山口謡司先生の事を書こう。中国文献学を大学で講じておられる。
近著「漢詩へのパスポート」徳間書店が送られてきた。
先生は、欧州にも長く学ばれ、奥様はフランス人。書家でもあるし、なにより言葉の天才だ。
出会いは、なんのことはない、本を介して、偶然タイトルで手にしてのこと。新幹線の中で読んだ、著者と読者ということだった。
つまり、書き手とファンということにすぎないのである。これは、すでにブログで書いている。
この分野に一文字もない私としては、先生の『日本語の奇跡』は衝撃的だった。
これまた偶然だったが、その後、直接お会いすることになるのだが、私も佐世保北高卒で後輩です、とおっしゃったのである。奇縁とはこれをいう。それからは佐世保弁も交えての、会話となった。
今回の「漢詩へのパスポート」、サブタイトルは、「日本人と漢詩」とある。
それゆえ、詩仙李白、詩聖杜甫はもとより、なにより、日本の文化人、政治家の漢詩も収録されている。
たとえば、幕末維新期では、高杉、西郷、明治では、漱石、鴎外、そして最近では田中角栄のものまで含んでいる。
そのほとんどが人口に膾炙した漢詩であり、簡潔な解説とともに、カラフルな図版で、実に楽しい。
私の専攻は政治学。
あきれるほどに不勉強で、しかも不遜かつ無様な政治家(屋?)に否応なく付き合わされる職にあるが、せめて精神世界は歴史に名を残した人々の偉大さを忘れずにいたいと思っている。
実際、古今の名詩、それを大きく音読すると、気分も雄大になり爽快だ。
凝縮された詩文のハリとリズムは目で追うだけでは不足で、音読しないと捉えられない。
洋の東西を問わず、発する音あっての、詩文である。
いにしえより、日本の知識人の最高の教養であった漢詩。
師を得れば、私も挑戦してみたいところであるが、遥かな夢だ。
日本人の漢詩について、「和臭」という言葉を司馬先生かが書いていたのを思い出して、電話でお尋ねした。
日本人による漢詩で、「和臭」、その表現がいいかは別にして、日本的なものがないとは、やはりいかがなものかということで、大いに盛り上がり、アレコレ、楽しい会話となった。
なお先生は、最近その蘊蓄(うんちく)がはじけるように多数の好著を連発されて、慶賀に堪えない。
それらの一部だが、以下だ。
『日本語の奇跡―〈アイウエオ〉と〈いろは〉の発明―』新潮文庫2007年
『ん 日本語最後の謎に挑む』新潮新書2010年
『戦国策伝−決して逃げなかった男たちの執念』レピュータ2010年
『てんてん 日本語究極の謎に迫る』 角川選書2012年
『中国古典−超入門』 すばる舎2012年
参考ブログ
2007.12.19 Wednesday 好著、山口謠司『日本語の奇跡―〈アイウエオ〉と〈いろは〉の発明―』新潮文庫2007
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=990
2010.02.21 Sunday 山口謡司著「ん―日本語 最後のなぞに挑む」新潮新書2010年届く
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2216
一点、徳間書店にいいたいのは、雑誌形式を採っているが、徹頭徹尾、単著なのだが、著者山口先生の名が表紙にない。解せないことだ。