児玉昌己研究室

内外の政治と日常について想うことのあれこれを綴ります。
落ち込んだ時は、米加ポピュラーソング2曲

  内外のことで、ストレスを抱え、落ち込むことが多い最近。精々、元気の出る名曲を聴いて、歌って気分転換だ。

私といえば、youtubeTie a yellow ribbon around the old oak treeMichael Bublé(マイケル・ブーブレ)のsave the last dance for meを聴いている。

 上にあげた両方ともすぐにメロディが出てくる人はいいとして、そうでない人も、ああこれか、と聞いたことはあるだろう。

以下、

http://www.youtube.com/watch?v=7NCZ4l8FCFc
http://www.youtube.com/watch?v=qmi3EPUrw6g

 なお前者は、
1973年に米国で発表、ビッグヒットをとった。邦画山田洋二監督、高倉健主演「幸せの黄色いハンカチ」1977年公開の元となった米国のオリジナルの歌曲。

後者は、同じく邦画、周防正行監督、役所広司「Shall we ダンス?1996年(平成8年)公開で使われている。

 

| 児玉昌己 | - | 16:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
アクロス講演と福島新潟の豪雨、そして異常円高無策の日銀
  昨日は浅羽准教授による最新の韓国事情の講演。FTAはなぜ韓国では可能かということで、大いに知見を新たにした。
 先生は講演後は、ソウルに調査研究で直ちに移動されるという。
 福岡は国際空港のある都市で、また21世紀はそうした時代になったことを改めて確認した次第である。
 なお、深夜3時の三条市の豪雨の映像を、今朝NHKで見たが、半端ではなかった。信濃川を含めた大小河川の一部決壊で、38万余の住民に避難勧告ということだ。
 震災と豪雨被害に見舞われた関係地の皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
 なお76円台の異常な円高。日銀による機動的な市場介入が強く求められる。断固として短期的な投機筋による市場の円高には人為的に対処せよということである。
 主権国家としての当然の行為である。無策をこまねいて、企業と雇用、そして国民を苦しめるなである。
 政府日銀はいつものように市場を注視しているという。冗談だろう。大規模介入こそが、短期的利得で動く投機家への回答であるべきだ。
 無為無策を続ける政府、日銀の無残さは言葉を失うばかりだ。

| 児玉昌己 | - | 15:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
本学アクロス福岡公開講座 天神の青空
  大学は夏休み入りした所あるが、本学はようやく、今日が前期の終講。週明けから試験期間入り。それでもほっとする。
 今日は午後3時からアクロスで、山口県立大学の浅羽先生をお招きしての朝鮮半島情勢の公開講座。人選をしたものとして、その司会を務めることになっている。
 先生はソウル大学で韓国語で学位をとられた俊才だ。
  「メディアと日本」というテーマで、海外支局長経験者に講話頂くシリーズは無事終了したが、激動の国際政治経済をみる前編として、アジアの政治経済事情が始まった。
 若き日、金大中拉致事件を毎日新聞元ソウル支局長として担当された古野喜政先生が初回だが、体調を崩され、12月に順延となった。それで、実質的に、このシリーズとしては、これが初。好天に恵まれ何よりだ。
 アクロスでの本学公開講座といえば、20年以上の歴史を持つ。10年前久留米に移籍してきて、私が初めて、講話したのも、真夏のことだった。終わって、まだ青々とした福岡天神の高い空が新鮮だった。
 今期、定年で東京に居を移された大家重夫先生(著作権法)に何か話せと請われて、専門とするEUと欧州統合の政治を話したのだがこの時であった。
 話した内容よりも、あの解放感に満ちた、初めての天神の渡辺通りが、眩しく、印象に残っている。
 若い世代の優秀な韓国、朝鮮半島研究者のお話を期待しつつ、鳴き始めた蝉の声を、早朝の久留米の書斎で聞きつつ、そんなことを思い出している。
久留米大学公開講座の案内については以下。
http://www.mii.kurume-u.ac.jp/shien/koukai-d.htm
 
| 児玉昌己 | - | 06:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
フェイスブックの更なる衝撃
  フェイスブックの効用を書いた。単に効用を超えて、その威力で、昨日から興奮している。
 28年ほど前にベルギーのブルージュに、それぞれの希望を胸に秘めて集まり、そしてお互い肩書も何もない時代、教室で机を並べ、学寮で寝食を共にした。
 それが欧州大学院大学の時代である。
 その同窓生の消息と、コンタクト・アドレスが次々と把握できるようになったからである。
 イギリス関係では、バリスター(法廷弁護士)になっているスチュアート、シティユニバーシティの教授をしている経済学者のキースなど、長年気にかかっていた仲間も所在がつかめた。
 全欧州規模で秀才が集まる欧州大学院大学だが、1967年ハルシュタインの後任として、ベルギーが生んだ欧州委員長の名にちなんだJean Rey学年(プロモーション)は、当たり年というべくも多数の人材がでている。
 米国のスタンフォード大の近くに居を構えるリサが、さらに多数の同級生の消息を知らせてくれた。
 インターネット上で同窓会ができそうな雰囲気だ。実に嬉しい。
なお欧州大学院大学での私の留学記は以下。
欧州大学院大学留学記(PDF)
| 児玉昌己 | - | 22:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
フェイスブックの効用

 フェイスブック、皆さんお使いだろうか。ミクシーがあったり、ツイッターがあったり、インターネットでの人間関係の構築も実ににぎやかだ。

今日はフェイスブック。

 ブログは5年を超えて書き続けている。おかげで、読者のみなさんの他に、東京のキー局も含め、たくさんのメディア関係者とも交流が広がっている。それで十分だと思っていた。
 フェイスブックといえば、2年程前だか、パリからフェイスブックで、挨拶が届いた。

 パリ政治学院の副理事長で欧州大学院大学同窓のクリスチャン・ルケンヌ教授からのもので、これが始まりだった。それで私も登録し、今に至っている。 
 だが、友達の友達と自己増殖的に人の輪が広がることの面倒さと煩瑣さを感じて、あまり使っていなかった。

 ところが。今日はフェイスブックの威力を知ることになる。

 韓国の大学教授で、日本でも県立シーボルト大学で教壇に立たれ、生前親しくさせて頂いた禹先生のお嬢さんがリクエストで私に問いかけていたのである。

 先生が亡くなられて5年余り。先生と出会ったのは1999年春のこと。ワイツゼッカードイツ元大統領の長崎訪問の講演のその時に交流が始まった。

 私といえば、当時母を亡くし、落ち込んでいたのだが、塞いでばかりではだめですよと、板門店見学でもしませんかとソウルに誘って頂き、以降、懇意にさせて頂いた。
 韓国EU学会理事長経験者で、同国のEU法の第1人者、延世大学の金大淳教授との出会いも、禹先生とのことだった。

 私が構築できた韓国との心の絆の大きな部分が先生の急逝で断たれて、悲しく思い、その後のご家族のことを想っていた。
 今回フェイスブックでの呼びかけを機に、先生ご一家と交流が復活したのである。

 横の広がりについては、ブログなどよりも、よほど威力を発揮するのが、このフェイスブック。改めてその威力を知った次第だ。

 それを機に、欧州大学院大学の同窓で、欧州司法裁判所の判事として赴任しているオランダ人のマルクや、夫君のいるイタリアのローマを拠点に活躍している女性ジャーナリスト、フランス人のアン・トレカなど、同窓生とも連絡がとれて、実に嬉しい一日だった。

参考ブログ
2006.06.10 Saturday 真の国際人の訃報
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=136

2007.01.17 Wednesday韓国EU学会のこと
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=414

 

後日記
フェイスブックの効用(2)

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2885


 

| 児玉昌己 | - | 22:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
広がるセシウム汚染牛と末期菅政権 下
 この政権の政治では、国民の負担は重くなるばかりである。しかも、その実績たるや4カ月過ぎても、多数の被災者は、いまだ仮設住宅さえ住めず、避難所暮らしが続くありさまだ。
 そして辞めるまで続くだろう、意味を失うほどにも軽くなるばかりの謝罪の繰り返しと、居座りである。
 国家は、そして政治は、政治家個人の栄達や権力欲のためにあるのではない。

 党の内外から向けられるこの政権に対する批判は、国政への「信認」(credibility)の危機から、国家の「統治」(governability)の危機へと発展しつつある。

 実際、辞任が決まっている指導者が、あれこれ言ってもそれを、だれがまともに受け取るだろうか。まして海外に出かけるなど、経費の無駄とはこれをいう。
 東電にもこの責任は当然だが、求められる。

原発擁護論と放射能汚染の過小評価や軽視の論調が目立ち始めたが、主観的議論を排して、経済的に見て原発はコストに見合うのかね。

汚染牛の処理は、責任のわずかな一端でしかない。今回の震災は未曾有かつ大規模な原発の炉心損傷と高濃度の放射能の地上と海への拡散を生んでいる。
 政府のレベル7への危険度の見直し発表を受けて、4月には「海のチェルノブイリ」と形容した。
 それほどの規模だ。地上同様に、海の資源の汚染が明らかになってくる。
 セシウムのみならず、炉心損傷がまき散らす史上最悪の害毒、プルトニウムについては、ごくわずかを除き、報道管制の如く、まるで報道されていない。

これでも原発の電力コストは他よりも、安いと言えるのかね。
 我々は人類史上初めてというべき原子力発電というものの相貌のすべてを、今強烈な痛みをもって、体験しつつある。
 目を開いて、この原発とそれが引き起こした放射能禍を直視し、これを真剣に考察する人類的課題を、どの国以上に負っていることを自覚すべきであろう。

参考記事・ブログ

被災3県議長、首相退陣求める動議提案へ読売新聞 724

セシウムわら、新たに4道県で使用 出荷牛1600頭超 朝日2011723日 

染わらで広がる波紋 民主党の“後手”に泣かされる産経新聞723
2次補正予算案可決首相、セシウム汚染牛陳謝 産経新聞 720
菅首相、なでしこVで「私もあきらめない」読売新聞 719
「なでしこ」見習うなら、次の政権にパスつなげ  日本経済新聞
2011/7/21
セシウム汚染牛出荷、648頭に新潟・山形も 読売新聞 2011718

ブログ
2011.04.13 Wednesday
 レベル7 海のチェルノブイリか
 福島原発重大事故

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2794

| 児玉昌己 | - | 11:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
広がるセシウム汚染牛と末期菅政権 上
  セシウム汚染牛の拡大は、まさに原発禍とその拡大そのものである。

汚染の恐れのある肉牛の県内からの出荷頭数は計1183頭になったと、以下、時事が伝えた。

「疑い牛、さらに944頭出荷=稲わらのセシウム汚染―宮城県」 時事通信 723

原子力政策の思いつき発言など状況を受けて、経団連や産経はもとより、読売も、穏健な日経も産業政策の混乱に対して、さすがに悲鳴に近い批判と辞任を求める記事を連日掲載している。

政府は、2次補正予算案可決にあわせて、セシウム汚染牛の失態を陳謝した。

それにしても、あきらめないと、ナデシコジャパンの快挙さえも権力維持のために使うようなレベルだ。先の鳩山政権同様、この政権与党の特色は、党内調整とか閣議というものが、まるで機能していないということである。私の主張が党の主張というごとく、出る指導者でまるでその中身が変わる。しかも土台のマニフェストと称した公約自体がまるで財源的に見て破たんしたものであるというごとく、お粗末なものだった。 
 しかも、
末期のこの政権、原子力発電をどうしていくのか、トップが指導力を著しく欠いているため、所管の経産大臣とにみられるように、閣内不一致は目に余る。
 政府内部の意思も統一されず、辞職が目前の首相がアレコレいって、政治は混乱するばかりである。

 今回の原発の重大損傷に伴う原発禍の広がりについては、この政権に全ての責任があるわけではない。
 巨大震災自体は自然災害で、だれの責任でもないし、原発は、6か所から大津波が集中するまさにその地点に建てられた福島原発にみられるように、その杜撰極まりない立地と、安全対策を神話化させ、それをばらまいた電力会社や、原子力学者の一部、そして歴代の自民党政権に1義的な責任があるだろう。

 だが、3.11以降の原発禍の広がりについては、この政権の責任にある。 セシウム汚染牛の広がりは、まさに、首相の謝罪が示すように、この政権の下で起こった人災である。
 如何に原発禍、放射能禍に対する対応が言葉だけで、実質的な監視がなされていないかである。セシウムの体内摂取は、ガンマ線により体内被曝の高い危険を生む。

 汚染牛については、国家が買い支えるという。そしてありきたりの、いつもの謝罪だ。
 だが、その資金はだれからのものだ。国費からなされるとすれば、冗談ではない。
政治家の失策は、結局、国民が支払わされることになる。しっかり監視できていれば、こんな無様なこともなかったのである。

| 児玉昌己 | - | 08:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
期限と時間 想いのある年 
  今日の主題は、アナログ放送の終焉と、チデジ、地上デジタル放送の全面実施にともなうことであった。すなわち、時間についての各人が持つ思い入れについてである。
 これは、連日報道されているチデジ終了に触発されたものだ。
いよいよ地デジが今日で終わる。
 ちなみに、このチデジ、尾籠な話で恐縮だが、キレジ(切れ痔)など別の語を思い出させる、およそ美的センスに欠く省略言葉である。
チデジ、すなわち、アナログ放送から地上デジタルへの一斉切り替え導入の広報活動は、記憶に間違いがなければ、7年ほど前から始まった。その後、デジタル化とアナログ放送の終了について、周知期間の間の数年をかけて、あちこちで、報じられてきた。

決定された当初は大分先のことだと思っていた。そしてその時がいよいよ来たわけだ。ここ3年で、わが家もブラウン管がすべて液晶テレビに置き換わった。

時は確実にやってくる。みなさんも、期限と時間を意識されたことがおありだろう。

私の場合、期限ということでは、研究上で思い出に残る年がいくつかある。1985年に、1992年。

EU研究者として欧州の市場統合で、ミスターヨーロッパこと、ジャック・ドロール欧州委員長が1985年から唱え始めたのだ。あれから20年。市場統合白書から26年。今の大学院生が生まれた頃だろう。随分時間が経った。 
EUに言葉がある。
ユーロ・スクレロシスEurosclerosis
、EUの経済硬化症候群。
 すなわちヨーロッパの経済停滞だが、それを、多数の国境障壁を法によって、粉砕し、1987年単一欧州議定書の条約発効で打破していく。1992年末とはその達成の目標である。
 現在、わが国で震災を契機として議論され始めた電力、天然ガスのインフラ整備と共用化、送電網、送ガス網への第3者乗り入れなどは、
EU
は、この時期に本格的に取り組んだのである。
 
ヨーロッパ統合といえば、その後、1993年11月にはマーストリヒト条約を発効させ、経済通貨同盟を構築し、2002年1月から、ユーロの現金流通を開始、通貨統合を実現した。

2011年夏現在、ギリシアの放漫財政とソブリンローン(国債)を引き金としたユーロ危機を招き、財政統合を必然化する政治同盟強化の新たな過程で、生みの苦しみを経験している。

 1985年、単一欧州議定書につながる市場統合白書で市場統合を旗印にしたEU(当時はまだEEC)を対象として、研究を本格化させた。
 あれから四半世紀を経た。往事茫々である。
なお3.11の東日本大震災の2011年も、無様な政治とともに、私を含めた多くの日本人に忘れ得ぬ年になることは疑いもない。
参考ブログ 

2006.06.22 Thursday 美しさを欠く省略言葉

 http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=168

| 児玉昌己 | - | 07:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
中途半端な夏を詠む 海鳴庵/児玉
  小中校は夏休み入りだが、大学は終講も期末試験もこれから。夏も中途半端だ。
 中途半端は、聞かれぬ蝉しぐれも。3
月まで雪が残ったからだろうと、旧知の業者。
 坪庭には、白い玉の花が咲いている。庭師さんに聞くと、茗荷という。調べると花ミョウガのようだ。それらを詠む。

 

鳴かぬ夏 なくは寂しき 蝉しぐれ 

 

白き花 これも茗荷と 呼びにけり 

 海鳴庵/児玉

2011.06.10 Friday 海鳴庵児玉昌己句歌集2011年前半
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2672

| 児玉昌己 | - | 23:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
台風が去り、寒い朝
  台風はいつの時も被害が案じられるが、東京や震災被災地はどうだったのだろう。
 壊れた護岸や沿海部の地盤沈下の対策はいまだ手つかのようだから、浸水被害などが案じられる。
 北部九州は寒い朝。ここ数日、どんよりとした梅雨の続きの様な雨雲だ。
 室温は25度。梅雨明け以降の2週間猛暑だったが、その時期からは、5度は下がっている。ひんやりとして、ヨーロッパの朝のようだ。気を抜いて庭にでると、蚊にかまれてしまった。
 皆さんのところはいかがだろうか。
 ヨーロッパといえば、ギリシアのソブリン危機に発するユーロ危機がくすぶり続けているが、ドイツとギリシアがユーロ圏首脳会議前に、会議を開くとのことだ。米証券市場もアップダウンが激しい。こちらも、知恵を傾けて、収束に向かうといいのだが。
 

 
| 児玉昌己 | - | 06:35 | comments(0) | trackbacks(0) |

このページの先頭へ