児玉昌己研究室

内外の政治と日常について想うことのあれこれを綴ります。
西南でEU講演 中 ユーロ危機とニューディール、そして清水幾太郎先生のこと 

 思い出していたのは、ドグマに侵され、リアルな目を失い、いよいよ資本主義は断末魔の時を迎え、ついに我々の時代が到来した、革命は近い、共産主義革命が成就すると、資本主義側の努力を軽視し、自らの経済体制への批判の目を失っていくソ連とそのイデオロギーの支持者の無責任についてである。
 その後、ソ連は地上から消滅する。清水先生はソ連崩壊の序章としてのベルリンの壁の崩壊の前年、1988年に他界されているから、それを見通しておいでだったといえる。
 リアリティを直視できないものは、道を誤るということである。
 ユーロ解体論者がメディアで跋扈する日本であるが、上述の清水幾太郎先生が触れておられたことと、ユーロ解体論者とそれをファッションのように取り上げるメディアの同様の無責任さを、重ね合わせていたのである。
 すなわち、イギリスやそれに強く影響されているわが国のユーロ解体論(待望)者たちの認識だが、それとはまるで異なり、欧州では、ユーロ危機と格闘し、政策の方法をめぐり議論を重ね、これに対処している。
 無責任な評者は、そのことをまるで知ろうとしない。 
 もとより混乱に乗じて投機的な利得を得ようと画策する者はいる。さらにはメディアに露出し、EUの危機を、原発さながらに、悪乗り的に「メルトダウン」などと煽り、それで自らを売ろうとする売名的評論家の類もいる。
 はたまた、このような無責任な評者を、あたかも権威者であるかのように登場させ、視聴率を上げようとするメディアもいる。
 これらは論外である。なにより、彼らの論調には、その後のことなど何も触れられていないという共通性がある。
 だが明確なことはある。欧州の政界にあっては、ユーロ崩壊を望む指導者など、一人もいないということである。
 それは国家と社会の利益と相いれないからである。自国の通貨の危機を憂えないものがいるはずがない。そのことを知るべきだろう。
 欧州の政治指導者はユーロの危機に対して、他国とのギリギリの交渉を続けながら、着実にそのトラブル・シューティングに動いている。
 清水先生のことに戻ると、もとより、時代も論点も異なる。20世紀は剥き出しの資本主義とその危機と対処法という問題であった。
 21世紀のヨーロッパ統合の問題は、地球規模となった国際化した金融のまさしくグロ-バルな性格と資本主義の問題である。
 そして個別EUのことでいえば、EUにおいては、現在見られるEUにおける金融主権と財政主権の分断状況があり、これが危機を招いており、その一体化の必要が認識され、議論されているということである。
 それがユーロ財務省構想や、ユーロ共同債、金融取引税の導入など、国家の主権的部分に関わる統合の強化となって議論されている。それゆえ、論点は異なる。
 だが、当時も今も、反対論者の無責任さについては、ともに変わらないということである。
 
 ユーロ壊滅論やEU解体論など一蹴すべきである。ユーロ壊滅などありえない。ギリシャのユーロ離脱の可能性も、国民が合理的判断をすれば、ありえない。 
 ギリシャについていえば、実際、それがギリシャの再選挙で示された。もし、ユーロ離脱の可能性があるとすれば、現下の緊縮の強度の苦痛でギリシャ国民の合理的判断が阻害される場合に限られる。
 現在進められている議論が、イギリスとチェコを除く、EU25カ国が進める新財政条約とその批准努力であること、それをみれば理解できる。
 これこそ、解体論を一蹴するユーロ強化の
実践の証左である。
 制度的対応には時間がかかるが、それを見落とすべきではない。
 EU加盟国ではあるがユーロ圏外にあり、現下の政策論争でまるでカヤの外にあるのがイギリスである。
 それゆえイギリスではEUの同盟強化、連邦的同盟の強化に比例して、これでいいのか、と深刻なEU加盟論争が起きている。
 これは、すでに一部を紹介しているが、別途、書くことになるだろう。
参考ブログ

2012.06.17 Sunday ギリシャ総選挙余滴 13 上下 鮮明化するコアとペリフェラル オーエン卿によるEU残留の英国民投票の求め

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3186

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3187




| 児玉昌己 | - | 16:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
西南でEU講演 上 ユーロ危機とニューディール、そして清水幾太郎先生のこと 
 雨にも関わらず、夕刻、100名をはるかに超える参加者を得て、西南学院大学経済学部教授上垣先生に司会をしていただき、幸いにして、無事その務めを果たすことができた。
 テーマは「ヨーロッパ統合の最前線」

 手伝ってくれたK君との連携もよかったですよ、ということを参加されていた久留米大学公開講座の受講者から聞き、何よりだった。
 60余りのスライドを作ったため、それを話しつつ、適宜画面表示するとなると、独りでは不可能だ。その間、話、対話が中断される。持ち時間は限られている。
 デジタル時代の利便性も、使い方次第では、全く意味がなくなることもある。 これまで多数の経験を積んで、学んだことだ。
  パワポは現代のデジタル版紙芝居。私はそう認識しているが、実に便利で効果的だが、同時にその使い方もさらに重要である。
 実は、報告の中身もさることながら、使うデータ、写真、パワポの色、使用するポイントの大小など、それで、時間とエネルギーをとられていた。
 本末転倒のことではあるが、備忘録やメモ作成という個人のレベルを超え、聴衆との関係となると、別の話で、どちらも大事となる。
  せっかくの講演だ。参加者が楽しんで頂けないと、という気持ちがある。
 話しながら、私自身が、EUの抱えている問題の巨大さと、同時に一部の評論家が声高に口にするユーロ解体やEU崩壊などがいかに馬鹿げた議論かということを改めて確認していた。
 ユーロ危機で起きていることから、ことさらユーロ解体を強調する評論家が多用されるわが国のテレビ報道とEU報道の軽薄さであるが、同じく思い出していたのが、清水幾太郎先生のことだ。
 晩年、核兵器保持を唱えられ、それもあり、すっかり忘れ去られてしまったが、1960年代の活躍は、丸山眞男と並び、その影響においてそん色のない知識人だった。
 EUの危機で
思い出していたのは、もとより同氏が晩年唱えた核武装論のことではない。
 ニューディールとソ連について触れた先生の一書の個所である。
 時代は1929年。所は大恐慌の米国。これをを乗り越えるべく、NY州知事から1933年に第32代大統領に就任したのが、FDRこと、ルーズベルトである。
 彼は、ケインズ主義の典型というべくも、国家権力を行使し、大々的な公共事業に乗り出し、雇用を積極的に創造し、不況脱出と失業者の救済を実施した。それがニューディール政策であり、修正資本主義といわれるものである。
 
だが、思い出したのは、そのことでもない。
 そのニューディールへの対応に対するソ連と、そこに身を置く共産主義者や社会主義者の対応について清水先生が触れた個所についてである。

 
| 児玉昌己 | - | 09:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
明日は西南での市民講座
  九大、西南、福女の福岡の3つの大学を中心に、EUIJ九州というEUが資金援助をして立ちあげられている広報活動がある。西南をホームグランドにし、20年以上お世話になっている九州EU研究会も連携している。
 その一環として、学習会や講演会などが行われている。
 昨年7月2日には、ユーロ危機を受けて、大掛かりなシンポジウムが開催された。
 EU経済とユーロ問題の権威、田中素香教授(中央大学経済学部)が招かれ、また政治面からはどう見えるのか、政治学的観点から報告せよ、と指名されて、私も基調報告をさせて頂いた。
  今年も、6回シリーズで、市民講座として開催するので、1コマ、90分話してほしいという依頼を受けて、明日講演をすることになっている。 
 それで、EUの教科書の担当章の校正作業と並行して、パワーポイントでその準備に忙殺されていた。
 EUの動きは激しい。しかもその論調は、わが国では特に、ユーロ圏のカヤの外にあるイギリスの論調や、社会のガンというべくも、まるで社会に責任を持たない投機筋の金融商品の売買も含めた市場主義に影響されて、経済の下降局面では特にネガティブに伝えられる傾向にある。
 それで、より幅広くEUの動きを理解して頂くのが趣旨である。
 与えられた時間で、EUの最新動向を話すのは、極めて困難だ。それでも、どれだけ、参加者に、私が考えているEUの動向を理解して頂くか、それは話し手の力量や、腕の見せ所ともなる。
 ともあれ、今にも解体、崩壊、とネガティブに報道されるばかりのEUだが、果たして実際はどうか、EUと欧州統合のダイナミックな一面をご理解いただければ、幸いである。
会の案内は以下
http://www.euij-kyushu.com/jp/shiminkouza.pdf#search='EUIJ
| 児玉昌己 | - | 23:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
追悼ザ・ピーナッツ 伊藤エミ 幾多の名曲をありがとう

 増税法案への大量造反者を抱えた野合民主の除名劇の茶番や、東電の株主総会でのあの厚かましさを目にしたくないため、しばしテレビから遠ざかっていた。 
 夕刻、インターネットで、ザピーナッツ、伊藤エミさんの死去の報に接す。
 1960年代、まだ小学生だったが、街の子として、どちらかといえば、背伸びした環境にあり、増せていた私だったが、この双子のシンガーのリズムは強烈に耳の底に残っている。
 実は、1975年、あの伝説的NHKアナ高橋圭三が総合司会を務めた「ザピーナッツさよなら公演」のCDも持っているのである。後年、ネットショッピングで取り寄せたものだった。
 彼女たちの数々のハーモニーでどれが好きかといわれれば、即答するにはためらわれる。
 「恋のバカンス」、「ウナセラディ東京」なども上げる必要があるが、軽快なあの「ふりむかないで」(1962)をここでは挙げたい。
 「可愛い花」Petite Fleurをはじめとするシャンソン系を謡わせても、演歌系も、才能あふれる2人だったからなんでもこなせる。
 私の子供時代、地上に存在しないが、みんなが知っていたインファント島のあのモスラの歌も懐かしい。
 かくのごとくして、昭和がまた1つ彼方に過ぎていく。
 抜群の歌唱力のあった尾崎紀世彦も他界した。寂しいが、いずれもわが日本の歌謡史に燦然と名を残す人々である。
 万感の思いを込め、深い感謝の気持ちで、ファンの一人として、こころより追悼の意を表したい。 
 関連ブログ
2007.05.30 Wednesday 追悼坂井泉水2
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=607
2007.05.31 Thursday
週末の東京出張 有楽町で会いましょう
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=609
ザピーナッツ 歌 ふりむかないで 動画

https://search.yahoo.co.jp/video/search?p=%E6%8C%AF%E3%82%8A%E5%90%91%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A7+%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%83%E3%83%84&tid=b89f9dc31d77140c40fa1bfb8209ca99&ei=UTF-8&rkf=2&dd=1

| 児玉昌己 | - | 22:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
脇阪紀行『欧州のエネルギーシフト』(岩波新書2012年)の献呈を受ける
  ベルギーのブルージュにある母校の欧州大学院大学での在外研究からもどって、もう7年になる。
1年間の在外研究で色々成果を得たが、なんといっても人との出会いは得難いものであり、いつも感謝しているところだ。
 生きていることは必ずしも楽しいばかりではないし、むしろ辛いことが多い。そんな人生でも、楽しいと思えるのは、多様な職にあり、その素晴らしい才能を発揮している人たちとの出会いだろう。
 朝日新聞の当時ブリュッセル支局長をしていた、著者ご本人である脇阪紀行さんとの出会いは、そうした得難いものの1つである。
 欧州大学院大学で用意して頂いた私のデスクに電話があり、取材依頼をされたことに始まる。それで面識を得て、以降、大学の公開講座で話しをしてもらったり、懇意にさせてもらっている。
 今日は、岩波書店から2冊目となるご著書が贈られてきた。以下がその書だ。
 『欧州のエネルギーシフト』  脇阪さんは、現在論説委員。
 昨年4月13日段階で「海のチェルノブイリ」と私が形容した重大な東電福島の原発事故前後から、脇阪さんはずっと欧州のエネルギー問題をフォローされていた。この間、社からの出張も含めて、複数回、現地を踏まれている。そしてその成果が、この書である。
 「苦悩」、「脱却」、「分権」、「挑戦」、「創造」、「未来へ」と欧州のエネルギーを巡る問題を私の好きな人間密着型の、どちらかといえば文学的表現で、章を構成され、フォローされている。
 エネルギー問題は日本だけのものではない。ドイツやフランス、そしてスウェーデンなど北欧の先進国もエネルギー問題でそれぞれに苦闘している。
 電力の消費量は経済水準に比例すると、大学時代に学んだ。
 今は、3.11の巨大震災と原発の連続爆発と大量の放射性物質の流出と大規模汚染を契機として、原子力エネルギーの持つ反人間的、反社会的性格が白日の下にさらされ、脱原子力エネルギーの時代に入りつつある。
 だが、それでも省エネルギーではあっても、廃エネルギーとはならない限り、基本的には、エネルギーの社会的重要性は継続しており、エネルギーは、社会に不可欠であることも真理であろう。
 元より環境重視のエネルギーの社会が求められるべきであり、この美しい国土を科学者の危険な夢想の実験上ししてはならない。
 
 ヨーロッパといえば、日本では、政治や選挙制度も含めて、都合のよい時に、都合のよいように、つまみ食いで扱われるか、過度の美化や過度の批判の対象として扱われることが多い。
 そして異文化受容において、実に癖のある我が日本において、何であれ、ヨーロッパについては、素の、最新の事情を得る必要がある。そしてそれを知らせてくれる仕事も価値を確認せねばならない。
 その場だけの、際物でない、しっかりした情報と判断で、ヨーロッパから学ぶ必要がある。
 そうした意味で、縁あってベルギーで出会った脇阪さんが、本書を出されることを喜ばしく思っている。
 なお氏にとっては、2つ目の岩波からの書だと書いたが、最初は2005年前後のヨーロッパの政治状況を
フォローされた『大欧州の時代』である。これお6年前にブログさせて頂いた。
参考ブログ
2006.04.03 Monday 新刊紹介 脇坂紀行「大欧州の時代」岩波新書

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=42
2011.08.10 Wednesday エネ研よ貴兄もかね  原発前提の問題試算 上・下 対極にある書、円居総一著「原発に頼らなくても日本は成長できる」ダイヤモンド社
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2896
http://masami-kodama.jugem.jp/?day=20110810
追記
今日は九州電力の計画停電の実施の際の地域ごとの計画表の各家庭への配布が始まったとテレビは伝えている。
 震災大国日本にありながら、それをまるで無視し、原子力に極端に依存して、挙句は値上げと停電とは、全く無様なことだ。彼
らが、無責任にばら撒いたあの原子力の安全神話はどこにいったのかと問いたい。我々には選択の余地さえない電力だ。
  知覚過敏で飛び上がるほど痛い歯が、治療中とはいえ、さらに痛むニュースではある。


 

| 児玉昌己 | - | 18:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
断末魔の支持率8%与党、民主党の分裂騒動 下 小選挙区制度が生む巨大野合政党の無残 
  実際、わが国の憲法は一度たりとも改正されていない。すなわち、参院の権限は以前も今も全く不変である。それにもかかわらず、問責決議におびえて、現象面だけで、参院強大化論を唱え、自己都合でアレコレものをいう。しかもその中に政治学者もいる。無様なことだ。
 比例に転換すれば、最高裁が違憲判決を下した1票の格差など瞬時に解決し、ネジレもあっという間に解消する。
 そんな簡単な事実も、政治家におもね、自分の頭で考えることがない巨大メディアの政治部の記者も、格差の瞬間的解決法については、一切口にしない。
 わが国の政治家が大好きな米国では、1929年以来人口が3億を超えても、連邦議会の議員定数を据え置き、50万人に1名も議員を確保できず、極端に国民の代表を欠く寡頭制の権威主義政治というべき状況にある。
 しかも、その米国は凄まじい格差社会で、実に4600万人、人口の15%が、貧困層と、時事は報じている。貧困の定義は4人家族で、年収172万円以下である。
 アメリカンデモクラシーは神話と化し、貧困層は、貴族化した上院や、選挙の翌年には改選を強いられる下院という、米国政治から疎外されている。
 それでいて、わが国は、対米重視かといえば、「米国抜き」の東アジア共同体などと唱えた鳩山氏みたいなものが出る始末である。 
 わが国の政治家が、そしてどんな問題にもテレビに顔を出し、当たり障りのない言葉に終始する評論家も含め、巨大メディアが、如何に不勉強かということで、あきれてものも言えないということだ。
 小沢氏とその子飼が党を飛び出そうが、庶民には関係がない。本当に政治信条が違えば、元から野合する必要などなかったのである。
 権力の為にだけに野合したことが主流派も反主流派も明らかである。「厳罰か分裂回避か」と、日経は書く。実に見苦しいことである。 組織の原則に従わないなら、それは除名だろう。それさえできないのが民主の「政治主導」である。小沢派もこの期に及んでということだ。
 自民から単独で飛び出し、新党結成したみんなの党の渡辺喜美代表ほどの度胸もない。飛び出す覚悟さえなかったということだ。
 かれらがいってきた政治指導がその程度のものであるということだ。どちらにしても、この政党、この先、次はない。
  
 ともあれ、選挙も近い。選挙こそ、政治を有権者が取り戻す時である。
 有権者はしっかりと、その政治的実践を見極め、政治を混乱させ、停滞させ政治不信をばらまいた議員にたいしては、選挙でその責任をとらせることが必要だろう。
 それにしても、かくなる政治しか持てない不幸は、まさにこの国の国民の不幸である。
それを招いているのは、1人区で選択の余地がなく膨大な死票を生み、およそ国民の意思を反映しない巨大野合政権を作る小選挙区制度の導入が故にである。完全比例か、ドイツ型の比例制度への大転換こそが求められる。
 参考記事
民主8%、最低を更新=内閣支持24%、不支持55%−時事世論調査 時事通信 615()154
分配信
 米貧困者4600万人=過去最多、人口比15%―2010年 時事通信 914()129分配信
参考ブログ
2010.05.25 Tuesday 議員歳費と議席の削減論について 4 先進11カ国の人口比別国会議員定数 
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2364
| 児玉昌己 | - | 16:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
断末魔の支持率8%与党、民主党の分裂騒動 中 小選挙区制度が生む巨大野合政党の無残 
  政党交付金も選挙制度を含めた政治の学修には使わず、人集めとボスの「権威」の確立に使い、ヨーロッパの選挙事情についての基本的な事実さえも知らないのだろう。
 しかもそれは政権与党に助言する在京の政治学者も似たり寄ったりであるように見える。
 アイビーリーグなど、米国の光の部分に身を置き、米国留学だけの経験で、欧州の常識は無論のこと、米国の社会の実際も知らず、米国政治を美化し、それを善として助言しているものがいる。
 不平等に目をつむり、ヒルズの住人が喜ぶだけの小泉元首相と、彼がまい進した格差全開の政策、そして買弁というべきメディアも同様である。
 専守防衛を維持しているわが国の安全保障にとって重要な要となっているのが、米国だ。反米では困るが、親米無知はさらに始末が悪い。
 同盟国の重要性を強調するのは一向に構わないし、むしろ理にかなったことである。だが、国家の成り立ちや、歴史、文化がまるで違うことに、まるでいを置かず、政治制度まで安易に模倣するのは、サルまねでしかない。合理性も妥当性もまるでない。国家の将来を過つ元である。
 翻ってわが国。
 これまた英米の2大政党制を是とし善とし、1994年の公選法改正で、中選挙区制度を捨て、並立制という比例制がわずかについた小選挙区制度が導入された。
 何が起きたか。膨大な死票の山を築き、候補者は激減し、好きでもない政党に投票を強いられ、挙句は、1円、100円で、泣き笑いする、庶民の世界も知らないで、口だけがで、勇ましいことをいう世襲議員が跋扈する。子供手当数十億を手にして、自ら口にしていた、秘書の責任は政治家本人のものと公言し、平然と破り、有言不実行を天下に曝した無責任極まりない首相さえいた。
  そして、まさに15年後に、政権獲得のためだけに野合した巨大与党が誕生した。
 そしてその野合政権がやったことは何か。
 有言不実行の典型で、前代未聞にも「ルーピー/クルクルパー」(ワシントンポスト)とオバマ政権にいわしめた鳩山、そして憲法上の国民の知る権利を侵したあの尖閣隠しと原発でみた管、やっていけないと自身が公然と辻説法していた大増税に走る野田という3代にわたる政権のあの無様きわまる「政治指導」を経験し、政権与党の幹事長だった小沢氏のグループが脱党するということである。600万の政党交付金のばらまきを懐に入れてである。 
 国民はうんざりしている。すべては小選挙区制度を導入した公選法「改正」がなせるわざである。
 しかも不勉強の民主の1年生を含め、議員は、政党交付金の削減をいうかと思いきや、身を削ることもなく、問題を比例にすり替え、この党の分裂のさなか、虚偽というべき国会議員定数過大論を唱え、比例の大幅削減という民意の合法的殺戮を求めている。
 議員定数についていえば、英独仏伊などは人口比で日本の2-3倍の議員を持ち、先進国中、異常というべきも議員定数が少ない米国のみを基準としているにすぎないということでは、まさしく根拠を欠いた議論である。 
 しかも、小泉以降、政治家の対米偏重はとどまるところを知らない。米の大統領制を念頭にし、あるいは、効率だけでものをいう市場志向に毒され、参院廃止の1院制や首相公選制まで飛び出す始末である。  
 参議院の強大化論を唱え、ネジレ解消をという議論でもあるが、ネジレはまさに1994年の公選法改正が生んだものである。参院が強大化したわけではない
。参院は1院の横暴を抑制すると政治の教科書にある。その実践をしているだけではないか。
| 児玉昌己 | - | 10:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
断末魔の支持率8%与党、民主党の分裂騒動 上 小選挙区制度が生む巨大野合政党の無残 

 この民主党にはほとほとあきれる。財源の裏付けがない出鱈目なマニフェストがことごとく破綻し、言わないことはやらないとさえ、党のトップが辻説法していた大増税を、平然とやる。
 虚偽というべき事実誤認に基づく国会議員定数過大論を掲げて、身を削ると称し、民意の合法的虐殺をもたらす比例定数の大規模削減をいい、世界史的には逆パラダイムシフトを推進するのがこの政権だ。
 しかも「民主教育」を掲げてきたと自称して来た日教組の幹部が、民意の合法的殺戮を率先して主導するという堕落ぶりである。
 この政党が、分裂、崩壊しても、いかほどのこともない。そう多くの有権者が思っていることだろう。
 実際、8%という漫画的政党支持率がその証拠である。
 新人議員を含め、600万も一人当たりばらまいたと、産経がベテラン秘書の話を交え、以下報じている。
 「党執行部は、3月までに1年生議員全員に300万円、さらに5月までに党の衆議院議員全員に300万円を活動費としてバラ撒きました。」(中略)それにしても、民主党の衆議院議員約300人に300万円ずつとなると、単純計算で9億円にもなる。
「そのぐらいのカネは今の民主党には痛くもかゆくもない。党には年間約165億円の政党交付金が入ってくる。・・・」
民主党執行部 1年生議員と全衆議院議員に300万円バラ撒き2012/05/29 産経

 他方、その民主、国際化するなかで、研究教育を求められる中で、苦闘している国立大学教員を含め、国家のために日々尽力している国家公務員に対しては、過酷な給与削減を続けている。
 これが分裂のリーダーである小沢氏も含めた民主がいってきた「政治主導」であり、「身を削る」ことの実際である。
  保守系議員には単純小選挙区論者が未だに多数いるが、小沢氏もその1人であるのは広く知られている。実際、彼が代表時代の頃から民主は比例の大幅削減で単純小選挙区制度への接近を画策してきた。
 そして分裂騒ぎのこの段階でも、それを貫徹しようとして、輿石幹事長により40削減が単独で法案の上程が提案されている。それが実現すれば、さらに35の削減をやると、初期の80削減を付け加え、「確信犯」的態度を何ら変えていない。
 多元主義社会の多様な利害を、膨大な死票をまるで無視し、2大政党に集約すること自体が、反民主的思想である。
 古いヨーロッパか、あの米国を是とする狭隘な「知識」にとらわれ、現在のヨーロッパをまるで理解していない。
 1999年の欧州議会選挙では、イギリスは下院議会選で使用している単純小選挙区制度を捨てて、比例制に転換した。欧州議会の選挙の基本原則が比例ということで、それに合わせたのである。 
 フランスは、同じく欧州議会選挙では、1979年の欧州議会の直接選挙導入時から国民議会選挙の制度である決選投票制を捨てて、比例に合わせている。
 ドイツは国内では、全議席をまず比例でカウントし、定数半分の小選挙区を別に扱う完全な比例の連用制である。
 欧州議会ではさらに徹底して、連邦結合型の州リストか全国共通型の政党リストで、完全比例で選挙を実施している。
 総定数の10の1にもならない程度の定数を連用制とし、小党にくれてやるというたぐいの愚昧な民主案の連用制とは無縁というべきものだ。
 
参考記事
 留学生が来ない 出遅れ日本 厳しい現実 大学開国 第3部 国際化の実像(1) 2012/6/23日本経済新聞 朝刊

| 児玉昌己 | - | 09:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
山口謡司「漢詩へのパスポート」徳間書店2012年のご紹介

 山口謡司先生の事を書こう。中国文献学を大学で講じておられる。
 近著「漢詩へのパスポート」徳間書店が送られてきた。

先生は、欧州にも長く学ばれ、奥様はフランス人。書家でもあるし、なにより言葉の天才だ。 

 出会いは、なんのことはない、本を介して、偶然タイトルで手にしてのこと。新幹線の中で読んだ、著者と読者ということだった。
 つまり、書き手とファンということにすぎないのである。これは、すでにブログで書いている。
 この分野に一文字もない私としては、先生の『日本語の奇跡』は衝撃的だった。
 これまた偶然だったが、その後、直接お会いすることになるのだが、私も佐世保北高卒で後輩です、とおっしゃったのである。奇縁とはこれをいう。それからは佐世保弁も交えての、会話となった。

 今回の「漢詩へのパスポート」、サブタイトルは、「日本人と漢詩」とある。   
 それゆえ、詩仙李白、詩聖杜甫はもとより、なにより、日本の文化人、政治家の漢詩も収録されている。

 たとえば、幕末維新期では、高杉、西郷、明治では、漱石、鴎外、そして最近では田中角栄のものまで含んでいる。
 そのほとんどが人口に膾炙した漢詩であり、簡潔な解説とともに、カラフルな図版で、実に楽しい。
 私の専攻は政治学。
 あきれるほどに不勉強で、しかも不遜かつ無様な政治家(屋?)に否応なく付き合わされる職にあるが、せめて精神世界は歴史に名を残した人々の偉大さを忘れずにいたいと思っている。 
 実際、古今の名詩、それを大きく音読すると、気分も雄大になり爽快だ。
 凝縮された詩文のハリとリズムは目で追うだけでは不足で、音読しないと捉えられない。
 洋の東西を問わず、発する音あっての、詩文である。

 いにしえより、日本の知識人の最高の教養であった漢詩。
 師を得れば、私も挑戦してみたいところであるが、遥かな夢だ。

 日本人の漢詩について、「和臭」という言葉を司馬先生かが書いていたのを思い出して、電話でお尋ねした。
 日本人による漢詩で、「和臭」、その表現がいいかは別にして、日本的なものがないとは、やはりいかがなものかということで、大いに盛り上がり、アレコレ、楽しい会話となった。
 なお先生は、最近その蘊蓄(うんちく)がはじけるように多数の好著を連発されて、慶賀に堪えない。
 それらの一部だが、以下だ。

『日本語の奇跡〈アイウエオ〉と〈いろは〉の発明』新潮文庫2007

『ん 日本語最後の謎に挑む』新潮新書2010

『戦国策伝−決して逃げなかった男たちの執念』レピュータ2010

『てんてん 日本語究極の謎に迫る』 角川選書2012
『中国古典−超入門』 すばる舎2012
参考ブログ

2007.12.19 Wednesday 好著、山口謠司『日本語の奇跡〈アイウエオ〉と〈いろは〉の発明』新潮文庫2007 
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=990

2010.02.21 Sunday 山口謡司著「ん日本語 最後のなぞに挑む」新潮新書2010年届く
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2216

 一点、徳間書店にいいたいのは、雑誌形式を採っているが、徹頭徹尾、単著なのだが、著者山口先生の名が表紙にない。解せないことだ。




| 児玉昌己 | - | 06:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
梅雨は傘が映える その風情を詠む 海鳴庵児玉
  梅雨入りし、本格的な雨。近所の幼稚園には送り迎えの傘の波、水たまりに映えるカラフルな傘、それを詠む。


 梅雨入りて 溜りに映る 傘の花 鈍き空にも 赤青緑

                     海鳴庵/児玉昌己

海鳴庵児玉昌己句歌集 2012年前半
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3074


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