東国原知事に自民の古賀選対委員長が自民からの出馬要請をして、なんと「総裁候補としてなら受ける」と応対し、橋本大阪府知事も、これにエールを送っている。他方、古賀氏の出馬要請、自民内部で大問題となっている。
実際、古賀選対委員長も、党勢挽回にと、タレント知事に頼んだ出馬依頼で、宮崎県知事があのような対応に出るなど思っていなかったことだろう。
予想されたように、古参議員の多くはなんと傲慢で不遜な、と反応している。
首相は首相で、日本記者クラブで、「本当に総理は、総選挙で勝てると思っておられるのか」と、これまたストレートな質問(実は私も記者なら聞きたかったことなのだが)を受け、かつての大自民党の総裁が持っていたであろう威厳も面影もない。また党内から総裁選の前倒し論、や総理・総裁分離論、つまり麻生おろしまで党内で飛び出す始末である。
哀れともいうべくも無残な自民を見る思いだ。
しかしである。自民党議員には、いうべきことはある。
内閣支持率が漫画的な10%台の数字しか挙げられない、およそカリスマ性や指導力という言葉と無縁の世襲貴族というべき現総裁を選んだのは、他でもない自民の諸君ではないか。
議院内閣制として、与党が、その権限において選んだ総裁であり、一般国民が総裁、総理として現首相を選出したわけでは到底ない。不満なら自らの不明を恥じるべきである。
人材飢饉という人もいるが、それは誤りだ。
人材はいるのだろう。だが、それを活かす仕組みにまるでなっていないこと、それが問題である。
一般的な社会的経験も積まず、若くして虚業というべき政治の世界に入り、およそ世離れしたネガティブな言動で、庶民を驚かせる、そんな名門や世襲の出身者が、党内幹部昇進の価値基準であり、前提となってきたからである。