児玉昌己研究室

内外の政治と日常について想うことのあれこれを綴ります。
黄金週間入り
 連休入り。学生さんも私たちもしばし新学年の始まりの忙しさから解放される時だ。
特段のこともないが、大分の天ケ瀬方面に出かけてくるつもりだ。忙しいときは、多忙を極めるから、休めるときには休んでおきたい。天候は相変わらず不順で、気温の変化も激しい。
 幸い今日は好天。皆さんもいい連休をお過ごしください。
| 児玉昌己 | - | 09:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
朝日の社外匿名氏「率性子」の議員削減論を嗤う 下

  日本の政治家諸君もここまでなめられるとは、恥を知るべきだろう。それほどに政治家不信が強いことを示すともいえる。
 確かに現政権の体堕落をみていると、私もこの感覚、理解できないわけではない。だが、それでも政治家は国民の代表なのである。将来、有能な議員が出てくる可能性をみておきたい。
 この書き手、朝日という有力プレスの紙面を借り、無責任にも匿名で問題のある論理を展開する。実に無責任に。朝日が、匿名を通して、そう考えているのかと思わせるものでさえある。
 この論者、落語を借りて、「3方の損」をという。敢えて、この論者の論理に悪乗りすると、どうして得といわないのか。私風にいえば、「三方一両得」がいい。
 win winこそが今、必要だ。損をすることにだれも乗るわけがない。あれは落語の世界のことだ。国民も身近に国会議員をもち、議員もより安定して、活動の幅が広がる。 
 それにしても、議員定数がカネの問題だけで語られるようになれば、世も末だ。
 この論者、行財政改革論の流れで、安易に議席削減を語っているだけである。代表民主主義の政治の本旨も、国会議員とは何かということについての、まともな哲学も見識もないようだ。
 何度も書いているが、国会議員と、試験で選抜される行政官僚の役割とはわけが違う。なんでもやすげな時流に乗り、書けばよいというものではない。
 国会議員は国民の代表であり、選出された代表として、市民と政府をつなぎ、国政の要をなす。
 とりわけ、完全小選挙区制の導入に向けた議員削減論の「国会リストラ」論など、代表民主主義を破壊する反民主主義の議論そのものであることを理解すべきである。
 有力紙と評され、内外に影響の大きな朝日の紙面を借りての、対米一辺倒のこんな国際的視野を欠いたエッセイが匿名で出される。しかも数字が出ているので一見もっともらしいから、なおのこと始末が悪い。
 選挙制度の改正がいよいよ待ったなしとなってきている今、議会について、実名で、すこしは責任のあるましな記事を出してほしいものだ。
 匿名記事については、無責任の極みで、相手にしない主義だが、相手が朝日を借りてのものであり、影響力もあるから、敢えて取り上げた。 

| 児玉昌己 | - | 22:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
朝日の社外匿名氏「率性子」の議員削減論を嗤う 中

 福祉先進国といわれるスウェーデンは人口920万で1院制の議会で、349議席もある。人口が12倍の日本に置き換えていえば、4000を超える国会議員がいることになる。  
 まして、よりによって、最低の議席しかない米国議会を日本の国会議員の議員定数削減の基準にする根拠はいったい、なにかね。
 そんなに米国議会が優れていて、いいのかね。
  米国市民の多くが反対したベトナム戦争やイラク戦争や、サブプライムやリーマンの崩壊を招いた金融資本の暴走を阻止できなかったあの、大統領府の、異様な単独主義の追認機関と化した米国議会がよいのかね。冗談ではない。
 この書き手は、日本が任期4年であるのに対して、米下院が2年任期でしかなく、当選年と改選年しかないという事実も知らないかもしれない。
 さらには小選挙区制で、2大政党以外の政党からの立候補の機会が実質的に極めて厳しく制限されている現状を知らないかもしれない。
 日本の衆院に任期4年を廃止にして、2年だけなどといえば、現職の議員は、どう反応するだろう。
 まるで、つまみ食いの、実に日本の憲法下での政党政治も十分理解しているか定かでない軽薄な議論だ。
 マンガ家というよりも、むしろマンガというメディアを使う政治思想家(イデオログー)と定義すべき小林よしのりは、かつて、「米国かぶれ」を評して、「親米ポチ」という表現を使った。
 が、私は同盟国としての米国の重要性は理解しているから、そうした表現は 使わない。
 だが米議会を基準にした日本の国会議員の削減論への対応となると、対応はおのずと、異なる。この書き手については、あえてその表現を借りるとすれば、「親米ポチ」ならぬ「親米無知」とは思えてくる。
 この記事は、いかにまともな根拠もなく、ましてやその影響を考慮することなく、米国を一方的に美化(モデル化)しているかである。
 あるいは議員削減論の背景に、国会議員など、どうでもいいとでも思っているのだろうか。おそらく政治家無能論か、あるいはそれをさらに超えて、政治家無用論に近い認識だろう。

 

| 児玉昌己 | - | 12:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
朝日の社外匿名氏「率性子」の議員削減論を嗤(わら)う 上

 長いブログで疲労した。が、それを終えた直後。
 今朝、懇意にさせていただいている方から、Eメイルをいただいた。
 今朝の朝日のネット版「経済気象台」に率性子氏が、私と全く正反対のエッセイを書いているという知らせ。以下がそれだ。 
 「議員定数は、日本の国会議員が衆・参両院で722人、アメリカは上・下両院で535人。人口100万人当たりの議員数は、日本がアメリカの3倍となっている。議員定数を3分の1とまでは言わないが、せめて半分にするくらいの覚悟がないと、国民に増税を納得してもらうわけにはいくまい。
http://www.asahi.com/business/topics/column/TKY
201004260543.html

  なんと安げで、安直な議論か。こうしたエッセイが、一般市民をして、誤った政治の理解へと誘(いざな)う。 
 社外の書き手という、率性子という変な匿名氏に申し上げよう。
 米国は、先進国中で、異様、異常というべくも、国民1人当たりの議員定数が少ない。つまり先進国の代表民主政治にあって、例外的に、国民の代表が十分、政治に反映されていない寡頭制の権威主義的政治を採用している国家であるということをである。
 先進国11カ国を並べれば、ロシアが米に次ぐ。現在、11カ国で、第3番目に国会議員が少ないのが、我がジャパンだ。日本は欧州からみれば、不十分というほどにも議員の数は少ない。この事実を全くご存じでないようである。
 インターネットで 国会議員の数については、ヤフーで検索をかければ、1160万件で私の記事が上位7位で、辞書系を除けば、3位である。
http://search.yahoo.co.jp/search?&p=%E5%9B%BD%E4%
BC%9A%E8%AD%B0%E5%93%A1%E3%81%AE%E6%95%B0&fr=tbtopie&ei=UTF-8

 そのジャパン、議員が如何に少ないか欧州の議会と比較しよう。
 イギリスの人口は6千万で、下院定数は650。つまりイギリスと比較すれば、日本では1300名の衆院議員がいてもいいことになる。逆にいえば、日本では人口比でみれば、英下院の半分も議員はいない、という事実を。
 しかも欧州では議員削減論など存在もしない。
 以下の私のブログ参照。
 http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=1650

| 児玉昌己 | - | 12:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
新党の議員定数削減と小選挙区制の英米は全く日本のモデルではない 7

  順位変動型の比例制にすれば、一般市民の立候補も容易になり、政治参加が進み、世襲議員の問題も法的に規制せずとも、相対化され、より無害なものとなる。
 もとよりどの政党であれ、党執行部の候補者選定に関する良識を前提としてのことだが。
 代表民主主義の本旨を忘れ、選挙における3大資源である地盤(地元後援会)、カバン(カネ)、看板(党の公認、首相や党幹部)を持ち、選挙において圧倒的な優位に立つ特権身分的ものに立候補を実質的に限定する政治と決別せねばならない。
 政治的志向を持つ一般市民の立候補を結果的に大きく阻害し、寡頭制の権威主義的政治へと誘導し、参加民主主義と代表民主主義を大きく損なう現行の政治と決別せねばならない。
 そして、市会議員ほどに多数の議員を国政に送り込み、国政を監視し、国政を庶民の感覚をまるで持たない世離れた特権的政治家と入れ替え、有権者の意思を正確に国会に送ることを実践すべきである。
 これこそ、今、既成秩序と既成概念を脱したいとする政党に求められている政治である。

 だでさえ庶民的経験をまるで欠き、最重要課題にたいして、決断もできず、勇ましい言葉だけが先に立ち、結果、どこに日本の統治の中心があるのか不明にし、日本の最も重要な同盟国である米国のオバマ大統領さえtrust meどころか、不信distrustに陥れ、安全保障も財政の巨額赤字も放置したままである。
 この無責任極まりない特権的な世襲貴族的政治家たちの手に、日本の政治をこの先もゆだねるのか。そんな政治であれば、私はお断りである
 政治家は、政治が政治権力という最も重要な事柄を扱うものであると同時に、それ自体、虚業でもあることを肝に銘じるべきである。
 政治というもののこの現実に対する冷厳な認識に欠き、ファミリービジネスとして、当たり前の如く政治家という職業を世襲し、庶民感覚を全く失っている政治家は不要である。

 政治家の諸君よ。そして特に、政治をバラエティーに貶める傾向の強いテレビメディアの諸君よ。政治とは何か、米国のみならず、欧州の選挙制度や政治をしっかり勉強せよということである。

 

| 児玉昌己 | - | 08:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
新党の議員定数削減と小選挙区制の英米は全く日本のモデルではない 6
| 児玉昌己 | - | 18:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
新党の議員定数削減と小選挙区制の英米は全く日本のモデルではない 5

  ベトナム戦争と並んで、あれほど米国の威信を失墜させた戦争もなかった。なにより国連の調査団が大量破壊兵器は存在しないと現地調査を含め、そう勧告していたにも関わらずの一方的派兵だったのだから。
 フセインを排除した後も、イラク統治についてもまるで準備がなく、治安も確保できない、現在の惨憺たる状況を招いている。

 サブプライム、リーマンと現在も続く金融危機を招いた傍若無人の投機的資金にたいする規制強化にたいしても米議会は消極的である。
 本題に戻そう。

 現在の選挙制度の議論は、議員定数削減は「国会リストラ」の名で行われているが、議員は国民の代表であり、軽軽な議員定数の削減論は、代表民主主義の消滅をもくろむ危険な議論であると記憶すべきである。
 小泉氏に至ってはさらに実質、参院廃止の一院制を唱えていた。参院があるから、国民の声が反映でき、先の参院選で自民に突き付けたように、その逆の形で、今の無様な鳩山民主政権に有権者がレッドカードを突きつけつつある。参院が今ほど光を放っている時もない。
 現在選挙制度の議論は有権者が行使できる一票がもつ価値の格差是正の問題として、司法の場で争われている。
 しかし、現行の制度の下、1票の格差を是正することになれば、地方の定数削減となる。だが、現在の制度を前提とすれば、日本の美と文化を根底で支えている地方がもつ国会議員の議席の劇的な削減は必定である。
 一票の格差の是正に関して、高裁での、議席配分に対する判決が出されている。
 それによれば、1人別枠方式が格差を助長しているとし、同方式について検討。「地域特性への配慮は投票価値の平等に優越する憲法上の要請とは考えがたい」とのべている。
 だが、もし現行の制度のまま、一票の格差の是正を図るとすれば、これまで行われてきたように、大都市部の議席増と、過疎地域の議席減という結果をもたらす。大都市は救われ、全国の人口減の地域は代表をことごとく失うということになる。

| 児玉昌己 | - | 12:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
新党の議員定数削減と小選挙区制の英米は全く日本のモデルではない 4

 国会議員は選挙で選出される国民の正当なる代表者である。それを単に採用試験で合格する公務員と同一視し、行財政改革と称して、削減の対象とする。とんでもないことで、政治をさらに国民から遠ざけようとする笑止千万の議論である。
 呉越同舟といわれても、国民の民意が正確に反映できる比例制度に向けて選挙制度で共闘せよ。
 議論の正当性は、膨大な死票が出る小選挙区制度ではなく、民意の正確な政治への反映である比例制にこそある。
 完全小選挙区となれば、地上から抹殺されるのは、合計、少なく見積もっても民意の3割も代表する小政党である。民主にも自民にも、小選挙区制度に軸足を置く現行制度をおかしいとする議員はたくさんいる。
 わずかな票のブレで簡単に100議席が動く制度に政治的安定もない。まして得票と議席の驚くべき乖離という状況で作られた過半数の支持もない政府が誕生し、民意を得たという。
 前回の小泉自民の圧勝も、今回の鳩山民主の圧勝も過剰代表、すなわちoverrepresentationであった。

 選挙制度史からみても、小選挙区制度など時代錯誤の反民主主義そのものである。
 翻って、小泉元首相が日本のあるべきモデルとする米国は、わずか100名の貴族化した上院議員と、人口が3倍になっても435名と、1929年の導入以降、80年余り変わらない定数を維持する下院に見る如く、議員定数が極めて少ない。
 しかもなお人口急増を考えると、米国は国民と政治家の距離がここ数十年で、目も覆うばかりに広がっている。実に、寡頭制の権威主義的政治システムをとっていることをしっかり理解しておくべきだ。

 ついでに、多くの米国留学組の保守系議員が理想とする米国議会についていえば、圧倒的に行政府(大統領府)優位な状況下で、米の上下両院は、大統領府の「悪しき」行政の追認機関と化し、国民の多くが、そして独仏など欧州の主要国が軒並み反対していたブッシュによるあの無様なイラク戦争を阻止さえできなかったことを記憶すべきだ。

| 児玉昌己 | - | 12:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
新党による議員定数削減案と小選挙区制の英米は全く日本のモデルではない 3
  すなわち国民の代表が圧倒的に少ない国家は米国くらいである。先進国で公的医療保険さえ確保されていない国家は、この国くらいである。
 オバマを大統領に迎えてようやくその改革に乗り出したのは、報道されているとおりである。それでもむき出しの古典的資本主義を是とする議員たちの抵抗が多い。
 その本質においてほとんど差のない民主、共和両党の2大政党の中で、欧州では当たり前に存在する労働者を代表する政党もなく、それを社会主義として忌み嫌うこの世界大国は、おどろくほどの貧困大国である。貧しい外国からくる大量の移民のモビリティで、かろうじて問題の爆発を回避しているかに見える。
 こうしたアメリカの状況は、ようやく同名のタイトルを持つ書、堤未果「ルポ貧困大国アメリカ」(岩波書店2008年)が出され、理解され始めている。
 翻ってわが国だ。
 独自の選挙制度案もここ40年間、打ち出せずに、無策に終始し、自、民に手玉に取られるだけの、公明、共産も、そしてあらゆる小党は少しは自らを恥じよ。
 舛添新党も同様である。銀定数は削減をと、他方、比例で10議席といっている。日本創新党でも同じ議論で、議席については同様の削減論だ。

比例1000万票で10議席目標=「第三極」で選挙協力も−舛添氏425 時事通信

 政治は数である。どれだけとっても、僅差で敗れれば、議席は1つも獲得できない。比例なればこそ、自らの存在を明らかにできるのである。
 私にしてみれば、政治学者であったはずの舛添議員は、それだけ比例制に期待するらなば、なぜ比例制への制度変更を公約で打ち出さないか。
 しかも定数拡大もいうべきである。
 彼の党も議席削減論をいっているが、これなど、民主や自民の一部の党幹部の「信条」によって主導される噴飯ものの議論の延長上にしかいない。
 定数削減論は、官僚などの行政のリストラと意図して混同させられるだけの議論でしかない。現状でも世界の民主的議会と比較すれば、十分に少ない議員定数である。
 国会のリストラなどを軽々にいう論者は、民主主義の消滅させる危険な思想を語っていると肝に銘ぜよである。

| 児玉昌己 | - | 17:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
新党による議員定数削減案と小選挙区制の英米は全く日本のモデルではない 2

 これらは、小泉氏を典型として米国がベストであるとするように、政治先進国である欧州の政治の実相について、理解が全く及んでいないといえる。
 英を除けば、欧州の政治は比例が原則である。フランスは小選挙区制度とはいえ、決選投票制度で2位が得票率がすくなくても、2,3位連合で1位を凌ぎ、当選できるシステムをとっていて、単純な小選挙区制度ではない。
 米も英も小選挙区制で、いびつに多様な意見を限定された政党が無理やり代表しているだけでしかない。
 イギリスは1999年、欧州議会選挙では、国内の小選挙区制度を
EU準則に合わせて、遅まきながら比例に置き換えた。

 米国については、私にいわせれば、間接選挙の大統領選をその典型として、実に遅れた政治のシステムである。先進国でも何でもない。250年前の植民地の旧弊、宿痾(しゅくあ)を21世紀になっても維持しているにすぎない。
 ワンフレーズで、分かったようにさせる政治手法を見せた小泉元首相は、米国が大好きがったが、その米国政治にたいする認識の低さにはあきれるほどだった。
 なによりも「欧米のように」と、政治家の数を削減すべしといっていたが、欧州では全く当てはまらない。実にこの点に限定していえば、彼は問題だったといえる。
 現状でさえ、日本は、世界の先進11カ国でみれば、米国、そして反政府的ジャーナリストが多数殺害されるロシアに次いで、現状で、国会議員は少ない。 人口一千万弱のスウェーデンでは、議員は380名余であり、日本の人口に置き換えていえば、国会議員が4000名を超える規模で存在する。

2009.01.09 Friday国会議員の数 1  日本は圧倒的に少ない

 http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=1650
  英独仏伊においては、政治家の数は、日本の人口比で見て、わが国の3倍近くいる。しかも定数削減の声など全く存在しない。
 他方、米国は、人口でみて、わずかに50万人に1名弱しか国政レベルで、国民の代表である議員(上下両院)を確保できていない。
 

| 児玉昌己 | - | 10:33 | comments(0) | trackbacks(0) |

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