児玉昌己研究室

内外の政治と日常について想うことのあれこれを綴ります。
戦い終えて日が暮れて 国民は歴史的な民主の新政権を選択す 中

  ただ記録的惨敗を招いた指導者の麻生氏は、壊滅的、解党的敗北という、事態の深刻さが理解できているのかというような、相変わらずの空を舞うだけの他者の心にまるで響かないコメントで、それが強く印象に残った。
 実に、党の最高責任者として、麻生氏は、200名近くの同僚衆院議員を一挙に「失業者」(江田五月参院議長)に追いやる状況を作ったのだから。
 
歴代総理の中でもネガティブに傑出して有権者との意思伝達の能力を欠く指導者で、自民が彼をトップにすえたことが、記録的大敗に大きく影響したことは、記しておくべきだろう。
 わずか10年前は600兆程度だった国家の財政赤字は、800兆を超えるまでに拡大した。
 世界的な経済的危機とはいえ、補正予算での大規模な財政出動を繰り返し、最悪の経済状況はほぼクリアしてさえも、この総理の支持率は10%台の漫画的状況にあえいでいた。
 このことが、この政治家の指導者としての魅力と資質のなさのすべてを示していた。
 財政出動は政治のトップにあれば、別段、彼でなくともやれる政権与党の圧倒的アドバンテージを反映しているのだから。
 他方、政治家としての資質は、長い間にかけて培われるのである。
 語られる言葉は、およそ経世済民とは程遠い、「高齢者は働くことしか脳がない」、「金がなければ、結婚するな」ど、必死に生きる高齢者や若者には実に冷たい言葉であった。
 本来ならば、そんな状況でも、なんとか未来は明るくなるようにというのが、政治家である。
 アルツハイマー発言とまったく同じ類の言葉であり、選挙戦の渦中とも思われない驚くべき表現の連発であった。
 やはり世襲貴族だといわれるほどに、政治の本質を知らず、由緒ある党のトップとしての資質に程遠い政治家であった。
 麻生氏については、日経の客員コラムニスト田勢康弘の記事を批判しつつ、私はブログの中で、
総理就任の2年前、限られた貴族的人材しか最高幹部に上れない、老いた自民の人材登用に関連させて書いていた。

2007.09.17 Monday 田勢康弘のコラム「総理の器」と人材飢饉の問題 1 
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=847#comments
 自民大敗は、昨今の政治状況について他人事みたいな論評を繰り返す、無責任な評論家に堕した小泉元総理とともに、負うべきものである。
 もとより、それは他でもない、彼らを択んだ自民のすべての議員のなせる業であり、なにより、国民による自民に対する政権と、権力という最重要政治舞台からの退場を命じるレッドカードであった。
 もっとも、小泉氏は自民党をぶっ壊すといっていたわけで、実に大願成就で、溜飲を下げているのかもしれない。ただし、いずれ同党に移籍するであろう世襲の子息は肩身が狭かろう。
 まさに小泉「構造改悪」と、彼を含めた4名もの世襲貴族的総理の政治の結果のすべてであった。
 

| 児玉昌己 | - | 14:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
戦い終えて日が暮れて 国民は歴史的な民主の新政権を選択す 上

 24時間テレビのため、筆者が関係した選挙報道では、他局より遅いスタートになった。
 8時の投票締め切りと同時に発表された数字は、民主は320を超え、自民は
95余り。
 
ありうるかもと思っていたが、実際にその数字が出口調査の予測として、提示されると、驚愕というべき数値。
 自民党関係者は茫然自失の予測。特に近年精度が随分上っている出口がゆえに、この先の展開が誰にとっても劇的になることだけは確かとなる特番のスタートとなった。

 ネットが流す予測の数値をうけ、地方局での本番が始まった。
 長崎では全国注視となっている2
区をもつ。福田候補対自民党の大物、党総務会長経験者で初代防衛大臣の久間氏の激突の選挙区である。
 彼女は、一部に小沢ガールと表現されているが、この言葉は、候補者採用過程でのみ当てはまり、小沢氏の思想的背景とはまるで異ながゆえに、まるで不適切かつメディアによる無責任な表現であるのだが。
 薬害肝炎訴訟原告団長として活躍した福田さんが、久間氏を破った。彼女こそ今回の総選挙で、単に本県選挙区だけでなく、追い詰められている生活弱者のすべての声を代表していた。
 そして、
4
つの選挙区のうち、3つを持っていた自民は、今回、すべて、民主に奪われ、同党にとって、最悪の結果になった。かろうじて、比例重複で自民は3区と4区で復活当選。民主も比例単独で本県政治家は1議席追加。
 九州は自民が強い保守の金城湯池とされて、長崎も長く保守王国であったが、完全に民主王国に変貌した。    
 振り返れば、ここ数年、自民といえば、消された年金、世襲貴族というべき閣僚の異常というべき相次ぐ言行で、自民政治に対する不満は鬱積していた。
 少子化、高齢化が進むのに対して、むしろ構造改革という名の無責任な自由放任と、社会的弱者を更に痛める政策を採り、地方つぶしに動く最悪の政策を自民が採ったことに起因する。
 
しかも国際環境としては、世界経済をリードしてきた米国が、サプライムローンとリーマン破綻に象徴される無軌道な金融資本主義の暴走を許し、それが破綻したことを受けて、最悪ともいうべき世界的不況と、内にあっては、派遣切りに象徴される雇用環境の劇的な悪化が加わった。
 
かくして、自民に対する批判票が一挙に総選挙という最大の政治舞台に噴出した。そして現れたのが、この投票結果だった。
 まさに地殻変動というべき政治の変化を感じさせる数字であった。実際、これは全国でも同じ傾向で、与党幹部は大物、閣僚はもとより、党首クラスまで落選という結果が続き、茫然自失の自民関係者だろう。 
 スタジオで地元の分析に集中していて、むしろ合間合間にNHK他を見るようで、十分他の政治家のコメント等は見ていない。

| 児玉昌己 | - | 14:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
歴史に残る第45回総選挙投開票日のスタート

 今日は第45回総選挙投開票日。候補者は衆院解散後、公示を待たずに実質的に始まった激闘の40日間余を終えて、安堵していることだろう。そして勝敗は今夜遅くである。選挙は勝つか負けるか、2つに1つだ。

 候補者は投票を終えても、胃の痛い数時間あまりを過ごすことになる。特に激戦区ならなおさらだ。

 私も久留米から研究会報告を終えて、その日のうちに長崎長与に戻ってきた。 これから投票所に向かい、その後は、解説の仕事に出向く事になる。
 投票の締め切り時間は、以前は
6時で、開票も比較的早く終わっていた。だが、今は、8
時まで。投票所から、集めた投票箱が開票所に運ばれて、開票作業が本格的に始まるのは、9時前後。
 スタジオでは、昼過ぎには、遠距離の選挙区担当のスタッフが出て、本社では、放映の打ち合わせが始まり、私は、夜まで、求められる解説の仕事に入る。

 ネットの番組との関係で、時間が設定されていく。業界用語で、ネットから降りてきた時間に、地元選挙区の解説だ。自前の記者で行うNHKを除けば、全国の民間放送局では、ほぼ全国で、このパターンで、選挙報道がなされる。
 8時
には、投票が締め切られ、歴史的となるであろう開票のスタート。

したがって、各社が出す独自の出口調査をもとに、報道と、解説が始まる。

長く熱い戦いの結果が示されるのは、特定の候補者が圧倒的に強い、いわゆる無風区を除けば、早くとも10時前後。この辺りから全国で矢継ぎ早に当選者が決定していく。
 メディアは、テレビであれ、新聞であれ、この辺りから騒然となる。
 各党の選対本部はもとより一般家庭でも、勝者の側では、満面の笑みと万歳が、他方、敗者の側では落胆と沈痛なる沈黙が支配する。
 激戦区でもつれれば、12時を超える。
 重複での決着がこのケースで、最後の数議席では、開票終了まで続き、2時を過ぎての決着もある。
 すべての解説を終えて、局のスタジオを後にするのは、日付も変わった時間になることだろう。

| 児玉昌己 | - | 11:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
今日は研究会報告、明日は歴史的衆院選投開票日 

 今日は、選挙戦最終日。ようやく候補者の長く暑い、真夏の選挙選も終わる。
 私ごとでいえば、今日は午後は、九州政治学研究者フォーラム。私も報告者である。
  欧州政党のこと、特にEUの欧州議会での反EU政党のことを話す。
http://kyushuseijiken.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/2009-in-c7d7-1.html
 明日は、歴史的となるであろう総選挙の投開票。地元メディアに呼ばれて、開票速報とその解説を務めることになっている。
  
選挙のときは、政治学者の夏も、ことのほか暑く、忙しい。

 昨日は、7月の完全失業率が5・7%と悪化し過去最悪になったことが報じられた。

 候補者も、人生と権力をかけた真夏の劇的な就活。
 自身の経験を通し発した江田五月参院議長の言葉を借りると、現職も負ければ、「ただの人」(大野伴睦先生)でなく、失業となる。
 4年前に誕生したあの小泉チルドレンとその後で観たように、候補者個々人の運命さえ変える、人生の戦いでもある。
 戊辰戦に続く幕末維新期、わが国近代史の大転換期に生まれた政治の言葉がある。 勝てば官軍、負ければ賊軍。
 政治の重要な局面でその後、特に、敗者の側から、深いため息をもって、たびたび使われてきた。
 政治における、勝者と敗者の立場の非情なまでの落差を表現した言葉である。
 実際、この時期ほど、その言葉がこれほど重みを持って迫ってくることも、他にない。

 歴史的選挙になることは、これまでの各社の事前予測の報道でもあるように、ほぼ確実である。
  そうであってもなくても、現行の選挙制度の小選挙区では当選者はわずかに1名。それ以外は、比例の重複で上がらない限り、すべて敗者となる。
 比例の復活当選を悪しざまにいう人がいるが、それは誤っている。小選挙区制度という現在の与えられた最悪の条件下では、膨大な死票を若干なりとも救済できる、優れた制度である。
 ともあれ、政党の勝敗のみならず、候補者個々人の人生をかけた戦いを前に、私もいつになく、緊張している。
 強い意志を持ち、国政を担う政治家を志した全ての候補者の健闘を祈念します。

 

| 児玉昌己 | - | 07:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
比例制度の実際2 ドイツ型は、小選挙区制度のイギリスと異なり連立が常態となる

 イギリスが、選挙制度が相違するがゆえに欧州議会結果と国内の下院議員の勢力の差は、異常というべきで、欧州統合との関係でそれについて書いた。

 長期間野党を務めるイギリス保守党は、イギリス財界もあきれる反EU的姿勢を強める党首キャメロンを抱え、党首は、そのために欧州人民党という欧州議会最大の会派を離脱して、一種泡沫政党を形成した。これについてはすでに書いている。以下参照。

2009.07.16 Thursday

欧州議会選挙28 イギリス保守党の欧州議会内新会派形成その後 上
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=1904

 イギリスでは国内下院選挙は小選挙区制で、少数意見が押し込まれ、他方、欧州議会選挙では、少数意見が議席に反映される比例制をとるがために、欧州議会のイギリス選挙区選出議員では、反EU政党のみならず、極右政党も議席を確保している。
 反EU政党であるイギリス独立党(UKIP/EUからの独立をいう民族主義政党)はイギリス選挙区で第
2
党に進出、政権与党であるブラウン率いる労働党よりも議席を得たほどである。「ファシスト的極右」(R.コルベット)であるイギリス国民党(BNP)も,
2議席を初めて得ている。
2009.06.09 Tuesday 2009年欧州議会選挙17 総括 イギリス2 特異に新鮮で異様な選挙結果 
 http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=1857

  ドイツ型の比例制では、過半数を超える政党はできにくい。したがって、政権では、第3党党と組む傾向が強い。
 ドイツの自由党党首ゲンシャーは、シュミットSPDとコールCDU政権と2人のヘルムートに連立のパートナーとして参画し、最長在任記録となる18年(1974年から1992年)にわたり、副首相兼外務大臣を務め、 そして時にキャスティング・ボートを握った。
 前政権の施策を大きく崩す 「敵対の政治」になりやすいイギリスとは違い、ドイツでは、政権の移動に伴う極端な政策のシフトは起こりにくい。
 連立を組む相手の意向を汲むからである。 連立を組む相手との交渉もあり、意思決定はそれだけ遅れるが、政権と政策の安定性そして何より継続性は格段に増す。

| 児玉昌己 | - | 23:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
比例制度の実際1 ドイツ型の小選挙区比例代表連用制

 欧州のたとえばドイツは、選挙制度として、選挙区比例代表連用(併用)制を採用している。名前は小選挙区だが、その本質においては、比例制である。まず全定数を州をベースにして、選挙区を小選挙区と比例とにわけている点では日本と同じである。つまり有権者は2つの投票行為をなす。

 とはいっても、1枚の紙に2つが仕切られて、左が選挙区での候補者と政党名、右が政党名とあらかじめ、それぞれ候補者と政党が印刷されている。

有権者は左右の箱の部分に必要な意思を記載していく。スコットランドも2007年からドイツ式に1枚の投票用紙に改められている。

 だが、まず議員定数は、日本が比例を付け足しとして、300180としているのとは違い、まずウエートが同じにしている。しかも、比例も含めて、全国集計される票が小選挙区にも及んでいくということが重要で、これがこのドイツ型を比例制度と定義づける理由となる。

 比例と小選挙区の勝者を合計して、各政党の議席数が確定されていく。余剰議席が出るがその説明は、ここではおく。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E9%80%A3%E9%82%A6%E8%AD%B0%E4%BC%9A

  基本的に、比例定数がゆえに、政治的支持が議席に、イギリスと異なり明瞭に反映される。

 それゆえ、必然的に連合政権となる。ドイツでは、連立が常態である。劇的な議席の移動もあまり起こらない。比較的に、安定した政治が維持される。

| 児玉昌己 | - | 22:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
小選挙区制度の実際3 米国の場合 下

  かくして、万単位の膨大な市民の死傷者をイラクで出し、そして米英は自国の若い兵士を多数失って、しかも、イラクの治安はまるで回復できず、なにより、米国のテロへの恐怖は軽減されないし、外交を誰も尊敬しない。実に悲惨なことである。しかし、自前で選んだ大統領だ。
 アメリカンドリームは、東洋風にいえば、一将なって、万骨枯る、である。
 米国の世界的評価は、あれだけ出費しても、地に落ちている。
 オバマ大統領の手腕には期待しているが、未知数だし、ブッシュの財政赤字のツケがあまりに多くて気の毒でさえある。

そんな無様なブッシュの政治を黙認してきたのが、米国議会である。ちなみに米国の国会議員数は、上院100、下院435。単純小選挙区制度。定数1だから、全米が435の選挙区に分けられていることを意味する。
 下院は人口が3億と約3倍になっても、1929年に現行の定数が決められて以降、80年間、下院の議席を増やしていない。悲惨というべきも議員と有権者の距離は拡大している。
 すでに書いたが、人口比での国会議員の数は、実に先進11カ国中最下位。ロシア以下である。50万人に1議席も確保できていない。
 ちなみに日本も下位から3位という少なさだ。議員の数が多いから削減せよなどは、米国と比較してのみ意味がある。
 言い換えると、定数削減論や一院制などは、小泉元総理の、政治を私物化するような、党利党略が前面に出た、一種、デマゴギーというべき性格を持つ。
 特に権力者がそれをいうから、そうかと庶民は思う。その影響は計り知れない。
 逆にスェーデンは、人口比で、日本の議員数に適用すると、4000名以上も議員がいる勘定になる。 
 それからすると、実に、異様なほどに、日本は議員数が少ない。軸を変えれば、政治が全く違って見える数字である。
 米政治に戻ると、2大政党の議員候補者の選定では、プライマリー(予備選)が実施される。これを評価する者もいるが、私はネガティブだ、というより全く問題外だと思っている。
 なにより、ほとんど、2大政党という世界に限られたものであるし、しかも、公民権を阻害する恐れの多いballot access rulesの問題に踏み込まずとも、庶民の立候補を困難にするよう機能している。
 しかも、予備選では、資金が多くものを言う。ちなみにオバマ氏はプライマリーに、邦貨換算で600億円を使っている。読売新聞20081020
 まさに、寡頭制の権威主義的政治とはこれをいう。

 

 

| 児玉昌己 | - | 09:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
小選挙区制度の実際2 米国の場合 上
   すでに他のブログ記事で述べたように、イギリスでは、スコットランド議会、ウェールズ議会、ロンドン都議選はこれを変更した。すなわち、脱小選挙区制度が主流の考えで、唯一イギリス下院(ウエストミンスター)だけが、この制度禍に苦しんでいる。

 ちなみに、米国だけが痛みさえ感じないほど政治的意識が低い。

2000年の大統領選挙では、勝利していたゴアでなくブッシュが当選するあの無様な間接選挙をとる大統領選挙制度に典型的に見るように、米国は、明らかに政治後進国といえる。

下院議会は、議員任期は、わずかに2年。当選年次と改選年次の2年だけ。
 米国の政治や、単純小選挙区制度が好きな国会議員が自民と民主に多数いるようだが、では任期も
2
年にしたらいい。
 その代わり、毎日が選挙というごとく、どぶ板で大変だよ。現在、猛暑のなか、命を削るような選挙選のなかで、言わずとも任期2年という意味がわかるだろうが。
 米下院の数だけ見て、安直に米下院がいいという。そんな不勉強によるつまみ食いなど、笑止千万である。これを猿真似という。
 やるならすべて真似よということだ。

実際、米下院のこの任期2年は、国政から長期的な視座を奪うように機能している。 
 そんな任期の異様な短さである。しかも、その機能といえば、大統領府の下僕のようである。

 内にあっては、サブプライムやデリバティブもやらせ放題。外にあっては、大量破壊兵器があると主張して敢行したイラク戦争。その事例に見られるように、これまた米上下院はブッシュ政権のやり放題を傍観していた。
 国連調査団が現地視察でないと結論付けたにもかかわらず、ネオコン政権は意図して情報操作を行い、イギリスの軽薄なブレア首相もこれに追随し、EU内での独仏の反対と、国際世論に反抗して兵を出した。
 しかも、案の定、大量破壊兵器はなくて、挙句は、うそつきブレア、ブライアとののしられ、首相降板となった。労働党の現在の絶不調はまさにこの時に始まる。 

| 児玉昌己 | - | 09:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
小選挙区制度の実際 1  イギリスの場合

  イギリス政治では、小選挙区制度の選挙では、長期政権になるがゆえに、庶民感覚を失った政党が延々と政治を行い、ついには国民の信を失い、腐敗など金属疲労し、飽きられ、嫌われ、そして劇的な議席の大変動となる。
 現在のブラウン首相がそうである。
 結果は、勝ち負けで、landslide、つまり地滑り的となる。
 しかもイギリスの下院選挙でのいびつ極まりない獲得票と議席のかい離がこれに輪をかける。

 単純小選挙区制度をとるイギリス政治(比例制の北アイルランドは除けば)の場合、すくなくとも任期5年までの間に、政治の選択の幅がまるでないがゆえにである。 
 実際、前政権が20年と長期にわたる政治を行う。それがゆえに、政権は5年簡単に継続される。そして複数の閣僚による議員の特別経費の不正使用問題で、支持率は惨憺たるもので、来年の選挙では、どこかの国の与党と同じで、一世代30年は党勢回復にかかるかもしれないといわれる大敗が予想されている。
 欧州議会選挙では、小選挙区下で議席がなかったUKIP(イギリス独立党で、EU嫌いで、EU脱退を主張し、EUからの独立という不思議な名をもつ政党)にさえ、後れをとった。
 その結果、リチャード・コルベットというイギリスが誇り、広く評価されている有能な欧州議会議員が、人種差別政党であるBNP候補に負けて、落選するという事態まで招いている。彼は比例リストで、自己の選挙区で2位にランクされていたためである。

 ともあれ、1期5年、次に勝利すれば、10年、さすがに15年目となれば、金属疲労を起こし、有権者の飽きも来る。ブレア、ブラウンと続くイギリス労働党が、まさにそれだ。
 ちなみに、日本は自民と民主では、イデオロギーの差がほとんどない。
 民主と自民の相違を強調する向きがある。だが、私には両党の相違はそう開いているとは思えない。
 もとより予算の組み替えなどの論点は重要であるが、官僚依存の軽重を、そして対米協力の程度を問題にしている程度の相違に見える。
 日米同盟の重要性にたいする認識や考えは、もとより支持されるべきものであるが、大きく相違するものとはなりえないだろう。

 なにより、民主の党幹部はほとんどが自民出身者である。
 しかも、この党における旧社会党系の政策形成への影響力の縮減は、異様ともいうべきである。
 それがために、情緒や人間関係という感情レベルでの瑣末な対立で、政策変更をもたらすという、別の危険がある。イギリスとは別の問題がある。

 日本の問題は後で触れよう。 

| 児玉昌己 | - | 22:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
選挙制度で身を削るということの真の意味

 欧州の先進国の選挙制度の基本は、バリエーションはあるとはいえ、比例制度である。小選挙区をとるフランスでも2回投票制で、上位2者の決選投票。1回目の一位がそのまま決まるとは限らない。

イギリスは地方議会とロンドン都議選で比例制度に改め、そして1999年には欧州議会選挙で、痛みを経験しながら、悪魔的な小選挙区制度を捨て、比例に変更した。それは前回書いた。 
 イギリス労働党は、欧州議会選挙での、それまでのイギリス選挙区での過剰代表状態を、まさに身を削ることを承知の上で、これを実践した。半減以下となるほど議席をそれで落とし、保守党に逆転されることになる。実際、62議席から29議席となったが、それでも断行したのである。

それで欧州議会これが言葉で言う真の「身を削る」覚悟という。

たとえば、民主は、議員定数が多いという誤った前提に立ち、驚くことには宝石というべき比例定数の大々的削減をマニフェストに書き込んでいる。そして、身を削るという。実に、言葉遊びというべき内実でしかない。身を削るとはイギリス労働党が、議席を減らすことが確実だとわかっていながら実践したその態度をいう。

 

| 児玉昌己 | - | 21:31 | comments(0) | trackbacks(0) |

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