児玉昌己研究室

内外の政治と日常について想うことのあれこれを綴ります。
大晦日 除夜の鐘にて 御座候 海鳴庵/児玉
 2011年、平成23年の最後の日 どちらさまもよいお年をお迎えください。
 1年間のブログのご愛読感謝申し上げます。また来年本欄でお会いいたしましょう。
 なお、表題の句は2007年12月31日の大みそかに詠んだものである。


大晦日 除夜の鐘にて 御座候 海鳴庵/児玉
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=1006
                                        児玉昌己

 なお12月30日までで、今月の月間ブログアクセスは14134であった。   
  
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海鳴庵/児玉昌己句歌集2011年後半

2011.12.30 Friday 満天の夜空にひと際輝く、シリウスを詠む 
 巨大震災と愚劣な政治指導に震えた2011年も晦日。明日を残すのみ。夜空は満天の星。身を切る寒さの中で、オリオンの左手下にひときわ輝くシリウス。それを詠む。

 
シリウスの 眩しき程の その光 憂いもなしに 明夜(あす)も輝き
                    
 

2011.12.24 Saturday 2011年、霜の白いクリスマスイブ 

友人の英国人スティーブンと電話口で、メリークリスマスと応える、背伸びした自分がいた。即興の詩が浮かんだ。短歌、俳句ではこの洋の文化、韻を収めきれないのだから。

 

メリークリスマス そう応え 恥じらう 我にかかわらず

メリークリスマス そういう自分も 悪からず

 

 

2011.12.22 Thursday 冬至と柚湯を詠む 

 冬至には柚湯。お隣から見事に色づいた柚をわけて頂いた。それを湯に入れ、冬至を過ごす。日本人の、季節の味わい方だ。

冬至には 欠かせぬ柚も 頂きて 今年も残すや わずかに九日


冬至り 柚は香りて 湯けむりに 想う一年(ひととせ)逝きし人々



2011.12.09 Friday
 2011年冬の到来を詠む
 めっきり寒くなった。ここ数日の雨で、並木の銀杏は葉を落とし、一挙に冬景色

師走雨 銀杏濡らして 寒々と 朝陽鈍き 冬ぞ来たれり

 

 

 2011.11.27 Sunday 南天の赤き実を詠む 

  日曜日庭に出ると晩秋の陽が心地よい。石蕗の黄は多く萎んでしまったが、「難を転ずる」ともいわれるおめでたい樹木、南天の赤い実が、秋の終わりに色を添えている。

南天の  眩しきほどの 赤き実や 過ぎゆく秋に 彩(いろ)を留めおき
                             


 

2011.11.23 Wednesday雨の久留米を詠む 

  祝日自宅。冷え冷えとした雨の朝。書斎15度。30度の夏の日から随分季節も変わった。三十余日で今年も終わる。 広告では、忘年会だのホテルや料亭の取り寄せのお節だの。

鴉(からす)鳴く 雨のこの地の 侘しさや 暮れまで残す 三十余日 


 

2011.11.14 Monday 庭の柿を食し、季節を味わう 

  日曜日、採り置きの柿を食すと、美味。庭に出て、妻と5-6個を切り採る。自然の贈り物を賞味しつつ、子らも巣立ったわが家で、2人静かな時間を過ごす。

 

 秋深し 季節を食す 二人して 庭にて想う 去る日来たる日 


 

2011.11.11 Friday 霜月の石蕗(つわぶき)の黄を詠む

 11月も中旬入り。日々の慌ただしさの中で、飛ぶように日が過ぎる。霜月のくすんだ空に石蕗の黄がわずかに庭を明るくする。

霜月の くすみし庭に 咲きてあり 嬉しきものは 石蕗の黄や


 

2011.10.29 Saturday 庭の黒松を詠む
10
月最後の週末。慌ただしい週を終えて、ほっとする。季節はくる時を忘れず、朝夕、風も冷い。その中に黒松が悠然と立つ。

 

黒松は 庭の主なり その威厳 黄の石蕗 (ツワブキ)も 従えて立ち

                   

2011.10.16 Sunday
 秋風にそよぐ花ホトトギスを詠む 

 週に1度、気も安らぐ日曜日。庭に出て、さわやかな秋風の下、庭の草花を楽しむ。ホトトギスが斑の花を咲かせた。



秋風に さやかにそよぐ 六花弁 地上の鳥かね 君ホトトギス


 2011.10.14 Friday 神無月を詠む 

  後期が始まりはや3週間。飛ぶように日が過ぎていく。原発禍も収まらず、ユーロ危機やウォール街のデモ、景気の長期の停滞もあり、漠然とした不安の10月である。


 神無月 祈りいただく 日常の 平穏なれや 他所もわが家も 
                     

2011.10.08 Saturday 10月の露草を詠む
  10月も飛ぶように日が進む 明日は高校の還暦同窓会 早朝庭に出て、花と遊ぶ


露草の 明日見るなしや 青二片(つい)

 



2011.09.25 Sunday
 曼珠沙華を詠む 
 燃えるような紅、清楚な白。紅白の曼珠沙華が並んで咲いていた。人の想いを受けすぎたのか、彼岸過ぎて、くたびれていた。

 

 曼珠沙華 朽ちて残るは 白きひげ

 

 野を染める 季節(とき)の花なり 曼珠沙華 祈り祈られ 
 紅は燃え尽き

 

 

2011.09.14 Wednesday 阿蘇を詠む
 過日、若者たちと阿蘇でのEU勉強合宿。合間を縫って仙酔峡に遊ぶ。地蔵さまと大観望の雄大さに触れた。

 

高岳に 想いを秘めた 地蔵さま


阿蘇にあり 天地大気の 気高さに 知るや我が身の
いかに小さき
                        
 

2011.08.31 Wednesday
 芙蓉の花を詠む

8月の最終日。心地よい外気に誘われ、早朝散歩。路地の芙蓉の花に目が行く。芙蓉に似た花がむくげ。花も似て、秋の訪れを知らせてくれ、ともに嬉しい。

 

挨拶は 芙蓉の君か 路地の角


往く夏を 飾りて送る 紅芙蓉  

 

往く夏に 芙蓉、槿(むくげ)の 紅き花 同じに咲きて 
季節(とき)を彩り            

 

 

2011.08.23 Tuesday 2011年晩夏の人間ドック入りで詠む

  夏は恒例の1泊ドック入り。新棟の大学病院の個室ではネットも使用可。ただし検査のつらさは不変。針の山とは注射のこと。それで2句。


胃カメラの 辛さ変わらぬ 口(こう)も鼻(び)も

針の山 娑婆はまだかや 晩(おそ)き夏



2011.08.13 Saturday
 黄昏のビール電車で歌を詠む 

夏の夕暮れ、ビール電車にて 有りし日の父母、友を想う。


 暮れ泥(なず)む 車窓の風景(けしき)も ほろ苦し 還らざる日々 淡き思い出
                     
 夕暮れの 車窓浮かぶは 走馬灯 去りゆく日々は 二度と還(かえ)らず 



2011.08.06 Saturday
 縁者の死を悼み詠む 

緩和ケア棟で最晩年を過ごしていた家内の縁者が80歳を前に、静かに他界した。人生の最期の祭儀を済ませた。お骨は花の色に染まっていた。合掌。

 

斎場で 想う人生(いのち)の幾星霜 花はお骨を 淡く染めたり
                 



2011.08.02 Tuesday
 葉月入りも大学は続く それを詠む 
 先月末に講義が終わった。今週と来週は、試験と監督。その後採点。終わると彼岸も目前となる。
 

 葉月入り されど遠きは 夏休み 

 

 

2011.07.22 Friday 中途半端な夏を詠む 
夏も中途半端だ。中途半端は、響かぬ蝉しぐれも。3月まで雪が残ったからだろうと、旧知の業者。坪庭には、白い玉の花が咲いている。それらを詠む。

 

鳴かぬ夏 なくは寂しき 蝉しぐれ 

白き花 これも茗荷と 呼びにけり 

 

 

2011.07.18 Monday 祝ナデシコジャパンWカップ制覇

 米が先制し、日本が追いつき、さらに米国。延長後半、土壇場での同点、沢が見せてくれた。


なでしこの 名には似合わぬ つわものの 咲かす大輪 フランクフルト

 


 

2011.07.03 Sunday 柳河に遊び、白秋を想い、詩を詠む 
 西南学院大学での学術シンポジウムの後は、寛ぎの時間。柳河に出る。 緩々と、川遊び。白秋先生を想い、詠む。


柳河の 川面に歌う 船頭(ふなおさ)の 詩(うた)は白秋 大正浪漫 


風渡る 川面にありて その詩に 花を添えるや 紫色栴檀(ししきせんだん)

 

 

海鳴庵児玉昌己句歌集 2012年前半

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3074

海鳴庵児玉昌己句歌集2011年前半

 http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2672
 2011.01.01 Saturday海鳴庵児玉昌己句歌集2010年後半
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2511

| 児玉昌己 | - | 21:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
満天の夜空にひと際輝く、シリウスを詠む 海鳴庵/児玉

 巨大震災に震えた2011年も晦日。明日を残すのみ。夜空は満天の星。身を切る寒さの中で、オリオンの左手下にひときわ輝くシリウス。それを詠む。

 

 シリウスの 眩しき程の その光 憂いもなしに 明夜(あす)も輝き
                     海鳴庵/児玉 

 

| 児玉昌己 | - | 22:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
 「ならず者国家」(rogue state)北朝鮮の独裁者の死と、真実の改ざん 下

4. 後継者の出自の報道統制と隠蔽
 この3代目の出自が隠蔽の対象となっているとのことだ。

 産経が伝えるところでは、金正恩の実母が「在日」であることが北朝鮮では国家の最高機密にとして、「口外厳罰」となっているとのこと。なんという差別的事実であろうか。驚きはその差別的事実だけではない。この事実を、常識として認識している総連を危険視しているということで、さらに驚かされる。

金正恩氏 母は在日、最高機密に 口外厳罰、周知の総連危険視 産経新聞1224()755分配信。

この背景には、在日朝鮮人は北朝鮮では「2級市民」扱いされているという、我々日本人からは全く理解不能な事情がその背景にあるとされる。

 これについては、日本からの帰還者について著した北朝鮮報告としては、今では古典的著作の部類に入る『凍土の共和国』(亜紀書房1984年)でも触れられている。
 かくのごとくして、日本で政治学を研究し、講じているものからすると、北朝鮮の権力継承の過程は、もとよりネガティブな驚きの連続である。
 年の瀬に進行中の北朝鮮独裁者の死と権力の継承の実際を目撃している。
 注視しているのは、その政治学と政治制度と政治権力というものの生きた教材としての意味がある。
 果たして、この世襲独裁体制が崩壊するのか、継続できるのか。ソ連崩壊で見たように、国民が食えなくなることが体制崩壊の前提条件となる。
 ともあれ、体制崩壊の可能性も十分みておく必要がある。なによりこの北朝鮮の独裁体制は、まるで民意という正統性と正当性を共に欠く、暴力装置によるだけの政権であり、いわば張り子の虎だからである。

 そして、この異様にして、珍妙なる世襲王朝国家の北朝鮮が、白昼公然と、国家の工作員を使い、わが国の主権を侵し、あろうことか、その規模さえ明らかになっていない程の多数の日本人を拉致し、しかも、1998年8月31日、弾道ミサイルテポドンを日本列島方向に打ち込み、その太平洋着水を公然と実践し、まさに我々の平和と安全に著しく脅威を与え、わが国憲法が平和主義の前提として想定している「平和を愛する諸国民の公正と信義」を著しく損なった北朝鮮の現実である。

そしてそのミサイル開発の技術拡散について、以下の記事が入ってきた。

既に報道された事件の追加報道というべきものだ。
 北朝鮮技術者5人死亡 イランのミサイル基地での大爆発に巻き込まれ 産経新聞
1230()839分配信

 上記の記事は以下伝えている。

「情報筋によると、11月12日にテヘラン南西にあるミサイル基地で起きた大爆発で、北朝鮮技術者5人が死亡したほか2人も重傷を負い、テヘラン市内の病院に搬送された。7人の氏名は明らかになっていないが、3人は北朝鮮の兵器開発の中心的な機関、第2自然科学院(国防科学院)の技術者だという。」(引用止)

 かくして、2011年が終わろうとしている。北朝鮮だけでもこんな国家が存在している。これが「友愛の海」東アジアの現状である。
参考ブログ
2008.06.25 Wednesday
 海上自衛:艦艇「さざなみ」、初の訪中受け入れを歓迎する 下http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=1271

2010.08.20 Friday物乞い国家の真骨頂 上
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2485

2006.07.21 Friday みえてきたもの、北朝鮮ミサイル発射後 1

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=214

| 児玉昌己 | - | 18:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
「ならず者国家」(rogue state)北朝鮮の独裁者の死と、真実の改ざん 中

  . 国葬模様の改ざん
 死亡すれば、国葬だが、こちらも操作加工された。
  国営メディアが配布した葬儀の写真をロイターは、改竄(ざん)されているとして、配信先にその写真の削除を求めた。

これも十分予想はされたが、やはり西側のメディアからすると、常識外で、異例のことだ。
 「ロイターは、写真が加工され、左側に写っていたはずの男性の集団が消されていたとしている」と共同が伝えたが、読売は以下。

北、葬列写真加工?数人消して「整然さ」演出か 読売新聞 1229()1939分配信

 死亡の発表の後は、今度は国葬で、体制の動揺を抑えるため、弔意を強制し、国民を反体制分子か、徹底して監視する。


..遺体の公開と遺体写真の改ざん
 遺体は、グロテスクにも毎日紙によると、「前例のない父子2代」、として、永久保存して、それを国民に権威の象徴として曝すという。
金正日総書記>遺体は永久保存か 前例ない父子2代毎日新聞 1229()1125分配信 
 もっとも、遺体を保存し、その権威で独裁政治を続けるということは、この種の政治体制にはつきもので、新しいものではない。
 ソ連の指導者レーニンも同様だった。ソ連体制崩壊時に聞いていたが、縁のあるサンクトペテルスブルグ(聖ペトロの都)の教会墓地に移送されるとも耳にしたことがあるが、事実は、そうでなく、現在もモスクワのレーニン廟に永久保存されているとのことだ。

 ちなみに、毎日は遺体の保存について、以下、アジアプレスなどを引用し、伝えている。   
 「金総書記が保存の処置をされた場合、政治指導者としては、旧ソ連のレーニンブルガリアのディミトロフモンゴルのチョイバルサン旧ソ連のスターリン旧チェコスロバキアのゴットワルトベトナムのホー・チ・ミンアンゴラのネトガイアナのバーナム中国の毛沢東北朝鮮の金日成−−に続き11人目となるという。」(引用止)

 しかも、金正日の公開された遺体の映像はこれまた加工疑惑が報じられる。
 朝鮮中央テレビが20日に公開した金総書記の遺体写真には、右顔に大きくて鮮明なシミがあったが、同日公開の朝鮮中央通信の写真ではシミが消えている。これは、韓国メディアの検証として、サーチナが以下で伝えている。

北朝鮮が公開した金総書記の遺体写真に加工疑惑=韓国サーチナ1223()940分配信
  国民に選挙されたわけではない世襲という制度は、封建時代の遺物というべき制度であり、近代政治指導者の前提条件である民意の反映による正統性など存在もしない。
 まして、厚かましくも北朝鮮が僭称する「共和国」とは、縁もゆかりもない。
 これは、王制をとるイギリスに対して、対英革命戦争から生まれた米国や、人権宣言を掲げてアンシャン・レジームを突き崩して成立したフランス共和政など、公選制度の大統領制を採る共和国(リパブリック)の政治的な質を知るものからすると、笑止千万ということになる。
 かくして、民意の裏付けもない、メタボの3男が指導者として金王朝3代目として崇められる情報操作が進む。なお、彼自身が金日成に似ていることが、重要条件だったとも言われる。

| 児玉昌己 | - | 18:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
「ならず者国家」(rogue state)北朝鮮の独裁者の死と、真実の改ざん 上

 年末にグロテスクな国家のことをこのブログに書くのも不快なことだが、政治学者としては、一つの現在東アジアにある国家の政治体制と独裁者のことをどう考えているのか、感じているのか、書いておくのも義務だろう。

 米大統領ブッシュについては、わずかに評価できる表現として「ならず者国家」(rogue state)という言葉がある。その言葉が示すように、この国の独裁体制は常軌を逸しているというべきだろう。

 報道されていることで、なにより不快なのは、この国に真実の報道などまるでないというその事実である。

 第1に独裁者金正日の死亡の時間も場所も不明である。そして平気で真実を改ざんするということだ。第2に世界の民主主義のレベルから珍妙といわれるアジア的遺制を依然として継続し、それを国家的権威として世界に曝しているその前近代的異様さである。

 以下、最近の報道を独裁者の死亡、国葬、その後と時系列でたどりながら、書いていこう。

.独裁者の死亡の日時

 真実というものの、改ざんである。これはソ連でも多数みられたし、特段これが新しいことではない。
 驚きということでいえば、20世紀、すなわち1950年代までにその死で劇的に終焉したソ連の独裁者スターリンとスターリン主義の時代に横行した歴史の改ざんが、北朝鮮では、21世紀に入っても継続しているという、そのグロテスクさだ。
 実際、わが国の拉致被害者情報でも、他人の骨が入っていたり、死亡とされる被害者について、その日時が改ざんされていたりと、DNA検査などでは最先端をいく国家を相手に嘘の塊という状況がみられたことだ。

 

 金正日の死亡場所と死亡時間についても「視察中に」というように、英雄的働きを強調した。だが、続報では、さっそくこの公式発表に疑義が唱えられた。そして韓国情報機関の分析などを産経が以下伝えた。

視察中の死去「虚偽」濃厚に 金総書記の列車動かず、傍受電波に変化なし産経新聞 1223()755分配信、
金総書記、平壌で死去か 韓国情報機関が国会報告 北発表に疑問産経新聞1221()039分配信

 

| 児玉昌己 | - | 18:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
年の暮れも迫って
 暮れも押し詰まってきて、皆様いかがお過ごしでしょうか。
 学校や役所もようやく休みに入ったというところです。
 幸いこちらは雪に悩まされることもなく過ごしています。富山の高岡のご実家にご父君を見舞われている、欧州政治の研究者、つまり同業者でイタリア政治に詳しい八十田博人先生に電話すると、雪かきをしているとのことでした。
 九州はありがたいことに、冬でも数日だけ積雪がある程度で、毎年過ごせています。
 私もようやく年賀状を仕上げたところでした。プリンタでは裏を打ち出すと、反り返り、それが表の宛名書きの際、紙詰まりを起こす原因となり、散々で、時間とエネルギーを浪費した感じでした。
 日常は淡々と、継続的に進んでいきます。12月から1月も考えようでは時間の継続でしかありません。
 しかし、季節と歳月を分けるのは人間だけです。この時間的感覚と知恵が他の動物と人間を分かつものでしょう。ただし、その人間界では、国内国際も相変わらず、休まることのない毎日です。
 今年は巨大震災と、原発禍で未曾有の一年でした。大惨禍では、被災者の方々のご心痛、ご心労には言葉もない歳月でしたが、日本中が、被災者の方々の救済と復旧に心を傾けたことは確かだったと思います。震災列島にあっては、何どき、同じ状況がわが身を襲うかということでもあります。
 政治は相変わらず無様さを曝し続けていますが、来年は、一歩でも復旧が進むことを期待しております。
 ともあれ、少し早いですが、皆さまにおかれましても、来年が良い年でありますことを祈念申し上げます。
 
| 児玉昌己 | - | 22:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
NHK坂の上の雲最終回で想うこと 下

それにしても、源平合戦の、絵巻物のような、騎馬武者の闘いを想わせる艦隊決戦もその思想も、核戦争を持ち出すまでもなく、この時期を最後に、全く過去のものとなっている。
 今は、ディスプレイ上に映るものを、ボタンで操作し、攻撃される対象も死者も全て画面上でのことである。あらゆる戦争は非人間的であることを承知の上でいえば、一片の血も肉片もみることがない21世紀の現代の戦争はさらにさらに、非人間的である。
 それを象徴したのが、イラクの独裁者フセインとの19911月に勃発した湾岸戦争であった。ディスプレイ上での、イラク軍兵士の影は皆さん記憶されていることだろう。
 過日、イージス艦艦長による海上防衛力に関する講義があり、拝聴したことは書いた。講義後の懇談に出席していた若者が、たまたま坂の上の雲をみていたのだろう。バルチック艦隊との近づく砲撃戦を前にして、戦闘と死傷による血流や肉片による戦闘行動の障害に備えて、甲板上に砂をまく場面があったが、それを背景にして、今もそうかを問うた。
 問われた艦長も、そうだったのだろうが、私も一瞬、その意外な質問に驚いた。
艦長は、質問には、現在では戦闘行為が起これば、海自乗員は甲板上にいることはなく、艦内の所定の場所でそれを迎えますと穏やかに語られた。
 この質問を意外に思ったのは、現代の戦争の有り様も、イージス艦という艦船の機能や構造もほとんど知ることがないと感じたからだ。別に知らないことは問題ではない。またそれを尋ねるのはむしろ喜ばしいことだ。実際、知らないことは大いに問うべきだし、考えるべきだろう。
 ただ、平和な時代ならではのことであるが、平和教育も平和学も、空想と観念の教育と学問であってはならない。そう感じた次第だった。
 実際、日露戦争以降、皮肉だが、同様を経験したのである。すなわち、戦争の当事者であり、主体である帝国陸軍は、特に、明治期、幕末維新を体験した指導者に共通していた彼我の戦力の格差や、国家利益に対する透徹した認識に立つリアリズムを忘却し、神国日本、神風日本といった、観念主義、精神主義に急速に傾斜するという、同様の思惟と行動を経験したのである。航空戦力の重要性を自ら示しながら、巨艦巨砲主義を脱しえなかった帝国海軍もそうだろう。
 同時にまた、今の政治指導者なら、国家の危機に遭遇したら、果たしてどう行動するのか、行動しないのか、無能な指導者では国民は堪らない、そう強く思った次第だ。
 巨大震災とあの原発禍の全面的広がりで、国家の危機的状況と、政治家の行動の一端を我々は垣間見たのであるから。


| 児玉昌己 | - | 18:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
NHK坂の上の雲最終回で想うこと 上
   日本海沿岸は広く大雪ということだが、北部九州は燦々と冬の日が注いでいて、降雪もほとんどなかった。日本列島は実に長いのである。大学は年末に入り、講義は終わったが、会議など、校務としての仕事は27日まで、残っている。
 昨夜は、NHK司馬遼太郎の「坂の上の雲」の最終回を観ていた。日本海海戦の映画は、多数作成され、多くを観ているし 小説としてのこの作品も随分読んでいる。それらと比較しても、海戦の、特に艦隊を映像した場面は、立体的で、迫力があった。
 世界海戦史上、稀有というべき100対ゼロの成績を記録した日本海海戦は、世界的には「ツシマ」(対馬)として知られている。
  「ツシマ」には思い出がある。プラハに住み、父子ともカレル大学法学部出身の若い弁護士で日本語も達者なバシェック(バーツラクフ)君に、なぜ日本語かね、と問うと、即座にツシマと答えが返った。
その一言で、この海戦の世界史的意味がわかる。
 北はフィンランドから南はトルコに至る周辺の民族は世界最大の陸軍大国ロシアに蹂躙され続けた。そして、極東の小国の日本とロシアの日露戦争、とりわけツシマでの日本完勝の報に接して、彼らは狂喜した。
 この喜びは、100年以上の時を経ても、中欧のエリートに受け継がれているのである。
 坂の上の雲に戻って言えば、戦闘による多数の死傷者を目撃して苦悶する、その後の秋山を扱って、さすがに司馬遼太郎、これでいいと、納得した。
 単なる英雄物語ではない、人間秋山を扱ったのが、司馬文学、司馬史学の真骨頂なのである。
実際、司馬遼太郎は、作り方次第では戦争賛美にもなる危険を熟知していて、生前、存命中のこの作品の映像化を強く固辞していたと、聞いている。
| 児玉昌己 | - | 09:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
2011年、霜の白いクリスマスイブ 

  旭川、弘前など豪雪と吹雪となったことをテレビで見ていた。
 今朝は九州北部も、霜で覆われて、9時になり、日が差しても車にはまだその霜が残っているありさまだ。
 これから崩れるというが、今この時間、書斎の窓いっぱいに燦々と注ぐ冬の日が心地よい。
 今日はクリスマスイブ。とはいえ、日本人はその宗教的意味を考えることもあまりない。
 若い世代が高級ホテルを予約してなど、バブルに浮かれた時代も遥かに過ぎ、週末と重なり、それぞれに過ぎし日々と来たる日々を想っている。そういうところだろう。
 6年前ベルギーでの在外研究中、クリスマス休暇のこの時期、大枚をはたいて、遊びに来た家族と、現地の友人に招かり、ホテルと組み合わせつつ、行きたい都市だけを回ったことがある。
 ツアーではないし、福岡からの旅費も併せて5人分、それなりのホテルを予約していたから、料金は目が飛び出すほどだった。
 パリのアンドレ、ドイツのミシャイルなど、欧州大学院大学関係の友人宅でのもてなしや、宿泊など、今となっては、いい思い出だ。
 ハイデルベルグ城では、厳寒で、ホットの赤ワインが提供されていた。そのカップも持ち帰りができ、我が家の居間を飾っている。
 ブルージュ、ブリュッセル、ロンドン、パリ、ハイデルベルグ、マンハイムなどなど。クリスマスの市場と夕刻のイルミネーションであふれている。その明るさで、ヨーロッパ人の、この日への想いの強さ、深さを知った旅だった。
 長い冬の訪れと、家族で過ごす幸せ、そうしたものがクリスマス。
 やはり日本人には正月を待つ気持ち、それを持ってしか分からない、心理の深層部分だろう。
 そういえば、昨日、故国のサザンプトンから友人の政治学者を迎えているという大分在住の友人で欧州政治の研究者のスティーブン・デイ君が、この日は会えないだろうが、メリークリスマスと電話口で語って、一瞬躊躇し、同じく、そう返した。
 相手の文化への礼儀としての応対もあったのだが、瞬間の躊躇は、背伸びした自分を知っているからでもあった。
 珍しく即興の詩が浮かんだ。短歌、俳句ではこの洋の文化、韻を収めきれないのだから。

メリークリスマス そう応え 恥じらう 我にかかわらず

メリークリスマス そういう自分も 悪からず

| 児玉昌己 | - | 09:05 | comments(0) | trackbacks(0) |

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