秋の園遊会での手紙事件で、山本太郎参院議員が記者会見で、反省の弁を語り、「宸襟」を悩ませたという古風な特別な敬語を使用したのを耳にして、驚いた。
同じ印象を得た者もいたようで、インターネットでそうした反応を知ることができる。
宸襟(しんきん)ということを使うくらい、陛下のことを日頃想っていれば、園遊会で前代未聞の書簡渡しなどおよそ考えもしなかったと思われる。
それほどの彼の行為と言葉の落差である。
宸襟とは、語義的にいえば、宸が天子、襟はえり首を意味し、天子の心を煩わせるという意味である。
人間天皇が宣せられて、70年余り。とりわけ、21世紀となっては歴史用語となっていた観のあるこの言葉である。
冒頭書いたように、他の人々と同様に、彼からその言葉が出たのに強い違和感を覚えた次第だった。
側近に助言されたのか、出た言葉かもしれない。
案じられていたことだが、彼の事務所には刃物入りの封書が送りつけられてきた。しかもこれまた陛下のお心(宸襟)を悩ませたという報道である。
この問題については、各方面でさまざまにコメントされている。
私が考えることは、実のところ、憲法における天皇の地位について、この議員がまるでわかっていないということに尽きる。
日本国憲法は天皇について、国民統合の象徴と明記している。
政治権力の絶対的存在からわが国における非政治的、文化的権威の存在へと変化しているのが、日本の戦後の憲法と天皇の地位と機能である。
憲法史を振り返れば、「不磨の大典」としての明治憲法が規定した天皇主権という天皇制イデオロギーが今次大戦における無条件降伏により清算され、民主主義的国家と国民主権への移行の過程で、天皇の位置づけは明瞭に変化した。
陛下は、国民統合の象徴として、国民主権の下で、唯一参政権もない非政治的存在である。
すなわち、もし国民統合の象徴である陛下が特定の政治的イデオロギーや政党や会派の主義、主張に傾斜されることとなれば、即座に国民統合の象徴という憲法上の規定に抵触することになるからである。
参院議長から厳重注意処分となった今回の山本議員の事案についていえば、以下のことがいえる。
特定の主義主張を陛下に提起することができるとするならば、右から左まで、政治的主張をもった膨大な意見書がその日のうちに陛下に届くことになる。
そんな憲法と天皇の地位に関する理解もなかったのかというのが、彼の行為に対する私の印象で、そのことに驚くのである。
原発反対の主張は大いに結構だ。だが、それは陛下に申し上げることではおよそなく、自身が参院議員としての政治的存在として、立法府において、まさに活動すべきことである。
はわが国のメガバンクの銀行家を招いて、イギリスのスタジオでこの問題を取り上げ、キャスターが、それほどのエチケット違反なのかと問うたという。BBC 余談だが、この問題、外国でも取り上げられている。
もし報道が事実ならば、この英人キャスターの日本政治の認識のレベルも、知れているということである。
問題はエチケットの類の問題でなく、わが国の近現代史を背景とし、憲法そして天皇制に関わる問題なのである。
BBCに招かれた、その国際派銀行家についていえば、日本人の多くが鋭敏に反応したことの意味について、彼が、この事案で提起された問題は、単にエチケットという表層的なものでなく、憲法と天皇制にかかわる問題であるという認識に立って、皮相な外国の認識に対して、適切に応答して頂いたことと期待している。
参考記事
日15月11天皇陛下、山本太郎氏の脅迫事件を心配される読売新聞
キャスター「エチケットはそんなに大ごとなのか」山本太郎問題で日本人コメンテーターBBC
と火花J-CASTニュース11月10日