韓国の旅客船沈没での乗客救助は遺体搬出という痛ましい展開を迎え、それさえも遅々として進まない。オバマ大統領が3日後にも訪韓するというこの時期に至ってもである。
朴槿恵(パククネ)大統領は、ほとんどの乗客を放置し早々に避難した船長を「殺人に等しい」と声高にいう。苛立ちはわかるが、行政府の長がこうしたことをいうであろうか、という気持ちがある。
感情をむき出しにしても転覆船舶の救助に一義的に責任を負う政府の責任は否定できない。自らの政権の責任を回避するためではないかと、むしろ誰もが思うだろう。
政治と社会に最高の責任を負う者として、行政の長がなすべきは、船長を叱責するより、自ら貴重な時間を放置した国家機関の無能ぶりを謝罪すべきなのである。
沈没船からの修学旅行生らの救助救出は、今や救助というより、遺体搬出という過酷な現実となりつつある。実に、不幸極まりない。
政治の側にとってのこの不都合な真実を前にして、自らの責任を問うのが普通の政治指導者の態度である。
スポーツの勝敗に往々にしてにみられるように、他国や他者に対し、責任を問うことで自己を満足させてきた感のある韓国だが、今度は修学旅行が悪いということで、廃止になるようだ。しかも、修学旅行は集団を強制する日帝時代の遺物だからという。
「ウリナラ」という言葉で、個人的な利益や欲望を押し隠す国家であるようだが、社会における団体生活や規律を教える意味で大切な修学旅行ではないか。それが、ではなにゆえ、今まで継続されてきたのか。一定の意味が評価されてきたのだろう。
しかるに、この悲惨な事件では修学旅行が悪かったといいはじめている。おかしな議論だ。
事故は修学旅行が引き起こしたのかね。そう問いたい。そうではないはずだ。
無理な船体の改造、整備不良、過積載、不徹底な固縛、事故時の避難と誘導の指示が全くなされなかったという出鱈目さ、そして遭難後の救助する側の海警の判断ミスなど現政権を含め、上げたらきりがない。
まさに無責任の塊というべきで、大人社会の側に100%ある。修学旅行とは無関係の話だ。
船舶の船長以下乗員と、政府の危機管理がまともに機能していれば、修学旅行は安全に実をあげていたはずである。
若い命を一挙に犠牲にする悲劇であったとはいえ、修学旅行を持ち出すことで、事件の本質を押し隠すかのようである。
修学旅行でなくとも、今回のような無様きわまる人為的な重大過失によって大事故が起きれば、同一学校の生徒でなくとも、多くの若者を含む被害者の生命が奪われる。そのことでは、両者に差はなく、同じである。同一校の死者が出なければよいというのだろうか。
日本から見ていて韓国社会で生きることは辛いだろうと思うことがある。
それは、常に他者志向、比較、比較の優劣を求める強い社会的メンタリティがあるからである。その最たるものが、社会を覆うランキング志向である。
この悲惨な事件に触れたブログでも指摘したように、中央日報はまずランキングを持ち出していた。驚くべきことだと思った。
もとより、その社説はそれらが虚しいというまとも感性での言及である。
日頃ランキングに一喜一憂し、それに異常なほど気を遣うメディアもようやくその愚に気付き始めたかということだ。
社説 韓国は「三流国家」だった。2014年4月19日 中央日報
そうである。ランキングより、その中身が大切であり、他者志向、上昇志向の極め付けというべきランキングなど、どうでもいいことだ。
1位であっても、日ごろの精進がなければ簡単に転落するであろう。ランキングなど、自己以外の者がおこなうのを参考にすればいいだけである。
ランキングなど外見的事項より、中身の充実こそが図られるべきである。東大を出たからといって、未来が保障される程、この世は安易な世界ではない。ソウル大学を出てもそうだろう。
実際、スェーデンやカナダなど国際的に高い評価を得ている国家や社会がある。
彼らが、ランキングを意識し、異常に気にしているなどきいたことがない。多くの先進国が同様だろう。もとよりどの国も問題を抱えているが、国家と社会の評価は極めて高い。
後半は以下。
「キムチスタン」の韓国? 下 修学旅行のせいにされかねないセウォル号沈没事件
http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=3667