児玉昌己研究室

内外の政治と日常について想うことのあれこれを綴ります。
芙蓉の花を詠む 海鳴庵/児玉

8月の最終日。心地よい外気に誘われ、早朝散歩。路地の芙蓉の花に目が行く。芙蓉に似た花がむくげ。ハイビスカスと同じ学名がつく。同属で、花も似て、秋の訪れを知らせてくれ、ともに嬉しい。

 

挨拶は 芙蓉の君か 路地の角

往く夏を 飾りて送る 紅芙蓉  

 

 往く夏に 芙蓉、槿(むくげ)の 紅き花 同じに咲きて 
季節(とき)を
彩り            海鳴庵/児玉                          

 

| 児玉昌己 | - | 07:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
野田民主政権の誕生
  議院内閣制をとることからして、民主政権以前の自民党時代の代表選がそうであったと同様に、最大勢力を持つ民主党の代表選挙は、そのまま、総理大臣選出選挙でもある。
 実質的に、日本の総理大臣を決するその与党の代表選挙が行われた。NHKの実況中継を見ていた。
 決選投票では、野田佳彦財務大臣(54)が215票、海江田万里経済産業相(62)が1
77票であった。

 海江田氏と野田氏の獲得票は、第1次投票では、143対102。一回で決着をつけたかったが、そうとはならず、上位二者による決選投票となった。
 そこでは、海江田陣営が危惧し、それゆえに初戦でケリをつけたいと願っていた通り、1位だった海江田氏は、決選投票では、わずかに
34
票積み増しただけに終わった。
 他方、野田氏は第1次で
102票だったが、決選投票では、実に第1次投票で自らが獲得した票よりも多い、113票も積み増す結果となった。

 これが意味するところが重要である。そして、その理由ははっきりしている。脱小沢で民主党の衆参両院議員の多くが結集したということである。
 これは民主党の野田政権にとっては、嬉しいことであり、同時に悲しいことであるのかもしれない。
 すなわち、今度は党内の最大野党を持つことも意味し、党内融和という野田氏の希望の言葉とは裏腹に、今後の政治状況と小沢氏の判断如何に関わるが、党分裂の可能性もさらに高まったということになる。
 ただし、小沢氏の代表選挙での2連敗は彼の力を確実な低下を示してもいる。党内での最大勢力を持っているとはいえ、小沢時代の終わりを見せ始めているともいえる。

 マニフェストの無残な廃止や無視にみられるごとく、本来的に、左右両翼を含めた雑多な野合的性格をもった民主党という与党である。党内の対立を押えこみ、政権獲得だけをなによりも目指したというこの政党の性格が改めて明確になった代表選挙だった。

 野田氏の政治手腕は未知数だが、2代続けた政治指導は、その末期の内閣支持率が10%台という漫画的数字が示しているように、無残なものであったが、今後は、より調整型、穏健なものとなると考えている。個人的には、財務省主導の増税路線が気になるところである。
 憲法上残された任期は後2年。
 国民から総スカンを食らった鳩山・菅政権が終焉し、この代表選挙で
民主の大きなガス抜きは一応は終わった。
 今後は自民に目が向く。
 この自民は、依然として
、全くぱっとしないカリスマ
性に欠く党首を抱えたままである。今後は自民が最大野党として、その政治の質が問われることになる。

| 児玉昌己 | - | 14:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
 福沢に見る言葉の凄み―新首相選出となる民主代表選を前に
  世の一般的な傾向として、特に政治家の言葉に「凄み」がなくなった。
 国家を預かる指導者クラスの政治家の言葉がそうさせるのだろう。皆さんどう思われているだろうか。
 たとえば、右からも左からも、そして米国からもあきれられ、そして有言不実行で、支持率を急減させ、1年もせずに「退場処分」を受けた鳩山氏などはその典型だ。
 「秘書の責任は政治家にあり」に始まり、「首相をやめれば、引退」、そして、政策編では、米国抜きの東アジア共同体、基地問題では「最低でも県外」などなど。 国内にそして世界に対して放った言葉が、わずかな期間をおいて、ことごとく覆されていく。
 個人のレベルでは「嘘も方便」とか「本音と建前」という言葉もあるように、そう使い分けもありうる。
 またそれが意味を持ち、あるいはむしろ必要な場合もある。 たとえば身近にしているものの深刻な病状などの場合などなど。
 だが、その発言や意思が1億2千万の人間の生命や財産を預かる、国家の指導者となると、話は別である。
  幕末維新の修羅場をくぐった思想家や政治家の言葉は違う。
 日経の有名な「私の履歴書」では、今月日本画の小泉淳作氏が担当されているが、幕末維新期、わが国が誇る最高の知性の1人であった福沢諭吉の言葉を紹介され、心に残った。
  師として仰ぎ、高齢でも活躍された画家の生き様との関連で、紹介されていた。
 「死に至るまで老いることなかれ。」 
 もとより、政治の言葉ではない。人生の格言である。だが、凄いことだ。それぞれの生き方や職責を、生涯現役として、地道に果たせということだろう。
 福沢が残した政治の言葉としては、「門閥制度は親の仇(かたき)でござる」というのもある。
 福沢は、冒頭に触れた東大出身の鳩山氏とは違い、慶応義塾の創設者だ。 私の思い過ごしであるならいいのだが、
その慶応、最近はすっかりイスタブリッシュメント化して、在野精神を失ったように思えるのだが。福沢は、徹底した在野の思想家、実践家だった。
 ともあれ、21世紀初頭の政治家。民主政権発足と同時に、2代続いた無様極まりない政治指導の後、今日新たな政治指導者が誕生する。
 国家の指導者とは何か。
 我々、市井の人間とは決定的に違って、極限の局面では、国民に対して、百万人単位で死と血を命ずることさえ求められるのが、国家指導者である。
 そのものたちの言葉に凄味が欠け、その軽さだけが際立つ最近である。
 だれが国政のトップになろうとも、そうでないことを望みたい。
 
| 児玉昌己 | - | 08:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
菅政権の終わりと後継代表選の凡庸な団子レース 下

  挙句は、職務を終えたら引退すると言っていたものの、都合が悪くなると自己の言葉など何のその。
 「クルクルパー」(ワシントンポスト)と形容されたこの前任者が、菅首相の退陣時期をめぐり、自己の後継の菅氏を「ペテン師」だといったり。
 前総理が現総理をそのように罵るなど、前代未聞なことで、この2代の民主の首相については、この一事において、この政党の野合的性格と、政治指導者としての質が知れるところである。

 このペテン師発言は野党から突き付けられた衆院本会議での不信任案を前にして、談合よろしく会合し、引退の言質をとったと思い、それが裏切られて、鳩山氏が発した言葉だった。すなわち、明確な退陣時期の表明を先送りし、延命に終始した菅首相の行為について発した表現だった。
 ともあれ、なんだかんだと理由をつけつつ延命をしてきた総理が、さすがにこれ以上の居座りの名分を失い、訪米を断念し、ようやく出した退陣表明である。
 菅氏本人は「胸を張っての」、ということのようだ。

  庶民との目線との落差は大きすぎる。
 この政権が国民に与えた政治家と政治不信は、自民末期に続いた世襲貴族的政権以上のものだった。
 後は知っての通り、凡庸なる候補者による団子レースだ。
 消防にたいして出動を要請するため、権力的暴言を吐き、後に謝罪したものもその中にいる。
 この政党には多数の支持がそれなりに向けられていたはずだが、期待を裏切るどころか、怒りさえ持つ市民が多い。
 この党は、まともな意思決定の機関がまるで機能していない。政権獲得だけを目指して形成したために、粗製乱造で、自民党が少なくとももっていた党決定と内閣の決定という一連の意思決定行為に対するルールを欠き、いわば、法治でなく人治政治というべきものであった。
 すなわち、誰がトップに来るかで政党の政策が大きく変わるという、まるで政党としての一貫性を欠く、いわば私党というべき性格をもっている。

 それがこの政党がめまぐるしく基本政策が変わるという無様さとこの政党への不信を国民に晒し続ける要因である。内閣支持率は15%という末期自民も真っ青な状況だ。
 ともあれ、菅政権が終わった。
 衆院
300議席余を得ているこの政権政党である。憲法上規定されている任期はまだ2年もある。

 選挙制度改革は未着手だが、最高裁から違憲判決も出ている1票の格差について、緊急避難的に合意をして、早く総選挙をというだけでしかない。元より抜本改革は比例代表制の導入である。
 ともあれ、一時代の終焉だが、2代にわたる民主政治家の無様きわまる政治指導。
 政治学者ならずとも、実に慙愧(ざんき)に堪えない、総皆さんが思われていることだろう。

参考記事ブログ

福島第1原発>放出セシウム…広島原爆の168個分毎日新聞 826()2228分配信

2011.04.13 Wednesday レベル7 海のチェルノブイリか  福島原発重大事故

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2794

2011.05.28 Saturday2カ月経過も原発禍の始まりと東電の対応について保安院も内閣もなにも把握できていない無責任 下
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2833

 

| 児玉昌己 | - | 11:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
菅政権の終わりと後継代表選の凡庸な団子レース 中

颯爽と登場した前任者の世襲貴族的政治家鳩山氏は、戦後日本国家が国是としてきた日米同盟について、何の周到な外交戦略上の検討もなく、ムードとして、東アジア共同体、しかも「米国抜き」ととんでもないことをいい出す始末であった。
 外務省も、岡田氏も目を回す対応が苦い思い出で残っている。
 さすがに米国のオバマ民主党政権内部はこの首相を「ルーピー/クルクル・パー」(米ワシントンポスト)と形容するほどにも憤った。実に、日米関係を根底から損なう行動であった。
 こうした思慮のない無責任さは、沖縄の普天間基地問題で立証される。すなわち、「最低でも沖縄以外」として、他でもない自らがいう公約を実践できなかった無責任さとなって、「ハトでなくサギだ」と、世の厳しい指弾を浴び、「最低以下」の政治家として、退陣を迫られることになる。

 そして、今日のブログのテーマである菅政権の登場だ。彼は小沢氏との代表選を闘い、これに勝利し、首相の座に就いた「市民運動家」である。
 ところが、彼は、政治資金規正法が禁じている外国人からの政治献金で、外相の首が飛んだそのあと、自らも、政治資金規正法違反が発覚していた。
 あのままであったら、その地位の重大性と、額の大きさから退陣となっていたであろうというのが、本当のところだ。
 それが
3.11
の直前のことだった。まさに彼はその当日、首相であったことを「運命的」と語ったが、日本国民にとってそれは「悲劇的」だったと歴史が評することになる可能性が高い。

 かくして政権がスタートしたが、なんと、例の尖閣の出鱈目さ。官房長官と全容を隠ぺいし、海保職員が「違法」と知りつつ明らかにするまであの重要な主権侵犯を隔し、それを暴露した当事者の海保職員を辞職に追い込んだ。
 そして大震災と原発の4つもの連続する大爆発。そして私が4月段階で「海のチェルノブイリ」(2011年4月13日付ブログ)と形容した空前の原発禍の始まりである。

 イギリス公共放送BBCは「大爆発」との見出しで放映しているに、当事国の我が官房長官は保、安院と東電のメッセンジャボーイよろしく、「爆発的事象」と表現する無様さだった。

 最悪の事態回避ではまともなリーダーシップも発揮できず、放射性物質の大規模な地球的拡散を意味することの意味も知ってか知らずか、「ベント」の遅れの発表は俺がするといていた。
 結局、安全神話をばらまきつつ、電源確保もできず、東電の経営陣は広島原爆の
168
倍のセシウム他、有害放射性物質をばらまいた。首相はその後官邸に引きもった。
 なお地上最大の猛毒のプルトニウムに有無については政府は報道統制しているかのように、ほとんど触れていない。

 ヘリでの現地入りの視察では、予報で分かっていた雨天の日を災害視察に合わせて、キャンセルしたり、ようやく出かけた被災地では、形だけの視察を見とった避難被災者から「もう帰るのか」と詰め寄られたり。組合か政党集会よろしくガンバローという言葉を発するしかない。
 どこが市民運動家出身かといえるほどにも、被災者に寄り添うということからまるで遠いというべき行動に終始していた。

 

| 児玉昌己 | - | 09:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
菅政権の終わりと後継代表選の凡庸な団子レース 上

  1つの政権が終わるということは、政治学者としては通常は心がはやるものである。これまでなら、書くべきことを多数見いだし、書いていただろう。
 しかし、政治のことから少し離れていた。ドックだの、本来の業務など多数あったからだが、やはり意識的に書かなかった。 
 書くことの意味を見出さなかったからである。はやる心どころか、淀んだ澱(おり)のようにさえこの政権については、感じているからであった。
 懇意にさせて頂いているある著名大学の名誉教授には、この政権について語ることは時間とエネルギーの無駄だとさえいわれていた。
 実際、民主の政権と政策をまともに分析しようとしても、政策の財源的背景も、政策の一貫性も、政権に就くトップによって、いとも簡単に撤回されたり、「空」にちかいその実態であったからである。

 意味をみない程に、ひどい政権と政治指導だったと思っている。そしてそれが、同様に凡庸な候補者たちの団子レースの中で、継続するというつまらなさだ。
 民主党という政党はまるで政党としての責任ある体をしていないことに最大の不満をみている。
 党議決定した小沢処分を、党のリーダーになるために、平気でなし崩しにしようとするものがいたり。代表経験者の処分という重大事案である。そうであれば、離党し、別に政党を形成すべきだろう。
 この分裂的性格は、民主政権の成り立ちの初期からそうであった。
 平気で公約を破るわ、一体自民攻撃でどれほどそれを悪として叩いてきたかである。
 自民の違約どころのことではない、国民に約束し、党の基本となっていた政権公約、すなわち骨さえ抜いてしまう出鱈目さだった。

  

| 児玉昌己 | - | 08:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
人間ドック2日目の朝 
 ドック(dock)の朝。とはいえまだ真っ暗なこの時間。昨夕6時半に、夕食を終えると、疲れが出て、8時前には就寝。おかげで未明の3時前には目が覚め、ほどなく起床。

病院の13階の専用の個室で、ブログを書いている。これもネット環境があればのことである。
 病気治療の入院ではないので、各種検査のための、摂食制限や、入室管理があることを除けば、ホテルと変わらぬ。

夜のメニュも、ホテル並みで、「お品書き」を添えて出される。病院の栄養部が作成し、配膳するものだ。参考までに823日夕食は以下。

御飯

南瓜ポタージュ

タンドリーチキン

ホウレン草コーンソテー

豆腐トマト煮

春雨とワカメ酢の物

じゅん菜梅肉ソース

果物

  以前は人間ドックという制度も習慣もなかった。ちなみに調べると、1954年に始まったとある。制度化されるのはその後のことだが、私の周囲では、この制度が意味を持つのは、25年のことになるだろうか。
 
50年前は、病院食といえば、一般に、配膳職員の退社時に合わせて、5時前に配膳が終わり、冷たく、プラスチックの無機質な食事だった。 

 世離れたれた富裕の世襲政治家か、はたまた虚栄心だけで、見識も志も、言葉だけの政治家による超円高の放置と逡巡に見られる無様きわまる政治により、産業空洞化など、翳りを続ける21世紀初頭の日本経済である。
 だが、年々悪化するような政治の質とは対照的に、病院と治療、保健という領域では、終末ケアという発想も含め、医療環境の進歩を反映して、その質においては、別物となっている。
 有り難い時代ではある。
 昼過ぎまでには、検査、診察と昼食を終えて、「解放」される。

| 児玉昌己 | - | 04:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
2011年晩夏の人間ドック入りで詠む 海鳴庵/児玉
  夏はオーバーホール。恒例の1泊ドック入り。今年は大学病院の新棟完成で、個室でインターネットも使用可。利便性は大幅アップ。ただし、検査のつらさは変わりがない。それで2句。針の山とは採血の多数の注射のこと。


 胃カメラの 辛さ変わらぬ 口(こう)も鼻(び)も

 針の山 娑婆はまだかや 晩(おそ)き夏
                 海鳴庵/児玉


参考ブログ

昨年は以下詠んでいる

2010731日人間ドックから戻る それを詠む 

  針の山 解かれ嬉しや 蝉しぐれ
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2459
              



  
| 児玉昌己 | - | 15:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
暑さ寒さも彼岸まで
  越後湯沢の宿、花月を出るとき、23度で、若女将が、自然の風です、管内のエアコンは落としています。ということだった。十分秋を感じる涼しさだった。
 今日はもう21日。昨夜も、今朝も、同じく我が家もエアコンはなし。というより十分涼しい。
 いつの間にか、8月も下旬。九州北部も断続的に降り続く雨のために、気温も下がっている。
 甲子園が終わると、夏が終わるという。秋雨前線もみえてきた。季節も、夏を残したまま、ようやくその勢いを落としつつあるようだ。
 日曜日だが、大学は、どこもオープンキャンパスの季節。それで、この後、学校に出る。
| 児玉昌己 | - | 07:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
長岡、新潟、越後湯沢の旅を終えて帰着 下 五頭温泉郷環翠楼など

  最終日の今日は、小雨をついて、奥清津第二水力発電所見学。
 その本質において、馬鹿げて非人間的で、時代遅れの原子力発電の、十分に想像できた重大事故の後である。エネルギー確保が焦眉の急となっている。
 水力にたいする否定的評価の見直しと積極活用もと思った次第だ。

 また発電所にちかい、西武が開発した苗場のスキー場の夏場の冬景色。
 バブル以降、目算が狂った湯沢駅近郊の高層マンションの閑散とした風景をみたところだ。

 宿舎でいえば、五頭(ごず)温泉郷村杉温泉にある環翠楼(かんすいろう)。ネットで調べて予約しただけだが、はまさに樹齢数百年の杉の巨木を借景にして、明治、大正、昭和、そして平成の現在まで受け継がれているラジウム温泉のこの宿の存在自体が驚くべきことであった。夕食は部屋食の懐石。上品で、ホームページの写真よりかなりいい。入れ替えたがいいだろう。

 なお環翠楼は同じ名で箱根がある。あちらはかんずいろと呼ぶ。無関係だが、ともに風格のある老舗温泉旅館だ。
 その他、食では、海藻をつなぎにした小千谷へぎそば。ちなみに「ヘギ」とは木製のそばを盛る長方形の器とのことである。一口づつ分けてあるのが芸術的に綺麗である。

 その他、長岡のかぐら南蛮みそ、五十嵐邸レストランの昼懐石、お酒では、元より多数の銘酒が知られているが、今回知ったのは、〆張り鶴(しめはりつる)。冷やして、生でのむと格別。
 また、阿賀野市にある五十嵐邸ガーデンレストランでは、国際的に評価を得ている地ビール、スワンビールなど賞味した。伊藤家にはかなわないとはいえ、豪農の邸宅をそのまま使用していて、リッチな気分に浸れる。スタッフの
Sさんの気配りには、感謝。

 3泊4日の旅だが、とにかく新潟は広い、そして美味い。それを実感した旅だった。
 なにより、今回の旅のスポットについては、大学同窓の税理士のA君、そして後半の全行程で車を出して頂いたT先生のセレクションの質に負うところ大で、感謝の言葉以外にはない。
 1日一便しかない直行便を利用し、短時間にコンパクトに回ったが、新潟を少しなりとも身近にさせて頂いた。有り難いことである。
参考サイト
http://www.kansuirou.jp/

http://www.swanlake.co.jp/main/ikarashi_restaurant.htm
 

| 児玉昌己 | - | 09:45 | comments(0) | trackbacks(0) |

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