児玉昌己研究室

内外の政治と日常について想うことのあれこれを綴ります。
航平に始まり、航平に終わる日本体操男子団体 祝銀 不必要に皆を不快にするミスジャッジ
 連日の五輪。イギリスとの8時間の時差。しかも連日の猛暑でへたばり、就寝して後で録画で見る競技も多い。ほとんどのサラリーマン、社会人がそうだろう。
 それでもいい。4年に1度の世界の200を超える国家地域を網羅する五輪競技は、日本の私たちの希望の日時に収まるはずがないのだ。
 男子団体総合決勝は予選では鉄棒で、まさかの内村落下の報が飛び込み、5位で決勝進出。
 そして決勝の鞍馬の難度Cの再判定評価を巡り、限りなく長く思える審議時間。イギリスがその時点で2位銀ということで、よくぞ、審判団も日本側の意見表明を受理してくれたものだ。
 ただ、開催国のイギリスの順位を下げるという結果になった事後の発表。そして訂正。会場にブーイングがおこったとのことだが、それも十分理解できることだ。
 審判員には、最初にしっかりしてほしいといいたい。最初の判定が確実なら、クレームも必要ないし、ブーイングもない。いずれも、不必要なことなのだ。そして最初の判断が正確なら、いずれもの関係国も不快にせずにすむことなのだ。
 確かに、科学的に測定できる陸上や水泳などとちがい、柔道や体操など、その技に対して、主観的判断が伴う競技においては、判定がいかに難しいかということである。その意味で、ビデオ判定をするもう1段の仕組みがあることの意味は、大きい。
 たまたま、これらの競技の判定の困難を特集したものがNHKであった。 柔道で大内刈りと、その技を逆手に取る大内返しの技の相違が実例として披歴され、それを観ていた。
 素人の私も含め、立ちあった記者の眼にも、判定不能だった。
 見るもの目には、しかけた側に対する評価があるからである。あの幻の金となったシドニー五輪100kg超級篠原信一現監督にたいする、歴史に残る誤判のケースが思い浮かぶ。
 ともあれ、判定がいかに順位に作用するか。ダントツの点差を持ち、判定の数値とは無関係な中国だけが、悠然と、抱き合い、勝利を分かちあっていた。それが印象的だ。
 舞台が世界であればこそ、素人がいうのは簡単だが、誰にも納得できる圧倒的力の差こそが改めて求められるということである。
 天才、航平内村よ。口惜しさは理解できるが、外の世界では、4位と銀では違うのだ。銀は素晴らしいことなのだ。
 ともあれ、悔しい気持ちを跳ね返し、個人戦での健闘を期待する。貴君の悔しさは金でなければ晴らせないのだから。

| 児玉昌己 | - | 08:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
世界の俊足永井が開く12年ぶりの決勝Tへの勝利のゴール
 「永井」とヤフーで検索すると800万件が出てくる。
 もとより、一番は永井謙佑(23)だ。五輪が始まる前と後では明らかに相違したことであろうが、素晴らしい活躍で、世界が注目している。
 福岡大学出身で、この地福岡のテレビ局もこぞって応援し、彼のこの活躍を祝っている。
 柔道の判定でモヤモヤした気分が、深夜から始まった対モロッコ戦で少しなりとも払しょくできて、五輪応援も佳境に入ってくる。
 実際、この試合、序盤でモロッコの猛攻を受けるが、良く凌いで、後半ようやく待望の1点を上げて、勝利を確保した。
 劇的瞬間は、後半39分。飛び出したGKで無人になったゴール向けて、絶妙に上げられたボールが大きく跳ねて右隅に飛び込んだ。業界用語でいうワンタッチ・ループシュートである。
 マーカーを翻弄する俊足は50メートル5.8秒。緒戦のスペイン戦での勝利では、ドーピングを疑われ、検査で3時間を要するというほどにも、大会関係者を驚かせるもので、今となっては五輪公認のものである。
 この瞬間、D組グループ1位での堂々の3大会12年ぶり決勝T入りである。
 今年のユーロチャンプのスペインの無敵艦隊は日本戦でのよもやの敗北の痛手から立ち直れず、ホンジュラス戦でも1対0で2連敗。これで、早々に姿を消すことになった。
 ユーロ選手権の盛り上がりを知るものなら、サッカー史上最大の番狂わせだと思うものも多かろう。
 イギリスにいるスティーブンデイ(大分大学準教授)が、現地の新聞の見出し風に「グラスゴーの奇跡だね」といったが、私は、ミラクルではなく、ロジカル・コンセクエンス(論理的帰結)と返したほど。
 彼もスカイプの受話器越しに、苦笑いしていた。
 なにはともあれ、スペインは、ユーロ選手権でイタリアを破り、史上初の連覇の偉業を成し、またWカップ優勝とも合わせ、その華麗過ぎる世界の頂点に立つ勝利の連続を味わってきた。
 ヨーロッパでは、スポーツといえば、断トツでサッカーなのである。
 それだけに、まさに、勝利の美酒による恍惚から、一転、国家的恥辱を味わうというべき心境だろう。
 これがスポーツの厳しさであり、また劇的な醍醐味でもある。
 
 久留米も、連日の猛暑でうだっているが、かの地で活躍してくれているジャパンの選手の皆さんにどれほどの力をもらっているかである。
 感謝、感謝だ。
 
 海外参考記事対スペイン戦関係

「戦艦大和が無敵艦隊を沈没させた」台湾のNownews

日本男子サッカーのスペイン戦での勝利は、中国がほかの競技で獲得するの多くの金メダルに匹敵するもの」中国青年網28日


 
| 児玉昌己 | - | 19:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
世界が傾げたお粗末な審判員の判定 メダルの重みを感じさせる一夜 

 スポーツで、血のにじむ努力を、第3者が簡単に壊してしまう事が時にある。
 柔道の海老沼匡選手(66キロ級)に関わる判定がそうだろう。それに関わるすべての選手と国民が不快な思いをする。その試合に関わる国の選手国民が、不必要に、不快な思いを引きずることになる。
 フェアーであればこそ、相手の素晴らしさを称え、自己の次への精進を誓う。それがスポーツ精神だ。そして選手は全力でフェアーに戦う。
 素晴らしい競技はそれがゆえに、見る人を国境を超えて感動させ、幸せにして、自らの生き方に新たな力を与えてくれる。それがスポーツで、まして礼儀を尊ぶ柔道だ。
 昨夜の柔道競技をみつつ、わが国がメダルを独占できるような時代は、遥かに遠くなったというほど、柔道が世界に根付き、それがゆえに世界のレベルが上がったことを示している。
 だが、なにより、五輪の場に立つことに10年の青春をすべて傾けて来た選手たちの努力を少なくとも第3者が損なわないように、常に緊張感を持ち、その努力と精進を踏みにじることがないフェアな審判をできるもの選別するように、大会関係者は心がけることだろう。
 でなければ、中立、公平、無私の審判の権威など、あったものではない。
 どの競技でもそうだが、それにも増して、今回の敢闘した海老沼選手の銅はいつになくメダルの重みを感じさせる一夜だった。

| 児玉昌己 | - | 08:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
いよいよロンドン五輪始まる

 うだるような暑さ。屋内にいても熱中症が怖い。最近の暑さは半端じゃない。
 豪雨の後は猛暑、豪も猛も有り難くない感じだ。やはり政治もだが、バランス。
 五輪では福見友子(48キロ級)が前回チャンプに優勢負け。実力がピークの時には、神話となり、伝説となっている谷亮子がいて、五輪出場がかなわなかった。
 20代後半での初舞台の五輪。期待感も大きいし、苦しかったことだろう。
 人生なかなか思うようにはいかない。
  柔道家として世界の頂点に立ったその谷も、政治の世界に入ったのはいいとしても、ついた師が悪すぎるのか、政治家としては、今のところ、ぱっとしない。今後に期待するが。
 ナデシコもスウェーデン戦でドロー。
 男子は、ヨーロッパチャンプのスペインの無敵艦隊を撃破するなど、華々しいスタートを切ったが、世界を相手に、男女とも、勝ち進むなど、そう簡単なことではないことが、改めて分かる。
 私にとって五輪の始まりは、東京五輪。
 1964年のことで、50年近く前になってしまったが、すでにこの世にいない父も母も若く、その間にいて、テレビを前に、大人の世界に酔っていた。疑うことのない明るい日本の将来の予感は小学生にも漠然とあった。そんな、幸せな日々だった。
 アスリート、そんなしゃれた言葉はなかったが、選手たちの活躍に目を輝かせていた。
 今の子供たちも、きっとそうだろう、そうであってほしい、と想い願っている。

| 児玉昌己 | - | 23:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
この頃、そして五輪サッカー 祝、スペイン無敵艦隊撃破
  小中校高はすでに夏休み入りしているが、大学では、今月末まで。ようやく今日で講義が終わり、来週から試験。私たちが学んだ40年前の大学教師とは全く別物といってよい。そんな慌ただしさだ。
  豪雨の後の連日の猛暑。その中、昨日は忙しくしていた。イギリスとフランスにEメイルやフェイスブックやスカイプを15本ほど。
 そう書けば、なんだか格好がいいが、たまたま必要があってのことで、現地の友人の教授にEメイルで、スカイプでアレコレ交信していた。
 秋に校務を縫って、実現すれば3年ぶりとなる欧州出張を考えているところだ。目玉は欧州大学院大学時代の友人が判事に就任している欧州司法裁判所訪問。
 オープンキャンパスの模擬授業や、院の入試など大学と大学院の業務のほか、EUの教科書の全面改定の校正作業、学会の報告準備、公開講座の司会、放送大学での仕事などなど、年末までスケジュールは埋まっている。
 一日を終えるだけで精いっぱいで、振り返ると、まあよくもこなしたものだと、想うことだろう。
 それにしてもロンドン五輪の開始、そしてサッカー。
 五輪の開会式もまだなのに、もう実戦入り。欧州の強豪スペインをグラスゴーで1対ゼロで撃破し、ナデシコ女子ともに、嬉しい白星発進だ。 
 後半、押される場面もあったが、それでも離合集散は見事だった。
 日経は「奇跡ではなく必然の勝利」というスポーツジャーナリストの見出しを掲げた。
 悪くない。
 韓国や中国のファンの胸の内は複雑だろう。


参考ブログ
2009.03.26 Thursday
 欧州出張でのこと グラスゴーとセルテック

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=1749



| 児玉昌己 | - | 12:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
『新しい左翼入門』(講談社新書)と著者松尾匡先生のこと 「由緒正しき人」のこと 下

 それにしても、左翼運動を、NHKの大河ドラマで、くしくも私もこのブログで書いたことのある「獅子の時代」(1980年放映)の2つの人物像になぞらえて書かれていて、興味深い近現代日本の精神史となっている。
 獅子の時代を書いたそのブログは、先生も見ていて、あれいいですねとのコメントをもらっていた。が、想えば、その時、先生は本書を書かれていたのだ。
 本
を書くことは、書き手自身の思想を世に明らかにするということでもある。先生の先生たる所以を書くとすれば、以下の個所だろう。
 先生は書く。
 往々にして、人間は利益を求めることを価値の低いことのように見下してしまう。こんな態度がいきつくと、現実の人間を理念の手段として踏みにじる、と(7頁)
 この繰り返される内外の左翼運動の傲慢さへの自戒を込めた主張こそが、私が大いに共感するところである。
 また真偽の判別もつかないような一部の輩に、異様にというべくも、貶められる傾向にある丸山眞男についての正当な評価も大いに共感できる。

 現代は奇妙な時代だ。
 実際、松尾先生も指摘されているように、従来のカテゴリーがまるで当てはまらないような理解を平気で行うという、価値や判断基準に対する確固とした精神の崩壊というべき時代を迎えている。
 剥き出しの金融資本主義を是とし善とする米国流の自由主義をもちこみ、ヒルズのブローカを評価するなど、特にそのエトスにおいて、大々的に格差拡大を展開した小泉氏や、日教組出身の幹事長が党中枢にいて、反民主主義の、民意の虐殺というべき比例の大削減の選挙法改悪に意識、無意識に手を貸す、いわば化け物というべきあの巨大野合政権を持って、左翼などとする認識の転倒とカオスの時代である。
 左翼であれ、右翼であれ、保守であれ、革新であれ、基軸こそが求められる時代にあって、その混同が驚くべき不合理と政治的腐敗を生むという指摘は重要である。
 若い世代には、我が日本の知識人がいかなる精神の葛藤の歴史を経て、現在があるか、それを学ぶためにも、一読といわず、再読されるに相応しい書である。
 そう独り想っている。
 なお右翼と左翼について、さる文筆家が、「国家を激しく憂えると右翼になり、社会を激しく憂えると左翼になる」、と表現している。
 国家と社会という基軸は、松尾教授の右翼、左翼の定義の、内と外、上と下というモチーフにも通じていて、これも至言である。


参考ブログ
2010.08.06 Friday 
好著のご紹介 松尾匡「不況は人災です」筑摩書房 2010年上下http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2469

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2470

2010.11.09 Tuesday 松尾匡先生と新著『図解雑学マルクス経済学』ナツメ社のこと

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2587

2011.12.14 Wednesday 31年ぶりにCATVで観るNHK大河ドラマ「獅子の時代」

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3020

2012.01.10 Tuesday NHK大河ドラマのことども 「獅子の時代」に寄せて
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3043

 

追記

 なお、講談社の「週刊現代」書評担当者から依頼があり、同誌2012年1020日号書評欄に、本書「新しい左翼入門」(講談社刊)の書評(加除修正版)が掲載された。

| 児玉昌己 | - | 12:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
『新しい左翼入門』(講談社新書)と著者松尾匡先生のこと 「由緒正しき人」のこと 上

 松尾匡(ただす)先生から『新しい左翼入門』(講談社新書)のご恵贈を受ける。

先生が立命館大学に移籍されるまで勤務校が同じで、学部は経済と法学と違うものの、よく会話を重ねていた。このブログでも数回登場頂いた。

 先生は今、まさに「旬」というべき経済学者である。高等数学を駆使する数理経済学者であり、マルクスの疎外論に自身の生き方を重ねる社会主義者と公言されている。そう書けば、叱られるだろうか。

自身の政治的思想的立場を明言するというのは勇気がいることである。

政治には、究極においては「友か敵か」しかいないというカール・シュミット的状況があるからである。ある立場をとれば、政治的には必ず反対者、すなわち敵を作るという政治というものの宿命がその背後にあるからである。

にもかかわらず、どちらかといえば、保守だと思っている私などとも先生は交流されている。有り難いことだ。そのスタンスは、実にヒューマンである。それが故のことだろう。 

私が成文堂から『欧州議会と欧州統合』を2004年に刊行したときに、最初に学内広報紙に書評を書いて頂いた。それが先生との知的コミュニケーションの始まりであった。

 久留米大学広報 2004年7月1日号8頁。

欧州議会のことを書けば、欧州議会を機能させるのは、欧州政党であり、その話になる。 
 ヨーロッパの長い歴史を持つ左翼政党のEUレベルでの別働隊というべき欧州社会党に会話が及んだとき、思わず、私などがやるより、由緒正しき人がいて、本来は彼らがやるべきものだということを語ったことがある。
 今もその気持ちは強いが、残念ながら、由緒正しき側からの本格的な研究はみない。 

ともあれ、明治以降のわが国の左翼運動を実に簡便に紹介して頂いて、若い人には大いに参考になるだろう。由緒正しきものとして、共産党を含む左翼陣営自身こそ、自らの運動について、真摯な検討が求められる時代だろう。総括などという手あかにまみれた言葉は使わなくともである。

 

 

 

| 児玉昌己 | - | 07:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
北部九州の梅雨明けを詠む 海鳴庵児玉
 ようやく梅雨が明けた。先月の梅雨入りから梅雨明けまで、久留米耳納山の雨量は1500ミリを超え、例年2.7倍ということだ。蝉の幼虫も流されたのか。いつになく静かな夏の入りだ。
 

 
静けさや 豪雨の後の 蝉しぐれ  
        海鳴庵/児玉
| 児玉昌己 | - | 18:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
雨あがる 北部九州、2012年梅雨明けを詠む 海鳴庵児玉 

  7月も下旬。近所の小中学生は20日に雨の中で終業式から帰宅していたように思う。
 日曜日の午後。雨あがる。 そう表題を付けたが、今年の雨は、半端じゃない。上がっても、すぐに黒雲。そして豪雨。時間当たり、30ミリという側溝はあっという間にあふれだす、そんな日々だった。
  ともあれ、そこかしこで洗濯物の花が咲いている。

  梅雨の花  咲くは花でも センタクの花
              海鳴庵/児玉
      
  

 

| 児玉昌己 | - | 13:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
本学福岡サテライトでの脇阪紀行朝日論説委員公開講座(アフガン支援) 
  金曜日は本学福岡サテライト公開講座で、今回は脇阪紀行朝日新聞論説委員の番。
 大雨をついて、東京からフライトして頂いた。3年連続でお引き受けいただいている。
 同氏については、すでにこのブログで登場いただている。
 出会いは、ベルギーで7年前。お互いEUの都として知られるベルギーにいた。ブリュッセル支局長とブルージュの母校欧州大学院大学での在外研究という形で。 以来のお付き合いである。
 岩波から最近、『欧州のエネルギーシフト』(岩波新書2012年)を刊行されている。今日はアフガン問題。
 紛争と平和構築という観点からのもので、国家形成へのわが国の支援とあり方に関心を抱いておられて、その話をされた。外国への援助といえば、観念的に一国の平和主義を唱えるだけでは済まない問題である。人類という価値と概念がいまだ世界を覆うまでには至っていない21世紀初頭の国際関係にあって、国家の利益を反映した各国の思惑も援助の背景にはある。
 観念的な支援などあり得ない。支援の仕方次第では、感謝されない支援となる危険さえある。
 脇阪さんは、インドネシアのアチェの日本の支援など、アジアにおける日本外交の在り方に関心を向けておいでである。アフガンはまさに国家形成の途上にあり、1兆2800億円の支援を決めた東京宣言(2012.7.8) でもみられたように、わが国もこの地域には力を入れている。
 特に、米国の中東外交が、ベトナムの様に、失敗しているのではないかという疑念の中でのお話だった。
 ちなみにアフガニスタンはイスラム圏であり、中東であり同時に、西アジアともいいうる重層的な地域である。わが国では、サウジ、イランなどとともに、外務省は、中東アフリカ局中東第2課が所管している。
 他方、パキスタンは、インドバングラデシュなどと、アジア大洋州局、南部アジア部、南西アジア課の担当である。
 バーミアンの大仏破壊でわが国と世界に衝撃を与えたタリバンとの対処をとってみても、この国にどのように接し、かつ支援していくかという大きな問題がある。わが国のことと同時に米国のアジア政策についても考えさせるものであった。
  アフガン、パキスタンについては、この講座で本学の宮原信孝(国際文化学科)、古賀幸久(国際政治学科)の両教授が話をされていて、多面的にこの地域の政治や社会状況について知見を深める講座となっている。
 ちなみにご両名とも、外務省OBで、前者は元公使としてアフガン支援の当事者に地位にあり、後者はパキスタンに身を置かれ、イスラム法に精通されている、地域のエキスパートである。
 次週は、隣の国家について。ソウル大学の博士号をその国の言葉でおとりになっている山口県立大学の浅羽祐樹准教授による韓国の選挙事情の講話である。
 どの講師の先生方についてもいえることだが、まぎれもなくプロフェッショナルである。
 なお、前編はアジア、後編は欧米というラインナップで構成している。
本学サテライト講座については以下。 
http://www.mii.kurume-u.ac.jp/shien/koukai/2012/guidebook/koukai18.html
| 児玉昌己 | - | 07:50 | comments(0) | trackbacks(0) |

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