児玉昌己研究室

内外の政治と日常について想うことのあれこれを綴ります。
母の十三回忌 それを詠む 海鳴庵児玉

 3月の最後の土曜日、母の十三回忌の法要が行われ、東本願寺佐世保別院に出かけてきた。穏やかな春の日、墓所のある名切の地は豊に桜を咲かせ、鶯の澄んだ音が響いていた。
 故人は、故郷の景色とともに心にある。慈(いつく)しんでくれた両親、とりわけ母は、誰にとっても特別な存在である。



 母逝きて 歳月早も 十三年 桜舞う名切(地/ち)に 
 鶯(うぐいす)の鳴く
     
                    海鳴庵児玉

| 児玉昌己 | - | 11:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
司法による総選挙無効判決の意味するもの 下 国土の均衡ある発展と代表民主主義に関わる問題

 実際、議員定数のゼロサム的配置の要請の下では、地方は、利害の代表者である国会議員を確保し、その政治的な支援措置を受けてこそ初めて過疎化に対抗し、その存在を予算上に確保できるということができる。
 いずれにせよ、現在の小選挙区制度を維持する限り、政治のベクトルは地方潰しに機能する。それがゆえに、経済だけで1票の格差を観る視座では、このジレンマは解消できない。
 社会工学的に圧倒的に不利におかれている地方の救済は、それ自体が、政治の課題である。
 国土の均衡ある発展をどう維持するかは経済の問題というより政治の問題でもある。 
 安価な労働力の存在により見えざる手が地方救済に当たるなどありえない。社会的インフラの整備があって工場誘致も可能であり、地方浮揚には政治的配慮がいる。

 まして多くの政治家が疑いもせずにいう比例削減による小選挙区制度の強化などは、代表民主主義の根幹を打ち砕く反民主的、反社会的議論である。
 議員諸君よ、大都市だけが栄えて地方が困窮している現状を政治家は是とするのかね。
 1票の格差の問題は選挙区の個別的問題に矮小化されがちだが、実は、過疎に苦しむ地方にあって、さらに地方殺しを促進しかねない様に機能する小選挙区制度の本質的問題があることを忘却してはならない。
 であれば、その打開策は多数はない。
 わが国の抱える都市と地方の関係を考える場合、小選挙区制度にはその答えはない。将来のビジョンもない。 
 地域の多様性を重視したブロック別の比例か、地域を意識したドイツ型の比例を基礎にした比例型小選挙区一部付加型にするしかない。
 ちなみに、ドイツ型は一般に小選挙区比例代表連用制と訳され、日本の併立制とわずかに2語違うだけになって小選挙区制度と思われがちである。だが、これは比例制度の類型に入る。
 開票に当たって、議席配分は各党の総得票の計算はまず比例でなされる。それゆえ比例代表制小選挙区付加型と訳すのが正しい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%
82%A4%E3%83%84%E9%80%A3%E9%82%A6%E8%AD%B0%E4%BC%9A

 話を戻せば、JAや農業関係議員はTPPに反対を続けているが、実は地方を維持するにはその政治的装置の確保という観点に立った、議論が必要となる。
「地方主権」と言いながら、比例の大規模削減をいい、その中での小選挙区制度の強化、すなわち地方殺しに手を染めてきたのが先の民主であった。
 広島高裁の今回の選挙無効判決は、出鱈目な制度改革案に固執し続けた野田内閣の解散を契機としたものであったことを忘却してはならない。
 今もこの党、地方殺しのみならず、あろうことか、比例の大規模削減という民主主義の虐殺に機能する主張を、「民主」という党名を抱えつつ相変わらず続けていて、総選挙での有権者による懲罰の意味さえ理解できない体堕落である。

 相次ぐ、1票の格差にたいする司法による無効判断を含めた違憲判決は、小選挙区制度という現行の選挙制度にたいする違憲判断を司法が表明しているように思える。
 ともあれ、抜本改正とは、現行小選挙区制度の廃止と、比例制度への大転換の選択しかあり得ない。
 政治家や政党、そして朝日や日経のメディアもそれを知るべきだろう。
 比例定数大規模削減と、完全小選挙区を是とするようなスタンスを維持している産経には、小選挙区制度と2大政党制は、2日前のブログで書いたように、多元的価値を尊ぶ21世紀においては、本家イギリスにおいても否定されつつあるような、19世紀の過去の遺物と反民主主義、すなわち反社会的なモデルでしかないといいたいところである。

参考記事

1票の格差>選挙「無効」 議員に衝撃 有権者は国会批判毎日新聞 325
昨年の衆院選は無効 一票の格差訴訟で初判断 広島高裁2013朝日新聞デジタル 325
参考ブログ

2013.03.26 Tuesday 小選挙区制度は19世紀の遺物 下 朝日のへタレ社説 オピニオンリーダーの役割を果たせ

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3429

2012.01.30 Monday 比例80削減は、民意の「扼殺」1-5衆参の議席は国権の最高機関の機能の保障であり、財政改革の対象ではおよそない

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3063

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3064

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3066

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3065

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3067








| 児玉昌己 | - | 04:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
司法による総選挙無効判決の意味するもの 上 国土の均衡ある発展と代表民主主義に関わる問題

 慌ただしい3月だった。西海岸に初めて旅行して戻り、子供の卒業式での再度の上京と忙しかった。もうすぐ4月だ。
 この間、 司法は、高裁レベルで先の総選挙で1票の格差を審理していたが、広島高裁では、選挙無効と、従来の判断を超えた判決を下している。もしこれが即時適用されたら31の選挙区すなわち31名の議員の失職となる。

 司法のいら立ちを示しているが、私に言わせれば、最大格差が2.43倍となっている千葉4区と高知3区、あるいは広島1区と高知3区の個別選挙区での単なる1票の格差の判断というよりも、小選挙区制度自体に対する司法による批判といってよい。
 ちなみに中選挙区下ではかくも深刻な1票の格差は生じなかった。
 その中選挙区を変更し小選挙区を導入したのが、1994年の公選法改正であった。
 この法改正では、本来はリクルートの金銭スキャンダル、いわゆる金権腐敗があり、こうした政権の腐敗にたいしては、腐敗防止法や政治資金規正法の強化で対応すべきであった。
 だが、政党自らの不決断でしかなかった「決まらない政治」を強調し、意思決定のコストを最上位に起き、中選挙区制度の欠陥という議論にすり替え、民意の反映を軽視し、それゆえに「敵対の政治」を増幅させる小選挙区制度を推進した。
 これを推進した政治家と政治学者、そしてメディアの責任は極めて大きいと言わざるを得ない。
 当事者の政治家はたとえば、河野洋平氏など、失敗したと公言するくらいだから、論外である。細川政権にあって秘書官として現行制度をもたらす公選法改革法案成立を支えた成田憲彦氏も、小選挙区制度導入に伴う「敵対の政治」がかくも大きいとは予想できなかったという。小選挙区制度のイギリスを実見してれば、十分に予見できたはずだ。
 政治に失敗のツケを、その後長期にわたり払わされるのは国民であり、国家である。 
「すみません失敗しました」では済まない。その倍の努力で、小選挙区制度の廃止に動くべきだろう。
 司法の無効判決が提起した小選挙区制度下での1票の格差だが、小選挙区制度を維持する限り、大都市部の止まらぬ膨張と、地方の過疎化が同時進行的に進むことが阻止できない限り、小選挙区制度は大都市部の議員定数の積み上げと、他方で地方の定数削減という地方殺しを無慈悲な形で進めることになる。

 すなわち、現行の小選挙区制度を維持し、定数削減を言い続ける限り、代表を失う地方は、圧倒的優位に立つ大都市部の繁栄の一方で、予算配分機能からして、議員を失い地方の劣化が進むことになる。

 ちなみに、経済学者で竜谷大学の竹中正治教授は「衆院一票の格差を是正しないと日本の経済資源配分は歪んだまま」という考察で、貴重な分析を行っている。
 すなわち、1票の格差の結果、選挙人口に比べて国会により多くの議員を送り出している府県ほど、人口一人当たりより多くの地方交付金(総額8.2兆円、平成21年度)を受けていることを実証している。
 議員定数と地方の権益確保とは、実に密接な関係を持っていることが地方交付税という、地方財源に直結する予算分配の数字の上からもいえるのである。
 だが、この数字は、注意を要する。
 それだから、都市部への積み増しを図れという議論となれば、それは地方殺しに作用するネガティブな意義をもっているからである。
 竹中先生は経済で政治を観る必要を言われているが、経済で政治を観ることの限界もまさにこの手法は示しているともいえる。

参考記事

一票の格差 最高裁、統一判断へ 「無効」なら31選挙区失職 産経新聞327
衆院一票の格差を是正しないと日本の経済資源配分は歪んだまま 竹中正治 龍谷大学(経済学部)教授2013312
http://bylines.news.yahoo.co.jp/takenakamasaharu/20130312-00023848/
 

参考ブログ
2012.09.08 Saturdayかつての当事者が認める小選挙区制度の失敗 過則勿憚改 上下

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3268

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3269

2012.01.16 Monday諸悪の根源は小選挙区制度である1-5政治学者の選挙制度認識を質す

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3045

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3046

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3047

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3048

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3049

| 児玉昌己 | - | 00:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
深大寺訪問 鬼太郎を詠む 海鳴庵児玉

 勤務校での卒業式を終えて間もなく、子供の卒業式のために上京している。高田馬場はいつもながらの人の渦。

 この機を捕え、深大寺訪問。
 NHK朝ドラ「ゲゲゲの女房」でも何回か、水木先生一家の息抜きの場として登場していた調布の深大寺である。
 先生は、独創的な精神世界を漫画の世界で拓きつつ、文字通り、戦時負傷による片腕一つで、貧乏神と格闘していた。それが調布であった。
 私もあの朝ドラで力をもらいつつ、NHKのカルチャーラジオ「歴史再発見」のラジオ講座の「EU・ヨーロッパ統合の政治史」のテキストを4カ月という期限付きで、必死で書いていたのである。
 
今回教え子で東京支店勤務のY君が付き合ってくれて、出かけた。

 ここが東京かとだれもが思うが、私も同様。実に自然豊かで、水に恵まれた由緒ある土地だ。 歌人、俳人も多数この地で歌を句を詠んでいる。

 私も以下を詠む。

 

 水ありて 緑豊かに 深大寺 鬼太郎刻む 時も流れり
                  海鳴庵児玉


 一反もめんのマグカップを鬼太郎茶屋で求めた。曲線が粋な逸品だ。

参考ブログ

2010.08.06 Friday  鬼太郎と 昼寝したきや グーグーと 海鳴庵/児玉http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2472



| 児玉昌己 | - | 06:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
小選挙区制度は19世紀の遺物 下 朝日のへタレ社説 オピニオンリーダーの役割を果たせ

小選挙区制度は19世紀の遺物 下 朝日のへタレ社説 オピニオンリーダーの役割を果たせ

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3429

小選挙区は言われていることと全く異なり、膨大な死票を生み、鬱積したその不満が敵対の政治を生み、政治を極度に不安定化し、選挙費用も膨大になり、政治的コストを極限に高める。
 なお自民の額賀議員は以下語っている。全く同感である。ただし、死票については、半分くらいではなく、半分以上であり、小選挙区より中選挙区、中選挙区より比例制度が優れているということが重要なのだが。
 額賀氏曰く。
 「われわれ中選挙区制を経験している者は、小選挙区制により選挙のたびに風で政治の不安定さが起こることについて、問題視しなければならないという感じを持っている。小選挙区制では半分ぐらいが死に票になるということも踏まえて、抜本的な選挙制度(改革)についても議論していく必要がある。(額賀派の会合で)」(朝日20133720
 
 それにしても上記の記事を書いた朝日も社説(3.16)は自民の改革案を本末転倒と両断するものの、自社の選挙改革のプランについては何一つ具体案を提示することなく、わずかに「第3者機関」での検討に任せるべきなどと実に安易で、無責任極まりない。
 オピニオン・リーダーという自負を持っているならば、朝日は選挙制度改革で何がベストだと思うか、自社の主張を打ち出すべきだ。
 いったい何のための社説かである。諸君が批判してやまない、他人への丸投げではないか。そしてプレスとしての自己責任の放棄ではないか。
 ちなみに英有力紙ガーディアンは、未だ直近である2010年の英総選挙時に「自民の時が来た」という社説(430日)で、「本紙に投票権があるならば、小選挙区制度の撤廃と比例制度導入促進を打ち出す英自民党に熱狂的にその票を投じる」

If the Guardian had a vote it would be cast enthusiastically for the Liberal Democrats.The Guardian, Friday 30 April 2010.とその立場を鮮明にしている。
 そして、小選挙区制度の下では、多様化する国民の真の鏡としてイギリス議会が機能していないこと、ガーディアン社が100年間、ずっと比例を支持して来たこと、比例は万能薬ではないが、それ以上のものはない旨書いている。
 本来、同紙は労働党支持の政党でありながら、今回は自民を推すと、上記の社説を掲示したことを書いておこう。
 翻って、朝日。
 小選挙区で全体で有権者の56%の投じた票が死票になるという狂気の制度悪が露呈してさえも、そして現状での小選挙区制度を前提とした改革では比例が削減され、さらに死票が積み上げられ、しかも、圧倒的に有利にある都市部と限界集落が広がる地方の、新たな格差を拡大再生産するよう機能することが、明々白々であるのに、かくの如き社説である。
 実に、この朝日のヘタレ社説、政党支持を超えて比例制度を高く掲げたガーディアンの社説とはえらい違いである。
 どうかな朝日の社説氏、記者諸君。

参考記事

社説)選挙制度改革 自民党案は本末転倒だ 朝日2013年3月16日

参考ブログ
2012.12.18 Tuesday これが小選挙区選挙の実態だ 上下 死票は半数以上、3730万票、死票率は実に56.0
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3355
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3356

General election 2010: The liberal moment has come

http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2010/

apr/30/the-liberal-moment-has-come
参考論文
児玉昌己「多党化する欧州議会選挙の英選挙区と2010年英下院議会選挙-欧州  統合運動の英議会政治への影響」久留米大学比較文化研究科第20号2011年3月63-86頁 

| 児玉昌己 | - | 06:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
小選挙区制度は19世紀の遺物 中 米国の選挙制度は全くモデルにならない

  政治において、議会制民主主義の時間のかかる意思決定を嫌悪し、行政優位の思想よろしく「意思決定のコスト」という観点が最重要な価値であるならば、究極的には政治制度としては、2大政党どころか、中国や北朝鮮張りに一党独裁が最もそれにふさわしい。
 もっともそれはファシスト政治と全体主義を意味するのだが。 
 維新の橋下氏、先の総選挙の小選挙区では、全選挙区で、死票は実に3700万票を超え、有権者の意思の実に56%が死票となっている。この驚くべき政治的意思の虐殺も平気なのだろうか それよりも意思決定のコストが重要なのだろうか。
 驚くべき政治感覚だ。
 有権者の政治的意思を選挙で汲みあげない政治は、「敵対の政治」という反動となって次の国政選挙に与党政治家に突き刺さる。2005年、2009年、そして2012年の選挙を振り返れば、この選挙制度の悪は、明らかだ。ネジレが悪いのではない。ネジレは直近の民意の結果である。
 1994年の選挙制度改革と小選挙区制度の導入こそが、ネジレと政治的不安定の元凶であった。

 21世紀には、かくも反社会的というべき小選挙区制度は要らない。
 21世紀の価値の多様性を反映する比例制度こそが必要である。
 米国についていえば、核開発に狂奔する、ならず者国家や一党独裁の膨張主義国家が跋扈する東アジアにおいて、同盟国としての意義を軽視したり、あるいは忘却するつもりはいささかもない。
 だが、選挙制度モデルでいえば、議員も50万人に1名も議席を確保できていず80有余年人口が3倍にもなろうとするのに、1929年以降下院定数435の定数を据え置いて、結果として、有権者と議員との距離を遠ざけ、寡頭制の権威主義的政治を強めているアメリカはモデルにならない。
 実際、金融資本主義の暴走を政治は抑えることができず、超格差社会を生み、貧困大国となっている。
ちなみに批判の対象となるEU加盟国だが、日経が欧米を比べ、弱者の大学修学での安全網については、米国がむしろ劣っている旨伝えている。
 その米国の選挙制度ではなく、同じく戦敗国ドイツの制度を参考にすべきだろう。

 ドイツは8200万国家で連邦下院は600余議席であるので、わが国に換算していえば、衆院は800議席程度は持っていることになる。国会議員の定数が過大であるなど、欧州からすれば、噴飯ものの議論でしかない。
 ドイツは選挙制度の基本は比例で、比例に小選挙区を加味した制度をとっている。

 国会議員の定数については、これを減らすより、それ以上の議席を国民の代表として確保し、政治を監視すべきだろう。
 さらに、当然いうべきは、政党交付金と議員歳費の削減は言ってもらわねばならないが、これは維新はどうなのかね。

 「維新」とは次世代を見据えた幕末の志士たちの政治運動の結果であったが、この橋下維新は政治における大衆迎合と、21世紀の時代に、19世紀を志向するだけの政党のようにみえるのは、私だけであろうか。
 確信がある様で確信がなく、政治的意思決定の所在がどこにあるのか、党内民主主義が確保されているのかさえ不明な、ふらつく維新。ビジョンがあるようでビジョンなどまるでない、それがこの政党の相貌であり、無責任さである。


参考ブログ
2012.09.01 Saturday
 空前絶後の死票を積み上げる維新橋下の愚昧の選挙制度私案 上下 議会制民主主義の危機を招く提案

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3257

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3258


| 児玉昌己 | - | 02:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
小選挙区制度は19世紀の遺物 上 維新は反民主主義の遺物を売り物にするのかね

 またしても維新が政党としての体をなさない状況を露呈している。
 こんな政党が政権に迫ることほど危ないことはない。もっともその可能性は今の安倍自民の高い支持率からして全くありえないことだが。
 いうことなすことが全く一貫性もなければ、信頼性もない。いままでの態度については以下で書いた。

2012.12.26 Wednesday 政策に一貫性がない維新 2012年総選挙雑感
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3361

今度は選挙制度についてである。国会議員団と指導者橋下氏との意見の齟齬を来している。石原氏と橋下氏の相違に加えてである。あきれてものも言えないとはこれを言う。
 以下の記事見出しがそれだ。
橋下氏、中選挙区制移行案に反対 維新の改革案と相違 朝日新聞デジタル
 322

選挙制度改革 維新の会「中選挙区制」軸に検討テレビ朝日系(ANN 322
維新の“東西対立”露呈… 橋下氏も国会議員団試案を批判 産経新聞
 322

 
橋下氏に問いたい。

 小選挙区制度はそして2大政党政治は19世紀の遺物であるという事実をご承知かと。
 21世紀を走るEUの議会である、欧州議会の選挙制度は1979年にそれまで加盟国議会の議員との兼任制度の選挙制度を改め、直接選挙を導入した。過渡期を置いて、現在では比例制度が基本である。それは欧州議会選挙法に明記されている。
 ちなみに欧州の政治先進国からなるEUでは、欧州議会が5年に1度直接選挙される。解散なし、27カ国で一斉に実施、有権者4億。次回は2014年5月実施予定。  
またクロアチアが今年7月がEU加盟しEUは28カ国になるが、おそらく11議席を得て、欧州議会選挙に加わることになる。もとより比例である。
 小選挙区論者が言及するイギリスについては、73年のEU加盟から26年の時を置き、それまで続けていた小選挙区制度での選挙をやめ、1999年にこの欧州議会選挙(イギリス選挙区)において、他の加盟国に歩調を合わせ、比例への転換を実施した。この結果、イギリスでは異常な勝ちすぎ、負け過ぎで構築されていた2大政党制がくずれ、急速に多党化傾向を深めている事実をご承知か。
 そして、国内の総選挙でも、小選挙区を廃止しようという動きを、英自民などは活発化させている
事実をご存じか。
 しかるに、橋下氏が主導した維新は、選挙を前に衆院の定数半減に加え参院全廃と、実に500議席余の国会議員の削減を言っていた。
 だが、選挙に入って、理由もなくこれをひっこめる実に無責任な対応をした。議会主義に対する強烈な嫌悪感をこの政党が持っていることを示している。
 選挙制度という重要政策についてさえ、幹部と国会議員の中で意思統一ができていないということは、政党にとって最も大切な信頼性を決定的に損なっているのである。
 し
かも、橋下氏は、19世紀の遺物で、時代錯誤も甚だしい2大政党制や、定数削減など、政治を経済の論理でものを語る「意思決定のコスト」論者でもある

 

| 児玉昌己 | - | 11:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
春爛漫 卒業式終える

 勤務校では卒業式、祝賀会が終わった。教え子の保護者も複数来られていて、挨拶を交わし、祝賀を述べる。
 毎年、晴れやかな卒業式だが、私も還暦を過ぎ、この日を迎える親御さんのご苦労と安堵感がよくわかる歳になった。
 自宅の庭では紅梅も水仙も終わったが、鉢植えのチューリップが咲き、梅よりも明るいピンク色の桃も花を咲かせた。
 植木市で購入した
梅も、若葉をつけ始めた。山椒もだ。雑草も。
 まさに春爛漫。北海道は猛吹雪で申し訳ないほどだ。
 欧州議会の選挙制度改革で主務報告者を務めたアンドルー・ダフの書簡を訳し、その背景を書いた大学院研究科の草稿のゲラを印刷所に渡し、今年度の最後とするつもりだ。
 週末には上京し、子供の卒業式に出向く予定。それが終わると、いよいよ新年度となる。
 太刀洗の三井の寿の蔵開きと重なり、顔を出せないのが、すこし惜しい。


| 児玉昌己 | - | 10:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
日常に戻る 春の到来

  今日は勤務校の卒業式。気分を一新して、巣立つ諸君を送る日だ。私も下の子供が卒業する。親の喜びは十分に共有できる。幸い快晴だ。そして謝恩会。年々再々だが、今年は我が家とダブらせ、特別に思える。
 服でも改め、この記念すべき日を共に祝いたい。
 仕事では欧州議会の選挙制度に関する論考のゲラが戻ってきた。
 滞米中に安倍首相からTPP交渉参加表明があり、その反動の農業団体を中心とするデモがあったり、北朝鮮の脅迫的言動があったり、中国の新体制が始動したり。
 選挙制度に関する政党間の動きがあったり、政治内政外交ともに、一刻の休みもなく進んでいる。

 パソコンに向かうごとに、日常に戻ったことを実感するところだ。
 庭では、紅梅も水仙も終わったが、チューリップが咲いた。戸外では桜も咲いている。
 長い学業を終え、社会に出る諸君を祝福するかのようだ。

| 児玉昌己 | - | 08:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
金門橋を詠む 海鳴庵児玉
  サンフランシスコのシンボル金門橋。1930年代に建造された米国の技術の象徴でもある。それを詠む


 赤色の 鋼(はがね)逞し 金門橋 冷たき海風(かぜ)に 威容燦然
                      海鳴庵児玉
| 児玉昌己 | - | 08:02 | comments(0) | trackbacks(0) |

このページの先頭へ