児玉昌己研究室

内外の政治と日常について想うことのあれこれを綴ります。
比例80削減は、民意の「扼殺」 4 衆参の議席は国権の最高機関の機能の保障であり、財政改革の対象ではおよそない

  民主は総花的な削減をしているが、この政党がまるで戦略的発想も何もない事を暴露している。
 この政党、スパコンをスーパーの大根みたいに扱い、ノーベル賞学者を激怒させた議員がいたが、比例80削減も、国権の最高機関の構成員も、民主の手にかかると、あたかもおでんの大根みたいな扱いだ。

 実際、民主党の城島光力国会対策委員長は22日のNHK番組で衆院の比例代表定数を80 削減する同党案について、「固執するわけではない」と述べている。また輿石氏も、26日に 比例80削減こだわらずとNHKが報じている。
 にもかかわらず、わずか2日後には、 衆院選挙制度改革の与野党協議会座長を務める民主党の樽床伸二幹事長代行は郡山市で記者団に公明党などが求める「小選挙区比例代表連用制」の導入について「比例定数80削減を実現するためにすべてのことを考える」と述べている。

選挙制度改革>樽床氏、「比例80削減で連用制」検討 毎日新聞 128

輿石氏 比例80削減こだわらず NHK2012126 1647

 この政党、一体だれが意思決定に責任を持っているのかさっぱり分からない状況を相変わらず続けている。

 民主に思想があるとすれば、完全小選挙区を導入だけを狙っているとしか思えない。ちなみに毎日が伝えた、民主の比例定数の異様というべき大規模削減案は以下だ。民意の宝石をどぶに捨てて何が、民主かである。
◇衆院比例代表定数の80削減案

    現行 改正後

北海道  8→ 4 東 北 14→ 7

北関東 20→11 南関東 22→13

東 京 17→10 北陸信越11→ 6

東 海 21→12 近 畿 29→16

中 国 11→ 6 四 国  6→ 3

九 州 21→12 

 国会こそが現行の小選挙区制度が生みだす状況を是正する義務がある。 現行の小選挙区制の問題は社会全体の共通認識となっている。にもかかわらず、それをさらに極大化しようというのが、民主の改革案である。

 尖閣を隠ぺいし、さらにはあの広範囲に拡大しつつ原子炉禍について議事録も残さず、大増税を国民に求めつつ、年金の基礎資料も公表しないというごとく、憲法上の国民の知る権利を侵し、自らの失策を隠ぺいするこの政権与党を、むしろ議員定数を増やして、監視せよといいたい。
 参考記事
 議事録未作成民主、情報公開の看板に傷 野党は追及へ 毎日新聞
 130

民主、今度は“年金試算”を隠蔽!選挙のため 産経2012/01/31

消費税、最大17%=「最低保障年金」導入で―民主試算 時事通信 125

 

| 児玉昌己 | - | 19:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
比例80削減は、民意の「扼殺」 3 衆参の議席は国権の最高機関の機能の保障であり、財政改革の対象ではおよそない
  全体的に小選挙区制度が生む膨大な死票は1人枠による1票の格差どころの話ではない。国民の声である1票は現在46%程度(2009年衆院選実績)が政治に反映されずに、「虐殺」されている。
 司法は当該事案を審議するだけで、現行制度枠内での議論に限定され、問題の本質的解決には限界がある。すなわち、現行選挙制度で膨大に出ている死票の問題を解決できない。
 最高裁が判示した現行の上での1人枠の解消は、大都市に積み増しと地方が大幅に削減されるということで、新たな議員格差を生む。これに加えて、民主案80削減案では、九州は、21から12と半減となる。
 この政党は、小選挙区の定数是正については、昨年3月には21増21減といっていた。今年に入り、自民案を受け、0増5減という。実に、無見識、無原則にコロコロとその数値を変えてきている。
 だが、変えていないことがある。比例定数80の削減だけは一貫して維持している。
 この政党の本質が奈辺にあるかを知ることができる。すなわち、極めて非民主的で、民意をまるで反映できない完全小選挙区制度を志向しているということの証である。イギリスなどは、欧州議会選挙制度にみるように、それから脱却している時にである。
 民主といえば、このブログで指摘したように、当初より、財政の裏付けを欠いたマニフェストであった。それがゆえに、論理必然的に、ことごとく実現できないでいる。

 政治においても同様のことがいえる。地方主権をうたいながら、地方潰しの選挙制度改革案である。
 しかも、国権の最高機関の権威への自覚もなく、なんと一般公務員の削減と同レベルの、行財政改革を口実にした改革案である。すなわち、小政党と地方潰しの小選挙区制度強化の愚案でしかない。
 実際、同党の選挙制度の改革案、どこが、地方主権かである。
 この政党のマニフェスト、政治の部面をみても、まるで整合性が取れていない。
 なお、毎日は以下の記事を出している。
 民主:議員定数削減骨子「0増5減」自民党案「丸のみ」に 毎日新聞 2012117日 2137分 
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20120118k0000m
010073000c.html

 だが、毎日の記事は、自民案を民主が丸のみしていることを強調しているが、民主という政党の選挙制度案の核心部分は、そこではない。
 民主の選挙制度改革案の核心部分は、比例80削減を死守することであり、前近代的で反動的というべき、完全小選挙区に接近させる意図を秘めているという1点にある。
 しかも、政治的影響力については、現状でも大都市部が圧倒的に持っている現実をみるとき、この削減は、異様に地方に負荷をかけ、地方を死滅させるよう機能するといってよい。

参考ブログ・記事

2009.07.27 Monday 驚くべきも不適切な民主の公約の財政的裏付け 中

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=1935

2121減で調整へ=1人別枠方式は廃止―衆院選「1票格差」是正・民主 時事通信2011326

| 児玉昌己 | - | 23:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
比例80削減は、民意の「扼殺」 2 衆参の議席は国権の最高機関の機能の保障であり、財政改革の対象ではおよそない

 欧州では、EUの議会である欧州議会では、比例が常態として、欧州議会選挙法の準則としている。
 それがゆえに、国内下院選挙で小選挙区制度を採用しているイギリスでも、1999年に欧州議会選挙では、法改正を断行し、ドント式比例に転換し、民主主義を広げた。
 昨年5月の保守と自民の連立内閣での非民主的単純小選挙区制度を改める下院議会選挙改革で号したAV(優先順位付選択的投票)制度の国民投票が実施されたのは、それらの一連の政治の変化が故にである。
 たしかに否決されたとはいえ、小選挙制度全廃に対する不満と比例制度へのシフトへの機運は高まるばかりである。
 わが国の現行の選挙制度の問題点については、最高裁判所元判事の福田氏の著書の宣伝文を引用すると以下である。それはいう、
 たとえば2007年の参議院選挙では、選挙区選挙の最低得票当選者は高知選挙区の166000票。他の選挙区でそれより多く得票しながら落選した人は44人。その得票合計は1372万票に上る。2005年衆院選挙では、小選挙区選挙の最小得票での当選者は福井1区の51000票。それより多くの得票を得ながら他の選挙区から出て落選した人は294人。その得票総数は2560万票。
福田博「世襲政治家がなぜ生まれるのか」
http://ec.nikkeibp.co.jp/item/books/P47310.html

 これが現行小選挙区制度の現実である。実に、民意の確保とは、別物というべきも、馬鹿げた現実ではないだろうか。
  比例議員を見下すものに言おう。比例こそ、広範囲な民意を体現する議員である、と。
 実際、選挙区選出の議員は、比例選出議員を見下せるほど、果たして民意を得ているのだろうか。
 2009年の実績で、小選挙区の「死票」は3270万票で、投票総数の46.3%、87選挙区では過半数という数字もある。
 逆をいえば、87の選挙区では、有効投票の過半数の支持もない候補者が当選していること、最悪、選挙区の全有権者からいえば、その3割の支持も得ていないものが、議員となっている場合もある事を意味している。
 これが比例選出議員を悪しざまにいう選挙区選出議員の、民意の反映というその程度に関する、一方の真実である。  
 比例選出の中にも、自虐的にいう議員がいる。だが、自らが、国民の意思の宝石というべき民意の体現者であることも自覚できていない。比例80など、比例代表制を換骨奪胎する愚劣極まりない、反民主主義だと、メディアは主張するべきである。
 巨大メディアはもとより、公明も、共産も、みんなも、社民も、その他の少数政党はもっと怒れ。でない国民の35%もある自民と民主以外の支持者の声は、合法的に抹殺されてしまう。

| 児玉昌己 | - | 23:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
比例80削減は、民意の「扼殺」 1 衆参の議席は国権の最高機関の機能の保障であり、財政改革の対象ではおよそない
  民主も自民も,行財政改革の延長で、ひとつ覚えに比例の議員定数の大幅削減を言う。 
 しかも、国権の最高機関の構成員で、国民の代表である国会議員について、一般の行政職の公務員の削減と同じ論理で。
 あいた口がふさがらない。
 比例選出の議員を、選挙区で選出された議員よりも下に置く差別的言動も、平気でなされる。 
 しかも、日頃、民主主義をお題目にする巨大メディアも、実に不思議なことに、政権与党や自民のこの反民主的思考と行動に対して、まるで異議も唱えない。冗談だろう。
 この国の政治と民主主義に対する感覚には、欧州政治を学んでいるものからすると、あきれるばかりである。
 財政再建にわが国と同様に苦悩する欧州ではどうか。
 議員の歳費(給料)の大幅削減はいわれても、定数削減など、あのギリシアでも存在しない。
 カネの問題で政治を語れば、1議席いくらで買えるかという、金融ブローカーが口にするような、代表民主制を根幹から否定する議論に帰着する。
  巨大メディアも政治家も、国会議員は国権の最高機関であり、国民と政治をつなぐかけ橋であるということを熟知していないからである。
  定数削減の根拠はなにか。なにもありはしない。あるとすれば、世界の先進国で議員の数が最悪にも少ない米国がある。
 それを除けば、政権への剥き出しの党利党略か、少数意見の合法的抹殺以外にない。
 定数削減では、以前、削減論者は、米国を例にとっていたが、比較政治の観点から、具体的データを提示し、その議論の欺瞞性を明らかにした。
 2010.05.25 Tuesday 議員歳費と議席の削減論について 4 先進11カ国の人口比別国会議員定数 http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2364
また一般の反応については、以下。
http://ceron.jp/url/masami-kodama.jugem.jp/?eid=2364
 
 人口比で見る直すと、議員定数が最も少ないのは米国であり、100万人に2人も確保できていない。
 すなわち、国民から国会議員が最も遠いのが米国であるという事実もふくめ、主要国の議員定数をリスト化して、このブログで明らかにし、多くの読者の知見を確かなものとした。
 だが政治家と巨大メディアが、このデータさえ、十分に理解し、評価できていない。
 スウェーデンは国家規模から日本風に置き換えていえば、4000人ほどの国政担当者がいる。
 米国は100万人に2人も確保できていない。そしてウォール街でもにみる大格差社会、貧困大国の別の姿がある。そして80年以上米国は定数変更をしていない。
 人口は1.2億から3億を超えるまでになってもである。これが米国の現状である。
 勝ち組として、米国の光の部分だけを観て得々として米国帰りを自認する民主や自民の幹部には、こうした米国政治の影の部分を知らずにいる。
 しかも、比例当選議員を選挙区選出の議員と比較して、見下すような発言をするものもいる。

 
 
 
| 児玉昌己 | - | 23:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
フレンドという言葉 senior friend?

  ブログの表題で、今日は、カールシュミットの、「友敵論」かなどと思わないでいただきたい。
 政治学者としては、シュミットのその論は極めて重要なのだが、ここでは、ごく普通の人としての、普通の言葉としての友に関するエッセイ。
 人間は、洋の東西に関係なく、人として、共通の感情を持っている。悲や涙、怒り、喜び、感謝、敬意などなど、われわれが喜怒哀楽という言葉で表現する感情である。
 基本的には、洋の東西に関係なく、同じ感情をいだく。だが、その表現の仕方は微妙に違っている。今日は、私の経験も踏まえて、それを書こう。
 フレンドという言葉がある。
 もとより友、友人という言葉だ。だが、これが洋の東西では微妙に同じ言葉でも違ってくる場合がある。
 日本という社会は、韓国など儒教的な規範意識が残っているアジアの社会では同じだろうが、いわゆるシニオリティseniorityという規範意識があり、それを意識、無意識の中で、大切にしている。
 シニアーという言葉は、単に年齢が上であるという以上の意味を持っている。
 懇意にしているイギリス人にニュアンスを確認するときがままある。辞書の言葉では済まないと思うその機微や微妙さを確認するためにである。
 日本では、長い付き合いがある友人については、竹馬の友という言葉がある。これは、欧米ではold friendという言葉があり、それが最も近い。
 だが、日本では「年長の友」という表現は皆無ではないが、あっても尊敬と敬意があれば、友という言葉を使うのははばかられる。年長の人が、年下の人に対して、その人を友と思っていただいていることを前提としているのであり、それが最低の条件であろう。
 今日はそのことを書きたいのである。
 ベルギーの欧州大学院大学で学んだことは、何度か書いている。が、院生として学んだ母校の欧州大学院大学に、6年ほど前、在外研究で25年ほどの時を隔てて、出かけた際のことだ。
 ドイツ出身で、行政学研究科の科長で、米国での生活も長いドイツ人のマンケ教授との会話で、懇意にさせているある教授を想定しつつ、serinor friendと表現したら、一瞬senior friendかい、と繰り返された。
 私のその言葉に反応されたのである。
 もとより、マンケ教授は、私の意味を理解されていたのだが。欧米では歳を超えて、フレンドは成立するということである。マンケ教授はフレンドにシニアーをつけることに改めて、戸惑いを感じられたのだ。
 かつて、米国滞在記のエッセイの中で、江藤淳が、プリンストンの大学院での演習での教師と学生の距離について、同じく触れていた個所があった。今それを事を思い出している。
 ジョンとかジョージとか、学生が親しくなれば、教師に対して特段のこともなく、発している、そうした米国での驚きの経験を江藤は、同じように、書いていた。
 年齢の差をより強く意識する日本では、学生が教師をそう呼ぶことはまずない。
 私のsinior firiendもその社会的位置を反映した感情の延長での表現だった。
 長年その社会が構築して来たそうした社会関係が生む感情があり、それはなかなか言葉として同じようには表現できないというのが、結論だろう。儒教的規範意識がわが国以上に強いと思われる韓国人がおそらく一番この感覚を理解できるのではないかと思う。
 ともあれ、還暦の誕生日を迎えて、フェイスブックで、国境を超え、多くの方々に、「フレンド」として祝意を伝えて頂いた。
 年齢など、黙っていても誰も平等に重ねる、といった自虐はここでは捨てて、心より、感謝した次第である。

| 児玉昌己 | - | 09:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
中村民雄早大教授のEUと日本外交のあり方に関する講演を拝聴する

 金曜日、午後、中村民雄早大教授の久留米大学比較文化研究所欧州部会の講演を拝聴する。
 単に意見を拝聴するというより、この欧州部会の講演、他も同様だが、お願いし、司会も担当しているのである。
 昨年夏、九州大学の八谷まちこ先生の呼びかけで、阿蘇の施設で、近隣の大学生に呼び掛け、EU学修合宿をした。その際、先生にお願いして、今回実現したものだ。
 私学はどこでもそうだが、この時期期末試験、入学試験など多忙を極める時期なのであるが、その合間を縫って、とんぼ帰りで、きて頂いたのである。
 EU研究者からみて、日本はいかにこのEUと経済外交を展開すべきなのか、EU法に熟知された経験を背景に、EUとの経済連携協定EPAの交渉に臨むべきであるということであった。
 当然、それは環太平洋という名称が示すように、EUは除外されているが、日本最大の外交懸案のTPP交渉に参加する、日本外交の態度も同様のものとなるべきであることを話された。
 特に、相手は法の世界であり、彼らが理解できる「法の言葉」をもって外交交渉に臨む必要があることを指摘sれた。
 また、先ごろ受講者からの質問に答える形で、締結されたEU韓国FTA協定の政治的性格に言及されたが、この協定の政治的性格については、報道されていないことで実に興味深いことであった。
 韓国EU学会の理事長経験者で、延世大学の金大淳(キムデスン)教授は以前ソウルでの韓国EU学会での朝鮮半島とEUのセッションで、招かれて講演させてもらうなど付き合いがあり、他方、同教授はロンドン大(LSE)学時代の中村先生の同窓生であるということで、私たち共通の友人である。
 韓国におけるEU学界をリードする同教授が、EU韓国のFTA協定(条約)どう評価しているのか、聴いてみたいと思った次第である。
 厳寒の中、35名以上の参加者を得て、受講者も大いに知見を広げられたことだろうと思っている。
 なお、3月から12年使ってきたアクロス福岡から、本学サテライト教室をエルガーラに移すことが決まり、私にとっては、アクロス福岡での最後の講演と相成った。

| 児玉昌己 | - | 09:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
久留米大学大学院比較文化研究所欧州部会2011年度講演会第4回講演会のお知らせ
    久留米大学比較文化研究所欧州部会では2011年度第4回目の企画として、中村民雄早稲田大学教授をお招きして、下記要領で講演会を実施します。聴講は無料です。

ふるってご参加のほどお願い申し上げます。

 

 記

演題 リスボン条約以降のEUの外交日本EU経済連携協定交渉の知られざる側面

講師:中村民雄(早稲田大学 法学学術院 教授)

略歴:(なかむら たみお)1959年生まれ。1983年東京大学法学部卒業、1986年東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了(法学修士)、1987年ロンドン大学法学修士課程修了(LLM)、1991年東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了(博士(法学))。成蹊大学法学部助教授、東京大学社会科学研究所教授を経て、2010年より現職。

著書:『イギリス憲法とEC法』(東京大学出版会、1993)、『欧州憲法条約解説及び翻訳』(衆議院憲法調査会事務局、2004)。(共著)『東アジア共同体憲章案』(昭和堂、2008)、(編著)『EU法基本判例集(第2版)』(日本評論社、2010)ほか多数。


場:久留米大学福岡サテライト

(福岡県福岡市中央区天神1-1-1 東オフィス5階)

座:日 時:平成24年1月27日(金)

間:15時〜17時 (含む質疑応答20分)

申込法 :参加料:無料・直接会場へおこしください。定員80名、先着順

 

 

| 児玉昌己 | - | 20:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
寒い夜には楽しい欧州の音楽をどうぞ ビヤ樽ポルカ(rosamunde)など

 寒い夜だ。これから九州北部も明日以降雪になるとのこと。

今日は終日、家にいて、ユーチューブなど聴いて寛いでいた。
元気が出るのがいい。
ドイツのrosamunde
(ローザムンデ)と聞いて、ピンとくる人は、相当のドイツ通だろう。日本ではビア樽ポルカという。なんだ、それなら知っているという人も多いだろう。
 もともとチェコ民謡Škoda láskyから採られたとのことだが、世界的に広がった。
 35年ほど前のことだが、ロンドン留学中、フリートストリート(新聞街)だったか、たまたま入った大規模パブでこれをピアノで演奏して、お酒と音楽を愛し、楽しむ現地の人がなんと素敵で、幸せだろうと、心が高揚したことを覚えている。
 アコーデオンなどで、多数のバージョンがあるが、以下がオランダはマーストリヒトでの夜会。国境を越えて、蘭、独語圏の人々の喜びが伝わってきて、いい。

André Rieu & Heino - Rosamunde - YouTube
 元々チェコ語で、失恋の歌ということだが、米国に渡り、ビヤ樽beer barrel porkaとして、全く歌詞が改められたという。
 
 もう一つは、惜別の歌として知られるMuß i' denn、発音はムシデン。
英語版もあり、プレスリーがGIブルースの中で、歌って有名になった。デートリッヒの哀愁のある以下の版もいい。

http://www.youtube.com/watch?v=Nfr5tDhj5nA&feature=related

 また軍歌バージョンもある。歌詞の内容は、愛する人を残して、修行に出る職人の恋心をうたったもので、いわゆる軍歌の歌詞ではない。国民に広く知られている愛唱歌を使ったということだろう。
 外に多数の女性はいるが、誓ってあなたのところにもどるという、実に男の側の恋心を歌い、人間味にあふれる歌詞である。

 

参考ブログ
2011.07.30 Saturday
 落ち込んだ時は、米加ポピュラーソング2曲
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2890

| 児玉昌己 | - | 20:29 | comments(0) | - |
選挙制度での朝日と北海道新聞の社説 そして還暦人がなせること
  昨日西日本新聞の社説を批判した。あまりに、バランスを欠いて、レベルがひどいものだった。
北海道新聞は、19日付で、私と全く同様に選挙制度の議論にはバランスの必要があることを指摘している。また朝日は20日付で、民主の愚劣極まりない比例定数80議席削減案を完全小選挙区制に誘導する案だと適切に批判した。
 北海道新聞(道新)といえば、昨年5月、1票の格差問題で、東京報道部から久留米の研究室で取材を受けた。それは、泉前最高裁判事とのサンデー討論として、コメントを大きく掲載して頂いたことがある。
 だれがみても、朝日と北海道新聞の見出しが普通である。ともあれ、すこしほっとする。

定数減民主案―比例80減には異議あり 朝日社説2012/01/20

http://www.asahi.com/paper/editorial.html
衆院選挙制度 抜本改革の道筋も示せ 北海道新聞社説(2012年1月19日)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/344454.html
 
 なお、私的なことだが、還暦が近いことは書いた。
 歳をとったものの役目は、少しなりとも、過去を知っていて、それを若い人に伝え得るということである。それはたとえば、飯尾潤政策研究大学院教授の参院認識に関連した、同氏が十分に理解できていないと思える当時の参院の雰囲気であり、あるいは私がこれまで構築した人間関係についてもである。
 過日、今度チームでEUの書の全面改定版を出す若手の女性EU研究者から欧州司法裁判所に調査に出かけたいがと相談を受けた。
 ベルギーはブルージュにある欧州大学院大学の同窓生が、昨年、同裁判所判事に就任している。それを伝えるEメイルで、私にルクセンブルグに顔を出さないかと誘ってくれていたことを思い出した。
 欧州大学院大学といえば、ヨーロッパのトップクラスの秀才を集め、そして欧州司法裁判所を含めEUの機関や欧州各地の大学など、多方面に人材を提供している欧州屈指の高等教育研究機関である。
 それで彼にEメイルを打ち、紹介してあげた。
 無事、コンタクトが取れ、調査取材が可能になるようで、喜びのEメイルを受け取った。
 若い日、肩書とは無縁の時代、欧州大学院大学で机を並べ、今はカフェテリアに置き換えられた給仕付きの学食で、ファーストネームで呼び合い、寝食を共にした友人だ。
 そして、それぞれの人生を送って、こうして今がある。
 ささやかではあるが、私の経験や人間関係がお役にたてれば嬉しいことだ、と思った次第だ。

| 児玉昌己 | - | 17:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
西日本新聞よ、貴紙は民主のメディア支部かね 3 バランスを欠く選挙制度(議席削減)の社説

    実際、民主がいいとする米国の議会を言えば、国民を代表する議員が50万に1人も確保できず、上院は貴族化し、下院は任期2年で当選年次と改選年時しかなく、どぶ板政治で国政も考えられない政治である。
 結果、ウォール街への大規模な自発的デモでみたような格差社会、貧困大国を生んでいる。そんな米国の政治のあり方よりも、スウェーデンの方が、よほど市民に政治が身近でいい。

 あたかも国政担当者が、市民の隣に、市議の如くにいる。それも政治のあり方だ。
福祉先進国で言及されることの多いスウェーデンは942万の人口で、349議席を確保している。
 日本風に言い換えれば、4000名ほどの国会議員がいることになる。
 

 人口が6千万程度のイギリスでは下院は、650で、日本の人口比に当てはめると、衆院で1300人の議席を持つ勘定である。
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2364 議員歳費と議席の削減論について 4 先進11カ国の人口比別国会議員定数 2010.05.25 Tuesday

 しかも、無能論からくる削減論に加えて、行財政改革での削減に変わりつつある。
 だが、世界中で、歳出削減が言われているが、それを理由として、国会議員定数の削減を言うのは、わが国くらいである。政治がカネの問題で扱われることほど、民主主義の静かな衰微を示す危険な兆候もない。議席はいくらで買えるかという議論につながる危険である。

 たしかに、現下の、前代未聞にも、「ルーピー/クルクルパー」(ワシントンポスト)と米政権にいわしめた首相を含め、無能議員の存在を認めるとしても、国会議員は国民の代表である。無能な現職議員が将来の有能な議員の登場の可能性を阻むことがあってはならない。
我が国での議員削減論には、無能な議員論から、議員不要論があり、しかして無能、不要、議員削減と続く。

 カネを言うなら、政党助成金の大幅削減だ。
 この助成金で、まじめにドイツの選挙制度など、政治の研究に使うならいざ知らず、欧州の事情も知ることなく、何より、政党のボスが解党ごとに懐に入れ、新党結成時に子飼いにばらまき、公金を私物化し、自己の権力維持に活用する危険が指摘されているほどだ。
 この政党助成金の大幅削減と、議員歳費の削減で十分である。
 それが、民主の総理が何とかの一つ覚えみたいに言う、「身を削る」ことの真の意味である。 
 実際、ソブリン債危機の発端となったギリシアでさえも、歳費の削減はあっても、議員定数の削減の具体案は聞いたことがない。

行財政改革での削減対象の一般公務員と国民の代表とは別物でることを理解しているからであり、議員定数を軽々に削減することの反民主主義を熟知しているからである。

 しかるに試験でそれになる一般の公務員と、国権の最高機関の構成員として、選挙をされて公職者となる議員を同一視し、これを同じ次元でリストラするなど言語道断である。
 この思考は、小泉元首相の「国会リストラ論」と同類であり、極めて危険なポピュリズム的な、反民主主義の要素を孕んでいる。

 そんなことも分からずに、社説氏が、議員定数削減を自ら煽っているようだ。しかも民意の宝石というべき比例定数の80削減という民主の政策に結果的に、意識してか、無意識か、無批判に加担するような論を出す。

 比較政治の知識や選挙制度のあるべき姿についての本質的認識をはなはだしく欠くものが、はしなくも九州最大の有力紙を代表する社説氏となって、しかも民主的な制度改革とは何かの自己の積極的提案もなく、既成政党の尻馬に乗り、本格的な選挙制度改革に竿を指すような社説を書く。まったく困った世の中だ。
 貴紙の社員はこんな社説で皆納得しているのかね

| 児玉昌己 | - | 02:34 | comments(0) | trackbacks(0) |

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