実際、民主がいいとする米国の議会を言えば、国民を代表する議員が50万に1人も確保できず、上院は貴族化し、下院は任期2年で当選年次と改選年時しかなく、どぶ板政治で国政も考えられない政治である。
結果、ウォール街への大規模な自発的デモでみたような格差社会、貧困大国を生んでいる。そんな米国の政治のあり方よりも、スウェーデンの方が、よほど市民に政治が身近でいい。
あたかも国政担当者が、市民の隣に、市議の如くにいる。それも政治のあり方だ。
福祉先進国で言及されることの多いスウェーデンは942万の人口で、349議席を確保している。
日本風に言い換えれば、4000名ほどの国会議員がいることになる。
人口が6千万程度のイギリスでは下院は、650で、日本の人口比に当てはめると、衆院で1300人の議席を持つ勘定である。
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2364 議員歳費と議席の削減論について 4 先進11カ国の人口比別国会議員定数 2010.05.25 Tuesday
しかも、無能論からくる削減論に加えて、行財政改革での削減に変わりつつある。
だが、世界中で、歳出削減が言われているが、それを理由として、国会議員定数の削減を言うのは、わが国くらいである。政治がカネの問題で扱われることほど、民主主義の静かな衰微を示す危険な兆候もない。議席はいくらで買えるかという議論につながる危険である。
たしかに、現下の、前代未聞にも、「ルーピー/クルクルパー」(ワシントンポスト)と米政権にいわしめた首相を含め、無能議員の存在を認めるとしても、国会議員は国民の代表である。無能な現職議員が将来の有能な議員の登場の可能性を阻むことがあってはならない。
我が国での議員削減論には、無能な議員論から、議員不要論があり、しかして無能、不要、議員削減と続く。
カネを言うなら、政党助成金の大幅削減だ。
この助成金で、まじめにドイツの選挙制度など、政治の研究に使うならいざ知らず、欧州の事情も知ることなく、何より、政党のボスが解党ごとに懐に入れ、新党結成時に子飼いにばらまき、公金を私物化し、自己の権力維持に活用する危険が指摘されているほどだ。
この政党助成金の大幅削減と、議員歳費の削減で十分である。
それが、民主の総理が何とかの一つ覚えみたいに言う、「身を削る」ことの真の意味である。
実際、ソブリン債危機の発端となったギリシアでさえも、歳費の削減はあっても、議員定数の削減の具体案は聞いたことがない。
行財政改革での削減対象の一般公務員と国民の代表とは別物でることを理解しているからであり、議員定数を軽々に削減することの反民主主義を熟知しているからである。
しかるに試験でそれになる一般の公務員と、国権の最高機関の構成員として、選挙をされて公職者となる議員を同一視し、これを同じ次元でリストラするなど言語道断である。
この思考は、小泉元首相の「国会リストラ論」と同類であり、極めて危険なポピュリズム的な、反民主主義の要素を孕んでいる。
そんなことも分からずに、社説氏が、議員定数削減を自ら煽っているようだ。しかも民意の宝石というべき比例定数の80削減という民主の政策に結果的に、意識してか、無意識か、無批判に加担するような論を出す。
比較政治の知識や選挙制度のあるべき姿についての本質的認識をはなはだしく欠くものが、はしなくも九州最大の有力紙を代表する社説氏となって、しかも民主的な制度改革とは何かの自己の積極的提案もなく、既成政党の尻馬に乗り、本格的な選挙制度改革に竿を指すような社説を書く。まったく困った世の中だ。
貴紙の社員はこんな社説で皆納得しているのかね。