリューション)が進み、1999年以降、本格的な選挙制度の改正が進み、その形態はそれぞれの特色があるが、基本的には、北アイルランド議会、スコットランド議会、ウエールズ議会はすべてすでに比例制度である。
ウエストミンスターの国家議会だけが、いまだに過去を引きずっている。いったん導入された制度を変えるのが、いかに困難かを示すものである。
 それは、苦労してその選挙で勝利した者がその制度の既得権益者となるからである。

 

| 児玉昌己 | - | 23:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
東京出張から戻る ゆるゆると珈琲で
 月の終わり。早いもので一年の半分が消費されようとしている。それに見合った充実の時間をえたのだろうか。
 年をとると、1年の早さが倍加していくということを諸先輩からたびたび聞いてきた。 実際、人生も半世紀を超えて生きてくると、その感を深くする。
 今日は曇天。気温も18度ほどまで下がり、一時の夏日を考えると、瞬間的に季節感を喪失してしまいそうだ。
 東京のコンクリートジャングルと、通勤電車から解放され、地方都市での普段に戻った日曜日の朝。
 出張では役務をこなし、また会いたい人、話したい人と会えて、よかった。
 朝日の脇阪さんとは品川のグリルツバメで、同店の名物メニュで、銀紙で旨味と熱を閉じ込めたハンブルグステーキとワインを肴に、欧州政治や国内政治について意見を交換した。
 疲れたら、京大人文学研究所長、綽名、猛獣使いの、桑原武夫の第二芸術論など俳句や昭和万葉集の話をして過ごした。気づいたら2時間ほども経っていた。
 今は、九州に戻り、静かな時間を過ごしている。あわただしい出張の旅から解放され、ゆるゆるとした癒しの時間を珈琲で味わっているところだ。
 
| 児玉昌己 | - | 08:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
新型インフルエンザと学会出張
 明日は東京での学会出張。学者であれば、その研究者の集まりがあり、それが学会だ。研究者なら、何かの学会には所属していることだろう。
 以前、乗り合わせた汽車の中で、用向きの話題になり学会ですと言うと、ご婦人に、お医者様ですかと聞かれた。
 学会といえば、医師と思われがちだが、昔も今も多様な学会があり、それぞれに社会的な役割を果たしている。
 欧州統合の研究など世離れしているかもしれないと思われるが、そうでもない。多数の日本の企業がEU圏内で企業展開をしている。彼らはEU法、とりわけ競争法(独禁法)の知識を要求される。それゆえ学会の会員も法律家も1割ほどはいる。
 私がEU研究者を志したのは1970年代末から80年代初頭で、EECと呼ばれていて加盟国は9カ国だったが、今や27カ国と広がっている。
 そんなことを研究しているのが、EU学会であり、年1度の研究大会を中心としてそれを支えるのが理事会である。2年前の理事会の時は麻疹が流行していた。ザードの女性ボーカル坂井泉水死去の、あの衝撃的報道も、その時聞いた。
 今年は、新型インフルエンザ。関西も九州も東京も人の自由な往来はだれにも止められない。ここにきて、ようやく一時パニック状態にも思えた対策も平常を取り戻してきたようだ。
 もとより、大阪の休校措置は医学関係者によれば、感染防止のための、英断だったと評価されている。
 そんなこんなで東京である。学内のこともあれこれ忙しくなり、1泊するだけの出張だ。
 ただ、ベルギーのブルージュは欧州大学院大学での在外研究中に取材を通して、面識を得て、その後懇意にさせて頂いている朝日の元ブリュッセル支局長で論説委員の脇坂さんと歓談するのも、その楽しみの1つである。
| 児玉昌己 | - | 17:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
国会議員削減論は民主主義への著しい挑戦である 4
菅選対副委員長に再度問う。
 地方政治が議員削減したから、国会議員を削減するのかね。国会議員は地方議員と同じなのかね。
 民主党の鳩山代表にも聞きたい。
 痛みを分かち持つというが、誰の痛みかね。身を削るとは何かね。だれの身を削るのかね。
 貴兄の、あるいは選対委員会の諸兄の選挙区を削減するのかね。削るのは、比例の削減でしかないのであろう。
であれば、それは諸君の痛みではおよそないし、身を削るなど笑止千万なことである。
 小選挙区を導入する際に、わずかに得たのが比例という国民の、民主主義に沿った議席であった。比例との組み合わせがなければ、この選挙制度の改正も、野党の大反対で、ありえなかったはずである。
 比例定数の特色を言えば、各党の獲得票がほぼ死票を出すことなく、正確に議席に反映されるという意味で、小選挙区と違い、実に貴重で民主主義的議席であった。比例議席は市民の意思を正確に反映するという意味で、まさにわが国の民主主義の宝石というべき存在である。
 しかるに、1994年の選挙法改正の過程で、比例の比率は削減され、しかも、その後の改正でも、定数削減の対象とされ、実践されてきた。
 そしてわずかに残存しているのが、現在の比例議席である。これをさらに削減すべしという。その削減は、まさに民主主義の削減そのものであり、広く民主主義の選挙を望む国民の痛みである。
 それを自前の痛みであるかのように、無責任に主張しているだけである。実に、身勝手な言い分であり、論理である。自分の選挙区の改廃については言及せず安全で、比例の定数を消し去ろうとしていることを自覚してもらう必要がある。
 あるいはいよいよ迫った総選挙の安易な争点作りなのかね。
 確かに国民は、酩酊状態で国際会議で世界に恥を晒すような閣僚にうんざりしている。失業とリストラとボーナスカットのご時勢に、最高級ホテルの会員制バーに安いものだと通い、ホッケの料理法も知らない浮世離れした世襲政治家にはうんざりしている。
 さらには、政治権力を介する公共工事を主体とする土建からの3億もの政治献金についてまともに説明責任もできないような野党党首にも同様にうんざりしている。
 これら世襲政治家が跋扈する政界にたいして、国民は、強い痛みを感じている。
 だが、貴兄の委員会がいう比例定数の削減で、痛みや身を削るというのは、国民の痛みの解決法とは、まるで見当違いの方法と方向ではないのかね。
 欧州政治の民主主義の質と、米国政治の悪しき現状をしっかり勉強すべきである。
 噴飯ものというべき、完全単純小選挙制度に堕する国会議員削減案に断固反対する。
 そしてむしろ庶民感覚をまるで失った世襲議員が跋扈する国会を国民のものにするため、以下を提案したい。
 比例代表制への選挙制度の転換と、衆院定数の280ほどの増員、そして現在衆参議員総定数722の、総計1000名への増員。
 財源は、最低2200万円は下らない議員歳費と政党助成金の半減で、その分を賄うことも併せて。
 市会議員みたいな国会議員となり、政治家がもっと市民に身近なものとなり、政治は明らかに活性化すると断言できるよ。
 
参考ブログ
2009.05.07 Thursday 世襲政治の問題の本質はなにか−小選挙区制が事態を悪化させている 5
2009.02.12 Thursday 民主という党名が泣いているよ―愚劣極まりない民主の選挙制度改革案 7
| 児玉昌己 | - | 07:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
誰も相手にしない断末魔の北朝鮮 第2回核実験 下
ともあれ、北朝鮮が瀬戸際政策をとっても、もはや、誰も相手にするものがいない。狼少年の話を思い出すばかりだ。
 中国だけが煮え切らないが、核は中国も射程におく。いつまでこの国家をかばい続けるのだろうか。これに関しては、続報として以下、共同の記事が中国政府系メディアの社説を伝えてきた。
 それによると、26日付の中国共産党機関紙「人民日報」傘下の中国紙「環球時報」は、北朝鮮の核実験を受け「北朝鮮は再び危険な遊びをするな」と題する社説を掲載、核兵器は一時的な交渉の手段となるかもしれないが、国際社会は「お遊びにずっと付き合ってはいられない」と警告した。
北核実験「お遊びには付き合えない」 中国紙が非難 共同2009/05/26
 北朝鮮最大のスポンサー、中国の面子をつぶし、北朝鮮は気も狂ったかということである。
 徹底した国連制裁によるならず者国家の排除こそが、アジアの平和の近道である。そして、北朝鮮崩壊もいよいよ近くなったのかと感じられる。
  ただし一点気になったのが、いわば身内の、国連開発計画(UNDP)の動きだ。
 すでに先の、衛星打ち上げという名の3月のテポドンミサイル発射実験にもかかわらず、2年にわたり中断されている対北朝鮮支援事業の再開と、これに向けた事務所再設置問題の協議を進めて、実務陣4人が19日に訪朝し、対北朝鮮支援事業の再開と、これに向けた事務所再設置問題の協議を進めている、と韓国通信社聯合が報道してきたことである。
 この機関の執行理事会がゴーサインを出したからだという。
だが、ミサイル実験での国連安保理議長による非難声明が出ているのにである。またここ2週間、核実験は予見されていた。にもかかわらずである。UNDPは不透明な北朝鮮支援をしたとして米政府から問題視された過去がある。
 日本政府はまさかこの決定に参加していたわけではあるまい。この国連組織に強く抗議すべきである。
「UNDP実務陣が訪朝、支援事業再開を協議中」ソウル22日聯合ニュース2009/05/22
| 児玉昌己 | - | 19:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
誰も相手にしない断末魔の北朝鮮 第2回核実験 上
 北朝鮮が再び原爆実験を25日行った。夕刻テレビで知った。
 北朝鮮はカードをすべて使って、そして得るものは国際制裁を除いて、なにもない。それが感想であり、印象だ。
実際、核実験の報道でも、日本の証券市場は微動だにしなかった。有事に弱いと見られている韓国の市場でサイドカーが発動され、一時取引が制限された程度である。
 この世界的な経済危機のご時勢、誰もかまってくれない。
 韓国では金大中、盧武鉉と10年続いた親北政権は過去のものとなり、政権交代が進んで、優柔不断な対北朝鮮対応を見せていた李明博は、ようやく反北朝鮮をPSIへの参加で鮮明にした。PSIとは、米国主導の「大量破壊兵器拡散防止構想」のことで、臨検まで規定した対テロ封じ込め政策である。
 実際、金正日にとっての頼みの金大中はすでに老体。北朝鮮への支援を相変わらずあちこちで、頼んでいる。
中国外務省傘下の人民外交学会の招待で中国を訪問したこの元大統領は北京大国際関係学院の講堂で行った講演で「北朝鮮は94年に核を放棄する代わりに軽水炉を提起され、朝米間の国交正常化に合意したが、ブッシュ政権に入って初期の6年間、この約束を守らなかった」とブッシュをなじった。
 その後の質疑応答で、米国が軽水炉建設支援を中断したのは94年の北朝鮮のウラン濃縮疑惑ではなかったかと、逆に突っ込まれ、沈黙したとのことである。 言いたいことだけ言い、都合の悪い、ことの核心部分については、沈黙だ。この政治家の素性が知れるものである。
金大中元大統領「北核交渉、中国が朝米両国を説得すべき」中央日報 Joins.com 2009.05.07
 他方、「北朝鮮のATM」(クリスチャンサイエンスモニター)と酷評された盧武鉉前大統領は、不正蓄財容疑という国家的汚名のなかで、自ら命を絶った。盧武鉉については、周知のとおり、最高検の取調べを受けていた。
 韓国の国内政治では、他国ではあまり考えられないことだが、前職の大統領が退任後、在任中の事件で、訴追されるというケースがままある。統治資金として賄賂は使ったといったのが、光州弾圧を実践し、後に死刑判決を受けた(恩赦で放免)全斗煥であった。
 だが、盧武鉉にたいする評価はこの全斗煥にたいするより、さらに厳しい。
 大手メディアは、彼は統治資金というより、私財構築のためだけのもので、額も巨額で、裏切られたと厳しく指弾するハンナラ側のコメントを掲載していた。
洪準杓代表「盧前大統領は私益の収賄、全斗煥の‘統治資金’より悪質」中央日報 09.05.06 15
 
| 児玉昌己 | - | 12:01 | comments(0) | trackbacks(1) |
国会議員削減論は民主主義への著しい挑戦である 3
  しかも定数削減とは、どこを削減するのかね。比例定数だとすれば、愚劣極まりない民主の改悪案と同じである。
 両党とも、完全小選挙区制度にまい進するという、少数意見の徹底的な排除という、最悪の反民主主義的選挙制度形成への接近となる。そんな2大政党制のなかでの選択とは、国民も浮かばれない。
 自民も民主も支持しない票は全体の30%もある。それらが完全に排除されるのが、単純小選挙区制である。
日ごろ民主主義をお題目にしているメディアは、議員定数削減と完全小選挙区制への接近の危険性がわかっているのだろうか。
 わが国の民主主義を危機に陥れるこの問題の深刻さをもっと危機感で認識して、社会に広く問うべきである。
 また自民、民主の両党内にいる小選挙区制度反対論者も、公明も、社民も、共産も、国民新党も、そして政治におけるその他の少数意見とその代表を支持するものは、もっと怒りの声を上げるべきである。自民も民主は関係ないと思うかもしれないが、膨大な死票の矢はその議員にも向けられる。
 その制度は、わずかの票の振れで、自民にも民主にも容赦なく選挙ごとに膨大な死票の矢を注ぐ。それほど危険な反民主主義の選挙制度である。
 自民も民主もいつの間にか、勇ましいスローガンとは裏腹に、庶民感覚をさっぱり失い、反民主主義者の塊と化したかのかというべくも、自己の主張の意味がまるで分らない集団になったかのようである。もとより、一部は確信的な反民主主義者もいるようでさえある。
  真に政治の改革がやりたければ、定数削減ではなく、定数増と小選挙区制度の全廃と比例代表制の導入をおやりなさい。
 これこそが最も政治を激変させる。政治改革に真剣に取り組みたいならば、選挙制度の比例代表制度への全面改正が、政治を劇的に変える。
 もちろん、議員像の資金捻出のためには、もらいすぎの議員歳費は大幅削減が条件の1つである。
 第一わずか40%台の国民の支持で、実に70%台の議席を得た小泉政権を生み、そして格差拡大全開の政治を実践し、その結果、国民の反発を受け、参院選での大敗を招いたのは、まさに現行の小選挙区制度であった。
 今度は、確実に10月までに実施される総選挙で、民主優位の現状では、膨大な死票という矢が自民に刺さるよ。そして累々たる自民候補者の「屍」(しかばね)を野にさらすことになる。自分が音頭をとって進めた制度改悪だ。まさに因果応報ではあるのだが。
 自民党の菅義偉選対副委員長ほか、民主党の鳩山党首を含め、国会議員諸君に尋ねたい。
 いったいこの10年、2000億もの政党助成金は何に使ったのかね。選挙制度や先進国の政治を真剣に勉強したのかね。在京の政治学者はそんな選挙制度の改悪を助言したのかね。
 完全小選挙区制度が素晴らしい制度と考えているのかね。冗談ではない。
イギリスの選挙制度改革の議論の中心は、この最悪の完全小選挙区制度からの脱却だったのだよ。
 いまやイギリスでは、北アイルランド、スコットランド、そしてウェールズ議会も今や比例代表制だ。そして欧州議会選挙でも、欧州大陸に習い、イギリスはその制度を1999年に比例制度に完全に改めた。
 残るはただ1つ、ウエストミンスターの国家議会のみである。 
| 児玉昌己 | - | 08:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
国会議員削減論は民主主義への著しい挑戦である 2
 米国と言えば、寡頭制の権威主義的政治に毒され、この国の大統領は、不十分ながらも、エコの精神を10年前に先取りした京都議定書の批准拒否をし、あるいは大量破壊兵器について、調査団がないと断言したしたものを、CIAを使い、あるといくるめ、国連を無視し、あのイラク戦争を強行した。
 これらの政策に代表されるように、戦後、最低の大統領として、ブッシュ大統領は内外の評価が固まっている。そのブッシュの無様な政治外交を、あの国の議会は阻止もできずに、大統領府という行政府に結果的に追随してきた。
 しかも最悪は、金融工学という名のバクチ金融によるサブプライムの大暴走と、世界を危機に陥れ、数百万から住宅を奪い、あるいは失業に追いやったあの政治を、米議会は事前に止めることもできなかった。
 これは重要だからしっかり言っておきたいが、米国では,ソーシャル(social)という語は、社会主義的な否定的意味を持ち、さらに欧州では、広く現存する政権政党のイデオロギーである社会民主主義も、ネガティブな意味を持っている。
 米国の政治思潮でいえば、社会主義の平等思想は、本来全く思想的内容が異なるリベラルという言葉に解消されてしまっている。
 そして、米国では2大政党政治といっても、ほとんどそのイデオロギーにおいて同質な政党のコップの中の争いでしかない。
 歴史的にいえば、上院は200年間100名を維持し、他方、下院の議員定数は、80年前から米国の人口が3億人と3倍に拡大しても、国民の政治参加を促進するどころか、これを阻むように、435と変えることさえできないで、現在にいたっている。
 米国の有権者の政治参加の状況は80年たった今、悲惨というべきも悪化している。
 米国の200年前の反植民地戦争での独立で得た制度設計は、200年経ち、今や完全に神話となり、腐食し、寡頭制の権威主義的政治と堕し、国民を政治から切り離すよう作用している。
 プライマリー(予備選)を評価するものがいるが、豊富な資金を持つものが、圧倒的に優位にたつ政治ショーに過ぎない。しかもこれは他に開かれたものではなく、限られた党内の選択であり、党員しか参加が許されない。
 大統領選挙制度は最悪で、一般投票が直接候補者を選択できない植民地制度というべき間接選挙で、ゴアが勝っていたのに、ブッシュが大統領になるという無様な制度である。
 そんなに自民も民主も米国のバカげた制度に倣いたいなら、ついでに議員任期も2年にしたらいい。どうかね。菅義偉選対副委員長。そして民主の鳩山代表ほか、選挙制度改革関連委員会の諸君。
 当選年次と、改選年次の2年しかないのが、米国の下院議員だよ。選挙のことばかりが頭にあり、選挙で資金もエネルギーも身体も疲弊
して、国政などまともに考える気力もなくなるよ。
米国下院の選挙制度はそんな制度だ。しかも、大統領制で行政権が議会を圧しているのは、周知の事実である。
 日本に戻れば、現状でも、自民は世襲議員が半数もいるうえに、世襲削減にも消極的である。さらに議員の数を減らせば、寡頭制の政治を推し進める。それが上記の自民の提案の論理的帰結である。
 この動きは、現行のわずかに名ばかりの比例が付いているだけの、小選挙区制のもとで、政治の選択をさらに困難にし、寡頭制の権威主義政治を推し進め、国民の参加民主主義を決定的に後退させ、わが国の民主主義の質を著しく阻害する。
 
| 児玉昌己 | - | 00:45 | comments(0) | trackbacks(0) |

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