2013.06.30 Sunday
党利党略の政党政治の問題を参院廃止論に誘導する日経の6月27日付問題社説見出し−「こんな体たらくの参院ならいらない」
参議院は4日の公示、21日に選挙となった。参院選は総理に解散権限のある衆院とは違い、総理の権限とは無関係に憲法上の要請により、3年に1度確実に来る。 ところで、参院の実質閉幕に合わせて、日経は社説を出している。27日付のそのタイトルは以下だ。 「こんな体たらくの参院ならいらない」 中身は政党の政局と、それがゆえに重要法案が未成立になった政党の身勝手を書いている。それ自身、まともな記事であるが、それをまったく反映しない見出しタイトルだ。 書かれた内容が、党利党略に立った政党の党派的動向であれば、「こんな体たらくの参院ならいらない」ではなく、「こんな体たらくな党利党略は要らない」とすべきであろう。 時節柄、日経もその路線にあるのかね、と問われることになるからである。まして社説とは社を代表する論説である。 あまり知られていないが、新聞では、一般に、記者が書いた記事に合わせて、書いた記者が見出しまでもつけることがない。(例外はあるかもしれないが)別に「見出し屋」がいる。主観性を排除し、客観性を確保するためにである。 私も新聞に頼まれて書き始めてそれを知ったのだった。 私は幸いにして、ほとんど経験したことがないが、時に、核心部分を外す見出しが付けられることがあることは周囲からも聞くことがある。それゆえ、書いた中身に相応して、正確に見出しが出されればいいと、ずっと思ってきた。 書いたことを見出しという形で簡潔に、読者に正確に表現するのは、見出し屋の仕事である。 そうならそうと、改憲を社是としている産経のように、中身で書けばいいのである。 現行憲法が確立している国家の統治の制度では、参院があるから、政府与党の恣意的政治をけん制できる。 そして、政界引退した後も、国益を損ない続ける鳩山氏による政権が2009年9月に成立し、その後、菅、野田と続く民主政権であった。だが、あの政治を掣肘したのは、まさに参院選挙であった。 ちなみに一部の政治家が偏愛する米国について言えば、人口比で国会議員が極端に少ないという意味で、寡頭制ともいうべき政治制度は評価していない。 小選挙区制度など、19世紀の遺物でしかない。それが2大政党制度をグロテスクに美化し、メディアもこれに加担して導入され、大規模な民意の虐殺が行われ、政治が不安定化している。その政治状況の中で、第2院は、民意の受け皿として役割をいっそう大きくしている。 何度も言うが、ねじれは悪ではおよそない。参院の意志と衆院の意志(政治勢力)が異なるという「ねじれ」は、民意の結果である。しかも直近の民意である。 しかるに、日経の社説見出しに戻っていえば、合意していた重要政策を民主が政局の思惑でつぶすという事実に即して書かれた記事の中身が、その中でまるで触れられていない参院不要論という結論的見出しとなり、歪曲される。 おそらく論説委員に関連する見出し屋が、一応「なら」と仮定法をつけているとはいえ、不用意に、あるいは意図的に、参院不要論にすり替えることに作用する記事見出しを立てる。 日経さんよ、そう思われないのかな。
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