児玉昌己研究室

内外の政治と日常について想うことのあれこれを綴ります。
朝日新聞の1票の格差と無効判決の可能性に関する特集記事
 大型の台風で少し緊張していたが、風雨もあまりなく、当地はやれやれ。
 大学の夏のイベントも、8月も残すところわずかとなれば、一息。今日は人間ドッグである。
 昨日は一票の格差について、朝日新聞の若松記者の大きな記事が出て、無効判決の可能性に関連して、私のコメントも掲示されている。
 以前取材を受けていたのだ。
 無効判決は出るのかというところだが、 仮定の話だが、違憲状態を放置したままの現状で選挙をして、次の提訴があって、無効判決がでるかという問いは、可能性としては限りなく困難である。 
 選挙後すぐに新内閣が組閣して、人事や政策の予算執行など行政行為が次々と行われていく。その数は膨大になる。
  解釈の仕方で変わってくるが、最大で300名も違憲的状況の対象者がいるなかで、彼らが失格となれば、その政治的行為の正統性も問われるからである。
 ただし明確なことはある。これは紙幅の関係上、出されていなかったが、同時に、違憲状況を放置し、次の選挙が無効判決の状況が放置さたまま実施されるとすれば、それは当然、司法権の侵害となる。そのことも付記しておきたい。
 ただし現在の小選挙区制度を維持しても、1票の格差はなくならない。本来的にそれが1人区で、あれかこれかの選択肢しかなく、100差でも10万票が死票となる危険性をつねに秘めているからである。
 3年前の総選挙は、私もNIBのテレビスタジオで解説していたが、長崎2区では福田女史が12万で勝ったものの、負けた久間氏は10.6万をとっていた。彼を支持しているわけではないが、その票はすべて死票と化した。これが小選挙区制度である。
 小選挙区制度をやめ、比例制度に転換すれば、瞬時に決着がつくのが1票の格差である。
 どうしてそれをやらないかということが私の基本としてある。
 朝日のこの記事については、ネットですぐに反応が出ていた。
http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/e/
85dbcb1456af397fb130121260803fa8

 民主が進める小選挙区制度を前提にした記事で、現状とそれを追認した記事ではないかというものだ。 
 確かにその指摘は鋭く、現状の報道の要請もある書き手の記者さんとしても悩ましいところだろう。実際、1票の格差もだが、もっと重要な問題がある。
 すでにふれたように、現行選挙区制度が生む膨大な死票の問題である。小選挙区制度を維持する限り、この記事が言うように、1票の格差は継続する。
 死票の問題は単に現行で指摘された選挙区だけでなく、全選挙区において存在し、半数近い票が死んでいるという事実について、メディアも政治家もまるで視座が及んでいないというその問題である。
 政治の現状に立てば、この現状に立った、無効判決に至る可能性を探る論理展開の特集も貴重ではある。
 だが、死票という全選挙区での民意の合法的虐殺の問題こそが選挙制度と現在の政治の不安定化の核心部分である。
 ちなみに、2009年の総選挙では、小選挙区で投票総数7058万票のうち、「死票」 は3270万票で、投票総数の実に46.3%にのぼり、87選挙区で過半数が死票である。
 限定された選挙区において違憲判決が出た1票の格差どころの話ではない深刻さである。
 最高裁を頂点とする司法府は深刻な民意の合法的虐殺状況に対して、全く関与しない(できない)で、むしろ現状の選挙制度の枠内での判示となる。それが司法府の限界である。
 世界の常識としては、わが国の制度はガラパゴス的である。
 このブログでも度々紹介し、指摘して来たように、27カ国からなるEUの欧州議会を含め、欧州各国の選挙では、基本原則は、民主や自民などの、時代錯誤と、無知というべきお粗末な制度認識とはちがい、比例制度である。もっとも、同業者の政治学者の中にもこの現実が分かっていないものもいるが。
 この基本的な観点から、朝日新聞を含め、他のメディアが選挙制度の原理原則に立ち戻って、日本の選挙制度の問題を問う記事も企画してもらいたいものだと想っている。
さてこの後、人間ドッグである。、
 
参考ブログ

ねじれ解消の1院制論の錯誤と陥穽(かんせい) 7 本丸は選挙制度改革にある

http://masami-kodama.jugem.jp/?month=201204

| 児玉昌己 | - | 06:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
大阪維新の衆院定数半減論 大衆迎合そのもの 下 議員削減でなく完全比例に舵をとれ

  あるいは、議員定数論の削減の背景には、政策決定だけを重要視する行政優位の思想が隠されている。
 なにより「国会リストラ」などというとんでもないフレーズを掲げた小泉首相など、国権の最高機関の当事者の、お粗末な自己認識がまずあり、国会議員の議員としての自覚と見識、矜持のなさが、維新の諸君にみられるように、多くの人を国会軽視に追いやる。

欧州の政治家で「国会リストラ」などというものはいないし、国権の最高機関をリストラすると聴けば、ファシズムを連想し、腰を抜かすだろう。
 政治においては、多様な民意がある21世紀の社会にあって、国会の合意形成が重要になるが、それよりも、初めに決定ありきの、意思決定を最優先する行政独裁を意図しているのか、とさえ疑われる。
 維新の諸君は、決定できる政治をということで、小泉元首相に似て、大統領制を意識しているようだが、大統領制は議会と大統領の支持が分かれた場合、正統性の根拠が2分化されることで、政治の不安定さを増すと、高校の教科書にある。大統領制を極端に美化するなかれ。まして天皇制との問題とも直結する。 
 維新の諸君よ。
 明治維新は民撰議院の設立建白書で始まったのを知らないのかね。
 明治以降、形式的に国会は出来た。その実践で戦後民主主義は一定の成果を収めた。だが、21世紀には国会が民意を徹底して正確に反映するもの運動が必要であり、それが平成の維新の施策でなければならない。
 議員の数を減らすのではなく、民意を最大限組み上げる政治を作るのが現代の維新の精神だよ。
 維新の諸君。維新語りの維新知らずだ。

すなわち政治における民意の確保のために動くべきである。
 すなわち、順位変動型、5%敷居つきの完全比例制か、ドイツ型併用制への転換こそが、維新が唱えるべき政策だ。みんなの党の渡辺喜美代表もいうように、比例であれば、1票の格差の問題など瞬時に解消、消滅する。

結論を言えば、大阪維新の議員定数半減論は議員定数過大論を前提とし、欧州政治からみて根拠をまるで欠き、大衆迎合そのものである。

 その実は、722議席から240へと、500議席に近い狂気の削減論である。
 非常識を超えて、常軌を逸しているとしか言いようのない維新の案である。
 大衆迎合の耳に入りやすい議論には、ゆめゆめ警戒を怠るべきでない。

 

参考記事大阪維新の会>公約に「衆院の定数半減」明記へ毎日新聞 826()217分配信
参考ブログ
 

2010.05.25 Tuesday議員歳費と議席の削減論について 4 先進11カ国の人口比別国会議員定数

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2364

2011.10.07 Friday ウォール街デモに思う 上 貧困大国米市民の悲鳴

http://masami-kodama.jugem.jp/?day=20111007

米貧困者4600万人=過去最多、人口比15% 時事通信2010914

 

| 児玉昌己 | - | 20:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
大阪維新の衆院定数半減論 大衆迎合そのもの 中 衆院半減でなく国会議員3分の2削減の暴論

世界の国会議員定数に戻れば、スウェーデンは百万人で38名以上の議員を確保している。イギリスは22名、イタリア、フランスも1613名。ドイツで8名。わが国で5.86名で十分に少ない。
 維新は参院廃止を唱えているが、維新の幹部に聞きたいが、国会議員など不要と思っているのかね。
 「最低でも県外」などと言い、その実践では、「最低以下」の政治しかできず、そして米国抜きの東アジア共同体といって、米国からはクルクルパーといわれ地位を追われた首相経験者を含め、無責任と無能議員が多数いることは承知している。
 だが、将来の有能な議員の誕生さえみずから圧殺するのかね。消費税、赤字公債、選挙制度改革と、数を頼んで一方的に強行採決を野党不在で行う。
 わずか43%程度の支持しかない政党が、7割以上の議席を得て、独裁的に国会に君臨する。
 現在でも得票と獲得議席に差がある噴飯ものの小選挙区制度に、40も比例を削減し、膨大な死票を生むそんな選挙制度をさらに進めようとするのかね。冗談ではない。
 国会議員は国家と民主主義にあって、代表民主主義のかけ橋である。
 国民に身近な議員ならば、今の倍あってもよい。そして悪しき政府をけん制できる。
 民主の国会運営と強引な強行採決では、参院があるから、これを阻止できる。
 1院の横暴に対して、現在の2院の参院はむしろ十分過ぎるほど機能しているではないか。維新よ、現状をしっかりみてみよ、である。
 仮に次期の総選挙で、維新が躍進して、これを法案化するとき、当選した議員が自己の選挙区の保持に狂奔することは必至で、今の愚昧な民主と同様、選挙区の定数削減でなく現在の民主も顔負けとなる比例の大量削減、全廃を主張することは必然である。
 その論理的帰結をいえば、結局、膨大な死票を出す完全小選挙区制度の実現であり、時代錯誤、つまり逆パラダイムシフトとなることは必至である。

 この政党、首相公選論に表現されているように、代表民主主義と国会に対する見識がまるでない。国会、議会制民主主義の否定的側面をグロテスクに強調しているが、大統領制度がいいのかといえば、逆の問題を等しく抱えている。

カネのことなら、政党交付金の半減で対処すべきだろう。
 行財政改革と政治改革を結ぶ考え自体が、政治をカネで考える民主主義の衰微を示す危険な兆候である。その行きつく先は、1議席いくらで買えるのかというヒルズのブローカーの言葉が待っている。
 

 

| 児玉昌己 | - | 20:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
大阪維新の衆院定数半減論 大衆迎合そのもの 上 米国がいいのかね 定数過大論は欺瞞

  大阪維新は、以前から危惧されていたが、衆院定数半減論を唱えることで、大衆迎合政党としての性格がより明らかになってきた。参院廃止論だから、衆参合計の定数722から、衆院のみ240まで、482議席も国民の代表を削減するつもりだろうか。実に、驚くような反議会主義の政策綱領だ。
 選挙制度を政争の具に使うべきではない。
 維新が描く選挙制度で国会が形成されれば、世界の先進国で、米国と並び、地上稀有の過小議席の議会となり、国会は特権的な世襲貴族が跋扈する愚者の楽園となりそうだ。
 議会制民主主義から考えて、およそまともな感覚ではない。
 議員定数については、人口比で見れば、現在米国だけが突出して少ない。百万人が抱える国会議員数 先進11カ国比較 2010年現在の議席数を掲示したが、米国は2人も確保できない唯一の先進国である。その結果は、上院議員の貴族化と、貧困超大国、格差超大国が米国の政治の現状である。誰でも大統領になれるなど神話で、上院議員か州知事出身者に事実上限られる。

 他方、膨大な貧者の存在である。
 米国勢調査局によると、2010年の米国の貧困者が4618万人(前年は43569000人)。4人家族の場合、年収が22314ドル(約172万円)以下の世帯を貧困層と定義。全米の世帯の年収は中央値で49445ドル(約381万円)。人口の実に15%が貧困層ということだ。

 方や100億円単位の退職金を得るものがいて、ウォール街へのデモは記憶に新しい。民主主義を唱えながら、国民は政治参加が阻まれているのが現状だ。
 米下院定数でいえば、人口が3倍近くになっても、定数43583年そのままにしている。そのアメリカ同様に、数を減らせというのかね。
 ちなみに大統領制度の米国の下院議員選挙は投票率は前回で40.9%(2010)程度で有権者の関心は極めて薄い。大統領選挙が重要だと皆が感じているだからである。
 米国についていえば、海軍力を増大化させている覇権国家の中国を考えるとき、同盟国としての米国の圧倒的な重要性を否定するものではない。だが、政治のモデルとなるべき国家であるには、大統領制を含め、その政治、歴史、文化の成り立ちが余りにも違う。

| 児玉昌己 | - | 07:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
夏のアレコレと、26回目となった九州政治学研究者フォーラムのことなど 

  大学は夏休み入りしているが、休みは学生さんであって、教職員は、実際忙しい。
 教員は、講義やゼミなど学務から離れ、自己の知的な時間をとれる貴重な時期であり、その意味で、かき入れ時である。
 私の場合、オープン・キャンパスの模擬講義があり、研究会合宿があり、教科書の最終校正があり、大学の公開講座の担当も昨日こなしてきた。
 AO入試も大学によってはすでになど始まっている。 さらに大学院入試の仕事があり、9月も熊本大学に集中講義に出かける。国際政治学会の報告草稿の締め切りもある。昨夜は、国会で審議が始まっている公職選挙法改正に関して、朝日新聞の若松記者と会話していた。
 2223日は九州政治研究者フォーラムの研究合宿に出かけた。
 これは今年で26回目。九州で教壇に立つ政治学者が年に1度、懇親を兼ねて、それぞれの研究課題を話し合う貴重な場である。最近は大学院生の数が減っていて、今回は20名弱の参加であった。
 私も20年ほども前のことになるが、937月、当時ECといっていたEUのエネルギー政策を報告したことがある。開催校として3年ほど前に話したが、それを別にすれば、多忙で、参加できないこともある。関係者の熱意で継続されていて、実にありがたいことである。
 今回は、佐賀大関係者が担当で、畑山敏夫先生と佐賀在住の八谷まちこ先生(九州大学)の肝いりで、旅館あけぼので実施された。これは昨日書いたところだ。
 欧州の極右運動がメインテーマとなり、馬場優先生(福岡女子大学)がオーストリアの動向を、そして畑山教授がフランスの国民戦線をポピュリズムを切り口にして報告された。
 また翌日は1960年代後半の佐藤政権下での沖縄返還交渉の裏舞台について、中島琢磨先生(龍谷大学)の、これも実証的報告がなされた。
 初日は欧州問題であり、私の研究領域の話で、関心があり、翌日は、大学入学前後の時代のことで、懐かしくあの激動の時代を思い出していた。
 そして共産党一党独裁のもとで、軍事力を増大化させ、覇権主義を強める中国の尖閣問題で、揺れる日本外交にあっての、日米安保条約の意義を考えていた。
 なお来年は鹿児島での開催ということだ。
 来年のことををいえば、鬼が笑うともいう。
 だが、わが父祖の地、長州とともに、維新回天の偉業をなした薩摩。 司馬先生の「翔ぶが如く」の舞台でもあり、勉強を兼ねて、参加できればと思っている。
 参考記事
九州政治研究者フォーラムの記録(19862002年)
 
http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/kyushuayumi.html

| 児玉昌己 | - | 08:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
佐賀の老舗旅館あけぼので九州政治研究者フォーラム それを詠む 海鳴庵児玉
 佐賀は知事公舎もすぐという閑静な老舗の旅館あけぼので、合宿研究会。
 名館に花を添える女将によると、あけぼのは明治22年創業。久留米が誇る天才画家青木繁も遊んだ旅館である。勉強の後は、ムツゴロウ、シャミセンガイ(女冠者)など有明ものが振舞われ、館オリジナルの清酒「ひねもすのたり」ともども、実に美味であった。

 



 はがくれの 歴史を残す名館に 集いて語る 明日のあけぼの
                          海鳴庵児玉

          
 

 
参考 海鳴庵句歌 温泉旅館編 

2012.08.05 Sunday 山口 長門湯本 大谷山荘

 夏草の 揺らす風なく 大谷の 山の荘(やしき)に 我はくつろぎ
                 

2012.04.14 Saturday  原鶴温泉泰泉閣
 河童の湯 肩を並べて ゆうらゆら 親子で浸かり ゆうらゆうらり


2011.02.03 Thursday  佐賀 嬉野和多屋

 朝もやを 衝いて現る 旭日に 願う湯の宿 嬉野和多屋

 

2010.03.29 Monday  箱根、環翆楼

 瀬音あり 翠(みどり)の宿は 大正の 浪漫残して 静かに建てり

 静寂を 破る川の音 箱根宿(やど)湯けむり濡れて 古きぞ趣たり


2009.09.01 Tuesday  長崎 雲仙富貴屋

くつろぎは 星と湯浴()みの 富貴の宿

| 児玉昌己 | - | 16:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
入道雲にも秋を感じて   海鳴庵/児玉

 ロンドン五輪で遅れているのか、甲子園の熱闘は続いている。これが終われば、夏も終りを濃くする。
 蝉しぐれも今年は長雨のためか、勢いがない。残暑は続いているが、朝夕、わずかに空の色合いに秋を感じている。
 
 入道の 雲は彼方に そびえ立つ そちらは夏で こちらは秋か
                            海鳴庵/児玉    
                    
             

| 児玉昌己 | - | 11:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
繰り返される領土領海侵犯 国家観が欠如した民主政権がゆえにである
  民主という政権は、比例定数の大幅削減による民意の大虐殺を図る意味で民主主義も、そして対外的には国家、国益、国防という観点もまるで抜け落ちた政権である。
 国民の生命財産を守るのは国家機構である。
 特に独裁国家や全体主義国家が影響力を持つアジアにあって、宝石のごとき民主主義国家であるわが国の国家の存在は際立っている。

 外国の勢力によるそのわが国の領土侵犯は処罰の対象だが、再三の制止を振り切っての上陸だ。悪質極まりない。米国ならテロの危険の対処も考えるだろう。
 そして、民主政権は、またしても裁判もせずに、追放処分で済ませようという。

 相手が図に乗るだけではないか。まして香港の運動家たちは「不法入国ではない、わが領土」というのであるのだから。
 香港政府は、そしてその背後にある中国政府は、これまで尖閣への活動家の出港を規制していたが、その方針を翻して、わが国を挑発している。
 第二、第三の上陸も十分想定される。自衛隊も含め、国家機関の常駐も考慮すべきである。

 中国に足元を見透かされて、今後も簡単に繰り返させる軟弱な対応だといえる。
 尖閣への侵犯と海保への威力業務妨害の衝突については、仙石長官が尖閣隠しを公然と行い、国民の知る権利を侵害し、重大な憲法無視を行った。しかも状況を明らかにした国家公務員が逆に懲戒処分という馬鹿げた事件を起こした。
 今度は野田総理は法令に従い厳格に対応するといっていたが、今日のニュースでは、立件もせず、国外追放という。これが厳格な対応か。消費税増税と同様、言葉と行動がまるで一致しない。

 これでは海保は対処の仕様がないではないか。
 この政権は、国民の生命財産を預かる政権として、不適格極まりない。実に国民はこの国家意識をまるで欠いた政権にうんざりしている。
 早急に総選挙すべきだ。
 国家を守る気概などまるでない野合政権が、どう国家の行政を指導し、国民の安全を確保できるというのか。実にあきれ果てる。
 わが国の平和主義は、外国勢力による主権侵害まで放置することではおよそない。
 こちらは自民党政権の時代であったが、北朝鮮の国家機関による、公然たる大規模な日本人の拉致事件を生んだのも、当時の最大野党の社会党を含めた、政治指導者の国家意識の欠如が故にであった。
 同じ愚を繰り返してはならない。

 参考記事

<尖閣逮捕>一両日中に強制送還へ 那覇到着、5人聴取毎日新聞16()1334分配信

あきれるばかりの閣僚たち  続く最小不幸社会ならぬ極大不快政治上、下
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2596
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2597




 

| 児玉昌己 | - | 22:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
敗戦の日と百日白(さるすべり) 海鳴庵/児玉

  庭には百日白(さるすべり)が遅まきながら、花をつけた。清楚な白だ。
 今日は敗戦祈念日。「終戦」という表現は、不鮮明な言葉で、政治学者として好まない。戦争指導(者)の責任をあいまいにするものであるからだ。
 開戦があり、敗戦があった。勝利のVdayではおよそなく、他国を蹂躙し、挙句は2つの原爆投下を含め絨毯爆撃で、焦土と化し、無条件降伏受諾による敗戦であった。それが戦争の終わりと戦後のスタートのすべてであり、これからも、それを心に刻み込む必要がある。



百日白(さるすべり) 忘ることなく 咲き来る 敗戦はやも 六七の歳月(とき)
                          海鳴庵/児玉


参考ブログ
百日白については、以下も詠ませてもらっている。

往く夏を 惜しみたまふや  百日紅 舞うかのごとき 白き花群れ
2010年8月17日
 
夏枯れの 熱の静寂(しずけさ)包みしも 清楚舞い落つ 
花百日紅
2010年8月28日  

2012.08.09 Thursday 海鳴庵/児玉昌己句歌集2012年後半
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3224

2012.05.25 Friday 海鳴庵児玉昌己句歌集 2012年前半

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3074
                

| 児玉昌己 | - | 17:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
中学の還暦同窓会と墓参に佐世保に出向く
  雨を衝いて、週末泊まりがけで、佐世保に墓参を兼ねて、中学校の還暦同窓会に出かけていた。
 五輪の年に合わせて4年に1度やっている。今回で6回、24年目ということだ。
 私はいわゆる地方都市の中心部でに育った子で、中学も小学もドーナツ化現象と少子化をまともに受けて、自分の卒業した学校が共に、校区の併合で閉校となるという、「栄えある」学校の出身者である。
 結婚しない子供や、孫の世話や親の介護のことなど、還暦に相応した話題となっていた。
 私にとっては、佐世保も、今となっては両親の墓と、地元にいる友人諸氏だけになっている。
 だが、思い出の地を訪問でき.旧友と歓談できるのは幹事の皆さんの熱意である。有り難いことである。
 また恩師の先生方も5名ほど招待参加されていた。80前後におなりで、次の生き方をそれぞれに実践しておいでである。慶賀に堪えない。
 五輪も終わり、高校野球。これが終われば、夏が終わる。
 五輪は不振の男子と書いたが、最後にレスリングとボクシングで金をえて、有終の美を飾った。
 終わってみれば、過去最高のメダル数ということで、オランダを抜いて11位。喜ばしいことであった。

参考ブログ 

2008.08.14 Thursday 中学の同窓会 故郷は父母ありて想うもの
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=1351

| 児玉昌己 | - | 08:47 | comments(0) | trackbacks(0) |

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