児玉昌己研究室

内外の政治と日常について想うことのあれこれを綴ります。
ゼミOB生からの元気な報

 朝、江田島の海自幹部候補生学校で学び、その最終課程として、現在、遠洋体験航海中のゼミOB生から、順調に、訓練航海の務めを果たしているという連絡があった。
 職種に関しても近々決まることになり、月が変われば、帰国するという。それで、時間があったら挨拶に出向きたいというものだ。
 教師をしていて嬉しいのは、卒業生の活躍だ。特に身近に接していた学生たちのものは、なおさらである。どんな職種であろうと、それぞれに自分の人生を始めている教え子の報はうれしい。
 この航海を経て、海曹長から3等海尉に昇進するI君については、経験を積み、無事、任務を全うし、帰国し、海舟、竜馬らの手によって幕末期に開かれた日本海軍開闢以来の伝統行事である、遠洋訓練航海の土産話など聞けることを楽しみにしているところだ。

| 児玉昌己 | - | 19:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
これが原発と原発禍の実際である 東電賠償、3〜4兆円と試算=再稼働、値上げなければ資金不足に
 時事通信が以下伝えてきた。
 「東電賠償、34兆円と試算=再稼働、値上げなければ資金不足に第三者委 927
 実に馬鹿げたことだ。原子力発電のコストなど十分明らかにされてこなかったし、原発立地の交付金も莫大である。その払いはすべて、国民の税金である。
 しかるに、安全神話をばらまき、原発禍が起きれば、かくのごとき無様さで、さらに国民と都民にツケを回す必要が説かれる。あいた口が塞がらないとは、このことである。
 東電も、原子力産業も、学者も、政府官僚も、いわゆる原子力村の住人たちは国民の税金で、潤ってきたことがよくわかる。
 天下りは50人以上とは、毎日の報道である。歴代4人の経産省(前身含む)首脳OBが天下り後、東電副社長を務めた、ともある。
 原子力エネルギーなど、戦争と革命の世紀である20世紀が生んだ、いわば前世紀の遺物というべきだろう。21世紀のエネルギーというには到底その名も実も値しない反社会的反環境的エネルギーである。
 わが国は戦争の時代と、平和の時代に、すなわち1945年と、2011年3.11と、2度もその苦いツケを払わされた。古人曰く、二度あることは三度ある。
 政治の要路にあるものはすべからく、「放出セシウム広島原爆の168個分」という冷厳な事実を直視することだ。
 早々に、新エネルギーに持てる資金を投入し、世界をリードするチャンスである。軸足を移すことだ。
 他国のことではない。美しい国土をこれ以上汚さないため、わが国の将来を担う子供たちの安全な環境を確保するためにである。
 
 
参考記事
原発対策拠点、震災直後に電源失い半日機能せず読売新聞 926
東電>官僚天下り50人以上 ゆがむ原発行政(1)毎日新聞925
福島第1原発>10万ベクレル超の焼却灰も埋め立てへ毎日新聞925
東日本大震災から半年避難8万人、復興遠く 読売新聞 910
福島第1原発>放出セシウム広島原爆の168個分毎日新聞 826
放射性物質、推定の千分の一 工程表の信ぴょう性揺らぐ 福島原発、炉内の把握難しく 日経2011/7/31 1:04
参考ブログ
2011.08.10 Wednesday エネ研よ貴兄もかね  原発前提の問題試算、対極にある書、円居総一著「原発に頼らなくても日本は成長できる」ダイヤモンド社
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2896
2011.05.28 Saturday 2カ月経過も原発禍の始まりと東電の対応について保安院も内閣もなにも把握できていない無責任 
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2833

 
| 児玉昌己 | - | 21:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
曼珠沙華を詠む 海鳴庵/児玉

 燃えるような紅、清楚な白。紅白の曼珠沙華が並んで咲いていた。人の想いを受けすぎたのか、彼岸を過ぎて、くたびれていた。

 

 曼珠沙華 朽ちて残るは 白きひげ

 

 野を染める 季節(とき)の花なり 曼珠沙華 祈り祈られ 
 紅は燃え尽き

                     海鳴庵/児玉昌己

追記  

なお曼珠沙華を詠んで、偶然、大谷大学教授で国文学の沙加戸弘(さかどひろむ)先生の含蓄に富む記事があるのを知った。生活の中の仏教用語というコーナーで、同大学の先生方が解説されている。

http://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/
nab3mq0000000rnh.html

| 児玉昌己 | - | 09:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
一橋大学名誉教授 細谷千博先生の逝去を悼む

 昨朝、細谷千博先生の訃報に接した。

 先生が長く教壇に立たれた一橋大学で直接薫陶を受けた、多数の優秀な先生が各地の大学の教壇に立っておられる。

 先生は、国際政治学の泰斗である。政治学の丸山眞男とすれば、国際政治学の細谷千博というべき存在で、学恩大なるものが、私にとってはあった。
個人的なことだが、先生は、生年が、早く逝った父と同じで、そのこともあり、尊敬と敬意と、親しみを特に抱いていた。

 

 私は、門下生ではない。先生との初めての出会いは、それゆえ書籍上でのことだった。
 先生の代表作であり、30歳代に一気呵成に書きあげられたあの名著、「シベリア出兵の史的研究」(有斐閣)がそれである。今から半世紀以上前の、1955年に出された研究書である。
 私は1970年に大学に入ったので、それから間もなく読んだ。すでに古典でもあった。長く絶版になっていて、図書館から借り出すしかない、幻の名著であった。
 その後、新泉社から昭和51年(1976)1000部限定で復刻され、直ぐに購入した。当時の価格3500円。今、私の研究室にあるのは、この版である。
2005年に岩波現代文庫として収録されていることを、今回知った。
 その書に接した時の衝撃は大きいものだった。何より、独、仏、英の外交文書加えてロシア語文書を駆使したこの研究書は、イデオロギッシュな時代にあって、実証性に乏しく、党派性剥き出しの書が跋扈していたあの時期、キラキラとして目が覚めるほどのものだった。今でもそれを鮮やかに記憶している。

 その後、研究者のはしくれとして、日本国際政治学会や、日本EU学会でお目にかかれるようになり、声をかけて頂くようになった。
 先生は国際学会での経験も豊富で、まさに国際派で、実にスマートで、颯爽とされていた。威風堂々とは先生のための言葉の様であった。
 先生が、学会におられる、そのことだけで、誇らしい気がした。
 幾多の司会の経験から、自己顕示欲の発露としてだけ質疑応答の機会を利用をする参加者については、その機先を制して、「ステイトメントでなく、クエスチョンでおねがいします」と、語られ、なるほど司会はこうするのか、と実践を通して教えていただいたこともあった。このフレーズ今も必要に応じて使わせて頂いている。

  ここ数年前まで、一筆を添えた賀状をいただいたりした。それは、脇圭平先生の賀状と同様、私のささやかなプライドでもあった。

 門下生でも何でもなく、ただただ、一学徒として、国際政治という学問について、その面白さや喜び、方法を与えてくださった、そんな方が細谷先生であった。
 還暦を生き、恩師故金丸輝男(同志社大学法学部長・日本EU学会理事長)先生をはじめ、これまで多数の先生方に学恩を受けている。が、親の世代としては、永井陽之助と細谷千博の両先生を、学問上の師として上げることができる。

 91歳の天寿、長命を全うされた。今は、先生のご冥福を心よりお祈り申し上げる次第である。

なお、永井陽之助先生については以下
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=1522

| 児玉昌己 | - | 00:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
政治の「常識」を疑おう 2 国会議員削減論 下 議員歳費の削減が先だ
 翻って、民主のこの幹部諸君。
 政治先進国の欧州の議員定数も知らず、議員定数からみて国民が最も政治から遠ざけられている政治後進国米国に特化しただけの認識でモノをいうものが多い。

 米国についていえば、4人家族で年収22314ドル(約172万円)以下を貧困層と定義しているが、人口の15%4600万人がその対象というほどの貧困大国であることを時事通信が報じている。
 米国の東部の名門大学だけに学んで、南部も、差別も、貧困も知らずに米国政治の光の部分だけを観て、影の部分に目をやることもせず、米国政治を礼賛する日本の富裕な、いわゆる世襲を含めた一知半解な議員が多数いる。奈何せん、学者にも一部そんなものがいるようだ。
 もとより、米国はすぐれたものもたくさんある。だが、こと政治については植民地的遺制というべき間接選挙の、あの大統領選挙制度、あるいは任期わずか2年の下院議員。これらに象徴的に見られるように、民意の反映や選挙区だけの政治の観点を排除するということからみれば、実に政治後進国というべき制度にたっている。

 翻って日本。自から国会議員としての矜持も誇りもなくしたのか、あるいはこの政権与党が、政治家不信を拡大拡散したことも猛省せずに、議員無能論から、議員不要論、そしてその延長としての議員削減論を唱えているかのようである。あたかも自らのことを語っているかのようにさえみえる。
 国会議員とは、外敵から国民を守り、国民の生命、財産を保全し、その権利を擁護するため、国家権力を行使する最も重要な職業である。
 削減論者は、国会議員とは、国権の最高機関にあって、国民と国政をつなぐ民主主義の重要な橋である自らの職責さえ失念しているのかもしれない。
 2年前の国民の期待を大きく裏切って、支持率は末期自民も驚く程度となって、2代の総理のあの無様な政治指導がもたらした、その支持率では、現行の小選挙区制度で選挙すれば、次の選挙では消滅しさえしそうな現在の民主党だ。
 その幹部諸君が、今後出てくることが期待できる有能な議員や候補者、将来にわたり、締め出すような議論をする。しかも、自らの資金管理さえまともにできていない状況でである。
 削減すべきは議員定数ではなく、議員歳費と政党助成金の大幅削減である。
 すでに数回書き、多くの人に見てもらっているが、重要なことゆえ、以下、世界の議員定数の100万人当たりの数値を提示しておこう。知らないのは当事者の国会議員であるようなので。


百万人が抱える国会議員数 先進11カ国比較 2010年現在の議席数

         (人)  人口(万) 議席実数 上院    下院
スウェーデン   37.77       924    349                  349

イギリス     22.49        6156      1385      735        650     
イタリア     15.91 
       5987     953         323            630
フランス     13.63        6587
    898         321            577
オランダ       13.56 
         1659            225            75          150  
カナダ        12.30        3357             413          105        308  

オーストラリア    10.61       2129          226          76        150

ドイツ      8.22         8175       672            69            603

日本       5.86         12300        722          242             480

ロシア      4.42       14190       628      178         450
米国       1.70       31465     535      100         435

   児玉昌己(久留米大学) 各国版ウイキペディア等の政治データをもとに算出 

2010.05.25 Tuesday 議員歳費と議席の削減論について 4 先進11カ国の人口比別国会議員定数 http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2364

参考文献

前原氏「国民負担求める前に議員定数削減」読売新聞920

米貧困者4600万人=過去最多、人口比15%―2010年時事通信914

| 児玉昌己 | - | 09:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
政治の「常識」を疑おう 2 国会議員削減論 上 議員歳費の削減が先だ

  国会議員を削減せよという議論が多い。地方議員はいいとしても、国政は問題である。
 民主党の前原政調会長、藤井裕久税制調査会長も削減論を主張している。
これなども、一部に常識の如く、耳に入りやすい議論であるが、よく考えると、この常識、実に問題ある認識であり発言である。
 まず日本の議員定数は、先進国中最低である米国に次いで世界的にみて、少ないという事実を知らないとみえる。
人口100万人に対して、国会議員は日本が5.86人である。これにたいして、スウェーデンが37名以上の国会議員を持っていることは知られていない。 
 あくまでも比較で相対的なことだが、日本的感覚で言えば、スウェーデンでは、衆院議員は4000名ほどにもいることになる。  
 国政担当者が市会議員ほどにも存在する。それも国政の1つのあり方である。
 小国との比較は、という方には次のデータを示そう。
 欧州の牽引車であるドイツでは、衆院に相当する連邦下院は、人口8200万で、603議席を持ち、フランス下院も、人口6000万と日本の半数程度で577議席をもっている。人口比ではドイツは日本の2倍弱、フランスは2倍を遥かに超える議員数である。
 こうした実情をまるで知らないうえに、行財政改革というカネの次元で、アレコレいう。金をいうなら、議員歳費の大幅削減が先だ。
 ギリシアのソブリン・ローン(国債)危機から、ユーロ危機へと危機が拡散するユーロ圏にあって、そのなかで焦点になっているのが、ギリシアである。
 このギリシア、支援の条件として、他のEU加盟国やIMFから緊縮財政で求められている。だが、財政再建の要求と、同国政府の対応のなかに、議員歳費削減はあるが、議員削減は、私の知る限り、ない。
 国会議員の国政における意味と機能と重みを、財政規律を求める側も、そうでない側も皆が熟知しているからである。
 

| 児玉昌己 | - | 09:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
政治の「常識」を疑おう 1 選挙制度 下 2大政党制が是であり善であるのか
 実際は、現状の小選挙区制度が、どれほど比較第1位の政党に有利にしているか、それがまず書かれるべき事柄の真理である。
 実際、比較第1党にこの選挙制度がどれだけ有利に作用するか、47%で議席の73%を獲得する、その現実を考えれば、比例制の導入による現状の悪しき選挙制度の是正の動きを「小党に有利に働く」と書くなど、党派性を持つ認識であり、議論であると一蹴すべきだろう。
 いままで第2党以下を、いかに極端に不利にしていた制度であったか、その積極的で合理的な改善というべきである。
 現行から比べれば、民意の反映という点では、比較すべくもなく、比例代表制度が公平である。
 比例制度は、基本的には、どの政党も政治勢力も、得票に応じて議席が配分されるということでは、価値中立的制度である。つまり、合法であれば、一定の支持さえ得れば、どの政党も、議席を得ることができる、そうした制度である。
 ただし、全てを比例で配分すると、極端に多党化する。実際、ドイツはナチスの政権以前のワイマール共和国の時代、16もの政党が国会に進出した過去がある。
 それゆえ、政治の安定を損なったワイマールの苦い経験から、5%ルールを適用して、一定の国民の支持を前提とする合理的な敷居を導入している。
 比例制度では、合法政党であれば、極右でも議席を得ることもあるのだから。
 それにドイツ型は小選挙区制度という、政党だけなく、政治家の顔の見える制度を実践している。
 ともあれ、2大政党制が是であり善であり、それに向けた選挙制度が是であり善であるとする根拠などどこにもないのである。表題の常識を疑えとはこれを言う。
 2大政党制度とは、むしろ膨大な数の民意の無視、いわば「虐殺」のなかで成立している制度であることを理解すべきである。 わが国でいえば、2大政党以外の支持者は35%ていどあり、その民意をそぎ落とす制度であるといえる。
 ちなみにイギリスは、上述したように、そして一部の政治家が理想としているように、小選挙区制度実施国である。
 その制度が圧倒的に大政党に有利に作用しているなかでも、国民の強い批判があり、多党制にむけた動きが確実に広がっている状況を学術的に私は分析した。
 また比例を準則とする欧州議会では、合法的に進出する極右の問題があり、そのことへの対策を分析したものとしては、以下の論文参照。
参考文献

児玉昌己「多党化する欧州議会選挙の英選挙区と2010年英下院議会選挙―欧州統合運動の英議会政治への影響」久留米大学比較文化研究第20号2011年3月63-86

児玉昌己「極右への欧州議会の対応−欧州議会議院規則の改正を通して」同志社法学同志社法学347200117月181-216頁 

| 児玉昌己 | - | 15:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
政治の「常識」を疑おう 1 選挙制度 上 2大政党制が是であり善であるのか
  世に常識という言葉がある。確かに重要な言葉で、人間の社会生活での知恵としてあるものだ。
だが、その常識が時に、あやまっていたり、作り上げられた嘘もしくは、不正確であることが往々にしてある。
 毒物だとされてきたものがそうでなかったりという物理的なものから、社会的なものまで多数ある。
 今日は選挙制度のこと。
 2大政党制を是とし善として推進され、その思想のもとで、中選挙区が廃止され、公職選挙法の改正がなされた。そして、一部比例付きの小選挙区制度が導入された。1994年のことである。
 2大政党とは、それ自体が2大政党以外を排除する思想に立つ。しかも制度的にそれを強制するのが、政治装置としての小選挙区制度である。
 だが、政治家や学者が理想としてきた本場イギリスではどうか。イギリス国民は、1800年代の後半に導入されたこの制度に、近年ずっと苦しんできたのが実情である。 
 そして今年5月その脱却を目指して、特にそれを感じている第3党の自民党が保守党との連立内閣形成の条件として、小選挙区制度の廃止を打ち出し、そして国民投票の導入を打ち出した。実際、国民投票は実施されたのである。
 イギリスにおいて小選挙区制度に代わるとして提起されたAlternative Voteという制度は、分類的には小選挙区制度で、その枠内でより民意を反映しようとする改善型であり、厳密には比例ではない。その中途半端さがゆえに、有権者の支持を得ることなく、否決された。
 しかし、日本が小選挙区制移行の模範としてきたイギリスで国民投票を実施したその事実こそが、イギリスの小選挙区制度という選挙制度への同国国民の現状への強烈な不満が存在することの表れである。
 小選挙区制度というものの実態と、モデルとするイギリスにあって、国民の一部の強い拒否反応を知ってか、知らずか、意図して隠したのか、いかんせんわが国では、アカデミックまでが手を貸して、英米を是とし、善として、小選挙区制度に向けた公選法の改正を実施した。
 挙句はどうか。2大政党制どころか、巨大政党と弱小野党の出現である。比例をつけてはいるが、小選挙区での党勢がそのまま反映され、選挙では、ダブルで圧勝が用意されるというのが、ここ数回の総選挙の傾向であった。
 しかも、膨大な死票を出し、その不満が潜在化し、次の国政選挙で噴き出し、ネジレが常態化した。
ネジレを悪くいうものもいるが、これも見当違いで、現行制度の中でも、明確な民意である。
 ねじれ解消のため、参院廃止をいうものもいるが、本末転倒の議論であり、これは憲法改正という大掛かりとなる。公選法の改正の範囲内でできる選挙制度の改正こそがまず本丸だ。
 膨大な死票を軽減し、有権者の意思をより強力に、正確に反映できるのは、比例代表制をおいて他にない。
 民主主義を標榜するメディアはいまそこ比例に向けて世論を高めていくべきだ。
 西岡参院議長や公明が提起した比例制度が、「小政党に有利」という報道がなされる。その見方は、比較考量というバランスがとれた見方からすれば、バランスを欠き、誤りである。
 「相対1位への過度な有利さを是正」と見出しは採るべきなのである。
 
| 児玉昌己 | - | 08:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
料理旅館 山口市秋穂あさの 美味の車エビ
  山口で法事。その後、車エビで有名な山口市の秋穂(あいお)中道(ちゅうどう)の料理旅館、あさの。
 「あきほ」とかいて、「あいお」と呼ぶ。
 土地の訛りかと思いきや、ちゃんと道路標識にAioと表示されていた。土地の人は自然のことだが、私からすれば、驚きだ。
 あさのからは、晴れた日には、キツネ踊りでしられる大分県沖の姫島が見えるとのこと。旅館自体が海に面していて、実にすばらしい。
 我が家も被害を受けた20年前の、1991年9月、あの19号台風では大波で、海に面した庭園部分をすっかり流されたということだが、立派に整備されている。
 オーシャンビューとでもいうべき、瀬戸内の海が見事だ。夕暮れの海も、朝焼けの海も。
 部屋からもそうだし、小ぶりだが清潔な風呂からも素晴らしい海が堪能できる。魚が銀色に飛び跳ねて、自然100%の宿。
 施設は上質で、食事も料亭にもひけをとらない。値段も手ごろで、お薦めの宿。
 法事となれば湿っぽくなりがちであるが、いい場所で、客は10名余の私たちだけのグループだけということもあり、寛がせていただいた。感謝である。
| 児玉昌己 | - | 16:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
選挙制度の基本とは何か 下 民意が正確に議席に反映し、死票を最小化できること
 1994年の公職選挙法改正と、1996年の総選挙以降15年が経過した。
 そしてこの間、どれだけ立候補者数が激減したか。縮減傾向は明らかで、直近の選挙では幸福実現等の候補者がでて数は踏みとどまったが、それがなければ、中選挙区最後の総選挙から、半減に近い数字となっていた。
 国民の政治参加と、代表民主主義の根幹さえ揺るがせる。
 民意に相応した議席で構成される国会の、対話による合意形成が民主主義の本来の姿なのである。
 確かに、比例にすれば、多党化し、意思形成に少し時間はかかる。だが、民主主義は時間とカネがかかるというのは周知のことで、それでも民意を欠いた独断的政治とそれがもたらす反動よる政治の亀裂よりも、はるかに安定性を得るのである。
 次期総選挙では、現在の支持率では、現在の小選挙区制度という中で、党の消滅というべき状況を生むことがほぼ確実な民主の諸君である。 
 自民の諸君もまた負けすぎの怖さを十二分に体験されたことだろう。そして、極端な勝ちすぎ負けすぎを生む現行制度の無残さは十分経験されたことだろう。
 結果として、実に民意を十分正確に国会とその議席に反映することない現行の制度で、不本意に累々たる屍を野に曝したくなければ、比例制こそが、安定した政治を生むものとして、十分に取り組むに値する提案なのである。
  みんなの党の諸君も同様だ。現在みんなの党が存在することは、現行制度でわずかに残されている比例定数の恩恵がゆえにである。そのことを、渡辺代表は肝に銘じるべきである。
 次は大敗しそうな大政党はもとより、それなりの民意の支持票を得ながら、小選挙区がゆえに議席獲得ならず、消えてなくなりそうな小政党にいたるまで、あらゆる政党はもとより、有権者も皆がウイン、ウインである制度、それが比例代表制度なのである。
 ただし、比例では、多数の政党が乱立する危険がある。ドイツのように、3ー5%の足切りは政治の安定のために必要だと付記しておこう。
 なお日経新聞はその小見出し9.15付の記事で「公明が提起した比例制度について、「少数政党に有利に働く制度」と書いている。だが、それは事の真理の半分しか書いていず、必ずしも十分正確ではない。
 小政党に軸を置いて書くとすれば、「小政党に極端に不利に働いていた現行制度の是正」もしくは正常化と書くべきである。大政党をさらに上伸させる現行制度と、小党の勢力を若干延ばす可能性のある比例制度の政治的な影響の度合いはまるで異なる。
 すなわち、メディアは、この大政党に極端な有利な制度という側面に視座を置おきつつ、「相対1位の政党を、極端に有利にしていた極めて不合理な現行制度の是正に資する」と書くのが、より正確で、現行選挙制度を表現するうえでの正しい表記である。
 比例制度は、「小政党を特に有利にする」わけでない。元より、膨大に生じている死票の中で、結果としてそうなるだけのことである。
 むしろ現行からみると、圧倒的に小党に不利になっている状況を是正するというのが正しい。 
 比例代表制は、有権者の支持に見合った議席を、どの党にも、適切に配分する、すなわち、その得票に応じて、議席配分するというだけのことなのである。
 いいかえれば、日経や産経には、まだ一部その書き手のなかに、比例制の本質が理解できていないか、大政党を極端に有利にする現行制度を是とするような、若干の政治性がその見出しの取り方に見受けられるともいえる。
 参考記事

公明、自民の関係にヒビ? 公明、衆院選挙制度改革で方針転換 
産経2011.7.19 10:17

公明が選挙制度改革案 衆院、比例代表連用制を軸に 日経2011/9/15 21:07

 



 
| 児玉昌己 | - | 05:35 | comments(0) | trackbacks(0) |

このページの先頭へ