児玉昌己研究室

内外の政治と日常について想うことのあれこれを綴ります。
戦略的互恵は同床異夢 下
 中国は、前原外相を排除したいようだが、前原氏といえば、ガセメール事件で代表の座を降りることになり、指導力の不足を露呈した。今回、中国に、名指しされることで、逆にその姿勢が評価されている。皮肉といえばいえる。
 中国といえば、ノーベル文学賞でも同様だったが、ノルウエー政府に圧力をかけている。政府とノーベル選定委員会は全く別のものであるのに。自国でのみ通用する、上位下達という共産党独裁の力の論理を国際政治の場で使用してはばからない。
 その遅れた態度は、まさに中国の後進性を示すものだ。
 ともあれ、領土問題は存在しないと、言い続けることが必要だ。実効支配も必要だ。竹島、北方領土で、交渉力があるのは島を実力で持っているところである。
 外交は継続である。そして、世界にそれを主張する。「両国の問題は小さい」などという限り、中国に誤った情報を発信するだけだろう。一衣帯水などといわないことだ。共産主義国家と民主主義国家との相違は、海のように深い。守るべき価値は、わが日本にあるということを肝に銘じるべきである。
 ただでさえ腐敗と格差で不満の鬱積した中国だ。その不満を、外に問題を向けることは十分考えられる。
 それにしても見えてこないのが菅総理の内政外交両面での指導力だ。 市民運動家は外交に弱いで済まされない。 
 この状況が続くと、昨年の自民同様、次期の総選挙では、形もなく消滅する恐れさえなしと言えない。次回は衆参同日選挙だ。負けるときは、ゼロサム的だから。勝敗の変動は、通常以上となる。この時期の政治の混乱の継続は好ましいことではない。
 ともあれ、国民目線で、努力を払うべきだろう。中国もわが領土だという限り、戦略的互恵も、あったものではない。そして今日の結論が、同床異夢である。
 中国との歴史は数千年というが、近代国家の付き合いとしてはまだ数十年だ。文革以降といえば、さらにわずか35年足らずだろう。実力の裏づけを持った覇権主義中国とははじめてだというべきだ。対中戦略をしっかり策定せよということである。
 
 
| 児玉昌己 | - | 07:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
戦略的互恵は同床異夢 上
  中国との首脳会談が控室10分、との報道。中国側も米国の尖閣への懸念で踏み込んできたこと レアアースで世界的に孤立しそうな中国。そのあたりでの判断だろうが、いずれにせよ、民主の外交の弱さがまさしく露呈された。
 以前からずっと指摘されてきたのが、特に外交安保についての、この政党の野党的無責任さだった。其れが与党になって、露呈してきているということにつきる。
 この政党、だれが首相かでその政党の性格がまるで違ってくる。そのことは、
ヌーベルオプセルバトール紙の取材を受けた時、そう答えていた。

http://hebdo.nouvelobs.com/sommaire/monde/090377/l-empire-du-doute.html
2010.02.23 Tuesday
仏誌ヌーベル・オプセルバトゥール誌上に日本政治に関する私のコメント掲載さる 上
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2220

民主といえば、わずか1年で代表幹事長が権力とカネで、党への国民による強い不満を引き起こし、失脚したが、その責任さえあいまいにされ、放置され国民の不満を強めていている。加えて対中外交の失態だ。観念的な平和主義がいかに現実の前でもろいものか、を露呈している。
 前原外相を名指しで非難している。内政干渉もいいところだ。都合の悪いことは、権力で抑え込むという発想が他国の政治への容喙となる。相手が民主主義国家であることを中国がしらないとすれば、世界のリーダーなどなれるはずがない。
 日本は民主国家としての筋を通し、中国は民主主義世界と付き合い方のイロハをしるべきだろう。 
 守るべき価値は中国的政治制度ではない。いまだに中国の負の側面に目をつむり、無批判に日中友好だけを語るものがいる。
 だが、わが国が65年培ってきた民主国家の価値は強調されるべきである。最近の中国の覇権主義は目に余る。21世紀にあって、民主的正統性もあったものではない、3代世襲という封建主義全体主義国家の金王朝を支え、核開発を容認する北朝鮮擁護もそうだ。
 

| 児玉昌己 | - | 06:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
札幌の国際政治学会
 国際政治学会が開催されている 札幌にいる。当地で会場となっているコンベンションセンターは、福岡やその他の地域のものと比べてコンパクトだ。コンベンションセンターといえば、物々しく仰々しく、それでいてアクセスが悪いというところもあるが、こちらは市民の生活の中にあるという身近さだ。
 機材など、それで不自由するということはない。
 学会は年に1度の学者の顔合わせの場であるが、数年会わない人もいたりで、話も弾む。最新の知らない研究を学ぶということのほかに、私たちの年齢になると、研究仲間の無事を確認する場だ。
 ところで、サッポロといえば、4日ほど前の大雪と一転し、日ごとに温かさを取り戻していて、快晴。厚着をしている手前、大汗をかいてホテルに戻ったところだ。
 それで、コートはラゲッジにしまいこんだ。明日は朝から責任者となっている国際統合分科会の司会と、午後は自由論題の部会の若手の報告者にたいする討論者。お役目を淡々とこなして、夕刻の便で札幌を離れることになる。
 国際統合分科会の責任者は今回で4年を終えて、バトンタッチして、ようやく明日の司会を最後に役目を離れる。ひそかに万歳だ。なんであれ、役職者は大変なのである。
 昨日のブログで書いたすし屋「空海」のJR札幌駅内支店、顔を出して、つまんできた。スタンド形式で、息子さんがやっている駅構内の支店、清潔感にあふれ、値段もうれしいほどで、活きのいい当地の食材を、手軽に楽しんだところだ。
 もし札幌に行かれることがあると、西口のミドリの窓口そばにある。お勧めだ。
| 児玉昌己 | - | 20:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
札幌の日、手稲と大倉山の冠雪と「すし空海」を楽しむ

  昨夜は友人と薄野(ススキノ)で久しぶりの再会を喜び、地元のすしを堪能。
 場所は「すし空海」(南3条西5丁目)。ススキノにちかいく、バカラパーキング2Fにおかれている。すし空海とは、空海先生も呼び込みそうな店だ。8世紀から9世紀にかけて八面六臂(はちめんろっぴ)の大活躍をしたわがジャパンが誇る大天才の空海先生と引っかけた名前で、覚えやすい。
 ご主人は911の頃NYのすしチェーンに招かれて、お仕事をされていたとのこと。
 息子さんも駅でスタンド形式のすし屋をやっておられるとのことで、親子同業はうらやましい限りだ。
 ネタがいいのは当たり前が、特に、庶民の味、タコは、ゆで加減があり、実に絶妙だった。それだから、後のものが悪いはずがない。ほたて、アワビ、ウニなどなど楽しい夕餉となった。
 紫蘇の焼酎タンタカタンと合わせて。
 今朝はホテル14階のラウンジレストランから、手稲と大倉山がうっすらと雪をかぶっているが見えた。例年よりすこし早いと、ホテルの朝食のスタッフ。
  さすがに札幌、それだけで、1千キロ余りをフライトしただけのことがあり、うれしい。 学会は今日から本格的だ。
 

 

| 児玉昌己 | - | 08:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
今日は学会で札幌です
  秋は学会の季節。駆け出しのころ、車内でさるご婦人と閑談していて、用向きの話となり、学会ですというと、お医者様ですかといわれて、すこし当惑した。そうだろう。一般の人は学会といえば、医師を連想するのだ。
 お医者さんには大いに学会で最新情報を学んでもらわねばならない。人文や社会科学に身を置く私たちもまたそうだ。
 会員も3千人を超えれば、もう大学ではやれない。ここ10年ほどからだか、正確な時期は失念したが、国際会議場になっている。
 今回札幌の国際会議場を使っての日本国際政治学会。50人を超えるだろう役員の1人で、分科会の司会や部会の討論者の役回りを依頼されている関係で、フライトする。
 2日前の大雪で心配したが、札幌在住で友人のEUの農業経済学者の平岡博士によると、すでに中心街の雪は解けているとのこと。
それでも日中の気温は北部九州とは10度も差があるから、コート持参となる。調べると、7年ぶりの札幌。この時は日本EU学会で北大であった。時間の経つのは早いもの。
 ともあれ、食材豊かな北海道。勉強した後は、北国のうまいものをしっかり食べてこよう。家族からはロイスのチョコのお土産のリクエストもすでに入っている。
 
| 児玉昌己 | - | 07:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
季節の移ろいを詠む 海鳴庵児玉昌己
  札幌など北海道は降雪という。北部九州も最低気温は10度を下回るというので、厚手の布団に替えた。真夏にゲゲゲの女房を見ながら、大汗をぬぐいつつ、仕事をしていたことが懐かしい。

 
 あの夏の 炎天今は 遠きにて 知るは季節の 醒めし移ろぎ
                             海鳴庵/児玉
| 児玉昌己 | - | 08:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
柴山太(関西学院大学教授)著「日本再軍備への道」ミネルヴァ書房2010年で想うこと 下
  その後、この前任者による「友愛の海」といった主権概念を忘却した実に観念的言辞と思想は、中国政府によって尖閣での領土侵犯として、試されることになった。
 国家と社会の最前線に立つべき政治指導者のずさんな主権認識と表裏一体である、無責任極まりない防衛思想がなさせた国家的失策であったといえる。
 北朝鮮や中国の脅威に対する実態認識など従来から懸念されてきた外交、安保分野であるが、尖閣処理の外交的対応の無様な対応を強く国民から指弾されて、ようやく菅総理は、朝霞訓練場で行われている観閲式で日米関係の強化に言及するに及んでいる。 ちなみに前任者はこの重要行事、外交の別用を理由に欠席している。
 カネと政治権力の問題、外交的な一方的敗北ともいうべき無残な対応などで、有権者の怒りは高まっている。そしてそれは、北海道補選での自民の外相経験者町村氏の圧勝の返り咲きという形で示された。有権者は、民主党にその対応のまずさを怒りでもって、突きつけている。
 よほど、政治を立て直さない限り、先の総選挙で登場した140名余の小沢チルドレンも、下手
をすれば、小泉チルドレンがそうであったように、あっという間に消滅することも、十分あり得る。支持のブレで大きく議席が動く、それが現行小選挙区制度である。まして政党支持が50%を切れば、ドラマテックに議席が動く。先の総選挙でみたごとく。
 ともあれ、衆院での圧勝で300有余議席を得ているがゆえに、この先しばらくつづく民主内閣である。だが、かつての末期自民が見せた連戦連敗を再現するかのような状況が来る可能性も十分考えられる。 町村圧勝はその予兆とみうるかもしれない。  
 もっとも、政治家の外交安保についての認識は、彼らの観念主義を強めた事実については、学者にも責任がなかったとはいえない。
 観念主義的理想主義に対して、平和のときに戦争を研究する必要と意義を語られたのは、1960−80年代にかけて、活躍された故永井陽之助東京工大教授であった。
 そして、今日取り上げる,柴山太先生の本書「日本再軍備への道」である。
今、ようやく戦後の日米同盟関係について、再軍備という観点から日米相互の軍事関係者にたいする ヒアリングも含めて、長年の一貫した研究の成果が出されて、実にうれしく思っている。
 以前なら防衛大学校名誉教授の佐瀬昌盛先生がNATOを通した安保研究がゆえに、東大を追われたように、タブー視された研究であったことだろう。あるいは、イデオロギッシュな政治スローガンとともに、非難の対象としての再軍備を扱った類の書はあったかもしれないが。
 柴山教授のこの浩瀚な実証的研究書は、わが国の再軍備を学術的に考察する上での基本書の1つとなるであろうことは確実であり、しっかり勉強させてもらおうと思っている。
参考記事

尖閣漁船衝突「政府対応は不適切」7割、内閣支持率も急落48・5% 本社・FNN合同世論調査産経新聞01
中国海軍への警戒強化を=自衛隊観閲式で訓示―菅首相時事通信 1024


| 児玉昌己 | - | 07:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
柴山太(関西学院大学教授)著「日本再軍備への道」ミネルヴァ書房2010年で想うこと 中
  北朝鮮の核攻撃能力の向上や中国海軍の空母まで作るという軍拡に向けた動きを考えると、観念的遊戯で終始できる時代ではおよそない。
 ソ連の膨張主義や北朝鮮の侵略で始まった朝鮮戦争のときからそうだったともいえるのだが。 そうした国際関係における国防の重みについての考察が、日本の左翼政党と政治家においては、まるでなされてこなかった。
 その最悪の例が前政権の、何の覚悟もない、実に浅薄、かつ粗雑な理想主義的な防衛認識であったというのは一般的な評価であろう。米軍の基地は「最低でも県外」といって、なんらの実践も出来ずに、左右両翼の失望と怒りを買い、その言葉の途方も無い軽さがゆえに、国民すべてからレッドカードを突きつけられ、退場を命じられたのは、記憶に新しい。
 本人は、自民党の総裁経験者を念頭にして、自ら総理をやめれば、ただちに引退すると言っていた。わずかに1年と3カ月もならない前のことだ。だが、それさえ危うい。
 最悪、国民に百万単位で、血と死をを命ずることもある政治指導者として最も大切な資質である信頼性がまるでない軽すぎる言葉によって、国民の政治不信を深め、民主支持票をその瞬間に数十万単位で消滅させることになる。そんなことも気づく知恵もない。 
 民主の支持不支持は、党関係者にとっては重要なことだが、国民にとっては実に私的なことだ。
 こうした公的に広く国民の政治不信を加速化、亢進させることが、公明の山口代表も指摘したように、実に日本の民主主義にとって問題なのである。
 実際、この前任の首相はEU型の東アジア共同体などと、EUの実態についても知ることなく、何の具体案もなく、世界と米国に向けて言い放った。しかも米国を除外した形でと。
 米国をしてルーピーとさえ言わしめるほどの無様さを露呈した。EUは加盟国内部での非戦共同体を構築しているが、対ソ(ロ)関係では、英仏の核保有を前提とし、ドイツのアデナウアー外交にみられるように、核を排除したものではおよそなかったし、現在でもそうである。 何よりEU型といえば、民主主義国家で構成されている。
 徹底して反政府活動を封じ込め、ノーベル賞でさえも、お門違いにノルウエー政府に圧力をかけるほどの、人権抑圧の一党独裁国
家など、EUの加盟国にはなりえない。そんなことも知らずに、EU型東アジア共同体などという。漫画的理解とはこれをいう。
 戦後外交の基軸を変えることをいいながら、それ相応の覚悟と、それに向かう構想があればまだ許されるが、自らを「愚かな首相」と形容し、まるで構想の中身を欠いた荒唐無稽な言葉だけのアイデアに終始し、対日不信を招いた。
 参考記事

首相経験者は退任後引退を…民主・鳩山代表読売新聞2009726

公明代表「進退翻す前首相、国民の不信増加」読売新聞1025
参考ブログ
定義なき東アジア共同体鳩山構想の危険1-9
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2062&target=commentform

| 児玉昌己 | - | 12:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
柴山太(関西学院大学教授)著「日本再軍備への道」ミネルヴァ書房2010年で想うこと  上
  柴山太関西学院大学総合政策学部教授から「日本再軍備への道」ミネルヴァ書房2010年をご恵贈いただいた。ちょうど佐瀬先生のアクロス福岡講演のことを書いたばかりだった。それで、本書刊行によせて思うことを書きたい。
 柴山先生とは浅からぬ縁だ。若き日、同志社の大学院で麻田貞雄教授のゼミで、先輩後輩として、机を並べた時期がある。その後、彼はエール大学に日米の防衛関係の研究のために留学し、私は金丸輝男教授の下でEU研究を志し、ベルギーの欧州大学院大学に留学するなど、研究者としてそれぞれの道に進んだ。
 その後は、それぞれに自立して研究者としての生活に入り、お会いすることはあまりなかったのだが、それでも国際政治学会や、海外出張に向かう国際空港のスポットで偶然お会し、短いながらも充実した会話をするなどの日々を重ねて現在に至っている。
 長年の防衛研究が実を結び、 今回、2段組、700頁を超す大著を世に問われた。実に喜ばしく、九州の地からお喜びしたい。
 日米安保条約は、いつの間にか、特に、日米同盟という言葉に置き換えられて現在に至っている 
 が、その内実を言えば、特に民主党などでは、佐瀬昌盛先生(防大名誉教授)の言葉を借りれば、ただ乗り然の「既得権益」と化している。
 しかも、民主は、イデオロギー的に実に雑多な集団であり、トップが誰かで、その内容ががらりと変わるほどの可変性をもっているが、この政権では、都合のいい既得権益となっているかの観がある。
 尖閣の防衛も、自ら国土を守るという日本の覚悟や気概があって初めて、米国の日米安保の協力義務があると佐瀬先生は喝破されたが、領土侵犯に対する右往左往というべき対応を見ていると、防衛ということの本質が理解されているのか、不明といわざるを得ない。
 余談だが、日米安保条約の共同防衛については、第5条で規定し、軍事攻撃に対処という文言があり、軍事攻撃でなければ、その対象でさえない。つまり今回のようなケースによる侵略行為については、その対象ではないともいえる。与党の政治家諸君の何人が日米安保条約の条文を真剣に読んだことがあるのかさえ不明なのだが。
 先の大戦にいたる過程で軍国主義がもたらした大惨禍は深刻であったし、その反省の上に立った戦後の平和主義はもとより国是である。
 だが、平和主義は他国の愛他主義に負うのではない。自国のしっかりした国防についての観念があって初めて可能となる積極的平和主義に負うものである。
 まして、東アジアの国際環境は、、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」」という憲法前文を鵜呑みに出来るほどの状況ではおよそない。
 
| 児玉昌己 | - | 12:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
雨の朝を詠む 海鳴庵児玉昌己
  日曜日の雨の朝、間断なく降る雨。秋雨だ。

秋雨の 花を濡らして 無情なり 朽ちたる花を さらに打ちしか
                          海鳴庵/児玉
              
| 児玉昌己 | - | 10:34 | comments(0) | trackbacks(0) |

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