児玉昌己研究室

内外の政治と日常について想うことのあれこれを綴ります。
大晦日 雪にて幕に 御座候 2010年海鳴庵/児玉

 年末年始の大雪予報というので、病の床にある叔父の久留米転院の準備で、家人は実家に戻っている。長女は、級友とのカウントダウンに出る。
 独りの年末年始。所帯を持った頃はお金もなく、親から独立したという意識があり、戻れば家人の実家も共に歓迎してくれたのだろうが、互いの実家に帰省もせず、年越しソバもインスタントだった。
 それでも、将来に向けての始まりを切ったばかりで、なんの痛痒もなかった。年越しのソバがあろうとなかろうと、紅白を見ようが見舞いが、新年はやってくるのである。
 30有余年の時を経て、今夜は独り。フグのてっさと越前そばで、ささやかながら、緩々とした時を過ごすつもりだ。ヘネシーのXOでも横に置いて。
 誰に遠慮もあるものか、である。

 

大晦日 雪にて幕に 御座候
              海鳴庵/児玉昌己

来年もよろしくお願いします。

| 児玉昌己 | - | 17:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
大晦日、大雪の久留米の朝 一年を振り返る
 昨夜は9時を過ぎて、みるみるうちに雪。12時にはすっぽりと我が家も辺りも包まれる。
 静まり返った深夜、カメラを持って屋外
に出て、珍しい西国の雪景色をデジタルカメラでに収めた。闇夜に浮かぶ銀世界。実にロマンテックであった。
 朝10時には道路の雪は消えたものの、屋根には綿のような雪が陽を浴びて輝いている。
 ブログを読み返していていろいろあったことを改めて確認する、長い一年であった。
 同盟国の重要性を理解しているから、「親米ポチ」などとは言わないが、それでも親米無知
というほどの浅薄かつ粗雑な欧米政治の知識で、つまみ食いの如く、日本の政治を語る政治家や、メディアに対して、欧州政治を事例に、定数削減論の愚と、現行小選挙区制度の問題を指摘し、政治家無能論からくる政治家不要論、すなわち議員定数削減論であふれかえる論調に警鐘を鳴らして、多くの反響を得た。。
 12月には高く評価されるべき、西岡参院議長による比例代表を基礎とする参院改革案の提示に至ったことなど、印象深い1年だった。
 以下がそのブログである。 幸いにして、一日5千件以上のヒットを記録したものだ。

2010.07.02 Friday 議員歳費と議席の削減論について 4 先進11カ国の人口比別国会議員定数 再録

 また、対外認識では、同じく欧州で進む統合という言葉が国家主権との相克の問題であることを指摘した。EUでは本を一冊書いた。 それでいいたかったことは、日本のEU認識の問題そのものであった。
 ブログでは、以下のものが私の主張の要約というべきものである。
 再録しておこう。鳩山前首相の東アジア共同体論と、最もレベルが高いといわれる日経の社説を意識して書いたものだ。内容ともに以下に一部再録しておこう。

2009.10.10 Saturday 定義なき東アジア共同体鳩山構想の危険 4

  EUをもっと勉強してものをいってほしい、そう強く危惧する昨今のこの総理の東アジア共同体論である。EU認識のお粗末さは政治家だけではない。
 メディアがそうである。国家連合であるかのような「欧州連合」という語訳に引きずられて、通貨同盟や関税同盟など加盟間で主権的権限のEUへの大規模な譲渡を核心とする同盟関係を結ぶEU(欧州同盟)の本質を正確にとらえきれていない
 事実、日経は以前、社説(2007325日)で「アジアにローマ条約は可能か」という論説を出したことがある その時、私は、このブログで、冗談だろう、と一蹴した。
 欧州統合の発展段階を生物学的進化の過程になぞらえて、次のように形容し、批判した。
 カメ(爬虫類/自由貿易圏FTA)にもなっていないカエル(両生類/現在の段階)にたいして、君はイヌ(哺乳類/EUの統合段階)足りうるかと問う愚問だと指摘した。

2007.08.15 Wednesday 粗末なEU認識−日経よお前さんもか 4
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=794

2009.04.12 Sunday ASEAN無惨 幻想の共同体 上

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=1766|

| 児玉昌己 | - | 10:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
大雪の予報を前に、雨の静かな晦日 
  晦日。皆様はいかがお過ごしだろうか。
 いよいよ平成22年も(2010)年も終わりに近い。久留米は雨。予報では、正月寒波の襲来予想。雨が雪に変わるのだろう。
 もとから静かな住宅街。正月休み入りして、日頃の朝と午後の幼稚園の送り迎えのにぎわいもなく、静かな時間が過ぎていく。
 実に慌ただしかったこの一年だが、特別の仕事を抱えて、この5月から全力疾走で、正直疲労している。 正月明けの4日までの締め切りで大学院年報に出す論文も1つあるのだが、休ませてもらえないというのが実情だ。
 ともあれ、年末年始で、エネルギーを蓄え、新年を迎えたいものだ。
| 児玉昌己 | - | 10:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
近づく寒波と、日本政治の冬景色

 海自の候補生に続き、今度は陸自の教え子が昨夕は来訪。「友愛の海」どころか覇権主義や核開発に狂奔する「独裁の海」のアジアにあって、しかも例外的に、宝石のごとき民主主義にたつ平和国家であるわが国の防衛を第一線で担う諸君だ。
 一緒に夕食をとりながら、仕事のこと将来のことなど聴く。言葉などやりたいというから、 上質なスタッフが求められるし、定年が早い自衛隊では将来も活きるから、人がやらないロシア語など、おやりと助言。
  また今日は、鳥栖市議を5期務められた同志社OBKさんが、青年商工会議所JCの若手リーダーのY氏を伴い、来訪され、アレコレ閑談する。千客万来の我が仕事場だ。
  ところで、あの夏の炎暑を思い出すと、この厳冬、不思議な気分だ。実際、温暖な九州でも雪。だいたい暑い夏は寒い冬となる。温暖化現象はあるものの、地球はバランスをとるのである。
 政治は、新政権を迎えたが、実に日本列島冬景色。
 普天間問題で、米政権にはルーピと評され、実行力ゼロを内外に見せ付け、国民からは、左からも右からも総スカンを食らい、レッドカード突き付けられ、退場処分。
 しかも、巨額な不労所得の収入を得てその地位にあることを忘れたかのごとく、自己が発した言葉に何の重み、責任も持たずに、引退を取り消す指導者がいたり。 さらには、ナンセンス極まりなくも、党の代表が「一兵卒」に振り回されるというごとく。
 最悪は、対中外交上の重大事案を、国民の知る権利など何のその、情報をすべて遮断し、わずかに公務執行妨害と済ませて、現場に責任を押し付けるなど、権力の中枢での唖然とする憲法感覚ぶりに、政治家不信は高まるこの一年であった。
 せめて温かいものでも食べて、と思うものの、庶民の懐は寂しく、就職未決の学生諸君のことを想うと、実に辛い年の瀬である。
  せめてギャグなりと発して笑いたい。
 ホッカイロの宣伝だったとおもうが、不確かだが、笑えるものとして、以下のものがあった。ロシアと思しき雪の中の買い物の場面。列を作っている、順番待ちの一人が、情けなさそうに、いう。
 「おてても足(あんよ)もシビレンコ」。そこで、一声、「ドント・イレンコ!」
 ロシア語の人名の音に似せたものだが、30歳以上の人はご存じかも知れない。ソ連崩壊後のロシアを揶揄したようなCM作品だった。 今は、これまた国際条約の知識も歴史も知らない指導者を相手に抱えて、対ロ関係も最悪だ。
 カイロといえば、5年前在外研究でベルギーに滞在中、技術者で日本にも研修できたことのある家主で親しくしていたデュクロップさんに、ホッカイロを見せると、驚いていた。
 酸化鉄の反応熱というと、さすがジャパン、やるじゃないかと感心していた。今はかの地にも入っているだろうか。
 ともあれ、 日本列島冬景色。



| 児玉昌己 | - | 17:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
クリスマス明けの日曜日 欧州で越年、正月を迎える辛さ

  クリスマスになると思いだすのは、荒井由美のヒット曲、「さやしさに包まれたなら」(1974年)だ。「小さい頃は 神様 がいて 不思議に夢を かなえてくれた」というあの歌詞をである。両親のことだろう。
 私事だが、子供のころは、早くに他界した父が、そして母が枕元に置いてくれたプレゼントで、温かで、優しさに満ちていたこの日の思い出が懐かしい。
 出生について、子は親を、そして国家を選べない。それだからこそ、愛を注いでくれた保護者がいる人、偶然にも、まともな国家に生まれた人は、なにより幸せなことだろう。
 2度の欧州での留学で辛かったのは、クリスマス明けから数日続くお正月までの間。ロンドンのクィーンズウエイのフラットにいるときはまだしも、ベルギーはブルージュの欧州大学大学院時代は、寮からは退去させられるし、特にであった。幸い、来ないかと誘ってくれたワルシャワ出身の同期生のエバの自宅に移り、良くして頂いた。
 クリスマスが終われば、ヨーロッパの人は、11日は、前夜のカウントダウンを除けば、財布も気持ちも、ぬけの殻の数週間だ。
 欧米で越年したことのある人なら、正月が如何につまらないものとなるか、経験されたこともおありだろう。
 有力な在留邦人を集めて新年祝賀を行う在外公館(それは性格上、日本そのものなのだ)は別だろうが、そして21世紀の今は情報社会で、携帯で同時空間を獲得できる時代となり、様変わりしているのだろう。だが、あのときばかりは、日本での正月が恋しかった。
 特段、何がなくともである。
 スーパーでは、クリスマスソングのCDに代わり、今日からお正月の音楽が流れてくる。それを無性に聴きたい。独楽回し、凧上げ、羽つき。日本人がつくった、そして急速に消えゆく正月の原風景だ。
 
 年の初めの例(ためし)とて、終わりなき世のめでたさを、松竹たてて門(かど)ごとに祝(いお)う今日こそ楽しけれ
「一月一日」 (作詞:千家尊福/作曲:上真行、明治26年(1893年)8月 文部省唱歌として官報告示)

は以下

https://www.youtube.com/watch?v=iREdv7j03kc

お正月

http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/oshogatsu.htm

 

| 児玉昌己 | - | 09:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
小雪の2010年のクリスマス(久留米) 江田島から教え子来訪

  クリスマス 久留米は小雪。
 皆さんは、いかがお過ごしだろうか。大学も休みに入りホッとしている。    
 昨日は昼、通知表などもらって帰宅する小学生をみかけた。

 午後は、今春から江田島の海自幹部候補生学校に学ぶ教え子のI君が、休暇入りで、久しぶり熊本に里帰りするという。途中久留米に立ち寄り、挨拶に来てくれた。海曹長という位だ。
 父君に見せたくて、制服でくるという。私もそれを望んだことだった。

 前近代的な農村戸籍を残したまま覇権主義を強化する一党独裁国家や、核開発に狂奔し、都合のいい時だけ同胞と言いつつ、平時に無辜の市民を巻き込んだ砲撃をする、僭称する「共和国」とは縁もゆかりもない、狂気の世襲全体主義の独裁国家や、民主家闘士を長期間拘束してはばからない軍事独裁国家、さらには平時に国家間条約で取り決めた領土を不法に占領している国家などが跋扈するアジアである。
 そこにあって、戦後65年ひたすら、専守防衛の平和主義に徹し、宝石のごとくも、民主主義を維持しているわが国家のために、凛々しくも、平和国家の国防の使命に、第一線で従事、活躍してくれるのは、素朴にうれしいことである。
 なお、江田島のお土産と持参してくれたのは、幹部候補生学校の5省(ごせい)のマウスパッド。5省とは、海軍兵学校時代からのもので、就寝前に、唱えるもので以下だ。ちなみに英文もある。

 Japanese Naval Academy’Five Reflections
  1.至誠に悖(もと)るなかりしか

  Hast thou not gone against sincerity?
   2.言行に恥ずるなかりしか

   Hast thou not felt ashamed of thy words and deeds?
  3. 気力に欠くるなかりしか

   Hast thou not lacked vigor?
  4.努力に憾(うらみ)なかりしか

   Hast thou exerted all possible efforts?
  5.不精に亘(わた)るなかりしか

   Hast thou not become slothful?


 冷えてきたが、今夜は、勤務校の大学院年報に掲載予定のイギリス総選挙の考察に取り組むつもりだ。

 

| 児玉昌己 | - | 21:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
アクロス福岡での講座の後、生パスタの店、「レックス」でクリスマス・イブ
 今日は今年最後となる、アクロス福岡での最新欧州事情の最終回の講座。
 帰宅途中、西鉄大牟田線の花畑駅で朝日新聞論説委員の脇阪紀行さんが電話をくれていて、かける。本が届いたこと、そして書店でも出ていて、買ったよとのことだった。
 その本というのは、依頼されて、あの炎暑の中、悪戦苦闘で執筆していたNHKカルチャーラジオのガイドブック「「EU・ヨーロッパ統合の政治史」のことだ。
 イブに出るとは聞いていたが、東京では書店にならんだとのこと。九州では、配送に2日ほど遅れるとのこと。それでもこの福岡で唯一到着していたのは、大濠にあるNHK福岡。買ってきましたという受講者もおられて、恐縮した次第だ。 講演が終わって、外はクリスマスイブ。
 随分冷え込んだ福岡だが、熊本大学出講時から懇意にしている博士在籍の研究生が参加してくれて、今夜はイブ、パスタとワインでささやかに行きましょうと、アクロスから西鉄天神に向かってすぐのダヴィンチ福岡天神ビルにあるレックスに出向く。
  店内は、4人掛けのテーブルが2つに、2人掛けが3つ、カウンター8席と小ぶり。敷居が高くないのが気楽でいいし、むしろ家庭的な雰囲気の味わいがある。
 グラスワインで乾杯し、カニとエビのパスタを注文。隣では、遅れて到着した彼氏が、彼女に花束をプレゼントし、喜ぶその雰囲気で、福岡でのクリスマスイブを感じていた。
 パスタとスープは実に美味。パスタの量を聞いてくれるのがうれしい。通常の1.5倍をお願いした。ウニのバージョンもあり、それも試してみたい。お値段はお手ごろを超えて、むしろお値打ち(バリュー)だ。
 お世辞抜きで、店自慢の生パスタはいけた。シェフ、古迫さんの腕で、味付けもよく、いい店を見つけた。
 いつもは同じく近くにある益正(ますまさ)で、餃子、出し巻き卵で焼酎黒霧を楽しむのだが、今夜ばかりは、クリスマス。
 「浄土真宗門徒には無縁に御座候」などと、茶々を入れることなく、日本人が磨いたパスタ専門のお店で、いい気分で、久留米の自宅に戻ったことだった。
| 児玉昌己 | - | 21:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
参院議長参院選挙制度改革案に関し、長崎時代の受講者からコメントを頂く
山口様
 コメント有難うございました。その後も、継続的に、ブログを読んでいただいていて、感謝です。
 それにしても、長崎(純心大学)の時代も随分昔になりました。長大に政治学を非常勤で出ていたのは15年ほどにもなりましょうか。もっとも前ですかね。久留米移籍も、もう9年が終わろうとしています。あの折は諸般の事情で、貴重な機会を実現できず、私も残念におもっています。
 しかしながら、時を経て、混迷する時局において、そして政党自身が右往左往しているように見受けられる昨今、西岡議長の参院選挙制度改革に向けたリーダーシップは、まさに大所高所にたったもので、中身において理に適い、時宜において適切で、実に喜ばしい限りです。
 比例制のブロック制度は、私が一案としてブログにも書いていた方向と重なるもので、実に嬉しいことです。時を経て、こうした形で議長のご活躍を紹介させていただき、人生の縁を感じるところです。
 それゆえ、特にコメントの欄ではなく、本欄で紹介させていただきます。機会があれば、ゆっくりお話ししたいものですね。


投稿者長崎市
(児玉先生のご薫陶を受けました)山口喜生です。

御無沙汰失礼致しております。

 長崎大学経済学部にて児玉先生の「政治学」を受講致しました山口喜生です。西岡武夫参議院議長の「参議院改革」提案を評価して頂き、大変嬉しく思っております。
児玉先生の「講義」の際に、西岡武夫さんが来講する機会が得れず、今さらながら当時を残念に思い出しました。あの折り、市議会議員レベルではない、西岡武夫さんに、90分間でも全く構わないで、児玉先生のインタビューが可能でありましただけに今でも残念でなりません。
 当時、西岡武夫さんは落選中でしたが、了解・了承を得ておりましただけに、かえすがえす今でも残念に思います。

 

| 児玉昌己 | - | 18:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
西岡参院議長の選挙制度改革案を高く評価する 下
  比例にすれば、連立が常態となる。広範な民意がドイツのように集約される。それが安定政権を生む。
 翻って日本はどうか。
 300議席を得て、本来は安定政権のはずが、こうも不安定な政治となるのはなぜなのか。
 小選挙区制度が、政権奪取が目的となるため、外交、安保や社会政策に関するイデオロギー(世界観)と政策の大きな相違に目を瞑(つむ)り、強引な政党形成を誘導するからであり、そしてそれがまた有権者の膨大な死票による不満を常時拡大生産しているからである。
 政党は本来政党の理念と目的があるが、2大政党制ではまるでそれを組み上げられない。
 米国の政治システムを何か特段優れたもののごとく、善とし是とするものがあるが、大統領制として、その議会の機能は、議院内閣制をとるわが国議会の機能とは異なるものがある。
 そうした日本とは成り立ちも理念も違う行政府優位の国家のシステムを我が国に、つまみ食い的に、そのまま持ってきても、百害あって一利なしで、全く問題にならない。
 米国上下両院の議員定数も欧州の政治先進国からすると、寡頭制の権威主義的政治というべくも、異常、異様に少ない。
 100万人に2人も国民の代表である議員の議席が確保できていないのは、先進国にあっては、米国くらいである。人口6千万のイギリスは、わが国との人口比でいえば、1300の衆院議員がいる計算である。
 そんなにアメリカが良ければ、下院にならって、衆院の議員任期も同様に2年にすればいい。当選年次と改選年次しかないのが米下院議員だ。
 再選をめざし、そのために地元のどぶ板政治に忙殺され、ベトナムや、イラク戦争でもみられたように、開戦も含めた国家利益に関わる重要政策など、大統領府がやる事柄だと、行政に任せて、議会本来の行政への監督など2の次となる。
 おそらくそんなことも知らずに、米国礼賛をしていることだろう。
 ともあれ、ようやくまともな提案が参院議長から提起されて、実に喜ばしい。なお議員定数は、国民の代表の数に関わる重要事案だ。
 議員が政治をつなぐということからすれば、議員歳費と政党助成金を削減しても、議席を確保せよということを述べておきたい。
 議席の大幅削減を言う渡辺代表と、みんなの党の諸君にいいたい。
 一定の議席が比例であったから、今の議席数と政治的な地位があるということをである。そうでなければ、貴党は、支持が議席とは結び付かなかったということをである。



 

| 児玉昌己 | - | 17:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
西岡参院議長の選挙制度改革案を高く評価する 中
 小選挙区制度での、96,00,03,05,09と5度、14年の総選挙の経験があきらかにしていることは、2大政党に半強制的に誘導することで、現在の民主みたいに、誰が党首に立つかで、まるで違った内容の政権が成立する、つまり一種「野合」的な政権が成立することの危険性が露呈されたことである。
 比例を前提とする参院改革の方向性が西岡議長から出されたことは喜ばしい。
 無所属の個人の立候補については、政党を形成すれば、個人の立候補もより容易になる非拘束名簿式ということも高く評価される。政党の幹部が比例名簿の順位決定で恣意性を発揮しないようにできるのが非拘束式名簿の利点である。
 代表民主主義は、政党政治が基本だが、この機に、市民に配慮した方法もあってよい。

 何より、現行の、膨大な死票が出る小選挙区制度から、得票に応じて数学的に議席に比例させる方向がなにより理にかない、民主主義に適っていることは論をまたない。小選挙区制度を基礎にしていては一票の格差是正は対処できない。なぜなら、総定数を増やさない限り、有権者数において劣る地方の切り捨てとなるからである。
 小選挙区制で、日本の一部の政治家に誤って理解され(あるいは意識的にデマゴーグとして流されて)、主張されている理想形とはまるで異なり、この小選挙区下で、イギリスの有権者は、民意の反映を阻害され、長く苦しんできた。そのイギリスでも、近年、欧州議会選挙ですでに実証されるように、比例制に向かいつつある。

 議論の前提に、ねじれがあると指摘する者がいるが、ネジレを悪くいうなかれ。2院制においては、1院の横暴の除去ということが、憲法上の2院の存在理由である。
 まさにねじれも民意であり、実にその機能を果たしているということである。制度的に評価されているのだ。民主主義での意思決定は中国や北朝鮮とは違い、時間もカネもかかるのである。
 参院の批判は、様変わりである。以前はカーボンコピーと批判されていた。 
 衆院と同じ判断だと批判された。今や一転、ネジレは問題だといわれる。
 実に劇的な変わりようである。
 小選挙区制の下では、むしろ民意の反映として、評価されるべきが参院である。無理に、半強制的に政権を獲得するためだけに野合的に政党を形成する。そうした政権を小選挙区制度が生んでおり、そしてまたそれがネジレを生むよう作用している。
 毎日新聞の両記者には、そうした認識が必要である、旨述べておきたい。

| 児玉昌己 | - | 17:14 | comments(0) | trackbacks(0) |

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