2012.08.28 Tuesday
朝日新聞の1票の格差と無効判決の可能性に関する特集記事
大型の台風で少し緊張していたが、風雨もあまりなく、当地はやれやれ。
大学の夏のイベントも、8月も残すところわずかとなれば、一息。今日は人間ドッグである。 昨日は一票の格差について、朝日新聞の若松記者の大きな記事が出て、無効判決の可能性に関連して、私のコメントも掲示されている。 以前取材を受けていたのだ。 無効判決は出るのかというところだが、 仮定の話だが、違憲状態を放置したままの現状で選挙をして、次の提訴があって、無効判決がでるかという問いは、可能性としては限りなく困難である。 選挙後すぐに新内閣が組閣して、人事や政策の予算執行など行政行為が次々と行われていく。その数は膨大になる。 解釈の仕方で変わってくるが、最大で300名も違憲的状況の対象者がいるなかで、彼らが失格となれば、その政治的行為の正統性も問われるからである。 ただし明確なことはある。これは紙幅の関係上、出されていなかったが、同時に、違憲状況を放置し、次の選挙が無効判決の状況が放置さたまま実施されるとすれば、それは当然、司法権の侵害となる。そのことも付記しておきたい。 ただし現在の小選挙区制度を維持しても、1票の格差はなくならない。本来的にそれが1人区で、あれかこれかの選択肢しかなく、100差でも10万票が死票となる危険性をつねに秘めているからである。 3年前の総選挙は、私もNIBのテレビスタジオで解説していたが、長崎2区では福田女史が12万で勝ったものの、負けた久間氏は10.6万をとっていた。彼を支持しているわけではないが、その票はすべて死票と化した。これが小選挙区制度である。 小選挙区制度をやめ、比例制度に転換すれば、瞬時に決着がつくのが1票の格差である。 どうしてそれをやらないかということが私の基本としてある。 朝日のこの記事については、ネットですぐに反応が出ていた。 http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/e/ 85dbcb1456af397fb130121260803fa8 民主が進める小選挙区制度を前提にした記事で、現状とそれを追認した記事ではないかというものだ。 確かにその指摘は鋭く、現状の報道の要請もある書き手の記者さんとしても悩ましいところだろう。実際、1票の格差もだが、もっと重要な問題がある。 すでにふれたように、現行選挙区制度が生む膨大な死票の問題である。小選挙区制度を維持する限り、この記事が言うように、1票の格差は継続する。 死票の問題は単に現行で指摘された選挙区だけでなく、全選挙区において存在し、半数近い票が死んでいるという事実について、メディアも政治家もまるで視座が及んでいないというその問題である。 政治の現状に立てば、この現状に立った、無効判決に至る可能性を探る論理展開の特集も貴重ではある。 だが、死票という全選挙区での民意の合法的虐殺の問題こそが選挙制度と現在の政治の不安定化の核心部分である。 ちなみに、2009年の総選挙では、小選挙区で投票総数7058万票のうち、「死票」 は3270万票で、投票総数の実に46.3%にのぼり、87選挙区で過半数が死票である。 限定された選挙区において違憲判決が出た1票の格差どころの話ではない深刻さである。 最高裁を頂点とする司法府は深刻な民意の合法的虐殺状況に対して、全く関与しない(できない)で、むしろ現状の選挙制度の枠内での判示となる。それが司法府の限界である。 世界の常識としては、わが国の制度はガラパゴス的である。 このブログでも度々紹介し、指摘して来たように、27カ国からなるEUの欧州議会を含め、欧州各国の選挙では、基本原則は、民主や自民などの、時代錯誤と、無知というべきお粗末な制度認識とはちがい、比例制度である。もっとも、同業者の政治学者の中にもこの現実が分かっていないものもいるが。 この基本的な観点から、朝日新聞を含め、他のメディアが選挙制度の原理原則に立ち戻って、日本の選挙制度の問題を問う記事も企画してもらいたいものだと想っている。 さてこの後、人間ドッグである。、 参考ブログ ねじれ解消の1院制論の錯誤と陥穽(かんせい) 7 本丸は選挙制度改革にある http://masami-kodama.jugem.jp/?month=201204 |