なにより、1994年の公選法導入までは、中選挙区制度であり、現在の小選挙区制度とは違い、定数6-3名ということで、複数議席を得る自民から、公明、共産と複数定員の大規模選挙区ではどの党も候補者を当選させることができた。
だが、状況は一変する。
膨大な死票が出ること、これが小選挙区下での総選挙の現象であったが、政権奪取のために、内部の基本的政策の対立を抱えたまま、野合的政党が出てくる。これが第2の現象である。
実際民主において、基本政策をめぐる各政治家個人の立場の相違は、極めて大きなものがある。自民党時代にもそうした相違はあったが、総務会や政調会という党内のチャンネルで規制され、政府の政策としてはまだ一元化されていた。
しかるに民主はどうであろうか。政権トップが入れ替わるごとにコロコロと変わる。
外交政策における鳩山由紀夫前総理や仙石前官房長官と、前原外相の立場の相違がそれだろう。内政ではTPPで菅首相と山田前農相との相違がそれだろう。
小沢氏についていえば、財政均衡など眼中にないバラマキ型で利益誘導型の自民党的な古い特性を引きずっていると評する者もいる。
党内はもとより、知識人の中にも、熱狂的ファンもいる同氏だが、政党を壊しては作り、壊し屋のイメージがある。
政党の解党と、創設のたびに受け取った政党交付金について、その資金の所在が問われることになり、あるいは、最近のことを言えば、菅首相が国会で、当時の小沢代表が口にした2・6万の子供手当の額の高さついて、びっくりしたといい、岡田幹事長も同様だといったことにも、党内でいかに杜撰な政策議論しか行っていなかったかということである。これも含めて、小沢政治の一側面を物語り、実に示唆的である。
ともあれ、改正公選法のもと、小泉政権時や鳩山政権誕生時に見られるように、厖大な死票を生みつつ、43%程度の集票で73%の議席を得る異様な状況が生まれ、一転、その後の2009年の総選挙では、自民と民主がまるで入れ替わる、巨大政党と、弱小野党という形で政治が明確な姿をとって現れることになった。
参考記事
子ども手当 首相も岡田幹事長も「支給額聞いてびっくり」 野党は反発 産経2011.2.24
小沢系議員、「びっくり」発言に抗議=官房長官は陳謝時事通信 2月25日