児玉昌己研究室

内外の政治と日常について想うことのあれこれを綴ります。
2013年大晦日 坪庭の寒水石と八女黒石灯籠 海鳴庵児玉昌己

2013年平成25年も最後の日。しぐれも上がり、午後の日が心地よい。坪庭には新年を前に、真白の寒水石が入った。新雪にも似て、八女長野の黒石灯籠も輝いている。
 

大晦日 敷き替えられし 寒水石(かんすい)の 春雪に似て 
 坪庭(にわ)輝かせ
  

 


  寒水石(かんすい)に 八女灯籠も 生を得て

                     海鳴庵児玉


2013.11.17 Sunday海鳴庵児玉昌己句歌集2013年後半

ttp://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3511

2013.11.03 Sunday 坪庭の補修

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3564




| 児玉昌己 | - | 20:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
安倍靖国参拝について 下 反省に立ってとは何の反省かね
   私事であるが、父(大正9/1920年生)は、この戦争に満州で召集を受け、応召となり、従軍した。
 大陸から南方戦線へと転戦し、乗船していた輸送艦が撃沈され、夜の海に放り出されている。かろうじて生を得て、敗戦後復員した父は、「侵略戦争に青春を捧げて悔いあり」と、戦後日記に記している。
 従軍した帝国陸海軍将兵は、特攻出撃を余儀なくされた大和乗員や、知覧の航空兵を含め、国家のために黙々と精勤し、多く落命し、尊い生と人生そのものを捧げた。だが、それは無様な戦争と無能極まりない戦争指導者を許していたのでは決していない。
 昭和天皇は、靖国参拝について、ほとんど誰も知らないうちになされたA級戦犯合祀について、強い不快感を表され、参拝中止をされている。それは、報道されている通りである。
  7年前の小泉参拝について、哲学者、梅原猛は、この首相の靖国参拝に関して、次のようにいっている。
 それを紹介しておこう。
7年後の安倍首相の言葉は当時の小泉総理と全く同じだからである。


 戦争犠牲者の霊を慰めるため、そして2度と戦争はしませんと誓うために靖国を参拝するというこの首相について、靖国参拝は、むしろ敗戦の汚名をそそぐために、英米連合軍と再度戦争をしますというのが論理的であり、ましてそれで広島、長崎の霊を鎮魂するなどは論理に反する、と。

 戦後の歴代政府が公式に使ってきた反省とは、侵略戦争で他国を蹂躙し、国内外の無辜(むこ)の市民に多大な苦痛を与えたことである。その反省とは思えない。
 この参拝について、「反省の上に立って」と安倍氏はいう。反省とは何の反省かね。無残な敗戦に至った戦争指導にたいする反省かね。
 敗戦国ドイツは戦後、今次大戦について揺るぎない反省の対応を続け、今の国際的信頼を得ている。
 旧連合国を網羅する欧州28か国からなるEUも、東アジアの緊張関係を高めるという認識に立って、靖国参拝批判の声明を外交安保上級代表が出した。
 安倍首相は自己の論理で、まさに尖閣問題で国際的支援の必要があるそのなかで、わが国の平和を脅かす国際的孤立を深める結果を招いている。
 自国がどう対応すべきか、そして、近隣諸国、関係国家がこれをどう見るかを強く意識しておくのが政治指導者というべきであろう。
 塗炭の苦しみを内外に与え、惨澹たる結果を残した戦争指導者を合祀した靖国の現在を強く肯定することは、21世紀の、急速に膨張する中国に象徴されるような東アジアの覇権の海にあって、米国との同盟関係を損なうということである。
 外交とは友を得ることであるとすれば、実に軽薄極まりない行為というべきである。
 そんな外交指導の背景にあるものこそ、この指導者の第2次大戦についての理解であろう。聖戦であったとでも思っているのだろうか。
 純然たる国土防衛戦争であったのか。主たる戦地は、歴史的に形成された列島日本本来の領土とは全く異なるアジア大陸、南洋諸島であり、南方戦線という言葉が示すように、海外であった。 
 思いつくだけでも、武漢であり、南京であり、重慶であり、ノモンハンであり、パレンバンであり、ビルマ戦線であり、インパールであり、ガダルカナル等々であった。
 今は、特に学習不足の若い日本人の記憶からほとんど消えてしまった、地理的にも遥か遠いアジアの各地であった。そのことを思い起こせば、一目瞭然である。
 帝国主義戦争であり、侵略戦争であったという認識こそが戦後のスタートである。「侵略の定義さえない」というような理解に立って、首相お得意の「丁寧に話して理解してもらう」と何万回いったところで、相手に伝わるようなことではない。
 自由闊達なる戦後の日本を生む民主主義と経済的豊かさは、スウェーデン駐在武官小野寺大佐から、ヤルタ密約によるソ連参戦の不都合な情報がもたらされてさえも、それを握りつぶし、徹底抗戦を唱え、沖縄での地上戦の悲惨を招き、さらにはソ連参戦と北方領土占領を許し、さらには原爆投下を招いたあの軍部独裁から生まれたものではない。
 終戦後も哲学者三木清を拘束し続け獄死させた、あの治安維持法から生まれたものでもない。
 ファシズムの特性としての「強制的同一化」(Gleichschaltung という意味で、政党活動を終息させたあの大政翼賛会にみる、軍国主義日本からでもない。
 自由闊達なる戦後の日本を生む民主主義と経済的豊かさは、実に敗戦と軍国日本との決別と、その反省に立った民主主義と平和主義から生まれた。
 世界の子供を魅了するアニメに代表される断突というべき文化的ソフトパワーをもち、わが国へのイメージと信頼は極めて高い。これが21世紀のわが日本である。
 戦後この日本の国際的信頼は、侵略戦争と決別し、専守防衛に徹した平和国家日本の70年余の日々の実績が生み出したものである。実にこの日本の国際的評価を貶める行為である。
 天皇のご遺志にも反するまさにガラパゴス政治家の愚行というべきであろう。
 安倍総理の靖国参拝とその背景にある極めて異様な歴史認識、とりわけ戦争認識に強く異を唱えたい。 
  参考記事
A級戦犯、靖国合祀、昭和天皇が不快感――参拝中止「それが私の心だ」2006/07/20, 日本経済新聞 朝刊
米が異例の批判、政府関係者「意外だった」日本テレビ系(NNN 1227
靖国参拝「緊張緩和に貢献せず」=EU報道官時事通信 1227
<首相靖国参拝>古賀氏「もっといい方法がなかったのか」毎日新聞 1228日(古賀誠自民元幹事長、父君はレイテで戦死、分祀論をもって持論としている児玉記)
2013年712日米防衛相の電話会談中止=米が要請、靖国参拝影響か 時事通信
2013年712日 <首相靖国参拝>米「失望」に政府危機感 防衛相協議延期 毎日新聞

参考ブログ
 小泉総理の靖国参拝に断固抗議する2006.08.15 Tuesday
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=270
「寿命は成績順」の衝撃 海兵時代を述懐される哲学者木田元先生 日経私の履歴書 上下 2010.09.10 Friday
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2507

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2508
 2011.09.10 Saturday 大震災で活躍した海自の潜水艦くろしお体験乗艦
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2927
   
 2012.09.10 Monday 書評 岡部伸『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』新潮社2012年 上中下
 http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3270
 http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3271
 http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3272
2013.08.02 Friday 民主主義国家日本の品格を著しく貶める麻生副総理のナチス憲法発言 上下
 http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3508
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3509

 
| 児玉昌己 | - | 11:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
安倍靖国参拝について 上 反省に立ってとは何の反省かね 

  安倍首相は「痛恨の極み」と断念していた靖国参拝を、日中間に緊張関係が続くこの時期、断行した。公明も、自民の中にも、そして国民の中に反対論、慎重論が強くある中でである。

これに対して、米国政府は「失望している」と明確に抗議の意を込めた異例の対応をした。それについて、政府関係者は「意外だった」という。

米国が靖国参拝にたいして強い不満を持っていることは当たり前のことではないか。

 そのことは、わが国の要路とも長く太い関係を持つ元国務副長官リチャード・アーミテージが日経主催のセミナーで2か月前に語っていたことだ。
すでに米政府はケリー国務長官とヘーゲル国防長官を派遣し、わざわざ10月3日、千鳥ヶ淵の戦没者墓苑に詣でている。それは靖国参拝に傾斜する安倍総理に対する米国政府のメッセージであった。

 いや日中間の偶発的武力衝突の危険さえ十分あり得る現状であるからこそ、なおのこと米国は、ケネディ大使を含め、「失望」という強い言葉で、抗議の意味を込めたといえるものであった。
 特に米国には、日中間における尖閣をめぐる緊張関係と、尖閣に対する日米の共同防衛問題とは別個に、そうした強い歴史性と正当性を持つ認識が歴然と存在する。
 この戦争は、米国をはじめとする連合国にとっては、同じく若い兵士の多大なる犠牲を払って勝ち得た戦争という大義名分のある戦争である。また中韓は敗戦を持って独立国家がスタートしたというべき戦争である。そのことさえわかっていないのかということである。
 靖国参拝がもし国家のために尊い犠牲を捧げた将兵と市民のためだけのものであれば、何の問題もない。だが、靖国はA級戦犯合祀という特別の場所でもある。
 第二次大戦は、連合国にとっては、帝国主義戦争であったし、同時に反ファシズムの戦いでもあった。

 7年前の敗戦記念日に同じことが起きた。小泉参拝の時で、この靖国参拝について書いた。

そのブログの冒頭、これは諸外国の反応というより、わが国の戦争と戦後の歴史をどう考えるかということであるとして始めた。
 事実、戦後丸山真男が指摘したように、戦争責任問題について、無責任体制を維持しつつ、一億総ざんげなどという言葉で蓋を閉じてきた。この戦争責任問題と、戦後民主主義をどう考えるかということである。

 

参考ブログ

 

安倍靖国参拝について 下 反省に立ってとは何の反省かね

 

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3591

 

 

| 児玉昌己 | - | 10:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
「追悼餃子」に出向く

 大学はようやく講義等が終わるが、入試関係の説明会や定例の会議など多忙だ。

 昨夜は友人が来訪し、一緒に王将に出かける。いわゆる「追悼餃子」だ。王将には40数年も前のことだが、同志社時代、親からの限られた仕送りの中で、友人たちと、出町店にはずいぶんお世話になった。
 配布された無料券を握りしめて、それに炒飯を注文すれば、旺盛な胃袋を満たせたのだ。今でも感謝があり、利用させてもらっている。その中でのこの事件。
 社長さんは悲劇的に世を去った。
 北九州では、暴力団の銃による一般人の襲撃が続いている。拳銃での殺人は重罰にすべきだ。銃なき社会の前提が崩れつつある。司直には卑劣な犯人を速やかに挙げてもらいたいものだ。

| 児玉昌己 | - | 09:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
筆グルメで年賀状を書く

  朝、テラスの寒暖計は2度を表示していた。寒い日が続いている。
 年賀状の季節だ。ここ数年は、忙しくしていて、いつも遅れて大晦日までかかるが、今年は準備を早めている。
 とはいえ、年に1度のこと。ソフトの操作もすっかり忘れて、年賀欠礼の方を除いたはずだが、それが結局付いたまま印字され、10枚ほどはダメにした。
 それでも表書と文面も、100枚をはるかに超えるとなれば大変な仕事量で、ソフトに頼らざるを得ない。実際、文面は別に作るとしても宛名書きが大変な作業だ。
 
これらのソフトが出てきた20年ほど前はうまく郵便番号などが入らなかったり、プリンタの性能が悪くイライラすることもあった。今は設定さえ間違えなければ、寸分の違いもなくおさまってくれる。
 定型文だけのものは出したくない。個人のことが書かれないものでは、有難味も薄いし、あまり意味がないと思っている。実際「アケオメ」や、ただの定型文などは意味を持つ大人の言葉ではない。

 年賀状といえば、届いたときは、まずざっと見る。そしてお年玉くじ付きの当落を見た後は、いつの間にかしまわれ、忘れてしまう。 
 年の瀬となり、次の賀状が迫って取り出し、読み返すと、その年のそれぞれの一年を振り返ることとなり、また味わいがある。

そんなこんなの年の瀬だ。
参考ブログ

2007.12.26 Wednesday年賀状を投函する

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=1000

2011.12.24 Saturday 2011年、霜の白いクリスマスイブ 

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3027


 
| 児玉昌己 | - | 21:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
海鳴庵児玉昌己句歌集2013年後半


2013.12.31 Tuesday 2013年大晦日 坪庭の寒水石と八女黒石灯籠 

2013年平成25年も最後の日。しぐれも上がり、午後の日が心地よい。坪庭には新年を前に、真白の寒水石が入った。新雪にも似て、八女長野の黒石灯籠も輝いている。

 
  大晦日 敷き替えられし 寒水石(かんすい)の 春雪に似て 
 坪庭(にわ)輝かせ

 

  寒水石(かんすい)に 八女灯籠も 生を得て




2013.12.17 Tuesday 師走雨に打たれる灯籠の灯 それを詠む

 あの夏も今は昔。寒い日が続いている。そしてそぼ降る師走雨。坪庭の灯篭の灯も寒に包まれる。



師走雨 そぼ降る雨に 打たる夜の 坪庭(にわ)の灯籠 灯(ともしび)も冷え




2013.12.09 Monday 師走 風邪にとり憑かれる それを詠む 


年の瀬や 風邪(ふうじゃ)に憑(つ)かれ こともなし 

ただ伏したりて 無為なる日々に

 


2013.11.17 Sunday
 輝く月はさながら蕭白(しょうはく)の龍の眼 それを詠む

 気温もぐっと下がり、晩秋の趣。月が煌々と雲間から輝き、雲の動きで、さながら江戸期の絵師、曽我蕭白の龍のようである。それを詠む。

 

晩秋の 煌々たる月 龍の眼か 雲間に跳ねる 蕭白の龍
            


2013.11.06 Wednesday ツワブキの咲く庭 それを詠む

  季節は変り、今日は立冬。冬を前にツワブキの黄色は暖かい。その黄色を詠む。


 
  つわぶきは 黄色き世界 暖世界 来るべく冬の 足を止(とど)めて




2013.11.01 Friday つるべ落としの夕暮れ それを詠む 
 いつの間にか季節も11月、霜月。夕暮れもつるべ落とし。暑かった秋も夕暮れの早さで一挙に遅れた時間を取り戻す。

 

夕暮れの 日を追う早さ 格別に 暑き秋さえ 消し去りていく 



2013.10.26 Saturday 台風後の秋の月を詠む 


台風も九州は去り、秋の月は天空遠く頂点に輝いている。


秋月の 天空遠く 頂点に 星も奪いて 光燦然

 



2013.10.06 Sunday
 熟れ落ちた庭の柿を詠む 

熟れた柿が駐車場のコンクリートに落ちる。自然の恵み、子規のように食し、秋を感じればいいのだが、21世紀の人間は多忙すぎて、その余裕もない。寂しき人の世にも通じて、詠む。


 柿ありて みる人もなき 悲し果実(み)の 落ち砕けてや 哀れなるかな

 

2013.09.30 Monday 木漏れ日に感じる秋の訪れ それを詠む 

 朝夕はめっきりと秋めいて、薄着ならば肌寒さを感じるほどだ。朝、階下に降りると、揺らめく光は秋そのもの。それを詠む



 窓越しに 花を飾りし 食卓の 揺らめく光 秋を宿して


 

2013.09.12 Thursday 長月の夜半のヤモリを詠む 
 9月入りし、夜も長くなる。夜半に戯れるヤモリのツガイあり。一首詠む


 妖しくも 影を映すは ヤモリなり つがい戯むる 長月の夜半(よわ) 


2013.08.26 Monday
 雨が消す灼熱大地  渡る涼風に秋の気配 それを詠む 

 37度の灼熱の大地は豪雨で30度を割り込んだ。涼しさは格別。雨は大地を冷まし、風は涼感を強め、虫の音もある。

 

 

 雨上がり 涼風渡り 秋ぞきぬ 星降る夜に 聴くや虫の音 

                     


2013.08.22 Thursday
 乾ききった大地に慈雨の夕立 それを詠む

昨夕は夕立。雨がこれほどうれしく思えたもの、久しぶりのことだ。それほどに大地も人も乾涸(から)びていた。


乾涸(ひから)びて ついに来たれり 黒雲の滝 側溝(みぞ)溢れさせ 
 生命(いのち)戻れり 

 

  

2013.08.20 Tuesday 猛暑の夏 白き夏 百日白(さるすべり)を詠む

 今年の夏の厳しさは半端ではない。久留米は連日36度。2日前は38度を記録した。白い夏だ。人も樹もへばっている。

 

 

白き夏 人樹も萎(しぼ)む 白き夏 君が砦だ 花百日白 
                   

 

2013.08.17 Saturday精霊船を引く それを詠む 海鳴庵児玉

 長崎の友の父君が旅立たれた。長命を全うされ、初盆の15日の精霊船は、彼が心を込めて手作りした。その送り船を縁者、関係者に混じり、引かせていただいた。

 


 黄昏に 爆竹炸裂(な)らして 精霊(おくり)船 
 



 悲しみを 隠し炸裂(な)らすは 精霊(おくり)船 硝煙(けむり)の中に 
 去りし日の往く  


  

2013.08.04 Sunday 鹿子前(佐世保九十九島)の海に遊び、それを詠む 

 政治家の愚昧な発言などありストレスを高める。週末、鹿子前(かしまえ)の浜に出かけた。国民宿舎もなくなり、閑散としているが、青い空、キラキラ光る海面、海の向こうには九十九島。その景色は変わらない。幼児らが戯れ、稚魚が群れていた。

 

 

 鹿子前の きらめく浜の 懐かしき 群れ成す稚魚も 我を迎えし

                             

 

2013.07.31 Wednesday月の変りを夜風に感じて それを詠む 

今日で7月も終わり。明日から8月。葉月だ。夜ウォーキングをして、しっかりかいた汗は、ぬるま湯の風呂で流す。これが実に気持ちいい。

 

 

   宵の風 熱き大地を 冷さましあり 吹きぬく風に 五体預けて
                               

 

 

2013.07.27 Saturday 深紅の薔薇を詠む 

午後、洗剤を買い出る。階下の花屋でバラを買う。花を買うために出かけたというのが正直なところだ。深紅のバラだ。炎暑の夏には真紅のバラが合う。

 

 朦朧(もうろう)の 真夏の午後は 深紅(あか)き薔薇 深紅き色こそ 暑気を削(そ)ぎしや

              

 

2013.07.15 Monday  夏入りも ほんまかいなと 蝉もいい 

   早々に梅雨明けし、夏入りして1週間。猛暑ではあるのだが、どうにも夏の雰囲気がわかない。蝉しぐれの有無なのだ。梅雨前線の北上、それ夏入りだ、人間さまがそういっても、昆虫はすぐには反応しない。

 

  夏入りも ほんまかいなと 蝉もいい
 梅雨明けや 鳴かずばならぬ 蝉しぐれ                    

 

  政治家や 下げねばならぬ 頭(ず)も腰も (参院選中もう1句)

 

 

2013.07.12 Friday 夏の夜に輝く月を詠む 

長く暑い熱い夏でも、ゆるやかながら、日は暮れる。戸外に出ると、ハッとするほどの眩い左舷の月。 それを詠む

 

 夏の陽も 沈みて眠る 漆黒の間 月光(ひかり)眩(まばゆ)く 我に微笑み

                          

 

2013.07.08 Monday  梅雨明け そして紫陽花の終わりを詠む 

 週末には梅雨の歌を詠んだが、今日は九州も梅雨明け。そして猛暑。いずれも10日ほどのずれ。食卓を飾っていた紫陽花もそろそろ終わりだ。

 

 紫陽花に 別離(とき)を告げるや 天空(そら)の青 
             

 

2013.07.06 Saturday 関東の梅雨明けと北部九州の梅雨真っ最中 それを詠む 

 7月入りしての初めての週末。関東甲信は梅雨明けという。 ほんまかいな。

 梅雨末期 雨雨雨の 毎曜日 すべてがジトリ 心もジトリ

                         

 

2013.07.06 Saturday 海鳴庵児玉昌己句歌集2013年前半

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3401

| 児玉昌己 | - | 14:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
クリスマスも近い 山下達郎とザード坂井泉水を聴く

 政治では、都知事が受託収賄罪の疑いのある金銭授受で、追いつめられてわずか1年で、辞任した。

クリスマスが近いので、そんな無粋な話題から離れ、クリスマスの歌を書こう。

日本列島もいつにない寒気に包まれて、積雪のところも多い。それでビングクロスビーのWhite Christmas1942)もいい。
 70年も前の歌で、日本では、昭和17年。「欲しがりがりません、勝つまでは」のスローガンで、戦時色が強くなる太平洋戦争の真っ最中。方や白いクリスマスの余韻を楽しむ米国。まったく彼我の大変な差だ。

70年後の今の日本。この時期は、やはり山下達郎の「クリスマス・イブ」(1983)。彼の才能をいかんなく発揮し、バロックを取り込み、日本人が生んだ最も素敵なクリスマスの歌といえるものだ。
 「雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう。S
ilent night Holy night」実に、季節感のある素敵な歌詞だ。それを楽しんでいる。

そして若くして逝ったザード坂井泉水の「あなたを感じていたい」(1994)。人を想う歌で、彼女の歌詞の真骨頂を示すもので、実にいい。これは大都会のクリスマスの時期。
 「ひとり歩く街中がにじんだキャンドルでいっぱい。切なくて。」
 華やかな都会のクリスマスのキャンドルの光の中で、恋愛のつらさを切なく歌い上げたものだ。 
 今次大戦から70有余年、あの戦争の惨禍を経て、先人の苦
労の後に、クリスマスを楽しめる今の豊かさがあることを改めて想う。

 
参考ブログ

2010.12.07 Tuesday 山下達郎の「クリスマスイブ」が合う季節

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=2610

2007.05.29 Tuesday 追悼 坂井泉水 1 2

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=604
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=607

| 児玉昌己 | - | 10:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
九州EU研究会での第8次欧州議会直接選挙の報告依頼

 九州EU研究会の尾上会長(西南学院大学経済学部)からEメイルがあり、3月の第55回の研究会での私の報告が決まったとのことだ。

毎年2度開催される研究会で、九州のEU研究の拠点ともなっている。
 私も30代に、イギリス人経済学者のエルアグラ先生(福大経済学部)の推薦で入会させてもらい、爾来、四半世紀上の時を経た。
 すでに研究会報告をしたからといってメリットになる齢でもない。それで、若い人が機会を活用すればいいと思っていて、常にバックアップ要員、スペアだと位置づけている。
 今回希望者が少なかったのか、やってほしいということだ。
 タイムリーなことに、EUは、一般人の理解と違い、私にすれば、極めてドラマティックに状況が進展していく。話題には事欠かない。

実際、欧州議会の第8次の選挙が来年5月と近づいている。それを話すつもりだ。とはいえ考えてみれば、3月すぐの研究会で、準備時間は、2か月余りしかない。
 最近、塩野七生の本を20冊以上買い込み、充電をと思っていた。もとより、校務は、否応なくこなしていくわけであり、余暇、余芸はプラスアルファの時間だ。今回、報告者になるが決まり、その準備を進めねばならなくなって、そうそう余暇に時間を割くこともできなくなりつつある。
 そんなこんなの師走のあわただしい今日この頃だ。

 

参考記事

2009.07.31 Friday 九州EU研究会に学ぶ

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=1941

2009.03.06 Friday 九州EU研究会で報告する

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=1726




 
 
| 児玉昌己 | - | 12:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
師走雨に打たれる灯籠の灯 それを詠む 海鳴庵児玉

 あの夏も今は昔。寒い日が続いている。そしてそぼ降る師走雨。坪庭の灯篭の灯も寒に包まれる。


 

師走雨 そぼ降る雨に 打たる夜の 坪庭(にわ)の灯籠 灯(ともしび)も冷え

                   海鳴庵児玉


海鳴庵参考句

2008.12.21 Sunday 師走の雨を詠む  


 葉に宿る 露の宝石 師走雨

2013.11.17 Sunday 海鳴庵児玉昌己句歌集2013年後半

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3511

 



| 児玉昌己 | - | 23:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
宮原信孝教授久留米市長選総決起集会 そして佐藤優さんの特別応援演説
  昨日、広又のホテルニュープラザで、会場を埋め尽くす参加者をえて、友人の宮原信孝教授の市長選立候補の決起集会が開かれた。
 かばん、看板、地盤をすべて欠いての出馬表明。
 医療、文化、歴史などなど、優れた資源をもちつつも、それを活かせない現状。そして、相も変らぬ箱モノ行政の延長と、市の停滞どころか、没落しつつあるとみる故郷への強い危機感と、久留米復活への熱い想い。そして支持者の共感を背景にしての、決意表明。

 本ブログでも紹介している同志社出身の元外務省主任分析官、佐藤優さんが東京から応援演説に駆けつけてくれていた。
 両人は外務省の入省年度も近く、在外研修時代から旧知の間柄だったということだ。
 ともあれ、旧来の市政の在り方に将来を憂い、見識を持って、立候補されたことを素朴に評価、支持したい。


参考記事

選挙:久留米市長選 久留米大教授・宮原氏が出馬表明 都市プラザ「見直す」 /福岡 毎日新聞 20130809日 地方版
参考ブログ

2006.07.25 Tuesday 人との出会い 宮原信孝さんのこと

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=234

2011.12.04 Sunday 宮原ゼミとの合同のTPP参加を巡る外交ゲーム実施

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3011

2008.01.30 Wednesday 佐藤優の「私のマルクス」と同志社 上下

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=1047

http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=1048

 

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